えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
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村山槐多の絵を見に渋谷区立松濤美術館(シブヤクリツショウトウビジュツカンと読みます)に行ってみた。「ガランスの悦楽 没後90年 村山槐多」とタイトルされた美術展が開かている。槐多の絵は以前、長野県上田市の信濃デッサン館で見たことがある。前の大戦で戦没した画学生の絵ばかりを集めた無言館を見に行った時、近くにこの信濃デッサン館もあると知り、行ってみたのです。その時は無言館の絵に静溢な感動を覚えたのだが、戦争というのはたやすく人の運命をもてあそぶと感じたりもした。その後に行った信濃デッサン館で槐多の「尿をする裸僧」という絵が飾ってあり、強烈に情熱的な絵を描く人だなぁと思った。その「尿をする裸僧」の絵が頭から離れなかった。
今、再びたくさんの絵の中の「尿をする裸僧」の絵を見て、この絵だけが特別のような気がした。22歳と5ヶ月で逝ってしまった槐多の絵の中で「尿をする裸僧」は最も後期の作品で、この絵だけ底が抜けているというか、たがが外れているというか、最後にこの絵を残して逝ってしまうのかと思った。
高村光太郎に「火だるま槐多」と呼ばれた村山槐多だけど、生涯赤貧で、激しい詩も残している。例えば有名なこんな詩がある。
「血染めのラッパ吹き鳴らせ
耽美の風は濃く薄く
われらが胸にせまるなり
五月末日日は赤く
焦げてめぐれりなつかしく
ああされば
血染めのラッパ吹き鳴らせ
われらは武装終へたれば。」
けれども、絵を見れば、「尿をする裸僧」以外は、静かな寂しさをたたえているようなのだ。ガランスとは茜色のことだけど、それは槐多が生涯愛した色で、それは血の色というより、すべてを闇に包む前のどこまでも広がる夕焼けの寂しいけれど一番美しい色でもあったのではなかろうか?
渋谷区立松濤美術館のページ
http://www.city.shibuya.tokyo.jp/est/museum/index.html
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町田の国際版画美術館に「好奇心がとまらない夏―― 版画がつくる 驚異の部屋へようこそ!展」と題された展示会に行く。ヨーロッパを中心に様々な奇妙奇天烈な題材の版画が展示されていた。その中でもJohn Martinという人のJohn Milton作の旧約聖書に題材を取った17世紀に書かれた一大叙事詩「失楽園」の挿絵となった版画が数点、展示されていて、ぼくを惹きつけた。
今夜は悪い夢でも見そうな、薄気味悪いような、なつかしいような、気がおかしくなりそうな、暗い白黒の微細に描きこまれた版画なのだった。歴史から忘れ去られた絵描きなのだろうか? 誰か知ってます? 悪魔の集会やら、悪魔たちの壮大な宮殿やら、地獄から果てしのない階段を昇り続ける天使やら、シュールで怖い。John Martin、18世紀と19世紀を生きたこの画家は"Crazy John Martin"と呼ばれたそうだ。
(コンピューターでの適当に間引きされたデジタル画像ではこの版画の気持ち悪い感じは全然わかりません。John Martinの実物の版画には本当に物狂いを感じます。)
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世田谷美術館に「メキシコ20世紀絵画展」を見に行った。フリーダ・カーロは知っていたが、それ以外にもさまざまな20世紀のメキシコの絵画が展示されていた。
メキシコでは絵画が高尚な芸術であるとともに、庶民にも開かれた表現であるべきだと考えられ、さまざまな壁画が描かれてきたという。岡本太郎はメキシコを旅した時、ここに自分のイミテーションがたくさんあると、彼独特の賛辞を送ったという。その源流であるらしいホセ・グァルーぺ・ポザダの版画展が併設展として、1つのフロアでひっそりと開かれていた。この版画展がおもしろかった。ポサダは主に1910年代のメキシコ革命時に活躍した人で、当時の風刺新聞のようなものに骸骨の版画を載せた。かっこいい革命家も美しい花嫁もはらぺこな貧民も着飾った富豪もすべて骸骨の絵になっている。その骸骨が生と死を行き来する過激なユーモアのようでもあるのだ。ポサダの版画はぼくを心地よく困惑させてくれる。何もかんも骸骨にしちまえってんだ。ポサダは骸骨の絵にこんな詩のようなものを添えている。
「地上に生きるすべてのものたちよ
この愛にあふれた墓地を見よ
そこには秘められた喜びや悲しみがある
愛に溢れたふたりの骸骨が歩いていく」
今でもメキシコを旅すると、ありとあらゆるところで骸骨の絵が目につくという。骸骨の国、メキシコ?
