えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

東京国立博物館へ特別展「国宝 東寺―空海と仏像曼荼羅」を見に行ってまいりました。
東寺では毎年元旦から七日まで高僧のみ立ち入りを許された灌頂儀礼が行われているということで、その儀礼の厳かな部屋が第一の展示室で再現されていて、それを見た時に、そこに神聖な美しい霊気が立ち上っているように感じ、鳥肌が立ってきた。
次の展示室で巨大な曼荼羅が飾られていて、空海が言うように言葉では表しがたい世界なのだ。昔、高野山を訪れた時にお坊さんが語っていたのだけど、曼荼羅の真ん中におはす大きな御仏は偉く、周りにおわす小さな御仏はそれよりも偉くないといことではなく、曼荼羅に表わされた小さな獣や鳥、花や草までもが、すべて等しく輝いているのだと思う。この大きな曼荼羅に表わされた絶妙、霊妙なバランス。素晴らしいです。
そして、浄土に幾人もの覚者の立つ林の中を歩くかのような立体曼荼羅なのであった。
今回、見た曼荼羅図は胎蔵界で、展示替えしたら、金剛界を再び見に来たいな。6月2日まで開催中です。
特別展「国宝 東寺―空海と仏像曼荼羅」


信州に小さな旅に出ました。
まず向かったところは、前の大戦で亡くなった画学生の絵を展示する「無言館」。来ると姉妹館である第二の展示のための「傷ついた画布のドーム」もたくさんの人の寄付によって新たにそこにできていた。
昭和二十年で時が止まったかのような二つの美術館。人もまばらな静かな美術館で絵を見ていると、古い時代の服を着た快活な若者がぼくに明るい声でを話しかけてくる。
「あの肩のあたりがうまくいっていないんですけどね」
ぼくは答える。
「そんなことはないさ。すごく良く描けているよ。ぼくは今、感動しているところさ」
「いや、あの肩のところだけは描き直したいな。今度、機会があったら、描き直しますよ。その時は、また見に来てください」
「そうだね、また是非、見に来るよ」
ふと、声のした方を見ると、誰もいない。
ぼくは美術館から外に出て、森の中の木立の道を歩きながら、嗚咽し、泣き始めていた。
あの青年との約束を守るためにも、ぼくは「無言館」と「傷ついた画布のドーム」にまたいつか来るでしょう。


横須賀美術館に「生誕110周年 野口久光 シネマ・グラフィックス」展を見に行く。
野口久光というとぼくなどは、油井正一とともにオールドジャズの評論の偉大なる草分けというようなイメージが大きいのだけど、そのキャリアのはじめは、ヨーロッパ映画の配給会社で色付きの絵を描く仕事であったらしい。日本でのミュージカルやジャズの紹介、評論と並走しつつ、1933年から1970年までいろりろなヨーロッパの映画のポスターを描いている。その膨大なポスター画の中からの一部が横須賀美術館にオールド・ジャズ・マンのポートレイト画とともに並べられていた。
純粋芸術ではない映画やジャズへの愛にあふれた作品をぼくはとても素敵だと思う。映画がほぼカラーとなってから1970年に映画のポスターをカラーで描くという仕事自体がなくなってしまったのだろう。ほぼ半世紀の時代の麗しくも美しいあだ花でもあったのだ。そんなあだ花が素晴らしいのです。
野口久光さん、国賊ものと呼ばれたジャズや映画、ミュージカルを愛した若かりし頃だったのだけれど、どんな青春だったのだろう? そんなこと思いつつ、ルイ・アームストロングとジャック・ティーガーデンを聴きながらの明け方、これを書きました。
生誕110周年 野口久光 シネマ・グラフィックス - 横須賀美術館


町田市立国際版画美術館で「パリに生きた銅版画家 長谷川潔展―はるかなる精神の高みへ―」を見ました。
一木一草に神、仏が宿るという言葉があるのを知ってはいましたが、長谷川が第二次世界大戦中の最も苦しい時に、一本の木が、自分にボンジュールと挨拶ししているのを聞いたのだそうです。それから、すべての事物に神が宿り、象徴として輝いているのを感じ、版画の黒い線や面が、輝き始める。その静かなる輝きも少しはぼくも感じることができたような気がしたのです。静かな黒の輝きです。
いつも町田市立国際版画美術館に来ると思うのだが、版画を自分でもやってみたいな。そして、CDを出すなら自分の版画をジャケットにするのです。もちろん輝けるモノクロームで。
パリに生きた銅版画家 長谷川潔展―はるかなる精神の高みへ― | 展覧会


相模原市民ギャラリーに「パレスチナ・ガザの画家を支援する交流展」を見に行く。ガザは今、屋根のない監獄と呼ばれ、巨大な壁が外の世界に立ちはだかる。そこに今、住み、絵を描き続けている三人、モハメド・アル・ハワジリさん、ソヘイル・セレイムさん、ライエッド・イサさんの絵と相模原の新進の画家たちの絵がところ狭しと飾られていた。
新進の画家たちの絵は抽象画も多くあるのだけど、ガザの三人の絵はどれも具象画で、閉じ込められた、人としての当然の権利の奪われた環境にも屈せず、何かやさしい風が吹いているようなのだ。
ガザ地区の画家を支援 相模原で交流展、映画上映も - 相模原町田経済新聞




この前の週末に東京都美術館に「ムンク展―共鳴する魂の叫び」を見に行きました。生涯、二度目の「ムンク展」でぼくは何度も同じ構図と手法で書き直された「叫び」の最終稿の絵を見たのです。薄暗い美術館の中でごーっというような音が聞こえるかのような「叫び」を前にして、たくさんの絵画を見る人を見送りながら、ぼくは立ちつくしてしまう。
なぜか、頭の中ではドアーズのサード・アルバム"Waiting for the Sun"の中のメランコリックなジム・モリソンの歌"Love Street"や"Yes, the River Knows"が木霊のように鳴っていたのです。ムンクの人生、「太陽を待ちこがれて」の人生だったようにも思う。何度も描かれた「日の出」の絵のうちのひとつも見ることができたのだけど、ぼくは、まったくムンクらしくないこの絵が好きです。
ムンク展―共鳴する魂の叫び|東京都美術館
