えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

入場の人数制限のかかったSOMPO美術館に予約して「モンドリアン展」を見に行こうと思っていたのですが、東京都の非常事態制限により、休館になってしまった。くやしくて、湘南にある二つの美術館、平塚市美術館と茅ヶ崎市美術館をはしごし、三つの美術展、「柳原義達展」、「川瀬巴水展」、「ほどく前提でむすぶ 藤田道子展」を見ました。それぞれの感想文です。
「柳原義達展」。一つのフロアー立ち並ぶたくさんの女の人の彫像、そして、もう一つのフロアーに並ぶ鴉と鳩のいくつもの彫像、それらの存在感が具象の力といったものを感じました。
「川瀬巴水展」。今回の美術展巡りのお目当てはこの「川瀬巴水展」でした。大正から昭和の時代にかけての美しい版画に詩情を感じ、じっと見つめていると、その美しい絵の情景の中にぼくの心は染まり、入り込んでしまうかのようでした。やはり川瀬巴水の版画は素晴らしい。見ているとニューヨークを撮りつづけたソール・ライターという写真家を思い出してもいました。景色をふと覗いてしまっている感じです。ノスタルジーとスタイリッシュな現代性が同時に川瀬巴水の版画にもあるようなのです。川瀬巴水の版画は良い! 三十分の川瀬巴水の版画製作をとらまえた映画を上映していました。美しい景色を求めて旅をし、写生する巴水。そして、小さな工房で作業する彫師と摺師が出てきて、その高度な技術を巴水は讃嘆する。偉大なり、版画!
「ほどく前提でむすぶ 藤田道子展」。そよ風が吹いてもほどけてしまうような結ばれた淡い色のリボンのインスタレーションを見ながら、その爽やかさがあまりに儚い。その真逆ともいえる、いつか見た、ダリの絵の中の真っ赤な血染めのようなリボンを思い出していました。そして、RDレインの大好きな詩とも散文ともつかない文集「結ぼれ」も思い出していました。「結ぼれる」とは「糸がからんで結び目ができる」とか、「結ばれてほどけにくくなる」ということ。つまりは、いつもこんがらがってしまうぼくは、「ほどく前提でむすぶ」ことなどできない人間なのです。
さて、非常事態宣言です。寄席は入場制限をして開きつづけるそうです。ミニシアターのユーロスペースも同じく入場制限をしつつ、開きつづけるそうです。朝日新聞の報じるユーロスペースの店長の話では、ミニシアターの営業自粛の協力金は一日二万円なのだそうです。ひどい話だ。ユーロスペースの店長は芸術への香典金かよと毒づいています。一石を投じる寄席や一部のミニシアターの動きにぼくは賛同してしまう。
そして、いつか相模原市にもちゃんとした美術館ができることを願ってやみません。
平塚市美術館
茅ヶ崎市美術館


