えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
新宿駅の東口でのパレスチナ支援のための集会に参加した。これで胸がスッキリしたのは、お金を寄付したり、パレスチナの悲惨な現状をSNSで訴えるだけでいいのだろうかと思っていたから。
老人の域に足を踏み入れた隠居のぼくは目新しい社会変革などを求める気持ちな無くなりつつあるけれど、あまりに理不尽な不正義には120億人の中の1人として声をあげたい。坂本龍一さんや山口淑子さんが生きていたら、と詮方ないことも思う。そして、三島由紀夫や中上健次、大江健三郎が生きていたら、どう考え、どんな発言をし、文章を発表していただろうか?
シュプレヒコールの「Free Gaza」の声に、ぼくの心の中にうずくまっているかのような「Free Japan」の声が重なるようであったのはなぜだろう? パレスチナ人は七十五年以上もの間、暴力にさらされ、土地や家、故郷を奪われ、命までも奪われてきた。集会の中でパレスチナの女性の言葉が忘れられない。ガザは天井のない監獄と呼ばれているが、そのようなものではなく、罪のない人びとのとらわれている収容所なのだ、と寒い夜に響く。パレスチナの男性はイスラエルはパレスチナの文化と歴史の全てを消しさろうとしたが、パレスチナ人の魂は奪えない、という。そして、今日も罪のない子どもたちがそこでは殺されている。Free Palestine!
ユダヤ系アメリカ人でホロコーストサバイバーを両親に持つノーマン・フィンケルシュタイン博士の有名な演説「ワニの涙」。
「私はもうそんなことには敬意を払わない。全く好きでもないし、敬意も払わない。ワニに涙にはだ。ワニの涙というのは、私はこれまでホロコーストを切り札にされることは嫌だったが、今からは言わざるえない。亡くなった私の父はアウシュビッツに入っていた。亡くなった私の母もアウシュビッツに入っていた。私の母はマイダネク強制収容所にいた。私の父方の家族は全員殺された。私の母方の家族は全員殺された。私の父も母もワルシャワ蜂起を経験した。だから正確かつ詳細にその両親が三人の子どもに教えたことがあるから、私は決してイスラエルに黙っていない。パレスチナ人に戦争犯罪を犯し、これ以上卑劣なことはないと私が思えるような彼らの苦しみ、殉教を利用して、自分たちの拷問、残忍さ、住居の解体、イスラエルが毎日行っていることを正当化するのであれば、金輪際、泣いても脅かしても無駄である。もし君にすこしでも心があるのなら、パレスチナ人のために泣いているはずだからだ。」
「私はもうそんなことには敬意を払わない。全く好きでもないし、敬意も払わない。ワニに涙にはだ。ワニの涙というのは、私はこれまでホロコーストを切り札にされることは嫌だったが、今からは言わざるえない。亡くなった私の父はアウシュビッツに入っていた。亡くなった私の母もアウシュビッツに入っていた。私の母はマイダネク強制収容所にいた。私の父方の家族は全員殺された。私の母方の家族は全員殺された。私の父も母もワルシャワ蜂起を経験した。だから正確かつ詳細にその両親が三人の子どもに教えたことがあるから、私は決してイスラエルに黙っていない。パレスチナ人に戦争犯罪を犯し、これ以上卑劣なことはないと私が思えるような彼らの苦しみ、殉教を利用して、自分たちの拷問、残忍さ、住居の解体、イスラエルが毎日行っていることを正当化するのであれば、金輪際、泣いても脅かしても無駄である。もし君にすこしでも心があるのなら、パレスチナ人のために泣いているはずだからだ。」
最近、この世界とか世の中のこともあって、ギターを持って歌っていると、ムカムカと腹がたってきてしかたない。そして、次の日、腹が立った自分がいやになる。人間、穏やかに生活し、穏やかに生きねばなりません。早く無駄な恋とかの歌ばかり歌う呑気な歌手にもどりたい。世界に戦争があるというのは、精神衛生にも非常によろしくない。早く、世界中、誰もが普通に平和に生きれる平和な世の中になってほしいです。
私は子どもたちが死んではいないことを願っている
子どもたちは戦争が終わるまで一時的に空に引き上げられただけなのだと
そして、子どもたちは安全にわが家に帰ってくる
父さんと母さんが子どもたちにどこにいたのとたずねると
子どもたちは雲の中で遊んでいたよとこたえるのだ
子どもたちは戦争が終わるまで一時的に空に引き上げられただけなのだと
そして、子どもたちは安全にわが家に帰ってくる
父さんと母さんが子どもたちにどこにいたのとたずねると
子どもたちは雲の中で遊んでいたよとこたえるのだ
「パレスチナ・デイ」というパレスチナ支援のためのバザーがあるというので、東京ジャミイに行ってみた。東京ジャミイとは、東北沢の駅から見えるイスラム寺院、モスク。イスラム教徒らしき人たちが尖塔の建物に吸い込まれていく。ぼくもその建物に入ると、たくさんの人でごったがえしていて、イスラムの人たちの近所の寄り合いのようであった。ぼくはパレスチナ支援の寄付をし、一枚の手縫いのスカーフを買う。そして、階段を上がると中庭のようになっていて、食事の出店でお茶やハラールの料理が売られており、礼拝所の入り口が見える。そこから靴を脱いで入ると、あたり一面幾何学模様が美しく、清く凛としていて、荘厳でもある。そこで、子どもたちが遊んで駆け回っている。そのかたわらで数人の男たちがメッカに向かって礼拝をしている。その光景を見て、ぼくの目頭に熱いものがこみあげてくる。ただ、平和を祈るのみ。
帰りに地元の相模大野のユニコムプラザで相模原市在住の画家、上條陽子さんが主宰されておられる「壁の中の子どもたち展」に行ってみる。ありし日の瓦礫とされる前のガザの子どもたちの描いた絵に胸がふたがれる思い。残酷な爆撃がやみ、平和が訪れるのを祈るのみ。
ガザから遠く離れて暮らす私たちにできることはあるのだろうか。中嶋氏は「国際社会で声をあげることや『戦争にもルールがあり、病院などは絶対に攻撃してはいけない』と言い続けることはすごく大事だと思います」と話す。「すでにたくさんの人が声をあげていると思うので、諦めずに関心を持ち続けることが大事なのではないかと思います。時間が経つにつれて、少しずつ国際社会の関心が薄れていくのが、今後の懸念かなと思っています」
ガザで支援を続ける中嶋優子医師「日本も同じだったよね」の言葉に感じること
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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