えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

三菱一号館美術館で開催されている「ルドンとその周辺 - 夢見る世紀末展」に見に行った。今日がラストの日で、かなり混んでいました。19世紀から20世紀にかけて生きたこの異端の画家がこれほど人気があるのが意外。
ルドンは19世紀末、木炭を使いモノクロームで描いた不思議で不気味な、今風にいえばビザールな、シュール・レアリズムの祖のような絵で一般的には有名なのですが、20世紀をむかえようとするころ、突然、モノクロームでなく色鮮やかなカラーの絵を描き始める。その人、オディロン・ルドンに何があったのかというと、齢五十歳にして、妻との間に二人目の子どもを授かる。二年前に授かった一人目は半月で亡くなっていた。そのまったく同じ人が描いたとは思えない、繊細で鮮やかな花々が咲き誇る絵を見ると、何かふっきれたかのような新しい画家が誕生したように思えるのだった。けれど、その花の絵も、何か夢の中で咲いているようで、悪夢が夢に変化するかのような化学反応が彼の中で起こったのだろうか。
三菱一号館美術館が新たに所蔵した「グラン・ブーケ(大きな花束)」というとても大きなパステル画も見た。高みの美しさに、これがルドンの到達点であり悟りでもあるような気がしたのだった。


ぼくの好きな現代の日本の画家に草間彌生という人がいるのだけど、その人は、絵を描かなければ生きていけないような、そんな人ではないのか、と彼女の展覧会を見て、いつも思ってしまう。今日、この人も、そのように絵を描かなければ生きていけないのではないか、と横浜美術館で「松井冬子展 世界中の子と友達になれる Fuyuko MATSUI Becoming Friends with All the Children in the World」を見て思ったのだった。
彼女は新進の日本画家で展覧会の絵を見ながら、ぼくは、鳥肌が立つような驚きの感動すらおぼえた。日本画家というより、その絵は世界的なもので、確かに日本画の形式で描いているのだけど、普遍的な今をすら表しつつ、いつまでもの絵であるつづけるだろう。そして、この新しい画家が今の時代と今の世界によりそい、併走し、どこにいくのか、とても楽しみです。
それから絵というのは、ネットとか本で見るより、実物を見ると、ぜんぜん違いますね。
松井冬子さんのホームページ
http://matsuifuyuko.com/index.html


『書行無常展』に行ってきた。藤原新也さんの大きな写真、書とともに中国、インド、日本の各地を旅するような展覧会でした。震災地の瓦礫の風景を写した写真には、何か鳥肌が立ちました。福島、春日町の滝桜の写真の美しさに圧倒されました。さて、カメラは記録する装置なのだろうか、記憶する装置なのだろうか、と思いました。
書行無常展のページ
http://www.fujiwarashinya.com/shogyomujo/


静岡市美術館で「アルプスの画家 セガンティーニ -光と山-」という展覧会を見に行った。ジョバンニ・セガンティーニは、イタリアの南の方で生まれ、幼少のころ、父、母と別れ、青年期、ミラノ移り住み、そこで昼間に仕事をし、夜間は美術学校に学び、その地で伴侶となるルイジアと出会い、自然の光の美しさを求め、スイスのアルプス山地に移り住む。北へ、北へ、山へ、より高い山へ向かう人生であった。41歳での突然の山小屋での最期を迎える。
初期の絵は北イタリアで自然とともに羊を飼ったり、畑を耕している人々を見つめ、土臭い色でその一瞬をとらえたもの。不思議なリアリティーと詩情を感じる。スイスのアルプスでの絵は、点描画ならぬ彼独自の線描画というような技法で描かれ、風景の光が、まぎれもなく絵の上で美しく輝いている。こんな絵の中の舞い踊る光の美しさの中で、ぼくは旅先の美術館にいるのだけれど、なぜか夢の中をまどろむようなのです。
親愛をこめて、ジョバンニ、ありがとう。


