えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
二晩続けて弾き語りで歌ってしまった。昨日は聖蹟桜ヶ丘のルーズ・ボックスで今日が国分寺のギーってお店でオープン・マイク。たった二晩だけど、本当のブルーズ・マンになった気持ちなのだ。ロバート・ジョンソンやロバート・ナイトホウクは路上に生き、路上でその人生をまっとうしたのだ。
昨日はガンガンに歌って、今日はもうちょっと落ち着いて歌ったら、今夜ぶらっと来ていたプロのジャズのピアノ弾きの人にいいねって、ほめてもらっちゃいました。うれしかった。
次に来る土曜におらぁ、ぎんぎんの路上のロックン・ローラーになっているかもしれない。いつか、路上のソウル・マンになって、路上のバンド・マンを引きつれて、人でごった返してすしずめになった田舎の体育館や講堂で歌っている。
昨日はガンガンに歌って、今日はもうちょっと落ち着いて歌ったら、今夜ぶらっと来ていたプロのジャズのピアノ弾きの人にいいねって、ほめてもらっちゃいました。うれしかった。
次に来る土曜におらぁ、ぎんぎんの路上のロックン・ローラーになっているかもしれない。いつか、路上のソウル・マンになって、路上のバンド・マンを引きつれて、人でごった返してすしずめになった田舎の体育館や講堂で歌っている。
なんか、ライ・クーダーのアルバム「ショー・タイム」を思わせる店内なのだ。町田にある万象房(ばんしょうぼう)http://musictown2000.sub.jp/banshowboh/open_cafebanshowboh.htmのオープン・マイクに歌いに行った。このお店のマスターは爪弾き系のアコースティック・ギターの名手らしい。個性的な音のつわものたちが集っていた。ぼくの歌も受け入れられたみたい。ライブ以外の時は渋いルーツ・ミュージックをかけているらしい。今夜、歌いに来た人の口から、ミシシッピー・ジョン・ハートだのゲイリー・デイビスなどという言葉がポンポン飛び出す。
やっぱ、歌うのって楽しい。ぼくにとって、歌ってのは魂みたいなものかもしれない。実生活はつまんないです。もしかして、ぼくは不真面目な不良かも。最近、寝てばっかりいる。心か体か、どっか、病気かもしれないけど、それでいいのだ。歌えれば・・・。
YouTubeに1989年の秋に忌野清志郎がニューヨーク、マンハッタンのハーレムに旅した動画を見つけた。フジテレビの「新NY者」という番組のある回だという。清志郎がハーレムの教会の日曜礼拝に行ってたり、黒人の家庭の夕食に招かれてたり、ハーレムの路上で最後のRCサクセションのアルバム「ベイビー・ア・ゴーゴー」の中から「あふれる熱い涙」を黒人の女の子を隣にして歌ってたりする。
清志郎が絶対的にレスペクトするオーティス・レディングやサム・クックのリズム・アンド・ブルース、スウィート・ソウル・ミュージックのルーツにゴスペルがあって、彼は日本で教会の前まで来て、入ろうと思ったことがあるのだとも言っていた。ぼくも、よく近所の教会の前を通る時、ここにあの素晴らしいリズム・アンド・ブルースの世界があるのだろうかと思い、入ってみようかと思ったりする。その昔、ある教会にミシシッピーからゴスペルのグループが来るというので、聴きに行き、そのコンサートで入信しませんかと促されたけど、はいとは答えなかった。なんか違うかなと思って、はいとは答えられなかった。ぼくも清志郎も同じような経験があるのだなぁと思った。
リズム・アンド・ブルースは何が好きか、"Dock Of The Bay"とかかと聞かれて、清志郎は同じくオーティスのナンバー"I've Been Loving You Too Long"だと答えていて、そうだ、そうだとぼくも思った。あの歌は至純だ。
路上で腰掛けて歌を歌って、その姿が昔のおれやおれの友だちみたいだなって思った。その歌の後、清志郎はこんなことを言っていた。
「もう楽しいですよ、やっぱり、うん、歌っている時の方が、実生活より、うん、実生活より。だからね、あのああいうゴスペルを歌いにきてるさ、町内のみなさんなんかさ、本当にだから、なんかちょっとは気持ちはわかるなと思うんだけど、うん、歌うのが好き。多分、実生活がつまんないんだよね、月曜から土曜日までは、で日曜日にそのステージがあるっていうかさ、そういう感じなんじゃないかなと思ったんだよね」
同感です!
