えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
偉大なるウッディ・ガスリーさま、ぼくは「税金」という歌詞を書きました。天にまします神さま、楽しい歌ではないけれど、日本が戦争を始める前に歌わさせてください。
♪♪♪
税金だ 税金だ
国債は子どもたちの借金だ
二つばかり増えたのさ
防衛費と政府広告費
塩と米もあがったぞ
ガソリン代もあがったぞ
倒産が増えてるぞ
不況が続けば戦争だ
あとは戦争だ 戦争だ
地震が来たら戦争だ
死神どもに狩りをさせ
死体の山を築かせろ
ぼくは戦争は嫌なんだ
ぼくは殺すのは嫌なんだ
ぼくは殺されるのは嫌なんだ
ぼくは戦争は嫌なんだ♪♪♪
♪♪♪
税金だ 税金だ
国債は子どもたちの借金だ
二つばかり増えたのさ
防衛費と政府広告費
塩と米もあがったぞ
ガソリン代もあがったぞ
倒産が増えてるぞ
不況が続けば戦争だ
あとは戦争だ 戦争だ
地震が来たら戦争だ
死神どもに狩りをさせ
死体の山を築かせろ
ぼくは戦争は嫌なんだ
ぼくは殺すのは嫌なんだ
ぼくは殺されるのは嫌なんだ
ぼくは戦争は嫌なんだ♪♪♪
ブレイディみかこさんの著した『それはどこでも起こり得る 壊れゆく世界への抵抗』を読む。今、リマイグレーションの吹き荒れるU.K.からの鳥の目(俯瞰)と虫の目(凝視)による報告書であります。ブレイディみかこさんは英国に移り住んで、30年になろうとするリマイグレーションされる当事者でもある。今、英国では「リマイグレーション」のデモが吹き荒れているらしいことはニュースでも見た。「リマイグレーション」という言葉についてのブレイディみかこさんの解説を本書から引用します。
「マイグレーション(migration=移住)に、「再び」「後ろに、元の場所に」を意味する接頭語(re-)をつけた言葉で、あえて日本語に訳せば「再移住」となる。が、真の意味は、非白人の少数民族、特に移民(時には国内で生まれた市民権を持つ人々も含む)を人種的祖先の場所へ大量に追放することであり、「ソフトな民族浄化」とも呼ばれる。」
なんというグロテスクなことがこの世界で進行していて、まるでナチスに世界が覆われつつあるかのようだ。アメリカではトランプの私兵であるかのようなICEが市民を撃ち殺している。日本も一歩だけ遅れているだけなのかもしれないという警鈴の意味を含めてのこの本のタイトル「それはどこでも起こり得る」ということらしい。そして、「第7章・リマイグレーションの政治」はこう結語する。
「このように、リマイグレーション政治は、独裁や権威主義的体制を効果的に行うための手法なのだから、移民だけの問題ではない。最終的にはすべての人々にツケが回って来る。自立性を奪われ、すべての市民権が消えた状態で、家畜ならぬ国畜のように生きていく社会が、リマイグレーションの先にある。
抵抗か、それとも国畜にされても最適化か。そういう分岐点に、わたしたちは立っているのだ。」
ぼくは国畜になるのなんて嫌です。その抵抗のまずは第一歩として、この『それはどこでも起こり得る 壊れゆく世界への抵抗』は現在という時代を批評的に、懐疑的に理解するための最良の本であります。
『それはどこでも起こり得る 壊れゆく世界への抵抗』ブレイディみかこ | 単行本 - 文藝春秋
VODで大島渚監督の『日本春歌考』を見ました。1967年の映画です。どこか、ジャン・リュック・ゴダールの映画を思い出してしまう。伊丹十三が「ヨサホイ節」を歌う。
♪♪♪
一つと出たわいな ヨサホイのホイ
一人娘とする時にゃホイ
親の許しを得にゃならぬ ホイホイ
ニつと出たわいな ヨサホイのホイ
二人娘とする時にゃ ホイホイ
姉の方からせにやならぬ ホイホイ
三つと出たわいな ヨサホイのホイ
醜い女とする時にや ホイホイ
ハンカチかぶせて せにゃならぬ ホイホイ
四つと出たわいな ヨサホイのホイ
よその二階でする時にゃ ホイホイ
音のせぬよに せにゃならぬ ホイホイ
五つと出たわいな ヨサホイのホイ
いつもの女とする時にゃ ホイホイ
たまにゃ 茶臼もせにゃならぬ ホイホイ
六つと出たわいな ヨサホイのホイ
昔馴染みとする時にゃ ホイホイ
腰の抜けるほど せにゃならぬ ホイホイ
七つと出たわいな ヨサホイのホイ
なんきん畑でするよきにゃ ホイホイ