そういえば、ポサダの同時代の明治の日本人に宮武外骨という人がいて、その人はもっぱら自由な言論人で、自ら風刺新聞のようなものを発行していた。その名は「愛嬌新聞」という。この新聞の発行に際し、本人の入獄二回、関係者の入獄三回、罰金刑十三回、発行停止4回、発行禁止という筆禍が連なる。自らをこう言っていたそうだ。
「過激にして愛嬌あり」
骸骨、万歳!
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竹橋の国立近代美術館に「ゴーギャン展」を見に行った。ゴーギャンというとサマセット・モームの「月と六ペンス」という小説を思い出す。どの流派にも属さない19世紀末の絵かきの異端児、反逆児は月のような手に届かない最高に美しいもの求めながら、六ペンスに苦しんでいた。つまり、貧乏とまわりの無理解。34歳で絵筆を取り始め、55歳で1960年代のロックスターのように薬物の過剰摂取によって南の島で逝ってしまうまで終生、それはつきまとった。
「我々はどこから来たのか、我々は何者なのか、我々はどこに行くのか」という大きな絵が飾られた部屋の中に入ったその時、ぼくに鳥肌すら立ったのだった。
「月と六ペンス」のことを一生懸命ぼくに話してくれた友だちには、最近会っていないけれど、どうしているんだろう? 今度会ったときには、きみに新しい歌を聞かせてあげる。
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人材紹介会社に面談に行った。求人自体が、去年の秋からめざましく減って、今は最盛期の半分以下なんだそうだ。転職斡旋会社も大変らしく、ぼくの担当として話してくれた人は、別れまぎわに、求人企業に向けての新規営業の話などのことを言っていた。
この面談に来る途中の道で煙草を入れたポーチを知らない人に拾ってもらった。歩いていると、後ろの方から、落としましたよの声がして、それはぼくのことだった。その気遣いがうれしかった。人材紹介会社で面談してくれた人もとても誠実な人で親身なアドバイスをいだたけた。うれしかった。誰かにこのやさしさを返したいと思った。
その足で上野の国立博物館に行った。阿修羅展が開催されている。仏像を見に来る人は、おじぃさん、あばぁさんばかりかと思っていたけれど、老若男女さまざまな人が来ていた。かなりの混みようで、博物館に入るまで一時間半ほどかかった。人々のざわめきの中でいろんな仏像を見つめていると、一人、平和な静寂に引き込まれるようだ。不思議。ぼくの後ろにいる人は誰だろう?
(写真の女性はたまたま写ってしまった知らない人です。こういう若い女性もいっぱい見にきていました)
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イリヤ・カバコフというロシア出身の現代美術家(今はニューヨーク在住で現代の最先端を行くインスタレーション作品を発表しつづけている)がソビエト連邦時代に描いた絵本とその原画を一同に集めた展覧会に世田谷美術館に行ってきた。
100冊分もの絵本の原画を見ながら、昔、このような科学と空想の夢物語があったなぁと思う。当時はソビエトの社会主義の完全な言論の統制下にあり、すべてにおいて、厳密な検閲のもとに置かれたこれらの作品をカバコフ自身は、自分で描いたものではでありながら、自分で描いたものではなく、彼ら(ソビエトの当局)が描いたものであると、今は述懐しているし、これらを「紙クズ」とも呼んでもいるそうだ。しかし、この懐かしさは何だろう。科学の技術の進歩と勤勉な労働がもたらす明るい未来と教訓。作品のとことどころに白く塗りつぶされた跡や作品に紙が貼られ、あるものはそのまま白い紙のままであったり、更に描き加えられたあとは、多分、その検閲の跡であるだろう。その塗りつぶされた何かとは何だったんだろう? 想像力がふくらむ。もう一つの今はない社会の中で、これらの絵は、ぼくたちの社会の中での、商品を売らんが為の大量の広告物のもののようなものであったりするのかもしれない。それらの背景とは別に、たくさんの水彩画は不思議なかわいらしさ、美しさに満ちていて、ぼくを惹きつけもしたのだ。
これらの公開された、当局の意のまま作品とは別に、過酷な抑圧下にありながらも、密かに描かれつづけられた作品があるのだが、今回の展覧会では見ることはできなかった。ぜひ、それらをこの今回見れた、平凡で穏やかで明るく美しく、なぜか懐かしい絵本作品と並べて見てみたい。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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