えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
藤城清治さんの影絵の展覧会「こびとといっしょ 生きるよろこび展2021」を見に、銀座にある教文館ウェインライトホールに行きました。
藤城清治さんの影絵の展覧会「こびとといっしょ 生きるよろこび展2021」を見に、銀座にある教文館ウェインライトホールに行きました。
毎年、つづいていたこの展覧会、今年で最後だというのも、銀座の教文館の建物自体が建て替えとなる事情からだという。そのせいか、規模を縮小しての開催だったように、何回か、この展覧会「生きるよろこび展」に来ているぼくは思いました。
久しぶりに懐かしいあのセルロイドの影絵のこびとたちに会えました。ふと、スーマーさんの歌うミンストレルは藤城清治さんが想像して、作り出した影絵の中のこびとではないかしら、と思う。見えないけれど、見えるときがあるのです。
那須塩原にある藤城清治美術館にニ度目の訪問をする旅をしようかしら? 今年の「生きるよろこび展」では会えなかったケロヨンとモグちゃんに会えるかな? 子どものころ、ケロヨンとモグちゃんが好きでした、ぼくはそんな世代です。
藤城清治さん、御年、九十七歳、いつまでもお元気でいてください。
藤城清治さんの影絵の展覧会「こびとといっしょ 生きるよろこび展2021」を見に、銀座にある教文館ウェインライトホールに行きました。
毎年、つづいていたこの展覧会、今年で最後だというのも、銀座の教文館の建物自体が建て替えとなる事情からだという。そのせいか、規模を縮小しての開催だったように、何回か、この展覧会「生きるよろこび展」に来ているぼくは思いました。
久しぶりに懐かしいあのセルロイドの影絵のこびとたちに会えました。ふと、スーマーさんの歌うミンストレルは藤城清治さんが想像して、作り出した影絵の中のこびとではないかしら、と思う。見えないけれど、見えるときがあるのです。
那須塩原にある藤城清治美術館にニ度目の訪問をする旅をしようかしら? 今年の「生きるよろこび展」では会えなかったケロヨンとモグちゃんに会えるかな? 子どものころ、ケロヨンとモグちゃんが好きでした、ぼくはそんな世代です。
藤城清治さん、御年、九十七歳、いつまでもお元気でいてください。
東京都現代美術館に『GNKYO 横尾忠則』展を見ました。横尾さん自身がプロデュースした大展覧会を見ながら、横尾忠則さんはかっこいいと思い、横尾さんの絵画に内包されているエネルギーに圧倒されていました。ポスターから絵画へ、今でも、枯れることなく、ぼくが思うに奇想の人、横尾忠則さんはグラフィックというか、具象の二次元の表現の圧倒的なアバンギャルドだと思う。描き続けてきた三叉路や滝の絵のシリーズも面白い。近年の「寒山拾得」(中国唐の時代の高僧、寒山と拾得のこと。文殊菩薩もんじゅぼさつ、普賢菩薩ふげんぼさつの生まれ変わりといわれる。二人とも奇行が多く、詩人としても有名で、禅画の画題としてよく用いられている)の絵は横尾さんの人生の今の到達点でもあるかのようだ。図録を買ったのだけれど、それに横尾さんのインタビューが掲載されていて、近ごろでは自分の人生はもう残り少ないと感じておられて、描いても、描かなくても、毎日アトリエに行くそうだ。百歳を越えても、もちろん、描き続けてください。
併設されていた『Journals 日々、記す』展もおもしろかった。この『Journals 日々、記す』展の照屋勇賢さんのマクドナルドの包装紙を切り抜いて、ニューヨークのマディソンアベニューの実際に生えている樹木を造形したいくつもの作品を見ていたら、感動して、鳥肌が立ってきていた。これらは照屋さんによれば「高校生の時に授業で聞いた「どんぐりには樫の木の記憶が入っている」というアリストテレスの自然哲学を思い出し紙袋の中で眠っている森を呼び覚ましてやろう、と考えた」ということだそうです。これらは二十一世紀のアクチュアルで、未来すらも呼び覚ます概念の具象だとも思いました。
GENKYO 横尾忠則 [原郷から幻境へ、そして現況は?]
