えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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小田急相模原のエルトピートでの三雲参龍さんの主催するポエトリーリーディングの会「月にポエロ」で読むために、その会の前の深夜に詩を作りました。「月にポエロ」は今回、ラストの夜ということですが、素晴らしい企画であったのはいうまでもしれません。再びこのような会がもたれることを願ってやみません。歌の詞は今までたくさん作りましたが、詩はめったに作ったことはありませんでした。ぼくの読んだ詩は、詩といいより散文詩しかもしれず、これは「ガザのために」と題しました。今こそ、この状況の中で、何らかの形で発表した方がいいと思い、言葉が死なず、世界が変わることを願い、披露します。


   ガザのために

私は殺され、死んだ子どもの姿を見過ぎたのだろうか。もう十分だ。もう十分だという声も被害者と称する選民たちに声は届かない。今では、病院の受乳器の中で、餓死する子どもの姿が届けられる。誰も手出しするな、死なすのだとあなたは言うのかね?

ウクライナでも戦争は止まない。ミャンマーはどうなった? 私にとって、生きた時間より、これから生きる時間の方がはるかに短いというのに。

パレスチナ、ウイグル、クルド、チベット。土地を持たない民族の悲惨さに、まだ、夜は続いている。国境がなくなればいいという夢の歌。二千年以上、はるか昔の物語には選ばれし民というが、それによって、命を含むすべてを奪われたらどうだろうか? 国歌と民族は同一ではない。国の中にさまざまな人種、民族がおり、むしろあなたは、あなたの国の中の壁の崩落するのを夢見たらどうだろうか?

獲物を食み涙する鰐の体の中で、魚は憤怒し、鱗を逆立てているのだ。言葉。その言葉を発することを私は止めてはならない。言葉は翼を持ち、すると、言葉ではない鳥のさえずりを聞くことだろう。自由。自由。その時、死んだ、洗礼を受けない、あなたにとっての異教徒の子どもらが、不滅の輪廻転生のように、復活するのを見るだろう。そのような夢の中ですべては逆流し、新宿駅の集会で在日パレスチナ人であるアイーダさんの言葉は響き、私は不覚の嗚咽をし始めたのだ。

「今起きている虐殺は前例を見ない。ホロコーストでさえ比較にならない。支援物資が届いた所でイスラエルは殺人を犯した。あと何人の血が、何人の死体が、何人のもぎ取られた四肢があれば十分か。私たちは黙らず、どこにも行かない。パレスチナ人はパレスチナ人だ」
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近藤ようこさんの描いた漫画『説教 小栗判官』を読みました。何度目かの再読であります。中世の日本の物語そのままに、傑作にして名作で、はじめてこの物語に触れる人のためへのお奨めの本であります。

「説経 小栗判官」近藤ようこ [ビームコミックス]
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上野の鈴本演芸場の令和六年二月下席昼の部へ寄席通いです。

見た演目を書き出してみます。二つ目の林家かごめさんの「ぞろぞろ」、林家八楽さんの紙切り、春風亭勢朝師匠の「袈裟御前」、柳家花いち師匠の「アニバーサリー」、ホームランたにしさんの漫談、橘家文蔵師匠の「時そば」、柳家小ゑん師匠の「鉄の男」。寄席に似つかわしくない綺麗な女の人が登場したと思ってしまった小梅さんの奇術、春風亭一朝師匠の「壺算」で大笑いして、中入りです。ホンキートンクの漫才、最近、のっているからっと明るい蝶花楼桃花師匠の「やかん」。林家正蔵師匠の「西行鼓ヶ滝」は笑いのグルーヴに突入して、止まらなくなり時間オーバーでも、めちゃくちゃ面白い。立花家橘之助さんの浮世節があって、若手、柳家勧之助師匠の「紺屋高尾」でほろりとさせられました。

ジェンダー・ギャップが問われるなかで、今後、廓話をするのが難しくなるのではないかという意見もあるけれど、近頃、若手落語家の遊廓を背景にした落語を聴くことが多いような気がします。今日の柳家勧之助師匠とか、林家つる子さんの「紺屋高尾」、鈴々舎美馬さんの「文七元結」、蝶花楼桃花師匠は「お見立て」がいいというし、これは若い世代からの返答ではあるまいか?

あぁ、寄席はパラダイスです。
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薬師池公園の梅林が見頃です。読んだ句、三句。

 薬師池風やみ梅林静かなり

 春の池鴨は日向に集まりぬ

 山羊引きの山羊は観梅散歩かな
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ロバート・レッドフォード監督の『リバー・ランズ・スルー・イット』を見ました。フライフィッシングを始めてから、ずっと見たかった映画をついに映画館で見てしまった。

大自然のモンタナの渓谷でのフライフィッシングのシーンはそれほど多くない。けれど、魚が毛鉤を咥えるシーンには思わずドキドキしてしまいます。

アメリカ人はこの映画を見て、深い郷愁を感じるのだろうな、などと思う。

ブラッド・ピット演ずる早折する釣りの天才の弟は、厳格な牧師の父や生真面目な兄にどこか挑戦するかのようなのだ。その弟のラストのフライフィッシングのシーンがまぶしく、かっこよく、美しい。渓谷の川で毛鉤を流すあの何ともいえない感じもありなのです。

原題は「River Runs Through It」でその「It」とは何なのだろう? ふとフライフィッシングをしている時に、すべては光の中にあって、その中にぼく自身もいて、光になっている気がしはしないだろうか? それがきっと「It」ということだよ。

リバー・ランズ・スルー・イット : 作品情報
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落語への興味が高じて、堀口茉純さんの著した『江戸はスゴイ 世界が驚く! 最先端都市の歴史・文化・風俗』を読みました。これを読めば、江戸というのは東洋随一を超えて、世界一の都市だったのかもしれませんぜ。この本『江戸はスゴイ』の口絵にある「『東都歳時記』に「宇宙一の壮観」と表現された両国橋夕涼みの光景」に驚きます。この壮観の中のどこかにやっつあん、くまさん、与太郎、ご隠居、おかみさんらの落語の登場人物がいるに違いあるめえ。江戸万歳だなといって、ぼくは本を閉じました。めでたし、めでたし。

江戸はスゴイ | 書籍
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竹橋にある国立近代美術館で『中平卓馬 火―氾濫』展を見ました。ぼくの中のイメージでは、中平卓馬というと、森山大道と並ぶあの1960年代後半から1970年代前半の叛乱の時代、大学生がヘルメットをかぶり「革命」や「造反」を叫び、街を闊歩した、そのような時代を駆け抜けた寵児のイメージがあるけれど、中平卓馬は、その1970年代に二度の危機的な変節を遂げていた。自己批判と事故による記憶喪失。そして、2015年に七十七歳で没するまでの長きの間、『なぜ、植物図鑑か』を著した言葉の人、文章家でありラディカルな理論派でもあった中平は、写真とは何かを追及しつづけたし、『中平卓馬 火―氾濫』はそのような中平の人生をかけた撮ることの実戦と追求をもとらまえた強烈な展覧会でなのであります。写真好きな人にはお勧めでございます。

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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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