えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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港区芝のヒューマンプラザで「ひまわり版道成寺其の参」を見ました。三回目の今回は舞踏よりも劇の要素が強かったような気がします。日本の古典「道成寺」や「小栗判官・照手姫」、三島由紀夫の「卒塔婆小町」、梶井基次郎の「桜の樹の下には」が無理なく自然に接合されていて作劇の妙を感じました。安珍の夢の中で清姫が生霊となって祟る場面は鬼気迫る凄さを感じました。劇の背景にして基層となっている熊野詣は神も仏もあわせもった日本の心の深い根っこにある何かのような気がします。三回目でこの「道成寺」のシリーズは了となると聞きました。残念であるけれども、きららさん、お疲れさまでした。
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テレビで高畑勲監督の『火垂るの墓』を見ました。三回目か四回目かの視聴です。この映画は高畑勲さん自身は反戦の意図はないといっていたそうだか、映画は作者の意図を越えて、一人歩きして、意味を持つことあるだろうと思う。ぼくは今のガザを思い浮かべてしまう。厭戦気分をかもすこの映画を毎年、テレビで八月十五日に放送すればいいなどと思う。ラストを見つつ、幼い二人は永劫回帰の霊となって今でもこの世界を彷徨っているのだろうか? 忘れるな、忘れるなと声がする。
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おれは、靖国神社に行って、死んでくれて、ありがとう、などとは口が裂けても言えないな。言えるとしたら、どうか鎮まりたまえ、ということだけだ。人びとが忘れようともし、改竄しようともしているこの時、その皇軍の兵士たちの怒りをもっとも感じているのは、今では祈りつづけている天皇家ではなかろうか? 天皇陛下三代、靖国神社に参っていない。死者の地上に戻る盂蘭盆会に、御霊を確かに感じつつ、これを書く。
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八月十五日、上野鈴本演芸場での令和七年八月中席昼の部です。見た演目を書き、記します。二つ目の桃月庵白浪くんの「他行」、翁家社中のお二人の太神楽曲芸、隅田川馬石師匠の「金明竹」、宝井琴調師匠の講談「徂徠どうふ」、ウクレレえいじさんのウクレレ漫談 、林家彦いち師匠の「睨み合い」、古今亭菊丸師匠の「たがや」、ダーク広和さんの奇術、古今亭菊之丞師匠の「お菊の皿」で仲入りです。ロケット団のお二人の漫才、柳家小ゑん師匠の「銀河の恋の物語」、春風亭一朝師匠の「転失気」、柳家小菊さんの三味線弾きの、唄いの粋曲、主任は桃月庵白酒の「鰻の幇間」でした。

特に印象に残った演目です。隅田川馬石師匠の「金明竹」は何度も聞いた噺なのに大爆笑。ウクレレえいじさんのウクレレ漫談の志村喬の似ていないものまねが面白い。林家彦いち師匠の新作「睨み合い」に大爆笑。古今亭菊丸師匠の「たがや」に江戸の人たちの涼しい風の自由を感じます。古今亭菊之丞師匠の「お菊の皿」もとてもいい。ロケット団の漫才がテレビで放映できない面白さ。主任の桃月庵白酒の「鰻の幇間」の滑稽噺のハイテンションの笑い。けれど、ぼくは古今亭志ん生の滑舌はよくないけれど、ほんわかとした人を傷つけない笑いの偉大を思い出してしまう。辛酸をなめたどん底の半生から生まれた、にじみでるような笑いや人情の滑稽や悲哀を継承する落語家は、これから出てくるのでしょうか。ぜひとも出てきてほしく存じます。

暗いこの世のつらさ忘れ、寄席は心のオアシスです。

そして、この後、テレビ番組で知った林家正蔵師匠、行きつけの酒場「たる松」に行ってみました。店の中に入ると、半世紀ほど前に時間がタイムスリップしたみたいでした。昔の居酒屋の味みたくで美味しい。
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最近はうらたんざわ渓流釣場でも、養沢毛鉤専用釣場でも、それなりに調子がいい。へたくそなぼくでも、もっと野生のフィールドに、魚影が百分の一でも千分の一でも、行きたくなってしまう。それで、初めて山梨の方の道志川にフライフィッシングをしに行きました。ボーズ(一匹も釣れないこと)でした。魚影は何度も見ました。一匹はフッキングしそこねた。残念です。数少ないチャンスを確実にものにしなくてはいけなかったんだ。鮎を釣りに来ていたおじさんに、声をかけられ、夏山女魚は難しいからなぁ、などと慰められてしまった。帰りに紅椿の湯に寄りました。いい湯です。そこの駐車場から、道志川を見つめていると、やはり魚が泳ぐのが見えます。鮎だろうか、虹鱒、山女魚? 道志川は長い。どこかに、魚がいついているところがあるはず。漁協の駐車場が見つかりにくいけれど、懲りずにまた来ます。

本題からそれてしまうけれど、自動車とバイクの事故を見てしまった。コンビニで買い物をして、車に乗り込もうとすると、後ろからバーンという、大きな何かがぶつかった音がして、見ると、ミニバンとバイクが事故を起こしていた。詳細はあえて記さず、この事故でどちらに過失が大きいかはぼくには分からないけれど、それにしても、道志みちは、特に土日、祝日になるとバイクが多い。バイクが多いのはいいけれど、当人はその気ではないかもしれないが、バイクのライダーたちが後ろから煽るかのように、車間をつめてくる。バイクが速いのはよく分かりましたよ、とぼくはひとりごちる。すると、バイクは追い越し禁止の黄色い車線をまたいで、交通違反をし、追い越していき、ぼくは逆にホッとして、胸をなでおろす。いたるところにすれちがい用のミラーの設置された見通しの悪い片側一車線の高速道路ではない下道だよ。いつか事故を目撃すると思っていた。なんとかならないものか。
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「眠れない八月の子守唄」と題して、こんな詞を書きました。八月は霊が日本のあらゆるところに漂い、それがわたしに書かししめしたようでもあるのです。メロディーとリズムにより唄とし、今度、どこかで歌うつもりでございます。広島の原爆死没者慰霊碑の碑文の「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」の願いと祈りの心すら込めて。

八月六日は眠れない
原爆落とされ眠れない
広島に落とされ眠れない

八月九日、眠れない
原爆落とされ眠れない
長崎に落とされ眠れない

八月十五、眠れない
戦争負けて眠れない
日本が敗れて眠れない

靖国なんぞに眠れない
兵隊たちは眠れない
眠ったことなどありゃしない

ふるさとの空から声がする
憤怒の涙が木霊する
我らは今も彷徨うのだ
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画文集『松本竣介 線と言葉』を読みました。この本を読み、掲載されている絵を見て、ぼくは松本竣介という夭折した稀有な画家のことを少しは分かったような気がするのです。しかも、ぼくは、これからの暗雲漂う日本をどう生きていくのかのヒントと貴重な何かを、この戦争に背を向けた若い画家から少しだけもらったような気もするのだった。ただ、もうぼくは、松本竣介に倣って、ひとりぼっちの孤独となっても、世界を見つめることだけはやめまい。それは荒んだ暗い世界への一つだけの残された石礫かもしれないではないか? 松本竣介の絵と言葉は、ぼくの心に無数の突き刺さる何かがあるようなのです。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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