えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
今、オリンピックが開かれているバンクーバーはカナダの都市なのだが、カナダと言えば、最近、ぼくがはまっているThe Bandというもう既に解散してしまっているロック・バンドを思い起こすのだった。The Bandの初代メンバーのうち4人がカナダ人で、"Northern Lights-Southern Cross"という傑作アルバムに"Acadian Driftwood"という名曲が収めれており、この曲がカナダを歌った歌なのです。AcadianについてWikipediaから引用するとこういう歴史もった地域でもある。
「当初この地域はフランス中西部出身者を中心として入植されたが、仏領ヌーベル・フランス(現ケベック州)と英領ニューイングランドの間に位置するアケイディアの領有権は北米植民地の覇権を争う二国の間を度々行き来し、1755年、フレンチ・インディアン戦争勃発を機に、英国はフランス系住民に対し、英国に忠誠を誓うことを強制した。これを拒否し、あくまで中立を固辞したフランス系住民に対し、英国軍はその住居を焼き、所有地を没収し、フランス本国または英国植民地に強制的に移送するという、現代の国際法の観点から見ると大変非人道的な措置を取った」
この"Northern Lights-Southern Cross"でギタリストでありコンポーザーでもあるRobbie Robertsonは残っている力を出し切るかのような名曲をいくつも書いているのだけど、曲のラストのところでフランス語で歌われる"Acadian Driftwood"もその一つで、カナダ人の二人、Richard ManuelとRick Danko、アメリカ人のLevon Helm、この三人が、かわりばんこにボーカルを取っていて、まだRobbie RobertsonのいるThe Bandであるころの万感胸に迫る思いの輝きなのだ。そして、Garth Hudsonのアコーディオンの哀切な響き。そこで、カナダとThe Bandに敬意を表しつつ、オリンピックの女子カーリングなどを横目で見ながら、拙い日本語訳をしてみたのです。
「戦争は終わって、精神は壊れてしまった
足をひきずって歩く男たちの丘に煙は立ち込め
俺たちは絶壁にたたずんで
舟がランデブーしながら
静かに沈んでいくのを、じっと見ていた
彼らは条約に著名をし、俺たちの家や故郷は取り上げられ
愛するものも見捨てられたけけど
彼らは何一つくれはしない
家族を守るために
敵に降伏し
アブラハムの平原までやってきた
アカディアの流木よ
ジプシーの追い風よ
彼らは俺の故郷を雪の国だという
カナダの寒冷前線が入ってくるぞ
その道に四つんばにまたがって
その道を進んでいこう
そして、あるものは祖国に帰り
高邁な命令は退けられ
あるものは最後までやりとおし
彼らを分かつことはできなかった
彼らはその道を建設し
俺たちは南の国境線に居をかまえることとなった
彼らも少しは年をとり、けれど、うろつき
少しづつ人生はよくなったと手紙を送ったけれど
賭け金は取り上げられ、子どもたちは打ちひしがれていった
マイナス15度の冷気に脅かされ
衣服は湿り凍てつき、骨の髄まで濡れていった
氷上の釣りは得るものもなく繰り返され
男は家を出ることを余儀なくされた
セント・ピエロに向かい、湾を目指しけれど
何も明らかにされず
俺たちのすべてはむなしく過ぎていった
海岸ぞいに砕け散り
痛みだけは激しくなっていったけれど
人々は
進みつづけた方がまだましだと言った
終りのない夏に病は充満し
政府は俺たちを足かせや鎖につなぎ、まだ歩かせようというのか
これは俺の芝生でもなくて
俺の季節などは来はしなかった
残っている一つの希望も思わず
俺はニュー・オーリンズの北の砂糖きび畑で働いていたけれど
そこは呪いのような
洪水が来る前までは、永遠と続く緑だったのだ
おまえが行こうとしているところ
北の方角に羅針盤を合わせ
あの冬を俺の血の中に入れてしまおう
アカディアの流木よ
ジプシーの追い風よ
彼らは俺の故郷を雪の国だという
カナダの寒冷前線が入ってくるぞ
その道に馬乗りにまたがって
その道を進んでいこう
Sais tu, A-ca-di-e j'ai le mal du pays(わかるだろう、アカディアよ、すっかりホームシックだよ)
Ta neige, Acadie, fait des larmes au soleil(おまえのあの雪、アカディアよ、涙を太陽に溶かしてくれ)
J'arrive Acadie, teedle um, teedle um, teedle ooh(俺はアカディアにたどり着くよ)」
俺もアカディアにきっとたどり着くよ。おやずみ ...Zzzzzzz.......
