えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

出光美術館の「仙厓のすべて」展を見に行きました。
仙厓は十八世紀から十九世紀を九州の博多の臨済宗のお坊さんで、六十二歳のころから隠棲し、旅をしつつ、書画を描き始めたそうです。どこかユーモアのある楽しい書画にぼくは笑みをもらしてしまいます。若いころは絵の研鑽に努めていた仙厓は、その技術を年をとってから、あっさりと捨ててしまうのは、雪舟という偉大な先達が、後の世に画家としては認められても、僧侶としては忘れられてしまうことを、知人から諭されたからだという。それからは自らの絵を「無法」と呼び、技術を捨て、自由となって、仙厓の書画は花ひらき、仙厓は仙厓となった。
ところで、仙厓の書画を見ながら、ぼくは通っている合氣道の道場の師匠である館長のその人を思い出しておりました。館長は、書もたしなみ、合氣道にちなんだ言葉を道場に貼られておられています。その書にいつも添えられている朱筆の笑顔の揮毫のようなものがユーモラスで、美術館の中を歩きながら、どこか仙厓に通じるような気がしておりました。館長に合氣道が、仙厓の書画の根底には自身の仏道があったと思われます。ユーモアとヒューマニティを秘めてもいるそのような仏道の書画が何か、生きる道を説き、ぼくがこれから生きていく励ましのようにも思われたのでした。


茅ヶ崎市美術館に「THE 新版画 版元・渡邊庄三郎の挑戦」展を見に行きました。
渡邊庄三郎さんは明治42年(1909年)、二十四歳の時にに渡邊版画店を開き、版画製造と販売を始めた。版画製造とは家内制手工業で、版画は、絵を描く絵師、木に彫る彫師、紙に刷る刷詞の三者によってできあがる機械を持たない工場で、ぼくはアンディー・ウォーホルのファクトリーを連想してしまう。
その絵師の中にはぼくの大好きな川瀬巴水もおりました。川瀬巴水はもちろんのこと、川瀬巴水以外の絵師のどの版画も美しく、見とれてしまう。
途絶えつつあった版画をさらに洗練させて、明治も終わりのころ蘇らせた渡邊庄三郎は偉い。
この展覧会は上期と下期があり、展示替えもあるそうです。下期も行こうかな、と思います。


町田市民文学館ことばらんどで『竹上妙の絵本と木版画 たけがみZOO展 ~いきものと目が合った!~』を見ました。生きものの絵を見ると喜んでしましまいます。絵の中に一つひとつの命があって躍動しています。命は閉じ込められない、そんな何かでもあるように思います。素晴らしい。竹上妙さんは町田に在住していて、「たけがみたえ」という作家名で絵本も出しておられる。新進の版画家、竹上妙さんは木版画で熊谷守一大賞に何度も応募し、2013年には入賞しておられ、ぼくは熊谷守一の描く猫の絵を思い出していました。アマゾンでたけがみたえさんの絵本「みたらみられた」を注文してしまったよ。
そのままぼくは町田市立国際版画美術館に歩いて移動し、『長谷川潔 1891-1980展 ― 日常にひそむ神秘 ―』を見ました。若いころフランスのパリに移住し、パリで客死した銅版画家。フランスでその才能を謳歌していた時のフランスで出版された「竹取物語」の挿絵の作品がそれはそれはとても美しい。その後、第二次世界大戦が勃発し、フランスに在住し、日本に戻らず、長谷川は苦悩し、「万物はすべて同じ」という天啓を得る。その時のことを長谷川はこう言っている。
「画題を探すために散歩をしていたところ、一本の樹が不意に「ボンジュール」と語りかけてきた。私も「ボンジュール」と答える。すると、その樹が実に素晴らしいものに見えてきた」
第二次世界大戦の終結後、長谷川はパリ中央監獄、ドランシー収容所に収監されてしまう。友人・知人の助力もあり、一か月後に釈放されるが、精神的なショックは激しく、しばらくは創作できなくなった。いつしか、再び作品を創作できるようになり、沈潜したような象徴的、哲学的な作品を日本に帰国せず、発表しつづけ、1980年に死去し、89年の生涯を閉じる。その白から黒、黒から白へのグラディエーションの静かな作品にぼくの心はは激しく心を動かされました。