かぼちゃ枕にせにゃならぬ ホイホイ
八つと出たわいな ヨサホイのホイ
やまい女とする時にゃ ホイホイ
くすり瓶片手に せにゃならぬ ホイホイ
九つと出たわいな ヨサホイのホイ
子持ち女とする時にゃ ホイホイ
後の方からせにゃならぬ ホイホイ
十と出たわいな ヨサホイのホイ
尊いお方とする時にゃ ホイホイ
羽織袴でせにゃならぬ ホイホイ♪♪♪
吉田日出子は「満鉄小唄」を歌う。
♪♪♪
雨のしょぽしょぽ 降るぱんに
カラスのまとから のそいてる
満鉄のきぽたんの ぱかやろう
触るはこちせん 見るはたた
三円こちせん くれたなら
かしわの鳴くまて 付き合うわ
あかるの帰るの とうしゅるの
早く精神 ちめなしゃい
ちたらけたもて あかんあしゃい
お客さんこのころ 紙高い
ちょうぱの手前も あるてしょう
もすこしチップを はちみなしゃい
そしたら私は たいて寝て
二ちも三ちも おまけして
かしわの鳴くまで ポポしゅるわ
くっと私を たきしめて
早くてんきを 殺しなしゃい
かしわの鳴くまで ポポしましょ♪♪♪
この映画の吉田日出子はすごくよい。
大島渚は、軍歌でもなく、労働歌でもなく、カレッジ・フォークでもなく、日本人にとって春歌こそ民衆の歌だといっているかのようなのです。そして、それらの歌どもが既存の国家観への疑念へと強引になだれ込んでいく。しかし、近年の遺伝子解析によれば、日本人はさらにアナーキーな混淆でもあるらしい。とまれ、黒沢清監督はこの『日本春歌考』を大島渚の映画の中で一番にあげている。大島映画の中でもっともとんがった偉大なる問題作がこの『日本春歌考』なのであります。
是枝裕和監督の『ルックバック』を見ました。主演の二人、出口夏希さんと蒔田彩珠さんがいい。その子ども時代を演ずる七瀬ふうりさんと岡田六花さんが存在感がある。前半はほとんど物語の展開はないのだけれども、そこでの日本の田舎の穏やかな美しさに見惚れてしまいます。秋田県でのロケだそうです。後半に物語は動いていく。それがどのようなものなのかは伏せておきます。感動しました。藤本タツキさんの原作の漫画『ルックバック』も読んでみようかな。
ルックバック
細野晴臣さんの新しいアルバム『Yours Sincerely』を聴きました。このアルバムの中に入っていたライナーノートを見ると、テーマは英語の「Compassion」であるらしい。日本語に訳せば一般的には「思い遣り」となるのだげど、本当の意味は「共に苦しむこと」ということだと細野さんは書いている。それでアルバムタイトルは手紙の敬具につかわれる「Sincerely」(心から)を使い、『Yours Sincerely』となったそうなのです。
すっかり好々爺のような細野さんだけれども、鬱な空気が広がるこのアルバムも、またしても素晴らしく、想像力豊かに新しい音の探求をしているみたいなのです。楽曲を聴き進めていけば、そこには「祈り」と「癒し」の響きに満ちていて、またしても惹かれてしまい、ぼくは嬉しさのあまり、涙ぐんでもしまいます。アルバム『Yours Sincerely』を何度でも繰り返し、ぼくは聴かずにはおれません。
23枚目の新作アルバム『Yours Sincerely』を9月11日(金)に全世界リリースが決定!
町田市立国際版画美術館で『うき世のたわむれ:笑いつづける浮世絵と幕末明治の渦』展と『ミロとタピエス―戦後スペインの渦 1945-1980』展を見ました。
『うき世のたわむれ』展を見ながら、ぼくも江戸の人びとのようにどんな世の中になっても軽やかに遊び、楽しむ、自由の人でありたいなどと思いました。
『ミロとタピエス』展ではジョアン・ミロという芸術家の人生と芸術に興味がふつふつとわいてきます。この展覧会の解説によりますと、ミロという人は、フランシスコ・フランコの独裁国家でありながら、ピカソがフランスに亡命した後も、あくまでもスペインに留まり、その片田舎で星や鳥をモチーフとした作品を作りつづけ、抵抗する「国内亡命者」の道を選んだということなのです。
ぼくは、今、日本が悪い方に行きつつあるような気がして、ぼく自身が「国内亡命者」となるのを妄想してしまいます。釣竿とギターをたずさえて、抵抗をつづける隠遁蟄居はどこでいとなもうか、などと考えるとわれながら愚かにも何だか楽しい。で、それは江戸の人びとの自由に通ずるような気もしてきているのです。