NHKBSプレミアムで「世界が私を待っている・前衛芸術家草間彌生の疾走」という番組を見たのだけど、草間彌生はぼくのもっとも好きなアーティストなのであった。この番組を見て、彼女が、1975年から今まで、心の病との闘病生活であったことを知った。心の病とは関係なく、彼女の造形する絵画やオブジェは素晴らしい。わかりやすくてポップでディープでアバンギャルドで、マーベラス。現代アートにYayoi Kusamaという人が世界にいるのだ。NHKの番組でモノクロの若かりしころのいろんな希望やら野望をいだいていた彼女の写真があった。かわいらしい美人でもあったのだった。
今、彼女は、残された時間は少ないから、出し惜しみなく、とにかく描きつづけると言うのでっあった。昔、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーがインタビュアーにいつまで歌い続けるのかと聞かれ、死ぬまで歌いつづけると答えていたのをふいに思い出す。ひるがえって、そのようにして、草間彌生の水玉は増殖し続ける。草間彌生、最高!
草間彌生さんのページ
http://www.yayoi-kusama.jp/
今、彼女は、残された時間は少ないから、出し惜しみなく、とにかく描きつづけると言うのでっあった。昔、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーがインタビュアーにいつまで歌い続けるのかと聞かれ、死ぬまで歌いつづけると答えていたのをふいに思い出す。ひるがえって、そのようにして、草間彌生の水玉は増殖し続ける。草間彌生、最高!
草間彌生さんのページ
http://www.yayoi-kusama.jp/


東京国立近代美術館に「パウル・クレー展」を見に行きました。パウル・クレーの絵を見ながら、あの人の物語の挿絵にぴったりだなどと思ってしまう。あの人とは東北の岩手県花巻の詩人にして童話作家の宮沢賢治なのです。
クレーの絵には特に具象から抽象に行くはざかい期のような作品に惹かれます。クレーの絵を見ながら、自分でも絵を描いてみたい、自分でも絵を描けるのではないかかしらと思ってしまった。けれども、クレーの描く形や色の微妙な均衡は真似できないのかもしれない。その形と色はぼくの中の眠ってしまったような子どもを刺激するようなのです。
ショップで売っていた絵葉書から気に入ったものを買って帰りました。左から「山のカーニバル(1924年)」、「円の中の魚たち(1926年)」、「ぼろきれお化け(1933年)」です。「ぼろきれお化け」、友だちになれそう。おやすみZZZzzz.....


1973年にシカゴの救貧院にて天涯孤独であったある男の81年間の生涯が閉じられた。その前年に1972年にその男は、住んでいたアパートを引き払い、大家にあけわたしたのだが、その大家はそのアパートに残された多大な絵画と小説に驚愕した。その男の名はヘンリー・ダーガー。小説はタイプライターで清書されており、1万6千枚以上にもわたり、子供を奴隷として虐待する暴虐非道な男たちを相手に、壮絶な戦いを繰り広げる7人の美少女姉妹の物語であった。その物語の挿絵として300枚もの水彩画も残されていた。
ラフォーレミュージアム原宿に「ヘンリー・ダーガー展 アメリカン・イノセンス。純真なる妄想が導く「非現実の王国で」」を見に行ったのです。そうかこのビビアン・ガールズという7人の少女たちは、ヘンリーが生き別れをして生涯会い見えることのなかった妹の影のようなものなのかと思った。もの狂いのイノセンス。ほとんど前知識なしに、ヘンリー・ダーガー、なんか聞いたことのあるような名前だなと思い、この展覧会に行って驚いたのだけど、この芸術家を発見した彼にアパートを貸していた写真家のネイサン・ラーナーはもっと驚いたことだろう。アパートを引き払う時、ヘンリーは部屋の中のものはすべて捨ててくれと言ったという。
彼の墓碑銘には「子供たちの守護神」とあるそうだ。そうか、21世紀は少女たちが世界を救うのかもしれないなどと思いながら、原宿の街を歩いていた。
