えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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この前、町田市立国際版画美術館で「浮世絵モダーン」展を見ました。大正以降の浮世絵版画を集めた展覧会。ぼくは風景の浮世絵が好きです。

江戸の時はとっくに過ぎ去り、明治を後にして、時代の乗り遅れつつ、それでも時代を越えて今にも通じているかのような川瀬巴水の版画を見ながら、そのノスタルジーに世界は浮世だとしみじみ感傷にひたってしまう。

開館30周年記念 浮世絵モダーン 深水の美人! 巴水の風景! そして ・・・
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芹が谷公園にカップ酒を持って出かけベンチにすわり、ほろ酔いで桜の花見をして、その後に、公園内にある町田市国際版画美術館に足をのばし、「浜田知明 100年のまなざし」展を見ました。

この百歳になる現役の芸術家の出発点は浜田さん自身が語っているように、第二次世界大戦での兵士としての戦争体験で、一世紀にも届こうかという創作は、振り子のように戦争体験へと、戻ってきつつも、知られない安息を探しているようでもあるのだ。長くなるけれど、どうしても浜田知明さん自身の言葉を引用したい。

「軍隊の非道さ、愚劣さは、何度叫んでも叫び足りない。戦争は殺し合いではあるが、残虐すぎる。戦闘員ではない女性や老人、子供に対する暴行、虐殺も付随して起こる。それを平気でやっているのが社会では悪いことなどできない、ごく普通の人間なのだ。戦争は人間の心理を異常にする。そんな集団の一員であることが悲しかった。それも、意志に反して、そこに入れられたのだ。軍隊内部の生活もひどい。毎日、殴られた。兵器の手入れが悪い。掃除や整理整頓が悪い。飯の食い方が遅い。軍人勅諭の記憶が悪い。声が小さい。班長や古参兵の身の回りの世話が行き届かない。たるんどる…理屈は何とでもつけられる。初年兵のときなぐられた分を、二年兵になって返すやらしさ。陰湿な姑根性、嫁いびりだ。肉体的な苦痛は耐えられないことはない。もっとつらいのは、むしろ精神的なもので、人間性を抹殺され、プライドを傷つけられることである」

毎日、自殺の衝動にかられ、「戦争の残酷さや悲惨さを、軍隊の野蛮さや愚劣さを描きたい」と死を思いとどまり、幹部候補生を断り一兵卒を貫き、終戦を迎える。だから、ブーメランのようにその版画は戦争のもどってしまう。

今の世の中を見渡し、美術展も時代と共にあると思う。浜田さん、もっともっと生きて、作品を作り、世界に発信してください。

4月8日まで開催中です。

浜田知明 100年のまなざし | 展覧会 | 町田市立国際版画美術館
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地下鉄の要町の駅から歩いて5分ほどのところにある豊島区立熊谷守一美術館に熊谷守一の絵や書を観に行きました。変哲のない平凡な住宅地にある小さな美術館はもとは熊谷守一の自宅兼アトリエのあったところに建てられています。

熊谷守一の次女である熊谷榧さんによる私設美術館だったそこで、ゆっくりと絵を観てました。その時間は絵と対話するかのような時間でもあったのです。

絵を見ていると草花とか虫とか猫とかの小さな生きものたちの歌が聞こえてきそうです。いつか、ぼくもこんな絵のような歌が歌いたいと思いました。
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国立近代美術館に「没後40年 熊谷守一 生きるよろこび」展に行きました。昔のお茶碗に描かれたような鄙びた絵の印象がある熊谷守一ですが、若いころはドイツの表現主義のような絵を描いていたのを知りました。明治生まれの売れない極貧の画家の絵に鈍い色の赤い線が表れるようになり、何かを描写するのではなく、その絵はその絵そのものようになっていき、熊谷守一の絵が生まれたことを知る。

今、再びこの画家が注目をあびつつあることに、ぼくは何かほっとするのです。

昭和天皇は熊谷守一の絵を見て、これは子どもの描いた絵かね、と言ったらしい。ぼくは陛下にこう申し述べたい。子どもが描いた絵ですよ、いつまでも、何があっても、雨の日も、晴れの日も、嵐の夜も、何十年も絵を描きつづけた子ども絵なんですよ。

春分の日まで開催中です。

没後40年 熊谷守一 生きるよろこび
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東京都写真美術館へ「生誕100年 ユージン・スミス写真展」を見に行きました。所謂。報道写真から出発し、ラストに「水俣」を発表したこの写真家の根底にあったのは、ありのままを写真に撮ることと、ヒューマニティ。

ぼくは、膨大な彼の写真によるルポルタージュの中でも特にいいと思ったのは、アメリカ南部の町医者を撮った「カントリー・ドクター」やこれもアメリカ南部の助産師を撮った「助産師モード」のシリーズ。そして、「楽園への歩み」や「アンドレア・ドリア号の生存者を待つ」の美しすぎる一枚。

