えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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町田市国際版画美術館に『版画の青春 小野忠重と版画運動 ―激動の1930-40年代を版画に刻んだ若者たち―』を見に行きました。

この展覧会の大きなテーマである戦前から戦争期の小野忠重の主導した版画運動に、ぼくは何だか「ナロードニキ」という言葉を思い出す。「ナロードニキ(narodniki)」というロシア語を訳せば「人民の中へ」となり、「人民」とは貧しい農民な工場労働者のことで、たしか、五木寛之さんの昔の小説だかエッセイだかで知った言葉で、ロシア革命の時のスローガンであったと記憶しているのだが、青春を鼓舞するスローガンはあらぬ方向へと流され、実践と現実に負けてしまう。小野忠重たちはどうだったのだろうか?

残された版画はあるものは苦悩に満ちて美しく、あるものは清澄に美しく、それぞれなのだが、彼らがあからさまな戦争協力の作品を残さなかったのはよいことのような気もした。戦前、戦中、戦後を生きていくとはどういうことだろう? これからの日本が永久に戦後であることを願うばかりです。
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竹橋にある国立近代美術館で『中平卓馬 火―氾濫』展を見ました。ぼくの中のイメージでは、中平卓馬というと、森山大道と並ぶあの1960年代後半から1970年代前半の叛乱の時代、大学生がヘルメットをかぶり「革命」や「造反」を叫び、街を闊歩した、そのような時代を駆け抜けた寵児のイメージがあるけれど、中平卓馬は、その1970年代に二度の危機的な変節を遂げていた。自己批判と事故による記憶喪失。そして、2015年に七十七歳で没するまでの長きの間、『なぜ、植物図鑑か』を著した言葉の人、文章家でありラディカルな理論派でもあった中平は、写真とは何かを追及しつづけたし、『中平卓馬 火―氾濫』はそのような中平の人生をかけた撮ることの実戦と追求をもとらまえた強烈な展覧会でなのであります。写真好きな人にはお勧めでございます。

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時間の間に間に、町田市立国際版画美術館で『町田市公立小中学校作品展』を見る。ピュアな表現がなんとも眩しい。ここには、ぼくが齢を重ねて、失ってしまった輝かしきものがあるように思え、その失ったものやことが、失ったゆえに甘露のような味すらすると思えてしまう。子どもたちの絵は素晴らしい。
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横須賀美術館に『となりの国の絵本 躍動する韓国イラストレーションの世界』展を見に行きました。美術館の中は遠足の小学生で一杯。きっと、子どもたちは、こうして偏見という牢獄からいつまでも自由になるんだ。偏見や差別こそ、それをする人を不自由にする、などと思いつつも、ぼくは、昔話の絵本や、数十年前のできごとを題材にした絵本に列島と半島の民俗の違いを感じていたりします。けれど、それらもなぜか無性に懐かしい。きっと、人と人、民族と民族は地下茎でつながっているんだね。韓国と紀州を行き来し、韓国も紀州も半島だと喝破した中上健次は、おれはどこにでもいる、とご機嫌になると言っていたという。おれは、新宮にも、韓国のソウルやプサンにも、ジャマイカのキングストンにも、パレスチナのガザにも、アフガニスタンのペシャワールにも、ニューヨークのブルックリンにもいる。そして、『となりの国の絵本』にもどれば、スージー・リーの絵本は国境、民族、人種を軽々と越えてコスモポライツでその普遍はダイナミック。それこそが素晴らしい未来の予感ではなかろうか?
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東京都現代美術館で二度目の『デイヴィッド・ホックニー展』の鑑賞をしました。ウクライナとロシア、パレスチナとイスラエルで信じられない残酷なことが進行中かもしれず、黒々とした絶望の出口の見えない今は第三次世界大戦の端緒であるかもしれないとの悪い想像もしてしまい、そんな中、ホックニーの近頃の芸術は光輝き、沈潜しない軽みが、ぼくには何か世界への救いであるような気がしてきます。ホックニーは祈りを込めてメッセージをしていて、ぼくもこれを信じたいのです。

Spring cannot be cancelled.
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世田谷美術館で『土方久功と柚木沙弥郎―熱き体験と創作の愉しみ』と『雑誌に見るカットの世界』を見ました。



『土方久功と柚木沙弥郎―熱き体験と創作の愉しみ』での土方久功は戦時中にパラオ諸島の孤島、サタワル島に渡り、7年間、民族学的なフィールドワークをしつつ、島の人々と生活をともにし、生涯、その経験から創作し続けたという。ユーモラスでもある彫像やレリーフが楽しいです。「猫犬」という彫像がかわいいなぁ。柚木沙弥郎さんは100歳でまだ存命であられ、柳宗悦の民藝の思想と訪れたメキシコやインドに触発された巨大な染色作品を創作し続けた。ぼくも含めて、なぜ、人は異文化に憧れながら、ここに戻って来てしまうのだろう?

『雑誌に見るカットの世界』は岩波書店の思想誌『世界』のカット(口絵)の図画と暮しの手帖社の生活総合誌『暮しの手帳』のカットの図画が展示されていて興味深い。昔の『世界』の目次が展示されていて、昔の文学青年、今のなりかけの文学老人のぼくはわくわくしてしまいます。1950年代に、『世界』に三島由紀夫の「女形」を発表しているのを見て、少し驚く。『暮しの手帳』のカットはすべては編集長の花森安治が描いていた。花森安治は『暮しの手帳』の発行を一つの政治的で社会的な運動として見ていたというけれど、その美しいカットの原画を見ながら、こういう芸術もあるのかとも思う。ミュージアムショップで売っていた本『花森安治のデザイン』を買ってしまいました。
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茅ヶ崎市美術館に『小津安二郎の審美眼』展を見に行きました。茅ヶ崎市美術館が今年で25周年、今年で小津安二郎監督の生誕120年、没後60年だそうで、世界中でいろななことが催されています。この展覧会では小津の映画のちゃぶ台に置かれている湯呑が工芸品の逸品であったりして、それらや小津自身の絵、映画に出てくる岸田劉生の絵が本物のオリジナルの絵画だったり、そして、映画公開当時のポスターが展示されていれ、わくわくします。ぼくは小津安二郎の映画が大好きなのです。小津安二郎自身がかぶっていたあの有名な白いピケ帽のありましたよ。さて、この項は小津自身の有名な言葉で締めくくりたいと思います。

「どうでもよいことは流行に従い、 重大なことは道徳に従い、 芸術のことは自分に従う」

そして…

「永遠に通じるものこそ常に新しい」
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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