タワーホール船堀へ「もやい展」を見に行きました。どのような展覧会というとチラシからの言葉を引用します。
「3.11から10年
語り継ぐ命の連綿
3.11
そして福島原発事故から10年。
絵画、彫刻、写真、映像、そしてパフォーマンス……
表現は未来へ何を語り紡ぐのか?
金沢21世紀美術館で好評を博した「もやい展」が 2021年春、東京にあらわる!
そして、立ち寄ったあなたも未来への表現者となる。」
この前、原爆の図丸木美術館で見た山内若菜さんの大きな描いて貼って描いて貼った大きな絵画も展示されていて、さらに改めて彼女の絵は目で見るというより、体全身で浸り感じる絵画なのだと思いました。どの絵も素晴らしかったのですが、山内若菜さんの他に、特に麻布に家族の肖像を描いた小林憲明さんの作品や、飼っている犬と被爆地を散歩するイラストの鈴木邦弘さんの作品に惹かれました。
幾多の作品を見ながら、放射能の恐怖に心を縛られたくなないぞ、と思いつつ、決して忘れたくはない、と思ってもいました。
偶然にこの展覧会で見た、福島の南相馬から京都に避難した井上美和子さんの朗読劇「ほんじもよぉ語り」も素晴らしかった。
しかし、いまだに電力を原発依存から脱しようとしないこの国が信じられなくなってしまう。今回のオリンピックを見ても、そんなことを感じてしまうのだけれども、海外からは、第二次世界大戦の時のように、始めてしまったものは悲惨な破滅をむかえるまでやめられない、日本は異常なバカの国で、日本人は異常なバカの民族と思われてはいやしないだろうか? ぼくは悲しいです。
けれども、この「もやい展」には希望の一筋があるようなのでした。
もやい展2021東京
「3.11から10年
語り継ぐ命の連綿
3.11
そして福島原発事故から10年。
絵画、彫刻、写真、映像、そしてパフォーマンス……
表現は未来へ何を語り紡ぐのか?
金沢21世紀美術館で好評を博した「もやい展」が 2021年春、東京にあらわる!
そして、立ち寄ったあなたも未来への表現者となる。」
この前、原爆の図丸木美術館で見た山内若菜さんの大きな描いて貼って描いて貼った大きな絵画も展示されていて、さらに改めて彼女の絵は目で見るというより、体全身で浸り感じる絵画なのだと思いました。どの絵も素晴らしかったのですが、山内若菜さんの他に、特に麻布に家族の肖像を描いた小林憲明さんの作品や、飼っている犬と被爆地を散歩するイラストの鈴木邦弘さんの作品に惹かれました。
幾多の作品を見ながら、放射能の恐怖に心を縛られたくなないぞ、と思いつつ、決して忘れたくはない、と思ってもいました。
偶然にこの展覧会で見た、福島の南相馬から京都に避難した井上美和子さんの朗読劇「ほんじもよぉ語り」も素晴らしかった。
しかし、いまだに電力を原発依存から脱しようとしないこの国が信じられなくなってしまう。今回のオリンピックを見ても、そんなことを感じてしまうのだけれども、海外からは、第二次世界大戦の時のように、始めてしまったものは悲惨な破滅をむかえるまでやめられない、日本は異常なバカの国で、日本人は異常なバカの民族と思われてはいやしないだろうか? ぼくは悲しいです。
けれども、この「もやい展」には希望の一筋があるようなのでした。
もやい展2021東京


横浜美術館に「トライアローグ」展を見に行きました。近代以降、印象派の後から現代までのアートのコレクションを誇る横浜美術館、愛知県美術館、富山県美術館の合同企画だけあり、見ごたえがあり、とてもおもしろかったです。多分、この三館を合わせると、収集したコレクション数は4万点を越え、5万点に近いらしい。これらの膨大な中から19世紀が終わる頃以降のよりすぐりの120点余りが、展示されていて、素晴らしかったです。
ぽつんと飾られたイヴ・タンギーの絵に、ぼくの心のどこかで何かに感傷し、鳥肌がたってきていた。今のぼくの心のどこかにはタンギーの絵に強く反応してしまう何かがあるのだろう。
芸術は決してむずかしくはない。考えるものでもない。先ずは感じるものなんだ。
横浜はこんなに素敵な美術館があっていいなぁ。相模原市にもいつか、美術館できないかな、と思ってしまいますが、その横浜美術館のこの「トライアローグ」展の後、2023年まで改修工事のために休館するという。新しくなった横浜美術館も楽しみですね。
トライアローグ:横浜美術館・愛知県美術館・富山県美術館


