えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

その昔、沖縄を旅した時、沖縄本島の西に位置する小島、久高島を尋ねたことがある。御嶽(うたき)と呼ばれる聖地のたくさんある小島だと聞いていたが、本当には何も無いような島であった。そういえば、沖縄の聖地、御嶽は海の見える何も無いようなところであったように記憶しているけれど、そこは何もないから神様のような太陽や神様のような月や神様のような海を感じれるところなのかもしれない。
静岡県三島のクレマチスの丘にあるイズ・フォト・ミューゼアムに沖縄の久高島で行われた祭祀、イザイホーを1978年に写真に納めた写真家、比嘉康雄の展覧会「母たちの神 比嘉康雄展」に行ってきた。ちなみに12年に1回行われるイザイホーは1978年以来行われていない。ノロと呼ばれる沖縄の最高位の神官は女性で、男子禁制のこの祭りを写真に撮れたのは、比嘉が西銘シズさんあらたまって外間ノロさんから「あなたのように熱心にシマに通ってくる人はいなかった。久高島の祭祀も私たちの代で終わるかもしれないのでしっかり記録してほしい」との許しがある時出たからだという。沖縄のおばんのやわらかいやさしさを感じる話。
琉球弧と呼ばれる奄美大島から与那国までの沖縄諸島の女神官による祭祀を集めたこの展覧会には南の国の霊気がみなぎっていて、ぼくのマブイ(魂)にニライカナイ(魂の帰るところ)の夢を見させるみたいであった。
イズ・フォト・ミューゼアム
http://www.izuphoto-museum.jp/index.html
久高島ホームページ
http://www.kudakajima.jp/


この前、栃木県立美術館の「川上澄生 木版画の世界」という展覧会に行ってきた。宇都宮市って近そうで遠いねぇ。着いたら夕方近くで、いそいそと川上澄生氏の小さな木版画の作品を見てまわった。
木版画って小学生のころの図画工作、図工で習ったあれだなぁ、などと思い出し、川上澄生氏のノスタルジックな世界に引きこまれたのです。ノスタルジーというのは、ありえなかった、存在できなかかった過去の未来のようなものを今という時から眺めるというようなことなのかなぁと思った。
棟方志功という東北の、そして、日本を代表するような木版画家がいるけれども、棟方は川上の「初夏の風」という作品を見て、木版画家を志したのだそうで、川上澄生がまず初めに、明治大正昭和を生き、この世界を切り開いた人なのだろう。生涯、英語の先生をしながらの作家活動だったそうで、リーサラしながら歌も歌うぼくに近くないか? そんなことはないですな。
このところ毎晩、買って帰った画集を夜の寝る前に見ながら、川上澄生ノスタルジーに惹かれてゆく。


