えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

東京藝術大学美術館にロバート・フランク展"Robert Frank: Books and FIlms, 1947-2016"を見に行った。
ロバート・フランクといえばローリング・ストーンズのアルバム「メイン・ストリートのならず者」のジャケットでティーン・エイジャーのころ知り、いつか展覧会で見てみたいと思っていたのです。
今回の東京藝大での展覧会ではすべてが新聞紙に印刷され、学生たちと共同で企画されているという、いかにもアウトロウ、ロバート・フランクらしきもの。大正時代の古い二階建ての倉庫のようなところにところせましと展示されていた。
なんか、もう、かっこいいんです。図録とかタブロイド判の新聞に印刷されているしさ。入場料はただだし。
ロバート・フランクが1950年代の早い時代からからこのような写真を撮っていたことに驚く。そして、そのころ、ジャック・ケラワックや二―ル・キャサデーら、ビートニクスらとダチだったんだぜ。まさしくイノベーターだ。そして、いまだに孤高の存在でもあるような気もするのです。
かっこいいものにはあこがれてしまいますよ。孤高というところにもあこがれてしまいますよ。ぼくはかっこよくもなく、孤高にもなりきれないのだけど。
ロバート・フランクはたくさんのビデオ・フィルムも撮っているのでだけど、展覧会でこんなかっこいい言葉も壁に殴り書きされていたのです。
「僕が撮ってきた映画は
僕の旅の地図だ
旅って人生の旅のことだよ
このスクリーンのちらついている
生と死の影を君に見てほしい
ロバート」
ロバート・フランク & シュタイデル展 | Robert Frank: Books and ...


平塚市美術館に「香月泰男と丸木位里・俊、そして、川田喜久治」展を見に行きました。
香月康夫の洋画「シベリア・シリーズ」、丸木位里・俊の日本画「原爆の図」、川田喜久治の写真「地図」を見ながら、そうか、この人たちは、人生の中である決定的なことに出会い、目撃し、体験し、それを生涯をかけて反芻しつづけ、それが何であるかをほどこうとしたのではないかなどと考えた。それを自分の芸術の素材として使うのではなく、見てしまった地獄のようなことを、生涯をかけて描いたり、その傷跡のようなものを見つけ出し、写さずにはいられない、そのような心象からの苦しい道を一生、歩まねばならなくなったのではなかろうかなどとも思った次第。小説家にもおりました。戦後、ほとんど戦記しか書かなかった大岡昇平や、思い出したように断続的に従軍ものを著した古山高麗雄のような人のことでもあります。
展覧会を見終え、別のフロアで「原爆の図とアメリカ」という短い映画が流されておりました。その短い映画を見て、昨年、初めて丸木位里・俊の「原爆の図」がアメリカの首都ワシントンで展示される展覧会が開かれたことを知る。その展示会を見た"WORLD WAR II"と刺繍されたキャップをかぶっていた第二次世界大戦のアメリカ人のある元兵士が、インタビューに戦争は必要のないことだと答えていたのが印象的だった。その映画にはアメリカ人で日本に在住し、日本語で詩を書いているぼくの好きな詩人、アーサー・ビナードさんも映されていて、アーサー・ビナードさんは今は広島に移り住み、「原爆の図」に物語を付け、紙芝居にし、子どもたちに読み聞かせをする活動を行っているそう。
楽しくも明るくもない、重く暗い展覧会なのだけど、見てよかったと思いました。
開館25周年記念 香月泰男と丸木位里・俊、そして川田喜久治 | 平塚市美術館