NHKのBS2でおもしろい番組を放映していた。それは、荒井由実、今の名は松任谷由美のデビュー・アルバムのレコーディング・テープをミキシング・ルームで聴きながら、当時のレコーディング・メンバーに当時の思い出を語ってもらうというものだった。例えば、全てのトラックを聴いている途中、キーボーディストの松任谷正隆氏が、これはどんな風に弾いていたかなぁと口をはさみ、キーボードのトラックだけを聴いてみたりする。あっ、こんなことやっていたんだと、なごんだりしていた。
当時の録音メンバーはキャラメル・ママ、後のティン・パン・アレイののメンバーでギターの鈴木茂、キーボードの松任谷正隆、ベースの細野晴臣、ドラムスの林立夫というすごい人たち。鈴木茂は諸般の事情で欠席していたのだけど、みんな和気あいあいとスタジオの空気がよみがえってくるようで、ユーミンは、最近の打ち込みでしか音楽をしたことない人たちって、すこし、かわいそうねなどと本音をもらしていた。アレンジャーもいず、プレイヤーだけで、アレンジしていくということは、とても斬新であったということだ。当時はみんな若かったのだけど、元祖のような日本初めての大人のロック・バンドであったのだ。
一時間足らずの間の番組の最中に次々にユーミンの名曲が流れ、ぼくは、天の神様が贈り物を与えるということがあるのだなぁと嘆息した。初期のファースト・アルバム1973年の「ひこうき雲」、セカンドの"MISSLIM"、"COBALT HOUR"、「14番目の月」までの5年間、珠玉の名曲の連発で、彼女の詞とメロディー、それにあの独特な歌は、やっぱ、彼女の天才の証ではあるまいか?
ラストでNHKのアナウンサーに今の松任谷さんにとって「ひこうき雲」って何ですかと聞かれてユーミンはこう答えていた。
「なんか人ごとみたいで、でも他人じゃなくて、あのころの少女の私がまだパラレルにとなりにいるような、そんな不思議な感じ・・・」
あのころの少女はまだきみのそばにいますか?
当時の録音メンバーはキャラメル・ママ、後のティン・パン・アレイののメンバーでギターの鈴木茂、キーボードの松任谷正隆、ベースの細野晴臣、ドラムスの林立夫というすごい人たち。鈴木茂は諸般の事情で欠席していたのだけど、みんな和気あいあいとスタジオの空気がよみがえってくるようで、ユーミンは、最近の打ち込みでしか音楽をしたことない人たちって、すこし、かわいそうねなどと本音をもらしていた。アレンジャーもいず、プレイヤーだけで、アレンジしていくということは、とても斬新であったということだ。当時はみんな若かったのだけど、元祖のような日本初めての大人のロック・バンドであったのだ。
一時間足らずの間の番組の最中に次々にユーミンの名曲が流れ、ぼくは、天の神様が贈り物を与えるということがあるのだなぁと嘆息した。初期のファースト・アルバム1973年の「ひこうき雲」、セカンドの"MISSLIM"、"COBALT HOUR"、「14番目の月」までの5年間、珠玉の名曲の連発で、彼女の詞とメロディー、それにあの独特な歌は、やっぱ、彼女の天才の証ではあるまいか?
ラストでNHKのアナウンサーに今の松任谷さんにとって「ひこうき雲」って何ですかと聞かれてユーミンはこう答えていた。
「なんか人ごとみたいで、でも他人じゃなくて、あのころの少女の私がまだパラレルにとなりにいるような、そんな不思議な感じ・・・」
あのころの少女はまだきみのそばにいますか?