昔、CDというフォーマットができる以前、音楽が30センチのアルバムというレコードであった。そのジャケットが、それぞれ、芸術的で、それ自身が絵画や写真、デザインとして秀逸だったのだ。
イギリスに一世を風びしたヒプノシス(Hipgnosis)というアート・グループがいて、彼らの作るジャケットに魅せられてもいた。なんかシュールでおもしろかった。例えば、"Pink Floyd Wish You're Here"とか"Led Zeppelin Presence"とか"Peter Gabriel"。
今、思えばレコードってかなり大きかったんだ。デザイナー、今の言葉で言うと、クリエーターがもっとも力を発揮しやすいフォーマットであったと思う。
ジャズのレコードでブルーノートなどというレーベルのジャケットデザインはどれもかっこいい。定番で"Sonny Clerk Cool Struttin'"は余りにも有名。モノクロのかっこいい写真はそのままブルーノート・レーベルのアイデンティティのようなものかもしれない。
横尾忠則は"Beatles Sgt.Ppepper's Lonly Hearts Club Band"のジャケットを見て驚き、影響を受けたとどこかで聞いたことがある。Andy Warholがデザインした"The Velvet Underground & Nico"のジャケットはあまりに有名だし、ぼくは"Rolling Stones Exile On Main Street"のジャケットデザインによってRobert Frankという素晴らしい写真家を知った。
日本には八木康夫という素晴らしいイラストレータ、デザイナーがいたのです。「細野晴臣 トロピカル・ダンディー」とか「細野晴臣 泰安洋行」とか"Fools Weed War"とかも八木さんだった。
昔はレコードジャケットをなめまわすようにしげしげと眺めて、何度も何度も同じレコードをひっくり返しひっくり返し聴いていたなー。本当に身近なアートだったと思うよ。レコード・ジャケットよ、永遠なれ!
イギリスに一世を風びしたヒプノシス(Hipgnosis)というアート・グループがいて、彼らの作るジャケットに魅せられてもいた。なんかシュールでおもしろかった。例えば、"Pink Floyd Wish You're Here"とか"Led Zeppelin Presence"とか"Peter Gabriel"。
今、思えばレコードってかなり大きかったんだ。デザイナー、今の言葉で言うと、クリエーターがもっとも力を発揮しやすいフォーマットであったと思う。
ジャズのレコードでブルーノートなどというレーベルのジャケットデザインはどれもかっこいい。定番で"Sonny Clerk Cool Struttin'"は余りにも有名。モノクロのかっこいい写真はそのままブルーノート・レーベルのアイデンティティのようなものかもしれない。
横尾忠則は"Beatles Sgt.Ppepper's Lonly Hearts Club Band"のジャケットを見て驚き、影響を受けたとどこかで聞いたことがある。Andy Warholがデザインした"The Velvet Underground & Nico"のジャケットはあまりに有名だし、ぼくは"Rolling Stones Exile On Main Street"のジャケットデザインによってRobert Frankという素晴らしい写真家を知った。
日本には八木康夫という素晴らしいイラストレータ、デザイナーがいたのです。「細野晴臣 トロピカル・ダンディー」とか「細野晴臣 泰安洋行」とか"Fools Weed War"とかも八木さんだった。
昔はレコードジャケットをなめまわすようにしげしげと眺めて、何度も何度も同じレコードをひっくり返しひっくり返し聴いていたなー。本当に身近なアートだったと思うよ。レコード・ジャケットよ、永遠なれ!


乃木坂にある国立新美術館にルノアール展を見に行った。美術館にはルノアールの絵の明るい光があふれていた。ルノアールは絵を描くことが幸せだと言い、七十歳を越える生涯、絵を描きつづけて生きたのだけど、貧しさから脱した時は五十歳を越えていた。小説家であり前衛芸術家の赤瀬川源平はあるNHKの美術番組でセザンヌをを高く評価し、ルノアールを芸術家としては二流に位置するらしいイラストレータだと見下していたのが気になり、実物をたくさん見てみたいと思っていたのです。
見終わった後に、意味や言葉を越えた幸せ感がいつまでも残る。ルノアールはたくさんの女の人の絵を描いたけれど、どの絵の女の人たちも、きれいな光に包まれ、うっすらと上品に優しくほほ笑んでいるのが素敵だ。あっ、またほほ笑んでいるとぼくはいくつもの絵を見て、みとれてもいた。ぼくはルノアールを光とほほ笑みの芸術家だと思います。