MOTコレクション
旅の帰り道、何度も訪れたことのある富士川・切り絵の森美術館に行ってきました。
常設展示に海外の作品がふえていたりして、ほーっと感心します。
切り絵って見ていると、それは美術品でもあり、工芸品でもあるようで、さらに二次元でもあり、三次元でもあるような、そんなところに惹かれます。そのようなことが際立つかのような企画展「紙わざ大賞展 in やまなし」も開かれておりました。これって紙でできているの? 手で触れてみたくなりますが、そこは我慢我慢。
企画展「紙わざ大賞展 in やまなし」開催中!
暑い日本の夏、涼を求めるかのように、町田市国際版画美術館で『浮世絵風景画―広重・清親・巴水 三世代の眼―』を見に行きました。
江戸の歌川広重、明治の小林清親、大正から昭和の川瀬巴水の三代の浮世絵版画の展覧会です。見ながら、広重や清親の絵の中の人物が、なかなか生き生きと描かれているのに気付き、巴水の版画に登場する人物のほとんどが背中を向けている姿で描かれていることにも気付く。その背中越しの姿から、川瀬巴水の人となりを思い、失われていく日本の何かに対する強い気持ち、いかんともしがたいノスタルジー、郷愁にいつも打たれてしまう。川瀬巴水こそ、ぼくにとって特別な画人です。
前期と後期ですべての展示替えが行われるそうです。後期も見に行きたい。
浮世絵風景画―広重・清親・巴水 三世代の眼―
神奈川新聞で紹介されていた私設の小さな美術館である横浜本牧絵画館での「トロンプルイユの現在(いま)2021」展を見に行きました。
「トロンプルイユ」とは何かというと、だまし絵と呼ばれるものとは中の一つで、ウィキペディアによれば、「トロンプ・ルイユ(Trompe-l'œil、騙し絵)とは、シュルレアリスムにおいてよく用いられた手法・技法である。ただし、シュルレアリスムに限って用いられるものではない。フランス語で「眼を騙す」を意味し、トロンプイユと表記されることもある。」とのこと。ぼくの好きなマグリットの絵を思い出します。
横浜本牧絵画館のもっとも多いコレクションである岩田榮吉は「トロンプルイユ」の先駆者であり、その絵は日本で最も早くすぐれた「トロンプルイユ」といわれているらしい。
どの絵も絵画の二次元を抜け出そうとするかのようでもあり、美しい工芸品のようでもあります。
その中で中原未央さんの絵に特に惹かれました。スーパーリアリズムの手法からはみ出すかのような生々しいパッションを感じ、「journey of life」という絵は、21世紀のシュールレアリズムだと見とれてしまっていました。
Nakahara Mio
日本とスウェーデンのアーティストたちによる「アートの庭」展も開かれている三渓園に行って、美しいもの、面白いもの見つつ、散歩しました。昔、梅の花盛りのころ、三渓園には来たことがあると記憶していて、これが二回目です。なかなか、「アートの庭」展、見ごたえがありました。旧燈明寺本堂に飾られた日本とスウェーデンのアーティストたちのアートを見ながら、これは熊野の地の補陀落浄土の信仰ではないかと、時と場所を越えてゆくアートの力がそこにあるような気がして、ぎくりと驚いていました。そして、三渓園は素晴らしい。
近くの本牧神社にお参りをしました。爽やかな鯉のぼり泳ぐ神社の石段をおばあさんが看護師に付き添われてお参りをしていて、石段を一歩一歩と登っていく姿に、ぼくの心は動き、昔から伝えられてきた何か大切なことを思ってもいたのです。
御神籤をひくと「吉」でした。
「第二十二番 御神籤
雪の上に
ほのかに
咲ける
白梅に
有明の月
にほふ
すがしさ
雪の上にかすかに梅の花の香りが漂い
曙の月がさしています
幸運はすぐ目の前に来ているのです