「新収蔵品展」を見に、平塚市美術館に行ってきました。昔、三岸好太郎の「海洋を渡る蝶」を見たことがあったのですが、再び、いつか見てみたいと思っていて、この「新収蔵品展」で展示されているらしいことを知り、足を運んだ次第です。この絵を描いた年、昭和九年、1934年に31歳で亡くなっています。夭折の画家の最期の、不思議で清明な輝きがぼくを惹きつけたし、今でも見入ってしまう。
同時開催で「宮川慶子展」が広々としたロビーで観覧料金、無料で行われていました。若い造形作家である彼女の親戚に伯父さんに僧侶であられる人がおり、その伯父さんの読むお経が、彼女の創作の出発点になっているらしい。もしかして仏教のいわんとする空からやってきているかもしれない、かわいらしい空想の動物たちのオブジェにぼくは微笑んでおりました。
新収蔵品展 国際興業コレクションを中心に
宮川慶子展ー生命は自分自身だけでは完結できないようになっているらしい


千葉市美術館の「田中一村展」にドライブがてら行ってきました。
生涯にわたる田中一村の絵を見て、50歳を過ぎて、南の琳派とも呼ばれる自分の、自分らしい、自分にしか描けないような世界に開眼し始めたたことを知りました。無一文同然で奄美大島に渡ったのです。そこでも紬工場の染色工として働きながら、自分の絵を追求していきます。そして、1969年、61歳で美しすぎる代表作「アダンの海辺」を描きます。実物で見るその絵の美しさは、何かこの世のものとは思えないような気配すら漂わせ、「田中一村展」で飾られておりました。ぼくは、われを忘れて、その絵の前にたたずみ、見続けておりました。
田中一村展 ―千葉市美術館収蔵全作品


ポーラ美術館にドライブがてら行ってみました。日本有数の近代絵画のコレクションを所蔵するポーラ美術館は箱根の山奥にあります。そこにセザンヌや、モネ、ルノアール、ゴッホ、マティスなどの錚々たる絵が飾られております。モネの睡蓮の絵やルドンの花瓶にさした花の絵などの美しさは、印刷された画集では決して再現できないことをいつも実感します。
企画展では日本の絵画と西洋の絵画のつながりについて展示されれておりました。江戸時代の浮世絵がいかに西洋絵画に影響したか、そして、明治以降、ほかのさまざまなこと同じく、西洋の模倣から始まるというねじれた関係がありました。戦犯画家として日本を追われ、再び、パリに舞い戻るレオナール・フジタこと藤田嗣治の人生をどうとらえたらよいというのか、ぼくは少しの困惑を感じてしまっていました。
森の木々に囲まれた美術館は、波乱の画家たちの人生とはまったく異なって、どこまでも平和な場所でもあったのです。
ポーラ美術館


「ダブル・ファンタジー ジョンアンドヨーコ」展に行ってきました。ジョン・レノンとオノ・ヨーコとの出会いと別れまでの展覧会です。
ジョン・レノンに勝るとも劣らぬ、ぼくはオノ・ヨーコのファンなのです。昔、埼玉の美術館で見たオノ・ヨーコさんの大回顧展の感動は忘れられません。想像力を刺激される本当に今の時代を代表するぼくの大好きな芸術家だ。そんな彼女とともに歩いたロックンローラー、ジョン・レノンも大好きで、アルバムを何かあるたびに、よく聞いてしまう。
ジョン・レノンの"Starting Over"で始まり、オノ・ヨーコさんの"Hard Times Are Over"で締めくくられる、この展覧会の題名となっている"Double Fantasy"というジョンとヨーコの共作アルバムも素晴らしかった。他にもジョンとヨーコがお互いに曲をもちより、ともに歌い演奏した多分に政治的と評される"Some Time In New York City"も二人と時代の熱さがビニールのレコード盤につまっているようなかっこいいアルバムだった。
1980年のあの凶弾による事件がなければ、ジョン・レノンはその後の時代に何を歌っていたのだろう、といつも想像してしまう。
さて、2021年の2月18日まで会期の延びたこの展覧会で、ぼくのような年配者だけではなく、若い人もちらほら見かけました。ジョンとヨーコは永遠です。オノ・ヨーコさんは夢についてこんな風に言ったという。
「ひとりで見る夢は夢でしかない。しかし誰かと見る夢は現実だ」
DOUBLE FANTASY John & Yoko | ダブル・ファンタジー −ジョン&ヨーコ


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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