えいちゃん(さかい きよたか)

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上坂次郎さん、福富太郎さん、川田明久さん、丹尾安則さんの四方の共著による『画家たちの「戦争」』を読む。戦争画とはどういうものか、この一冊でよくわかりました。第二次世界大戦時の日本の軍部はいわゆる戦争画を描くことを推奨していた。軍部の注文による「戦争記録画」もたくさん描かれた。柳条湖事件の1931年から真珠湾攻撃のあった1941年までの中国との戦争で、軍部は大義も挙げられない戦争に戦争画を重宝したという。1941年からアジアの解放だの大東亜共栄圏だのと唱え始めるのだが、それも虚しい呪文に終始し、アジアにおびただしい死をもたらした。

この本で取り上げられている絵が、はたして芸術なのか、軍国主義プロパガンダの宣伝にすぎないのか? 多くは宣伝でしかないだろうが、藤田嗣治の「アッソ島玉砕」や「サイパン島同胞忠節全うす」、小早川秋聲の戦時中は軍部の受け取りと天覧を拒否され、戦後に散る桜の花を作者自身により黒く塗り足された「国の楯」にぼくの心は揺らいでしまう。この三点は展覧会でも見たことがあって、忘れられない。

藤田は画家仲間や批評家の言葉の暴力により一人、戦争協力の汚名を被るようにして、なかば国外追放。フランスでフランス人として客死。小早川秋聲は終戦時、戦犯として捕らえられることを覚悟していたという。小早川は戦後、長く患い、大作は描かないようになり、依頼された小さな不動明王などをほそぼそと描いて過ごしていく。「アッソ島爆撃」で日本軍の爆撃機を描いたシュールレアリストの小川原修は、戦争協力の咎により戦後、美術文化協会を除名となり、生まれ故郷の北海道に戻り、ほそぼそと絵を描きつづるける。その戦後の作品「群れ」は傑作で、小川原の胸の内を生々しく吐露しているかのようなのだ。

無条件な日本万歳というような文章、絵、歌が日本に現れた時、日本に戦争は近く、日本が再びすべてを失う時も近いのかもしれず、それは今なのかもしれない、とぼくは恐れ慄きもするのです。

画家たちの「戦争」 - 福富太郎、河田明久、丹尾安典
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えいちゃん
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S.E.
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歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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