どんな風になりたいのと尋ねられて、Robert Johnsonみたくなりたい、死んだ後、発見されて多くの人に聴かれたいと答えていたのだった。ブルースってどんなのが好きですかって聞かれて、カントリー・ブルースと答えていたのだった。酔っ払っていたその時、またたく間に答えていたのだから本心かもしれない。
残されるものとして記憶と記録というものがある。Robert Johnson、こんな歌を歌うシンガーならば、聴いた人の記憶に深く残る。しかも記録にも残っっていた。このRobert Johnsonというシンガーの歌をごく初期の録音機材で、あるアメリカ南部の田舎のホテルで残し、記録したその人に感謝します。
Robert Johnsonの音楽は素晴らしい。音楽と言ったのは、そのギター、歌、詞、リズム、メロディー、などなど、すべてが渾然一体となって素晴らしい。
1961年にファースト・アルバムが発売されるのは、Robertの死から23年たっていた。その死は間男を恨まれての毒殺と噂されるけれども、近親者によれば単なる病死だったという。
高校生のころ、Rolling Stonesの"Love In Vain"の原曲があると知り、その原曲のシンガーのアルバム"King of the Delta Blues Singers"を買って聴いてみて、衝撃を受けた。その買ったレコードには日本語の訳詞も付いていて、毎日毎日、その詞を読みながら聴いていたのです。数カ月後に"King of the Delta Blues Singers voll.Ⅱ"も買っていた。初めて本物のブルーズがRobert Johnsonであった。そして、この2枚のアルバムはいつ聴いても、何度聴いても素晴らしい。このアルバム発表当時はRobertの写真などが発見されていなく、この手書き風のジャケットデザインもかっこいい。
Robert Johnsonは29曲を記録として残したけど、そこから立ち上る記憶は果てしない。
今夜はBobのブルーズが子守唄...Zzzzzzz........
町田のWest Voxのセッションで歌ったり、ハーモニカを吹いた。歌った1曲目はstoogesの"No Fun"って曲でした。こんなのみんな知らなくて、聴いてくれた人はキョトンとしていた。このバンドのボーカリストであるIggy Popをぼくはティーン・エイジャーのころ好きでした。イカれている感じのIggyが好きだったのです。stoogesはこんな演奏をしていた。
The Stooges - No Fun
http://www.youtube.com/watch?v=vvRkJzVQBP0
"1969"って曲もかっこいい。
The Stooges - 1969
http://www.youtube.com/watch?v=k0mRfECsHrc
IggyはDOORSのシンガー、詩人、パフォーマーのJim Morrisonの死の知らせを聴いて、泣きながらDOORSの"L. A. Woman"を歌ったそうだ。ぼくもDOORSが大好きだったというより今でも好き。
The Doors - L.A. Woman
http://www.youtube.com/watch?v=uMVnEGcMsFs
おやすみなさい...Zzzzzzz......
The Stooges - No Fun
http://www.youtube.com/watch?v=vvRkJzVQBP0
"1969"って曲もかっこいい。
The Stooges - 1969
http://www.youtube.com/watch?v=k0mRfECsHrc
IggyはDOORSのシンガー、詩人、パフォーマーのJim Morrisonの死の知らせを聴いて、泣きながらDOORSの"L. A. Woman"を歌ったそうだ。ぼくもDOORSが大好きだったというより今でも好き。
The Doors - L.A. Woman
http://www.youtube.com/watch?v=uMVnEGcMsFs
おやすみなさい...Zzzzzzz......