http://www.youtube.com/watch?v=QoyIeJHWVY0
http://www.youtube.com/watch?v=AsRzpnsQXOk
http://www.youtube.com/watch?v=rZv7eTrMFE8
夕方、新聞を読んでいると、平岡正明さんが逝かれてしまったらしい。2009年7月9日のこと、脳梗塞という。世間でいうところのジャズ評論家という職業の範疇の人であったけど、この人の書く文章、横浜やジャズをペンで語らせたなら、この上なく面白い文章を書く人であった。うるさい人には、これは評論ではない、論理的ではないと言われたけれど、文章そのものがテーマとアドリブを繰り返すジャズのようでもあり、論を超えて熱い物語の文章であったと思う。イージー・リスニングやバック・グラウンド・ミュージックを軽く超えて、魂としてのジャズを文字に表していたようなのだ。ジャズについて何か読みたいと聞かれれば、ぼくはこの平岡正明さんと油井正一さんの文章を推薦します。日本でのジャズを言葉で支える左の翼が平岡氏で右の翼は油井氏であったと思う。
平岡氏の最新のジャズ評論集が「黒人大統領誕生をサッチモで祝福する」という。読んでみたい。あいかわらずペンという楽器で言葉という音を鳴らしていたのだなぁ。
横浜の世界一ディープなジャズの街をうろいろしていると、いつかどこかのジャズバーかジャズ喫茶で平岡さんにばったり会える気がしていた。平岡さんがこんなふうに休みにつき、ぼくも生活の変化から横浜には、めったに行かなくなった。
平岡さんが目立たないところで支えていた野毛大道芸フェスティバルは、来年も行われるだろう。横浜のそこかしこで今夜もジャズが演奏されている。空の上から平岡正明さんは聴いている。
平岡氏の最新のジャズ評論集が「黒人大統領誕生をサッチモで祝福する」という。読んでみたい。あいかわらずペンという楽器で言葉という音を鳴らしていたのだなぁ。
横浜の世界一ディープなジャズの街をうろいろしていると、いつかどこかのジャズバーかジャズ喫茶で平岡さんにばったり会える気がしていた。平岡さんがこんなふうに休みにつき、ぼくも生活の変化から横浜には、めったに行かなくなった。
平岡さんが目立たないところで支えていた野毛大道芸フェスティバルは、来年も行われるだろう。横浜のそこかしこで今夜もジャズが演奏されている。空の上から平岡正明さんは聴いている。
友だちからかなり面白いよと言われていたジョン・レノン・ミュージアムに行って来た。さいたま新都心の駅を降りて、すぐ目の前にさいたまスーパーアリーナという競技場だかコンサート会場だかがあって、その中の一角にある。
ジョンは星になった愛と平和の伝道者みたいな展示だったら嫌だなぁ、かなわんなぁと恐れていたんだけど、そんなことはなかった。
彼の歌のほとんどがプライベートの日記のようだとも思う。例えば、ミュージアムに手書きの歌詞のあった"Dear Prudence "はインドにいろんな友だちと旅した時、自分の殻に閉じこもり、気が変になってしまった女性の友だちに向けて書かれていて、それは本当に私信のようなのだ。訳してみます。
「親愛なるプルーデンスさん 外に出て遊ぼうよ
親愛なるプルーデンスさん 新しい日に出会えるよ
お日さまは昇って 空は青く
きみがそうであるように 美しい
親愛なるプルーデンスさん 外に出て遊ぼうよ
親愛なるプルーデンスさん 目を開いてごらんよ
親愛なるプルーデンスさん 明るい空を見てごらんよ
風はそよぎ 鳥は歌い
きみは すべてのある何かなのかもよ
親愛なるプルーデンスさん どうして目を開かないんだい
見回してごらんよ
親愛なるプルーデンスさん 笑顔を見せてごらんよ
親愛なるプルーデンスさん かわいい子どもみたいにさ
雲がたんぽぽのつながりみたくなるよ
ぼくにもう一度 笑顔を見せてごらんよ
親愛なるプルーデンスさん どうしてぼくに笑ってくれないの
親愛なるプルーデンスさん 外に出て遊ぼうよ