去年、見た『もやい展』が素晴らしく、その今年の継続である『もやい.next』を横浜市民ギャラリーあざみ野で見てきました。
『もやい.next』のパンフレットにはこう書かれています。
「子ども達・若者たちが感じた3.11
そして、福島原発事故、
Next GenarartionsがARTで刻むこの11年」
ぼくは、芸術とは芸術のためにだけあるものだ、芸能は芸能のためにだけにあるものだ、音楽は音楽のためにだけあるものだ、というような考えに組みしない。そういう名作もあるだろうけれど、ピカソの「ゲルニカ」のように、そして、ピカソが描く鳩の絵のように、社会にコミットしてこそ生まれるような傑作もあるのではないかしら? この展覧会を見ながら、どこか、ぼくは喪失や寂しさを感じつつも、人はそこから歩いていくしかないだろうと思う。『もやい.next』は今年も刺激的な作品に溢れていた。素晴らしいです。
もやい.next もやい展 横浜市民ギャラリーあざみ野
『もやい.next』のパンフレットにはこう書かれています。
「子ども達・若者たちが感じた3.11
そして、福島原発事故、
Next GenarartionsがARTで刻むこの11年」
ぼくは、芸術とは芸術のためにだけあるものだ、芸能は芸能のためにだけにあるものだ、音楽は音楽のためにだけあるものだ、というような考えに組みしない。そういう名作もあるだろうけれど、ピカソの「ゲルニカ」のように、そして、ピカソが描く鳩の絵のように、社会にコミットしてこそ生まれるような傑作もあるのではないかしら? この展覧会を見ながら、どこか、ぼくは喪失や寂しさを感じつつも、人はそこから歩いていくしかないだろうと思う。『もやい.next』は今年も刺激的な作品に溢れていた。素晴らしいです。
もやい.next もやい展 横浜市民ギャラリーあざみ野


川崎市岡本太朗美術館に「小松美羽展 太朗に挑む―霊性とマンダラ」を見に行く。
まずは常設展の「太朗の創造展」。岡本太朗のお母さんであった小説家、岡本かの子の写経した観音経が、何か惹かれるものがあった。岡本かの子の小説を読んだことはあったかな? 「女体開顕」? 今度、読んでみよう、と思う。
岡本太朗のオブジェは好きです。相模原市の米軍補給廠の西門にも太朗のオブジェがあります。岡本太朗はパブリックアートがいいと思っていたそうだ。パブリックアートとは、美術館やギャラリー以外の広場や道路や公園など公共的な空間(パブリックスペース)に設置される芸術作品を指します。そういうところでも、岡本太郎の絵画の最高傑作は渋谷駅のJRと井の頭線を結ぶ大きな廊下にある「明日の神話」だ、と思い、太朗自身、パブリックアートというところでも本望であろう。
次に「小松美羽展 太朗に挑む―霊性とマンダラ」を見た。
京都にある真言宗の寺院、東寺に奉納される現代の曼荼羅であるかのような、大きな絵を見て、凄い、と感じ、鳥肌が立っていた。たまにこんな経験をします。Ry Cooderには"Chikin Skin Music"というアルバムがあるけれど、これは鳥肌音楽ならぬ鳥肌絵画。こんな経験は原爆の図丸木美術館で山内若菜さんの絵を見て以来です。素晴らしい。
狛犬の彫像が可愛らしい。この振幅が小松美羽さんの極みだと思う。しかも、この狛犬は、タイやインドネシアや中国、インドの東アジアと地下茎で繋がり、そこすら越え、世界中のネイティブの神々と魂を同じくしているのではないかしら?
まずは常設展の「太朗の創造展」。岡本太朗のお母さんであった小説家、岡本かの子の写経した観音経が、何か惹かれるものがあった。岡本かの子の小説を読んだことはあったかな? 「女体開顕」? 今度、読んでみよう、と思う。
岡本太朗のオブジェは好きです。相模原市の米軍補給廠の西門にも太朗のオブジェがあります。岡本太朗はパブリックアートがいいと思っていたそうだ。パブリックアートとは、美術館やギャラリー以外の広場や道路や公園など公共的な空間(パブリックスペース)に設置される芸術作品を指します。そういうところでも、岡本太郎の絵画の最高傑作は渋谷駅のJRと井の頭線を結ぶ大きな廊下にある「明日の神話」だ、と思い、太朗自身、パブリックアートというところでも本望であろう。
次に「小松美羽展 太朗に挑む―霊性とマンダラ」を見た。
京都にある真言宗の寺院、東寺に奉納される現代の曼荼羅であるかのような、大きな絵を見て、凄い、と感じ、鳥肌が立っていた。たまにこんな経験をします。Ry Cooderには"Chikin Skin Music"というアルバムがあるけれど、これは鳥肌音楽ならぬ鳥肌絵画。こんな経験は原爆の図丸木美術館で山内若菜さんの絵を見て以来です。素晴らしい。
狛犬の彫像が可愛らしい。この振幅が小松美羽さんの極みだと思う。しかも、この狛犬は、タイやインドネシアや中国、インドの東アジアと地下茎で繋がり、そこすら越え、世界中のネイティブの神々と魂を同じくしているのではないかしら?


