えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

横須賀美術館に「矢崎千代二展 絵の旅」を見に行きました。展示されていた絵のほとんどがパステルで描かれた風景画。とても美しい。クレヨンとパステルの区別も判然としないぼくだけど、パステルというチョークみたいなものでここまで表現できるのかと驚く。
高校の美術の時間に高校の隣にあった牧場の牛を描きに行ったことを思い出す。風景画というのは何だか絵を描くことの原点であるような気もするけれど、チューブ入りの絵の具が発明され、それによって初めてできるようになり、その外の光の美しさの発見は美術史でいうところの印象派を生んだそう。矢崎千代二は生涯、旅に生きた絵描きだったそうだ。その旅はユーラシア大陸のすべてにおよび、第二次世界大戦の終結の2年後に日本に戻らず、北京で亡くなっている。風景に美しさを見て、パステルで紙に描くそんな人生も美しいと思います。
横浜美術館には別館に谷内六郎館があり、季節季節に展示を変えているそれを見るのも楽しみ。週刊新潮の表紙でもあった谷内六郎の原画を見ながら、とても懐かしく、美しいのだけれども、谷内六郎描くそんな美しい風景は日本から失われてしまっていることに溜息をついてしまった。
帰りに金沢八景にある瀬戸神社に寄った。昔、勤めていた会社の営業部、制作部と工場の中間地点に金沢八景駅にあり、よくここに来て、お参りしていたことを思い出した。周りの景色は変わりつつも、瀬戸神社の風景は変わっていないことに心休まりました。
瀬戸神社で御朱印をいただき、御神籤をひいてみましたら「六番 中吉」でした。蛍射という人の作の和歌が書かれておりました。歌川広重の金沢八景図「小泉夜雨」に記載されているそうです。
「むらたてる
梢は雨に
ぬれぬれて
かぜの音なき
よはのひと里」
横須賀美術館


町田市立国際版画美術館に「ヨルク・シュマイサー 終わりなき旅」展を見に行きました。開催初日なので入場料が無料でした。
ドイツに生まれた版画家のヨルク・シュマイサという人の展覧会。戦中ののポーランドに生まれ、戦後、ドイツに、そして、日本、オーストラリアとその居を変えていったドイツ人の版画展。日本の人と結婚し、日本に少なからぬ縁があったシュマイサー。奈良の仏閣をめぐる連作を残してもいる。ぼくは、なるほど、異邦の人たちの目から知らされ、気づかされる日本の美しさというものがあることに気づかさられる。
ヨルク・シュマイサーは生涯、旅の人であったあったらしく、どくにアジアには魅かれ、中国やインドに関する多くの作品を残している。そして、オーストラリアを生涯の住み家とし、その生のフィナーレのころ、南極に旅し、彼の作品は、自由に奔放に花ひらく。
ぼくはシュマイサーの終曲ともいうべき作品群にとくに魅かれてしまった。終わりなき旅はふいに途切れ、未完となってしまったような印象すら感じてしまったのだが、それもまたいいことなのではないかしら。
ヨルク・シュマイサー終わりなき旅 | 展覧会 | 町田市立国際版画美術館


町田市国際版画美術館に「版画キングダム」展を見に行く。ぼくは、新しいCDを作りたいなどと思っていて、いろいろな古今東西の版画を見ながら歩いていると、そのCDのジャケットは版画で刷ったらようかろう、などといつの間にか思いをめぐらしてしまう。などと版画を見ながら歩いていると、そのコーナーのラストの版画で、ぼくの大好きなピカソの「鳩」の再会してしまった。しばし、「鳩」の前で立ちつくしてしまった。
併設された「荒木珠奈 記憶の繭を紡ぐ」展もおもしろかった。大きな繭のインスタレーション作品も展示されていた。懐かしくも古くならない新しい不思議な感じ。世界で認められ、今現在はニューヨーク在住だそうで、何か草間彌生さんを思い出してしまう。境界を越えて世界に羽ばたくということ。