一枚一枚の写真が一期一会であるように思え、その一度きりに撮られた写真が人々の心を揺り動かし、世界の光の色すらも変えることがあるのではないかしら? その一度きりの奇蹟のよぷような出会いを求め、カメラを持って、ユージンは世界中をいつまでも旅をした。

生誕100年 ユージン・スミス写真展
http://www.crevis.co.jp/exhibitions/exhibitions_084.html

生誕100年 ユージン・スミス写真展
https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2927.html
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世田谷文学館に「澁澤龍彦 ドラコニアの地平」を見に行った。展覧会場に入ると澁澤龍彦の声が響いている。しゃがれていて少し甲高い活舌のはっきりした声は、舞踏家、土方巽が死去した際の追悼の言葉であった。原稿とか本とか書斎に飾られていたものだとか、その中には、四谷シモンのエロティックな人形どころか人の頭蓋骨まで入っている。原稿の文字はまるっこくてかわいいのが以外です。

高校生の頃はぼくは澁澤龍彦のエッセイとかよく読んでいた。それから、この人の紹介したフランス文学とか、背伸びして読んでいた。ジャン・コクトー、ジョルジュ・バタイユ、J.K. ユイスマンス、そして、マルキ・ド・サド。

澁澤龍彦の翻訳したマルキ・ド・サドの「悪徳の栄え」の発売禁止にまつわる裁判で1960年代に10年近く戦うのだが、澁澤龍彦自身の7万円の罰金刑を課せられたその敗訴での弁。

「たった7万円、人を馬鹿にしてますよ。3年くらいは(懲役刑を)食うと思っていたんだ」「7万円くらいだったら、何回だってまた出しますよ」

自由な魂です。

その裁判も終わり、1970年ごろからヨーロッパを中心に世界各地、そして、日本のいろんなところを旅行した時の写真も飾られていた。澁澤龍彦の隣には夫人である澁澤龍子さんのニコニコの笑顔がいつも写っていて、二人が本当に幸せそうです。
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「ヨコハマトリエンナーレ―2017―島と星座とガラパゴス」を見に行きました。3年おきに横浜で開催される現代美術のお祭りです。

以前、多分2000年代のころに初めて見た「ヨコハマトリエンナーレ」は爆発するような五感で経験するような作品が多かったように記憶しているが、今回の「ヨコハマトリエンナー」何か内向的、内省的であるような気がした。芸術作品も時代からは無縁ではいられず、アーティストたちもどこへ行けばいいのか、足をこまねき、迷っているのだろうか? けれども、了解された答えを差し出すのではなく、問いを発することこそすぐれた作品なのかもしれない。

その中で特に印象に残った作品が四点、香港で活動するヨーロッパ人の団体、マップ・オフィスのジオラマ、ホーチミン(ベトナム)とロサンゼルス(アメリカ)で活動しているザ・プロペラ・グループの映画、Don't Follow the Windプロジェクトと観客参加型の作品、尾道在住の柳幸典のインスタレーション。あたかも起承転結。

マップ・オフィスのジオラマはお盆に乗るぐらいのジオラマの奇妙な島でに小さな小さな人間たちが奇妙な日常をしているというもの。

ザ・プロペラ・グループの映画はこんなストーリー。核戦争後の人類の絶滅した世界にある男が一人、マレー半島沖の孤島にに暮らしている。その孤島は、1970年代にベトナム戦争から逃れた数万人のボート・ピープル(難民)であふれかえっていたのだけど、ベトナム戦争終結とともにベトナムからもアメリカからもはんば見捨てられたような状況に置かれていたことが差し挟まれた当時のニュース・フィルムから分かる。島のいたるところに流れ着いたベトナム人の築いた仏教の宗教施設、仏塔や祭壇が廃墟のように残っている。そこに一人の女が流れ着く。世界に残された二人。女はこの島から出ようと男に提案するが、男は頑としてそれを拒む。ここには記憶があるからここからは出れないと男は言う。

Don't Follow the Windプロジェクトの作品はガラクタのようなヘルメットをかぶって映像を見るというもの。映像にはがれきの山のようになっている福島の帰還困難区域に設置されたアーティストの作品が遠く小さく映さている。その地に封鎖解除後に見れるようにと2015年に12組のアーティストの作品が置かれたそうだ。見に行くことができない展覧会は今もそこで開催されている。

柳幸典のインスタレーションは放射能物質のマークのあるドラム缶の捨てられた廃墟の中、赤いLEDライトの古ぼけた電光掲示板に日本国憲法の九条や前文をうつし出されているというもの。この作品はぼくにはとても悲しかった。

世界が終わっていなければ、三年後にまた会いましょう。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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