村山槐多の絵を見に渋谷区立松濤美術館(シブヤクリツショウトウビジュツカンと読みます)に行ってみた。「ガランスの悦楽 没後90年 村山槐多」とタイトルされた美術展が開かている。槐多の絵は以前、長野県上田市の信濃デッサン館で見たことがある。前の大戦で戦没した画学生の絵ばかりを集めた無言館を見に行った時、近くにこの信濃デッサン館もあると知り、行ってみたのです。その時は無言館の絵に静溢な感動を覚えたのだが、戦争というのはたやすく人の運命をもてあそぶと感じたりもした。その後に行った信濃デッサン館で槐多の「尿をする裸僧」という絵が飾ってあり、強烈に情熱的な絵を描く人だなぁと思った。その「尿をする裸僧」の絵が頭から離れなかった。
今、再びたくさんの絵の中の「尿をする裸僧」の絵を見て、この絵だけが特別のような気がした。22歳と5ヶ月で逝ってしまった槐多の絵の中で「尿をする裸僧」は最も後期の作品で、この絵だけ底が抜けているというか、たがが外れているというか、最後にこの絵を残して逝ってしまうのかと思った。
高村光太郎に「火だるま槐多」と呼ばれた村山槐多だけど、生涯赤貧で、激しい詩も残している。例えば有名なこんな詩がある。
「血染めのラッパ吹き鳴らせ
耽美の風は濃く薄く
われらが胸にせまるなり
五月末日日は赤く
焦げてめぐれりなつかしく
ああされば
血染めのラッパ吹き鳴らせ
われらは武装終へたれば。」
けれども、絵を見れば、「尿をする裸僧」以外は、静かな寂しさをたたえているようなのだ。ガランスとは茜色のことだけど、それは槐多が生涯愛した色で、それは血の色というより、すべてを闇に包む前のどこまでも広がる夕焼けの寂しいけれど一番美しい色でもあったのではなかろうか?
渋谷区立松濤美術館のページ
http://www.city.shibuya.tokyo.jp/est/museum/index.html


町田の国際版画美術館に「好奇心がとまらない夏―― 版画がつくる 驚異の部屋へようこそ!展」と題された展示会に行く。ヨーロッパを中心に様々な奇妙奇天烈な題材の版画が展示されていた。その中でもJohn Martinという人のJohn Milton作の旧約聖書に題材を取った17世紀に書かれた一大叙事詩「失楽園」の挿絵となった版画が数点、展示されていて、ぼくを惹きつけた。
今夜は悪い夢でも見そうな、薄気味悪いような、なつかしいような、気がおかしくなりそうな、暗い白黒の微細に描きこまれた版画なのだった。歴史から忘れ去られた絵描きなのだろうか? 誰か知ってます? 悪魔の集会やら、悪魔たちの壮大な宮殿やら、地獄から果てしのない階段を昇り続ける天使やら、シュールで怖い。John Martin、18世紀と19世紀を生きたこの画家は"Crazy John Martin"と呼ばれたそうだ。
(コンピューターでの適当に間引きされたデジタル画像ではこの版画の気持ち悪い感じは全然わかりません。John Martinの実物の版画には本当に物狂いを感じます。)


世田谷美術館に「メキシコ20世紀絵画展」を見に行った。フリーダ・カーロは知っていたが、それ以外にもさまざまな20世紀のメキシコの絵画が展示されていた。
メキシコでは絵画が高尚な芸術であるとともに、庶民にも開かれた表現であるべきだと考えられ、さまざまな壁画が描かれてきたという。岡本太郎はメキシコを旅した時、ここに自分のイミテーションがたくさんあると、彼独特の賛辞を送ったという。その源流であるらしいホセ・グァルーぺ・ポザダの版画展が併設展として、1つのフロアでひっそりと開かれていた。この版画展がおもしろかった。ポサダは主に1910年代のメキシコ革命時に活躍した人で、当時の風刺新聞のようなものに骸骨の版画を載せた。かっこいい革命家も美しい花嫁もはらぺこな貧民も着飾った富豪もすべて骸骨の絵になっている。その骸骨が生と死を行き来する過激なユーモアのようでもあるのだ。ポサダの版画はぼくを心地よく困惑させてくれる。何もかんも骸骨にしちまえってんだ。ポサダは骸骨の絵にこんな詩のようなものを添えている。
「地上に生きるすべてのものたちよ
この愛にあふれた墓地を見よ
そこには秘められた喜びや悲しみがある
愛に溢れたふたりの骸骨が歩いていく」
今でもメキシコを旅すると、ありとあらゆるところで骸骨の絵が目につくという。骸骨の国、メキシコ?
そういえば、ポサダの同時代の明治の日本人に宮武外骨という人がいて、その人はもっぱら自由な言論人で、自ら風刺新聞のようなものを発行していた。その名は「愛嬌新聞」という。この新聞の発行に際し、本人の入獄二回、関係者の入獄三回、罰金刑十三回、発行停止4回、発行禁止という筆禍が連なる。自らをこう言っていたそうだ。
「過激にして愛嬌あり」
骸骨、万歳!