町田市立国際版画美術館へ、そういえば小学生のころ、学校で木版画を習ったことを思い出したりして、『彫刻刀が刻む戦後日本 2つの民衆版画運動』を見に行く。「民衆版画運動」の「民衆」などという言葉も最近、めっきり聞かれなくなったなぁ。
たくさんの版画を見ながら、1945年から1960年までの間、日本は社会主義国となっていた可能性もあった、となんとなく感じる。今の日本を見ていると、そうなっていた方がよかったような気もし、今の中国を見ると、そうならなかったことは、やはりよかったと考えなおす。けれども、スウェーデンは長い間、独裁ではない社会主義国であるし、英国も戦後、社会主義国であった。
この『彫刻刀が刻む戦後日本』で2つ、本当に素晴らしい、と思う版画があって、その1つは木版画でも日本の版画でもないパブロ・ピカソのリトグラフ「鳩」。ピカソは第二次世界大戦中にフランス共産党に入党していることをこの展覧会の版画の隣に掲げてあった解説で知る。もう1つは東京都久留米市神宝小学校卒業生有志と細田和子さんによるキッズゲルニカ国際子ども平和版画プロジェクトに参加した「森は生きている」。この2つの版画の前では、ぼくは長い間、佇んでいた。


釣り、フライフィッシングに行こうと、朝早く起きたはいいが、なんだか軽い二日酔いぎみでした。残っていた小さな理性が働き、もしかいて、酒気が残っているのではないかと思われ、夕方五時から新型コロナウィルスワクチン接種の予約もあって、釣りに行くのをとりやめ、そのまま眠ってしまっていました。
遅い朝ご飯の後、そうだと思い立ち、ぜひ見ておかねば、と思っていた平塚市美術館の展覧会『けずる絵、ひっかく絵』を見に行きました。
まずは平塚市美術館で同時開催中の展覧会『リアルのゆくえ』を見ます。現実を写し取ろうとする具象絵画の展覧会。本物の手にしか見えない佐藤洋次さんのシリコーンで作られた義手に驚く。深堀隆介さんの一年か二年前に樹脂で作られた一合升で泳ぐ金魚の江戸情緒の涼やかな美しさよ。
さて、お目当ての『けずる絵、ひっかく絵』です。埼玉県の丸木美術館で見た山内若菜さんの巨大な日本画に再会しました。圧倒的なマチエールの絵の凄みから現われるそれは、頭でっかちになった現代美術がもしかして忘れてしまったかもしれないもの「祈り」であるような気がして、ぼくは佇み、ただ見入ってしまっていました。
家に帰り、パンフレットを見ていたら、山内若菜さんのこんな言葉が深く印象に残りました。
「描いているうちに、展示しているうちにしわができ亀裂や穴が生まれ、その亀裂を見ていたら、レーナード・コーエンの「すべてのものに亀裂がある。そして、それが光の入る唯一の場所」(Anthem)という歌詞を見つけました。今、この世界は亀裂だらけなのではないか、という素材からの発見。穴こそ光が入る。傷口からこそ希望が見えるのだと気がつきました。」


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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