親愛なるプルーデンスさん 新しい日に出会えるよ
お日さまは昇って 空は青く
きみがそうであるように 美しい
親愛なるプルーデンスさん 外に出て遊ぼうよ」
昔見たジョン・レノンをドキュメントした映画の中で、浮浪者風の頭がいってしまっている男がレノン・オノ邸の中にまぎれこんで来て、二人はその男に食事をふるまうというシーンがあった。詞のことを、本当は何を意味しているんだみたいなことをジョン・レノンは聞かれて、詞は単なる言葉遊びだと答えていた。いつも世界平和について考えているのかと聞かれて、考えていないと答え、考えるのは自分のこと、ヨーコのこと、今朝は快便だったとかトーストがうまく焼けたとかみたいなことを考えていると言っていた。同じくその映画の中で、散歩の途中でファンから声をかけられる。ビートルズは活動を再開しないのかいと聞かれて、明日するかもしれないぞ、おれは直感で動くからねって、気さくに答えていた。
ビートルズはタフだと思う。19世紀には奴隷貿易の中継地で栄えた落ちぶれた港町が生んだバンドで、神話のような必然を感じてしまう。そんな町でジョン・レノンはあの子とは遊ぶな、つきあうなと言われていた不良だった。1955年にエルビス・プレスリーがアメリカ南部の黒人の鉱堀で見つけたビートを発破させたロックン・ロールだけが救いだった。そして、この続きは、このミュージアムに来て、見てみるのも良いかもしれない。
楽器やくたびれた包装紙の裏に書かれた手書きの歌詞、衣装や普段のお気に入りの服や愛用の眼鏡を見たぼくは思ったのだった。おれも歌いたいなぁ。ジョン・レノンやビートルズの歌ではなく、自分の歌をね。
ぼくはぼくがいろんな友だちに声をかけて作ったバンドの名前をChairs(椅子たち)としたのだった。けれど、それはジョン・レノンが、自分にはロックン・ロールしかできなくて、それにいつも帰っていく、そのロックン・ロールとは椅子みたいな単純にそこにあるものだと言っていたのに由来している。かっこいいでしょ。まだまだやるぞ。
ロッキング・オンからの忌野清志郎追悼号を読んだ。おもしろかったです。一晩で読みました。1987年、1988年、1995年、2004年の清志郎のインタビューと清志郎逝去直後の仲井戸麗一と坂本龍一のインタビュー集でした。清志郎って色んな面があって、複雑なというか、引き裂かれている人なんだなぁと思った。静と動、悪と聖性、計算高いビジネス・マンと破滅的な芸術家、自信と諦め、フォークとロック、シャイと外向、虚と実、作り話と事実・・・。便利女の話とか本当なだろうか? インタビュアーの渋谷陽一氏と仲が良さそうなのも以外です。この前、RC SUCCESSIONの"RHAPSPDY NAKED"を聞いていたら、清志郎がMCでこんなことを言っていたけど、このまれに見るシンガーは、生涯に同じことを何度も言っていたのではないだろうか? 一人で道を切り開いてきた彼は、今でも空の上で。
「すごい人気だ。自信がわいてきた」
今夜、関内にセブンス・アベニューというライブ・ハウスに行ったんだな。すると、いつも町田のライブ・ハウス、ウェスト・ボックスのカウンターでぼくにおいしいジン・トニックを作ってくれたりするいそっち、磯裕子さんが出演していたんだな。あのいつもニコニコしといた彼女がブルーな歌ばかり歌ってこれが良かったんだな。そして、スミ☆アヤコちゃんのバンド、アン、インプロビゼーションをフィーチャーしたロック。この路線、1960年代っぽくておもしろいと思う。今度はオリジナルが聴きたいです。作っておくれ。詞は、かっこつけずに思ったことが詞になるんだと思う。ラストは早野翠さん。スタンダードやオリジナルをピアノで弾きがたる。文句なく、かっこよかった。ぐっときました。
三者三様。みんな、まねじゃない自分の心からの歌。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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