えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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町田市立国際版画美術館に「縁起もの -版画と絵画で楽しむ吉祥図像-」展に行ってきた。次から次にと目に飛び込んでくるおめでたい絵に気分が晴れ晴れとし、いい気持ちになりました。

http://hanga-museum.jp/exhibition/schedule/2013-201
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相模原市立博物館に「舘野鴻(たての ひろし)絵本原画展「ぎふちょう」」を見に行く。

舘野さんに初めて会ったのは、秦野のヨガの先生、きららさんの家の桜畑のお花見会でアルバート・アイラーを日本の土着の地に根付かせたようなフリーなテナー・サックスを吹いていた。

その後、何回か、お会いする機会に恵まれて、そのきららさん主催のパーティーで小さな虫や森の植物を精緻に描いた絵を見せていただき、驚いた。この博物館での展覧会でも、やはり感じたのだけど、小さい生きものたちへの愛のこもった畏怖のようなものすら感じてしまう。今日も舘野さんはどこかの森や山の中を歩きまわっていて、小さな生きものたちの大きな命に目を輝かせて驚いているのだろう。

最新刊の二作目の絵本「ぎふちょう」は一作目の傑作「しでむし」を更にしのぐほどの大傑作だとも思った。

さて、またどこかでお会いするのが楽しみです。








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世田谷美術館の「アンリ・ルソーから始まる素朴派とアウトサイダーズの世界」展を見に行く。専門の美術教育を受けないまま、ただ「描きたい」という強い衝動を持って描かれた市井の人たちの作品を素朴派とかアウトサイダー・アートと呼ばれるらしく、実は、世田谷美術館はその収集に努め、膨大なコレクションを持っており、今回の展覧会はその集大成のようなものらしい。絵画のブルーズ・マンのブルーズのようなものなのかな、と思い、見に行った。

意外に楽しい絵が多い。そうか、ブルーズも悲惨を歌って、最後は、どうにかなるよ、大丈夫、大丈夫、と歌って、楽しいものだ、というのを思い出した。けれど、あまりの悲惨さで救いのないような久本強の「シベリア・シリーズ」に圧倒されてしまう。グランマ・モーゼスやグランマ・フランの絵は楽しくて好きです。マックス・ラフラーの心優しきキリスト教の神様や聖人の絵に笑みをもらしてしまう。

いろんな人たちの絵が飾られ、絵が描いた人の普通であったり波瀾万丈であったりする生活や人生を語りかけてくれるようだ。

ぼくの歌は素朴派です。

世田谷美術館
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青山にある根津美術館の「曼荼羅展」に行ってきた。初めの方に展示してある「両界曼荼羅」や「金剛八十一尊曼荼羅」では、この夏の暑さのせいか、その暑さのせいで心身ともに少し不調であるせいなのか、はたまた、私という人間が凡人をはるかに下回っているような人間であるからなのか、立ち昇るエロスのエネルギーのようなものを感じ入り、見とれ立ち尽くした。もしも、古い仏閣でこれらを見たならば、ぼくは何と感じるのだろう? 万物は生々流転しているといいます。それが、数えきれない仏の放つまばゆい光となっている、そんな景色をほんの少しの間だけ、感じられたようなのです。

http://www.nezu-muse.or.jp/jp/exhibition/index.html
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町田市立国際版画美術館の「反骨の画家 利根山光人展 -バイタリティを求めて-」を見た。メキシコ、日本、スペイン、インド、、馬や牛、ドンキ・ホーテ、戦争と色々なテーマを変遷しながらも、爆発しお祭りしているおびただしい数の版画を見た。あぁ、情熱の命の輝きです。利根山光人の芸術の方向を決定づけしたかのようなメキシコ渡航なのだが、そのメキシコについて、このように書いてもいる。

「メキシコは革命を通過しながらも至る所に矛盾が露出し、さまざまな人間の顔であふれている。メキシコは人間生活の原型が至る所に露出していて、不思議にも今まで見えなかったものが次第に見えてくる」

フリーダ・カーロのメキシコはロシアの革命家、レオン・トロッキーの没した場所でもあって、そのフェスタは日本の岩手の宮澤賢治の愛した鹿踊りに古層においてつながっているらしいのだ。メヒーコ、万歳!

そこで、ぼくの歌う「メキシコの山」をメキシコ賛、利根川光人賛として、僭越ながらも自らここに引用させていただきます。

「あの高い山に登れ
あの高い山に登れ
あの高い山に登れ
リュック・サックにブルーズを詰め込んで

てっぺんまで登れ
てっぺんまで登れ
てっぺんまで登れば
ごきげんなものがいっぱいあるぜ

そりゃああの娘はいいやつさ
どこまでもおいらに意地悪するぜ
キリマンジャロを越えて ヒマラヤの峰を渡り
あのメキシコの山の向こうまで行くぜ」

反骨の画家 利根山光人展  ―バイタリティーを求めて―
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町田市鶴川「あとりえう」でたくさん畦地梅太郎さんの版画を見て来ました。住宅街の中のちいさな小屋にところせましと絵が飾られていました。

山に登ったりする人はどこかの山小屋とかのお土産コーナーで一度はこの人の絵を見たことがあるのじゃないかしら。本当に日本の山と自然が好きだったんだろうな、と見ていると伝わってきます。

ぼくも山歩きが復活しているのです。縁は円のように戻ってきたりするのだけど、少しづつ違う景色を見せてくれて、山もそうだし、絵もそうなのです。

あとりえう
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神奈川県立近代美術館鎌倉へ「生誕100年 松田正平展 陽だまりの色とかたち」に行ってきた。五十歳を過ぎてから少しづつ絵が認められ、確かにそのころに松田正平さんは、誰のものでもない松田正平さんの絵を描き始めたのだった。

それまでにどうしていたかというと、戦前に東京美術学校西洋画科、今の東京芸術大学に入学しパリに留学時しかの地で第二次世界大戦が勃発、帰国、戦後の三十歳になるちょっと前までは学校の先生をしながら絵を描き続けていたのだが、宮内庁ご用達の洋裁師をしていた奥さまから、私は学校の先生と結婚したのではありません、と言われ、教員の職を辞してしまうのだが、絵が画廊で売れ始めたのは、六十歳からだという。なんかいい話だなぁ、でもないか。

生涯、祝島の風物を愛し続け、描き続けてもいる。その祝島、今は原発の立地候補とその反対運動で人の口吻にものぼるのは、また別の機会に。その祝島で絵を描いていた松田さんに島のある女の人は、うちの子もちょうどこんな絵をかくよ、と言ったという。そう言われた松田さんは満面の笑み。九十年の生涯を過ぎた偉大な画家は生きることの達人であったのかな。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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