えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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東京国立博物館に『弘法大師生誕1250年記念 特別展「空海と真言の名宝」』を見に行きました。人びとの祈りが昔から繰り返され、大切なことが降り積もったかのような仏像、仏画がたくさんあって、ありがたい。仏像はいろんな角度から見れば、それぞれ異なった表情にも見え、なんだか不思議の感興も心に生まれまする。

「後七日御修法」に関する展示もありました。「後七日御修法」とは、昔は宮中、今は東寺の秘されたところにて毎年、正月8日から14日まで、真言宗各派の高僧によって、天皇の安泰、国家鎮護、五穀豊穣のための祈りの儀式が行われる、天皇の勅使が天皇の着物をもって参られるという、秘儀だそうです。それにしても、やはり、ぼくは前の皇室典範改変が、政治家の私利私欲によるもののように思われ、危惧せざるえない。それから、今から7年前、同じく東京国立博物館での『特別展「国宝 東寺―空海と仏像曼荼羅」』で秘匿されてきた「後七日御修法」の祈りのお堂の内部が忠実に再現されている展示があり、鳥肌が立ったのを思い出したりしました。

今回の「空海と真言の名宝」の各地から集められた秘仏の数々、とくと拝見し、今の時代にこのように展示されることの深い意味も感じた次第であります。いくつかの展示替えもあり、今回な単眼鏡を忘れて来てしまったので、後期にもう一度、見に参りましょう。
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相模原市民ギャラリーで『上條陽子 1960-2000 原点回帰・苦悩と喜び』を見ました。横浜に生まれ、空襲を経験し、相模原に居を構え、ヨーロッパを放浪し、大病をし、命に目覚め、パレスチナに向かった上條陽子さんの小さな回顧展でありました。上條陽子さん自身のギャラリートークもあり、喜びと怒り、希望、もろもろのことが押し寄せてくるかのような画業に、ぼくはたじろぎ、何か、不屈の命の光のようなものすら見えてくるような展覧会であります。
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八王子市夢美術館で『大正イマジュリィの世界』を見ました。イマジュリィ(imagerie)とは、イメージ図像を意味するフランス語で、本の装幀、挿絵、ポスター、絵はがき、広告、マンガ、写真など、大衆性の高い印刷物や版画の総称だそうです。

ふとヴォルター・ベンヤミンの『複製技術時代の芸術作品』にはどんなことが書いてあったのか、思い出そうとするが、まったく思い出せません。五木寛之さんの「時代と添い寝をする」という言葉も思い出し、なるほどと思います。大正時代のポスターや絵葉書などの作品になんとも怪しげな薄明かりののような輝きに、ぼくは惹きつけられてしまいます。

それらの輝きの美術は昭和10年を境に終焉をむかえてしまうようで、ぼくはむしろ、これらの輝きが戦争によって退いてしまう、その昭和10年からを見たく思ったものですが、それはなく、展示されない次章にゆだねられるようなのでした。

昭和10年以降、大本営宣伝部により自由は奪い去られました。この宣伝部にいたのが戦後、『暮しの手帖』を発刊した花森安治であった。生活の革命を訴え、反戦を訴えつつも、1970年代、国会の選挙に投票しないことを主張した誌上で展開した。ぼくはそれを強く批判すべきことだとも思いつつ、大正時代のぼんやりとたしかに輝いたポップアートは、あまたの芸術家の無念とともに、あっけなく潰えたのであったと了解しました。
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SOMPO美術館で『開館50周年記念 山口華楊展』を見ました。明治後期から昭和にかけて足跡と絵画を残した日本画の巨人であります。山口華楊の描いた動物たちがかわいい。山口華楊の生きものを見つめる視線が愛にみちていて、文字通り愛おしい。そして、それらのすべてを越えて、すべては夢のごとしと見えた「幻化」に、ぼくは見事な絵師の人生を見たのであります。
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町田市立国際版画美術館へ『プレイバック!ミレニアム 1991→2001 ―版画が/版画で越えた境界―』を見に行きました。この展覧会で上げられていた、20世紀の世紀末、日本を含む西洋は描くべきものを見失い、方法論の探求に終始し、洗練に向かったのに対して、東欧やその他の地域では過去から現在への歴史や社会、人びとの生活、自然への掘り下げが進んだという、さる美術評論家の言葉は痛切だと感じました。ぼくがとてもいいなと感じたのは後者の岡部昌生さんの「京急線旧平沼駅遺構 1945/1995」やタイの今展覧会では撮影不可となっていたティナコン・カーソンサワンさんの「After The Rain P1」という作品であります。前世紀の世紀末はフランシス・フクヤマの説く「歴史の終わり」などといわれたけれど、それは違っていた。ばくはパブロ・ピカソの最もの傑作は、政治的でもある「ゲルニカ」であることを疑わない。さて世紀が明け、26年が過ぎた今、どうであろう? 今、ぼくは、両極端かもしれない会田誠さんや山内若菜さんの作品に注目してしまうのです。

併設で展示されていた『メキシコに生きる版画家 竹田鎭三郎:起源(オリジン)を求めて』もよかった。メキシコに渡り日本に帰ってこなくなった竹田鎭三郎さんのダイナミックな版画を見ながら、日本の心の貧困を思ってしまうのであります。

外へ出ると芹ヶ谷公園で噴水でずぶぬれとなって遊ぶ子どもたちが素敵です。

てくてく歩いて通りがかった母智丘神社にお参りをし、御神籤をひくと「大吉」。

「第四十三番 御神籤

 風吹けば
  風吹く
   ままに
 港よしと
 百舟千舟
    うち
 つどいつつ

 何事も繁昌して心のままになるけれど
 心に油断があってはならない
 只今より来年の事をよくよく考えて
 やりそこなわぬ様十分の注意をしておきなさい

 運勢 大吉」

ゆめゆめうたがふことなかれ
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横浜市鶴見区民文化センターのギャラリーでの山内若菜さんの新作展覧会「裂光の刻」に行ってまいりました。

山内若菜さんの絵がすごいことになっています。なんというマチエールでしょう。具象から抽象に向かい、再び具象に向かうがごとく、終末の混沌から始原にに向かい、一筋の光が射すかのようでもあり、数百年もの間の年月の降り積もった死者たちと生きている者たちの祈りの集積のようでもあります。

その絵の前で舞踏をされた加藤道行さんと佐藤ユリカさんも素晴らしかった。若菜さんの絵のもたらした一筋の光に向かって、ついには舞い上がるかのようだったのです。
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山種美術館にて『【開館60周年記念特別展】川合玉堂 ―なつかしい日本の情景』を見ました。やはり、何気ない日常の懐かしいような山里を描いた絵にとても惹かれます。



昭和20年、1945年に描かれた田植えをする絵「早乙女」を見て、とても素敵な絵で、これは戦争が終わったことの喜びも表したに違いない、とぼくは想像しましたが、本当は戦争中の疎開先の東京都西多摩郡三田村御岳でか描かれた絵だそうです。この絵を見ながら、ぼくは黒澤明監督の「七人の侍」のラストの村中て田植えをするシーンを思い出しました。日本人はというのは戦があり、嫌な戦が終われば、田に稲を植え、実りを待ちつつ、そうして生きてきたのだ、と思うのです。川合玉堂の絵のこの懐かしい幸せの感じを理屈ではなく、ぼくは大切にしたいのです。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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