えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
古友だちのフェースブックのページを見ていたら、こんなのやっているんだと思って、世田谷美術館での展覧会「ユートピアを求めて ポスターに見るロシア・アヴァンギャルドとソヴィエト・モダニズム」に行って来た。今日が開催最終日だそう。混んではいなかったけれど、けっこう若い人が見に来ていた。デザイナー志望とかそういう人たちなのだろうか。DCブランド「BA-TSU」の創業者である松本瑠樹氏の収集したロシア革命後の20年にも満たない、映画やプロパガンダのポスターばかりが美術館を埋め尽くすかのように展示されていた。
それは、後にスターリンによって野蛮にも人の多くの命まで奪って全体主義に回収されてしまう自由のつかの間の夢の時のようでもあり、その夢はみんなの希望を乗せて真っ赤に爆発していたみたいなのだった。
同じころドイツではワイマール共和国が隆盛し、バウハウスの美術が変革をもたらし、しかし、それはユダヤ人の殺戮をともなって、ヒットラーに無残にも回収されてしまう。時を同じくしてイタリアの未来派もムッソリーニによってか、後に変節してしまう。パリではキュビスムや野獣派。ヨーロッパ中があの何かにわきたっていたのかもしれない。
美術館の中をさまようぼくも、そのつかの間の熱狂の夢の中に、足を踏み入れたかのようだった。
http://www.setagayaartmuseum.or.jp
それは、後にスターリンによって野蛮にも人の多くの命まで奪って全体主義に回収されてしまう自由のつかの間の夢の時のようでもあり、その夢はみんなの希望を乗せて真っ赤に爆発していたみたいなのだった。
同じころドイツではワイマール共和国が隆盛し、バウハウスの美術が変革をもたらし、しかし、それはユダヤ人の殺戮をともなって、ヒットラーに無残にも回収されてしまう。時を同じくしてイタリアの未来派もムッソリーニによってか、後に変節してしまう。パリではキュビスムや野獣派。ヨーロッパ中があの何かにわきたっていたのかもしれない。
美術館の中をさまようぼくも、そのつかの間の熱狂の夢の中に、足を踏み入れたかのようだった。
http://www.setagayaartmuseum.or.jp
今夜は中央林間のパラダイス本舗に遊びに行きました。どんなお店かというと、飾ってあったキース・ヘリングの絵のようなお店だと思いました。キースの絵ってなんかいいですね。今夜はそれで、夕焼楽団の藤田洋麻さんのギターを追って、おやすみします。素敵な夜をありがとう。
http://niginigi.jp
移転して相模大野の駅から近くなったアコパで加奈崎芳太郎さん、生田敬太郎さん、Roseさんのライブを見ました。その感想というか、ご報告をばいたします。
一番目にRoseさんの登場。ボブ・マーレーの"No Woman No Cry"での語りのその直接なメッセージにどきりとしてしまいました。ジョン・レノンの"Power To the People"とか"Woman Is the Nigger Of the World"みたいではないか。こういうのって好きです。もう奥歯にもののつまったような煮え切らない歌を超えてもいく時だとも思うからです。
次に、生田敬太郎さん。ブルースのコード進行のオリジナル曲でエレクトリック・ギターの弾き語りで歌い始め、アル・グリーンやザ・バンドの名曲に自分で歌詞をつけた曲、そして、またオリジナル曲などを歌ってくれました。その歌に説得力があって、ギターは感じよくゆったりブルージーにバウンスして、なんというか、ニュー・オーリンズのなんでも自分のブルーズにして歌ってしまう「人間ジュークボックス」とも呼ばれたブルーズ・マンのスヌークス・イーグリンみたいでもありました。詞もすばらしくて、僭越にも言わせてもらうならば、暗喩と含蓄に富んでいると思いました。あと、テリー・キャリアなんかのモダンなソウルの感じもあって、ぼくの好きなつぼにはまってしまいますね。テリー・キャリアとはギターを弾くそのルックスとか雰囲気も似ています。
そして、加奈崎芳太郎さんが登場し、生田敬太郎さんと数曲、合わせてくれました。そして生田さんがステージを降り、一人でいろんな歌、昔の曲、今の曲を弾き語りで歌ってくれました。チャボこと仲井戸麗市とフォーク・デュオの古井戸をやっていた人のそのイメージを裏切って、とんがったロックンローラーの風情で、どっかやーさんっぽくもあって、そこが逆に魅力的です。そのど迫力の歌は忌野清志郎を思いおこさせもします。ハード・フォーク・ロックンロールです。ぼくはねじ伏せられたようなのです。そのねじ伏せられが気持ちいい。もしかして、多分、1970年代のフォークにも一括りできないいろんな人がいたんだなぁ、と思いました。
再び、生田敬太郎さんが登場し二人で数曲。予想外の二回目のアンコールでの、日本語で加奈崎さんの歌ってくれたボサノヴァ風の曲に生田さんがハーモニカを吹いた演奏が胸に染みていきました。
それから、この夜の駅から近くなったアコパ、お客さんも満席でいい感じですね。
先月の聖蹟桜ヶ丘Loose Voxでのいかれぽんちなバンドのライブ動画が一気に見れます。
http://bit.ly/1zmZKhU
http://bit.ly/1zmZKhU