しかし祈りの心を忘れてはいけません
幸運は壊れ易いものです
誠心(まごころ)を尽くしなさい
運勢 吉」
ゆめゆめうたがふことなかれ
近くの本牧神社にお参りをしました。爽やかな鯉のぼり泳ぐ神社の石段をおばあさんが看護師に付き添われてお参りをしていて、石段を一歩一歩と登っていく姿に、ぼくの心は動き、昔から伝えられてきた何か大切なことを思ってもいたのです。
御神籤をひくと「吉」でした。
「第二十二番 御神籤
雪の上に
ほのかに
咲ける
白梅に
有明の月
にほふ
すがしさ
雪の上にかすかに梅の花の香りが漂い
曙の月がさしています
幸運はすぐ目の前に来ているのです
しかし祈りの心を忘れてはいけません
幸運は壊れ易いものです
誠心(まごころ)を尽くしなさい
運勢 吉」
ゆめゆめうたがふことなかれ
入場の人数制限のかかったSOMPO美術館に予約して「モンドリアン展」を見に行こうと思っていたのですが、東京都の非常事態制限により、休館になってしまった。くやしくて、湘南にある二つの美術館、平塚市美術館と茅ヶ崎市美術館をはしごし、三つの美術展、「柳原義達展」、「川瀬巴水展」、「ほどく前提でむすぶ 藤田道子展」を見ました。それぞれの感想文です。
「柳原義達展」。一つのフロアー立ち並ぶたくさんの女の人の彫像、そして、もう一つのフロアーに並ぶ鴉と鳩のいくつもの彫像、それらの存在感が具象の力といったものを感じました。
「川瀬巴水展」。今回の美術展巡りのお目当てはこの「川瀬巴水展」でした。大正から昭和の時代にかけての美しい版画に詩情を感じ、じっと見つめていると、その美しい絵の情景の中にぼくの心は染まり、入り込んでしまうかのようでした。やはり川瀬巴水の版画は素晴らしい。見ているとニューヨークを撮りつづけたソール・ライターという写真家を思い出してもいました。景色をふと覗いてしまっている感じです。ノスタルジーとスタイリッシュな現代性が同時に川瀬巴水の版画にもあるようなのです。川瀬巴水の版画は良い! 三十分の川瀬巴水の版画製作をとらまえた映画を上映していました。美しい景色を求めて旅をし、写生する巴水。そして、小さな工房で作業する彫師と摺師が出てきて、その高度な技術を巴水は讃嘆する。偉大なり、版画!
「ほどく前提でむすぶ 藤田道子展」。そよ風が吹いてもほどけてしまうような結ばれた淡い色のリボンのインスタレーションを見ながら、その爽やかさがあまりに儚い。その真逆ともいえる、いつか見た、ダリの絵の中の真っ赤な血染めのようなリボンを思い出していました。そして、RDレインの大好きな詩とも散文ともつかない文集「結ぼれ」も思い出していました。「結ぼれる」とは「糸がからんで結び目ができる」とか、「結ばれてほどけにくくなる」ということ。つまりは、いつもこんがらがってしまうぼくは、「ほどく前提でむすぶ」ことなどできない人間なのです。
さて、非常事態宣言です。寄席は入場制限をして開きつづけるそうです。ミニシアターのユーロスペースも同じく入場制限をしつつ、開きつづけるそうです。朝日新聞の報じるユーロスペースの店長の話では、ミニシアターの営業自粛の協力金は一日二万円なのだそうです。ひどい話だ。ユーロスペースの店長は芸術への香典金かよと毒づいています。一石を投じる寄席や一部のミニシアターの動きにぼくは賛同してしまう。
そして、いつか相模原市にもちゃんとした美術館ができることを願ってやみません。
平塚市美術館
茅ヶ崎市美術館
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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