町田市民文学館ことばらんどに舘野鴻絵本原画展「ぼくの昆虫記-見つめた先にあったもの」を見に行きました。
オープニングイベントの「すてきな音楽会とおはなし会」で舘野さん、たくさんの子どもたちを前に三冊の絵本の読み聞かせやいろんなお話をしていました。「舘野鴻」は「たてのひろし」と読むんだよ、につづき、青春時代に夢中になったのが、左翼、演劇や舞踏、音楽活動だったと笑いながら子どもたちに、お金にならないものばかり、と自嘲をこめて語っておりました。
舘野さんと知り合ったのもとても昔、とある秦野のヨガ道場でのパーティーで、虫たちの絵を見せてくれながら、今度、絵本を書いて出版することになったとおっしゃっていたことを思い出す。そして、今、虫たちの命の営みへの畏敬の念と驚きを虫好きの子どもたちに語る舘野さんが楽しそう。
久しぶりに舘野さんのオーネット・コールマンやアルバート・アイラーを思わせるフリージャズ的なサックスも聞きたかったのですが、それは今度ですな。
今も絵本を描くためのいろんな虫たち観察がつづいているとのこと。つぎの絵本が楽しみです。


この前、町田市立国際版画美術館で「浮世絵モダーン」展を見ました。大正以降の浮世絵版画を集めた展覧会。ぼくは風景の浮世絵が好きです。
江戸の時はとっくに過ぎ去り、明治を後にして、時代の乗り遅れつつ、それでも時代を越えて今にも通じているかのような川瀬巴水の版画を見ながら、そのノスタルジーに世界は浮世だとしみじみ感傷にひたってしまう。
開館30周年記念 浮世絵モダーン 深水の美人! 巴水の風景! そして ・・・


芹が谷公園にカップ酒を持って出かけベンチにすわり、ほろ酔いで桜の花見をして、その後に、公園内にある町田市国際版画美術館に足をのばし、「浜田知明 100年のまなざし」展を見ました。
この百歳になる現役の芸術家の出発点は浜田さん自身が語っているように、第二次世界大戦での兵士としての戦争体験で、一世紀にも届こうかという創作は、振り子のように戦争体験へと、戻ってきつつも、知られない安息を探しているようでもあるのだ。長くなるけれど、どうしても浜田知明さん自身の言葉を引用したい。
「軍隊の非道さ、愚劣さは、何度叫んでも叫び足りない。戦争は殺し合いではあるが、残虐すぎる。戦闘員ではない女性や老人、子供に対する暴行、虐殺も付随して起こる。それを平気でやっているのが社会では悪いことなどできない、ごく普通の人間なのだ。戦争は人間の心理を異常にする。そんな集団の一員であることが悲しかった。それも、意志に反して、そこに入れられたのだ。軍隊内部の生活もひどい。毎日、殴られた。兵器の手入れが悪い。掃除や整理整頓が悪い。飯の食い方が遅い。軍人勅諭の記憶が悪い。声が小さい。班長や古参兵の身の回りの世話が行き届かない。たるんどる…理屈は何とでもつけられる。初年兵のときなぐられた分を、二年兵になって返すやらしさ。陰湿な姑根性、嫁いびりだ。肉体的な苦痛は耐えられないことはない。もっとつらいのは、むしろ精神的なもので、人間性を抹殺され、プライドを傷つけられることである」
毎日、自殺の衝動にかられ、「戦争の残酷さや悲惨さを、軍隊の野蛮さや愚劣さを描きたい」と死を思いとどまり、幹部候補生を断り一兵卒を貫き、終戦を迎える。だから、ブーメランのようにその版画は戦争のもどってしまう。
今の世の中を見渡し、美術展も時代と共にあると思う。浜田さん、もっともっと生きて、作品を作り、世界に発信してください。
4月8日まで開催中です。
浜田知明 100年のまなざし | 展覧会 | 町田市立国際版画美術館