国立音楽大学にオペラを見に行きました。友だちに誘われて、大学院生とそのOB、OGたちの一年に一回の定期演奏会で、その舞台と演奏と歌唱、演技はプロに劣らぬ素晴らしさで、題目はモーツアルト作のあの有名な「フィガロの結婚」でした。この四幕もののモーツアルトのもっとも有名な歌劇がこういうコメディーであったことは知らなかったのですが、一幕目や二幕目では眠くなるところもあったのですが、その四幕目では、これでもか、これでもかとたたみかけ、コンサートホールを満たし、溢れ出るかのような素晴らしい楽曲と演奏、歌唱に、いささかの少なからぬ陳腐なストーリーを超えて、感動してしまい、涙腺を刺激されもしたのです。ついにはぼくもカーテン・コールの拍手の盛大な輪に加わってしまっているのでした。
この作品もモーツアルトの諧謔精神が遺憾なく発揮されていて、ぼくはこの催しに誘ってくれたぼくの友だちにモーツアルトって反逆児だね、と問いかけると、そのクラシック通の友だちは、モーツアルトってパンクなんだよ、と不思議な納得できる答えをぼくにくれたのです。そうか、そういう意味でも、モーツアルトはフランス革命前夜というより、その未明をもっとも速く駆け抜けた、夭折の音楽のミューズに愛された天才パンクだったのかもしれない、などと思いました。
もう一つ、内緒にしておきたことでもあるのだけど、この催しのチケット、千円札三枚でゆうにおつりが来るのです。
以前、モーツアルトの「ドン・ジョバンニ」はこの国立音楽大学で見たことがあるし、となるとモーツアルトの三大オペラのもう一つ「魔笛」もどこかで見てみたいなぁ。
さて、この「フィガロの結婚」を見る前に、おせっかいかもしれない忠告をば。ストーリーと登場人物の相関関係はざっとおさえておきましょう。とても入り組んでて、分かりにくいのです。それから、劇を見たら思ったのですが、「フィガロの結婚」の何かの曲を結婚式の時にBGMか何かでかけるのは、もしかして、不謹慎かもしれませんぞ。などと言うと、空の上からアマデウスの哄笑が聞こえてきますな。
http://www.kunitachi.ac.jp/event/concert/college/20141018_01.html
六本木というか西麻布にある「音楽実験室 新世界」というところで催された「テ祭2014」というライブを見に行ったら、お酒をおごられるDJからお酒をおごられてしまったよ。なはは(へ。へ)ζ。
一部のDJタイムでは美空ひばりがずっとかかっておりましたな。それを聴いて、1950年代の美空ひばりとそのバック・バンドの音楽性の高さにひれ伏したくなりました。ひばりの唄の節回しもすばらしいし、バンドと一体となったはずむリズムがディープです。
セカンドのDJタイムではデヴィッド・ボウイからテレビジョンになだれ込み名曲「マーキー・ムーン」がかっこよすぎです。この「マーキー・ムーン」の張りつめたエキセントリックな緊張感がたまりません。
さて、今夜のメインはオーセンティックなレゲエ・バンドの西内徹バンドでした。そこにからむ内田直之さんの生ダブがするどくかっこよかったのだけど、アンコール前の日本語の一曲が一番好きな感じです。
そして、ふと周りを見回すとわしよりずっと若い人ばっか。その若いみんなも後15年もすれば、こんなところには来なくなるのかしら。それはそれで人の人生だからいいかもしれないけれど、いまだにここに来てしまい、普通にフット・ストンプしてしまうわれは、レッド・アラートの希少生物なのかもしれんなぁ。
そして、三度目のDJタイムでかかったトマトズにほろりとして、家路についたのでした。
今日の午後三時からの小田急相模原にあるエルトピートでのギグにステラのオールド・ギターを持っていったのだけど、いざ本番で弾き始めると、ブリッジのあたりからビビりの音。結局、直らず、そのまま、弾き語る。
どうしたのだろうとうと、家に帰って来てから、再び弾くと、ビビり音はおさまっていた。弦のエンド・ポールがびびっていたようなので、そこに薄い小さな布を挟むという処置をしたのですが、あのビビり音は何だったのだろう。
人の本性は仏だというけれど、ギターには何か神がやどっているのではないかと、たまに思ったりする。まるで生きているかのようだ。そこでぼくの得た今日の解釈は、このギターが、今日の午後は、こんな音で奏でたかったのだというものだけど、あながちは外れてはいないだろう。いつか、ぼくとギターは心で本当に結ばれ、最高の音を奏でられるでしょう。
ギターは生きている。ゆめゆめうたがうことなかれ。
どうしたのだろうとうと、家に帰って来てから、再び弾くと、ビビり音はおさまっていた。弦のエンド・ポールがびびっていたようなので、そこに薄い小さな布を挟むという処置をしたのですが、あのビビり音は何だったのだろう。
人の本性は仏だというけれど、ギターには何か神がやどっているのではないかと、たまに思ったりする。まるで生きているかのようだ。そこでぼくの得た今日の解釈は、このギターが、今日の午後は、こんな音で奏でたかったのだというものだけど、あながちは外れてはいないだろう。いつか、ぼくとギターは心で本当に結ばれ、最高の音を奏でられるでしょう。
ギターは生きている。ゆめゆめうたがうことなかれ。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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