えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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ホン・サンス監督の『小説家の映画』を見ました。ストーリーのほとんどない会話劇が少しざらついたモノクローム画面に展開されています。ジム・ジャームィッシュ監督の『コーヒー・アンド・シガレット』を思い出したりしましたが、違うのは、ものすごく長いワンカットと定点に固定したカメラが独特で、シーンの中に居合わせているかのようでもあり、とても親密な感じで、見ていると緊張と心地よさの同居したようななんとも形容しがたい感覚にとらわれます。俳優たちの自然な演技は相当なものです。ふと、ホン・サンス監督も小津安二郎の後継なのだろうかなどと思いました。ラストはなぜか感動してしまいました。うー、なんと言葉で表現したらいいかわからない不思議で素敵なな映画でした。

6/30(金)公開『小説家の映画』オフィシャルサイト|ホン・サンス
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オレシャ・モルグネツ=イサイェンコ監督の『キャロル・オブ・ザ・ベル 家族の絆を奏でる詩』を見ました。ロシアがウクライナへ戦争をする前の2020年のウクライナ映画。第二次世界大戦下でのウクライナの家族、ポーランドの家族、ユダヤ人の家族への容赦のない恐ろしいナチスとソ連の暴力に胸がふたがります。

この映画の公式ホームページにあるウクライナの年表で過酷な歴史を知りました。けれども、お母さんは強く、子どもたちは生きのびるでしょう。そう、もう一度、「シェドリック(キャロル・オブ・ザ・ベル)」を歌うのです。ぼくは世界から圧政者と侵略者がいなくならんことを祈ります。

映画『キャロル・オブ・ザ・ベル 家族の絆を奏でる詩』
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オンデマンドで小津安二郎監督の『お茶漬けの味』を見ました。なんだか、ホッとするラストですな。胸がジーンとしました。

1952年の映画ですが、もともとは1932年に製作予定だったもので、当時の軍国主義の日本での検閲により撮ることのできなかった映画だそう。戦後編では会社員の夫がウルグアイに出張に行くという話は、戦中では夫は応召して戦争に行くという話だったそうです。小津はのらりくらりと逃げて、戦中は一本も軍国主義日本のための国策映画を撮っていない。そのことは、文豪、谷崎潤一郎みたいでもある。この映画でも主演の佐分利信に「戦争はもうまっぴらだ」というセリフを言わせています。

有閑マダムとその純朴な夫のほとんど筋のない会話劇だけれども、安心して見ていられる面白さ。戦争に負けて七年後、日本人が何を求めていたか分かるような気もします。小津安二郎にしか作れない名画なのです。
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フェリックス・ヴァン・ヒュルーニンゲン監督とシャルロッテ・ファンデルメールシュ監督の共同監督の『帰れない山』を見ました。山とともに生き、山とともににあろうとした男と、山に憧れつづけた男の友情物語。

この前、旅をした飯田の風の学舎やそこで聞いた大鹿村のことがなんだか思い出される。世界はつながっていて、もしかして同時進行のシンクロニシティなのでしょうか?

原作はパオロ・コニェッティさんの小説『帰れない山』で自伝的な何かなのであろうか? 映画『帰れない山』では山の美しさが映像でせまってきます。

映画の会話に出てくる「真ん中の山」って何だろう? 謎めいたラストの展開はハッピーエンドには見えず、なんともいいがたいものでありました。大きな世界の輪廻に身をまかせたということなのだろうか?

映画『帰れない山』オフィシャルサイト
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オンデマンドで小津安二郎監督の『宗方姉妹』を見ました。「宗方姉妹」と書いて「むねかたきょうだい」と読むそうです。

田中絹代が姉、高峰秀子が妹を演じていて、若かりし頃の高峰秀子ってこんなにきれいで可愛らしかったんだ、などと思う。

新東宝での作品ですが、松竹のいつもの小津調のまま。ただ、映画の中の雨はしとしとではなく、ザーザーふっています。

1950年(昭和25年)の映画で、出てくる看板とかが英字で、読んでいる新聞が英字新聞だったりする。そして、何気ない日常のシーンに敗戦ということが暗い雲となって大きな影を落としているとも思えました。

小津の有名な言葉で「永遠に通じるものこそ常に新しい」といのがあうるけれど、この『宗方姉妹』では「古くならないものが一番新しい」というセリフがこの映画にはあったりします。
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オンデマンドで小津安二郎監督の『風の中の牝雞』を見ました。この『風の中の牝雞』は小津安二郎ではなく黒澤明がとりあげるような題材を小津調で撮った異彩を放つ怪作です。

ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を取った『スパイの妻』の監督、黒沢清さんは小津の作品の中で『風の中の牝雞』こそが一番の傑作だという。黒沢清さんは『風の中の牝雞』について本当に薄気味悪い分析をしておられる。ネタ晴らしになるのでここではこれ以上は控えます。

ぼくはこの映画が敗戦の後を生きる女たちへの小津安二郎からせめてもの渾身のエールのような気もするが、どうだろうか?
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オンデマンドで小津安二郎監督の『秋刀魚の味』を見た。『秋刀魚の味』は『東京物語』と同じぐらいぼくは惹かれて何度も見てきた。

『秋刀魚の味』は『晩春』、『麦秋』、『東京物語』のような父と娘の物語の原点に戻ろうとした物語ではないか? 『東京物語』の後、小津はいろんな新しい試みをしているけれど、それらの新しさを封印して、カラーの映画で原点に戻ろうとした。

『秋刀魚の味』では小津映画の常連の俳優が総出演して、揃い踏みしているようなところがある。違うところがあるとするならば、ヒロインでの登場人物としての原節子がいないこと。原節子が一人で担っていた陽と陰、その他のの魅力を当時の松竹映画の新進の岩下志麻、岡田茉莉子、岸田今日子の三人で微妙に役割分担しているかのようだ。

もう一つとして、前景化せずとも強い基調音として「軍艦マーチ」が常に流れていることだと思う。主人公の父がレコードでかかる「軍艦マーチ」を初めて聞くときの笑っているのに何か恥だと思い、躊躇し、心のどこかで泣きべそをかいているかのような笠智衆の表情が素晴らしい。そして、主人公の父がラスト近くのバーでのシーンで「軍艦マーチ」を聞きながらされる隣の酔客の会話はまったく残酷で、人生の意味のすべてを再び打ち砕くかのようだ。

『秋刀魚の味』は小津調の父と娘の別れの話であるとともに、一つの戦争のシーンもなくとも決して語られなかった戦争について、三度も従軍した小津の忘れえぬ悔恨がにじみ出てもいる名画だ。『秋刀魚の味』を見るたびに、この映画は新しい何かをぼくに語りかけるかのようなのだ。

昭和三十七年、小津映画のこれが最期の作品となった。お見事。

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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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