小田急相模原のロック・バーSCHOOL of ROCKでまた弾き語ることになった。2010年2月28日(日)夜8時ごろから歌い始めています。誘ってくれたマスターの龍司さん、ありがとう。
さて、ぼくのことはいいとして、同じ夜に、ロンサム・スーさんが出演することにもなった。うれしい。この人は、かっこいい胸にジーンとくる歌を作って、ものすごいスライド・ギターなぞを弾いて、がーんと歌うぼくの大好きなミュージシャンなのだ。ぜんぜんかなわないけど、ぼくにスライド・ギターのさわりを教えてくれた人でもある。さぁ、ギターの練習だってしなきゃあね。
SCHOOL of ROCKのブログ
http://blog.goo.ne.jp/ryusisekine
ロンサム・スーさんのホーム・ページ
http://www.geocities.jp/solid_rockjp/
今夜、聖蹟桜ヶ丘のロックバーLoose Vox(http://loosevox.iii.vc/)に歌いに行った。ライブを終えて、みんなでうだうだ酒とか飲むのよ。スライド・ギターの弾き方とかThe BandのRichard Manuelがどんな素晴らしい歌手かとか、そんな話をだらだらして、この前、逝ってしまった浅川マキさんの話になる。CDをかけてもらって、たんまりマキさんの歌を聞かせてもらった。Loose Voxのマスターはかなりりのマキさんマニア。大音量で鳴り響くのマキさんの音楽は本当にかっこいい。こうなりゃ、わーわー、語って、騒いで、マキさんのとむらいだぁ。マキさんの音楽を聴きながら、こんなことを思う。クラブとかなんとかでかかるというハヤリの音楽もいいかもしれないが、あほらしくなってきたこのごろ、今夜、おらぁ、ブルーズに戻ろうかなぁ。ブルーズが好きよ。
YouTubeでのマキさんを紹介します。
浅川マキ - オールド・レインコート&ガソリン・アレイ (1971)
http://www.youtube.com/watch?v=apb7cPTbBhA
Maki Asakawa 浅川マキ / Hustlin' Dan ハスリン・ダン(1972)
http://www.youtube.com/watch?v=d-T_6SKZViQ
浅川マキ Maki Asakawa - 今夜はおしまい
http://www.youtube.com/watch?v=dHrYeJ89WHM
お休みなさい...Zzzzzzz......
YouTubeでのマキさんを紹介します。
浅川マキ - オールド・レインコート&ガソリン・アレイ (1971)
http://www.youtube.com/watch?v=apb7cPTbBhA
Maki Asakawa 浅川マキ / Hustlin' Dan ハスリン・ダン(1972)
http://www.youtube.com/watch?v=d-T_6SKZViQ
浅川マキ Maki Asakawa - 今夜はおしまい
http://www.youtube.com/watch?v=dHrYeJ89WHM
お休みなさい...Zzzzzzz......
浅川マキのライブDVDを見た。スタイリッシュな映像。腕利きのミュージシャンたち。そして、マキさんの歌。かっこいい。
池袋の古い映画館である今はなき文芸座と京大西部講堂での1984年の映像が収められている。あの時代のアンダーグラウンドの状況を切り取ったようなところもある。ぼくは京大西部講堂でマキさんたちの演奏を聴いたことはないのだけど、その西部講堂でのざわめくお客さんの映像を写したところには、胸に迫るものがあった。反抗の1960年代の残滓すらまったく無くなった1980年代なのだけど、その時代にあっても、あんな中にはむせ返るような暗い熱気がっあって、その中にぼくもいたのことがあったのか? あのころ、法政大学の学生会館ホールが東京にあり、京都には京大西部講堂があって、その2つの場所が、インデペンデントなマキさんいわくアンダーグラウンドなアーティストの活動の根城となっていた。特に京大西部講堂は反体制のお化け屋敷のようでもあったのだ。1990年代のいつごろからか、そのどちらでも余りコンサートというものを行わなくなってしまった。今、アンダーグラウンドの水脈、地下水脈はどこに流れる? マキさんはそのアンダーグラウンドのまぎれもないアイコンであったのが映像に残されている。
浅川マキさんのホームページ
http://www.emimusic.jp/asakawa/main.htm
カレンダー
えいちゃんのお奨め
カテゴリー
最新コメント
最新記事
(11/01)
(10/30)
(10/28)
(10/25)
(10/24)
(10/21)
(10/16)
プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
ブログ内検索
最新トラックバック