町田市立国際版画美術館に「デイビッド・ホックニー版画展」を見に行った。展覧会初日のサービスとして入場料がただで見れました。ラッキーです。
デイビッド・ホックニーってポップ・アートのメイン・ストリートを歩いていたイギリス人だったのですね。初期のころのアメリカのL. A.に移住する前のイギリス時代の作品はジョン・レノンのドロウイングみたいなのだけど、アメリカに行ってから、ピカソやマチスの影響も隠そうとぜず、色彩が美しく爆発する。
版画ではく、絵画が一点だけ展示されていて、それはあの有名な「スプリンクラー」でした。「雨」とか「プール」のブルーがとてもきれい。すべての作品にメロディーやリズムがやどっているようにも感じたのです。よかった。
デイヴィッド・ホックニー版画展




府中市美術館に「ファンタスティック 江戸絵画の夢と空想」を見に行く。とてもおもしろかった。この展覧会、前期と後期に分かれていて全点入れ替えているという。ぼくの見たのは後期で、いまさらに前期もも見るべきだったと悔やまれるほど興味深く、予定外に図録まで買ってしまった。
日本の美術は、人が絵を描くその根にあるところは同じだろうけれど、西洋とはまた違った枝葉を付け、違う花も咲かせたのだと思う。印象派の時代、日本でいえばこの展覧会のテーマでもある江戸時代には、その日本の絵画が西洋の絵画に大きなインスピレーションをもたらしてもいるのは有名な話。そして、この展覧会で見られる「ファンタスティック」ももしかして、西洋がそれを発見する前のシュール・レアリズムなのかもしれない。心地よいような、ある時はちょっと怖いような夢の世界にぼくは入っていってしまいました。
夢見る前、眠りにつくその前のそのころにこの図録を見るのが楽しみです。
https://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/kikakuten/kikakuitiran/fantastic.html
日本の美術は、人が絵を描くその根にあるところは同じだろうけれど、西洋とはまた違った枝葉を付け、違う花も咲かせたのだと思う。印象派の時代、日本でいえばこの展覧会のテーマでもある江戸時代には、その日本の絵画が西洋の絵画に大きなインスピレーションをもたらしてもいるのは有名な話。そして、この展覧会で見られる「ファンタスティック」ももしかして、西洋がそれを発見する前のシュール・レアリズムなのかもしれない。心地よいような、ある時はちょっと怖いような夢の世界にぼくは入っていってしまいました。
夢見る前、眠りにつくその前のそのころにこの図録を見るのが楽しみです。
https://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/kikakuten/kikakuitiran/fantastic.html


文化学園服飾博物館に「魔除け 身にまとう祈る心」という展覧会を見にいった。その展覧会を見ながら、最近、大江健三郎の昔の小説を読んだこともあり、「トーテム」とか「記号論」とかそういう言葉が思い出された。中村雄二郎の「魔女ランダ考」とか山口昌男の「道化の民俗学」を背伸びして読んでいたものです。その背伸び癖はいまだに直らないのだけど。
昔の人は、ありとあらゆるものに畏敬の念を抱いていて、服装や服飾、ネックレスなど、その聖なる盾として、模様をほどこし、飾り、そして、祈りを込めて織り編んでいたらしいのだ。そうならば、あたり一面に模様を施したそれは輝くように美しい。
ぼくはそのような服やら装飾品、帽子を見ながら、ジャニス・ジョップリンのことをいつしか思い浮かべていた。彼女は1960年代に遅れてやってきたビートニクスからブルースの女王として登場し、短すぎる生涯を閉じるのだけど、いつも過剰なほど安物の装飾品やら、ビーズのじゃらじゃらした首飾り、ブレスレットを身にまとい、服はシャギーな原色の一面に模様のほどこされた、そのようなものだった。それはジャニスがその内側の傷つきやすさを守ろう、彼女を刺し貫く邪視から彼女を守るために、それとは気づかず身に着けていたようなことだったのではないかしら? ならば、ジャニスの安物のビーズの連なりは、何よりもまばゆくきらめいているのではなかろうか?
祈りのこめられたそのようなものを身につけること、そのようなものを大切な誰かに身につけてもらうことは、なんてすばしいことだろう、と思いました。
