えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

勤め先が赤坂にあり金曜の会社帰りにはよく首相官邸前のデモというか抗議集会に参加するのだが、そこで奈良美智さんの"No Nukes"のポスターをよく見る。どんなアーティストなんだろうと思い、開催し始めた展覧会「奈良美智:君や僕にちょっと似ている」を見に、横浜美術館に行ってきた。
時流に乗った現代アーティストなんて、ろくでもないものかもしれないとも思い、あまり期待もせずに出かけたのだけど、ぼくの予想は大きく外れる結果となってしまった。昨今、子どもの自殺がニュースを賑わしていることも思い出し、その自殺した子が、おばあちゃん、ぼく死にたいんやともらしていたらしいことに、やりきれなさも感じていたのだけど、奈良美智の描く子どもは、ぼくにあの時のイノセンスを、みるみるうちに甦らせたらしい。ぼくは感動した。
しかも奈良さん、パンクロックを筆頭とするロック・ミュージックが大好きらしいのだ。この展覧会に小さなオブジェをたくさん展示してる部屋があるのだけど、そこに、まわりのオブジェとすっかり馴染んだラモーンズのポスターが貼ってあった。奈良さんは青森の生まれというから、ボアダムズのアイさんの兄貴分というところだろうか。そうだ、ぼくも奈良さんといっしょになって、絵の中の子どもたちとともにロックン・ロールを前にして雄叫びをあげよう。
Hey! Ho! Let's Go!


山梨を旅して、渓谷の観光地、昇仙峡に行ってきた。川に大きな岩がごろごろとある、ある種の奇景が見れる観光地は日本の中でも代表的な水晶の産地であるらしい。水晶の売店がたくさんある中、昇仙峡影絵の森美術館というのがあって、入ってみた。
藤城清治さんの影絵がたくさん展示してあった。懐かしく、かわいらしく、美しいこの影絵たち。暗い部屋で光源を後ろから照らす、たくさんセロハンを微妙に組み合わせた藤城清治さんの実物の影絵のこの美しさは、別の方法では再現できないものだと思った。
藤城さんは1960年代に一世を風靡した、カエルのアイドル、ケロヨン生みの親でもある。ぼくは、日本にポップカルチャーがあるのなら、藤城清治こそがそのポップアートの始祖のような人であると思う。
影絵の世界の住人であるケロヨンことカエルのケロちゃんやコビトたちをマスコミやらテレビやらで見なくなってから久しいけれど、なんと彼らは、地方の美術館であのころと同じように遊んでいるようなのだ。その遊びにひととき、ぼくもまぜてもらおう。
昇仙峡影絵の森美術館のページ
http://www.kageenomori.jp/index.html


「異教 西江雅之写真展」に行ってきた。小さな写真展だったけれど、文化人類学者、言語学者の西江さんのエッセイはたくさん読んでいるし、その世界の小さな切れ端に少し、じかに触れることができたような気がした。
会場である世田谷区三軒茶屋にある生活工房に着くと、背の高い白髪の紳士がそのロビーに歩いていたのだけど、その人が西江雅之さんであることはすぐに分かった。声をかけられなかったのはなぜだろう。
ぼくの好きな写真家に藤原新也さんがいるのだけど、西江さんの写真は藤原さんの写真とはまったく違った印象を残す。西江さんの写真は、物語ではなく、率直な驚きとその驚きによる美しさなのだ。この写真の中の人々とその文化はすでに失われたと西江さんは言っている。ぼくは当惑し、もっとたくさんの写真を見たいとも思い、その驚きの美しさにもっと浸りたいとも思い、とむらいのような気持ちにもなる。西江さんの相反する二つの言葉を引用したいと思う。そこに何か西江雅之さんの表している世界の美しさの不思議を解く鍵のようなものがあるのかもしれない。
「私にとって人間は目の前に見える景色ではなくて、すぐそばで生きているのだ」
「自分の皮膚の外はみな異郷である」


東京都写真美術館に「生誕100年記念写真展 ロベール・ドアノー」を見に行った。ロベール・ドアノーの「パリ市庁舎前のキス」はたくさんの人が知っている写真かもしれない。ロベールは、郊外を含めたパリの街も、町も、もちろん、パリの人々も愛していた。自分を芸術家と呼ばないでくれ、と言ったロベール。そんな、彼の写真が1970年ぐらいを堺に変わっていく。変わって無くしていったその良き風景は、なんとも愛らしい写真として残ったのだけど、ぼくは、ここ日本でも同じようなことが起こっていたのではないか、といぶかしく思い、世界の同時代性というようなことを考えてしまう。そして、展覧会で見たロベールの写真のノスタルジーに心のうずく何かを感じてしかたがなかったのです。


埼玉県立近代美術館の「草間彌生 永遠の永遠の永遠」と題された展覧会に行ってきた。草間彌生さんの最新作を見た。そういえば、かなり、昔、美術館で草間彌生さんの回顧展を見た時、人もまばらで、やっぱ、こういう人は日本では理解されないのかなぁ、と思ったのだけど、今回の埼玉県立近代美術館ではいろんな世代の女性を中心に、本当にたくさんの人たちが草間彌生さんの芸術を鑑賞していた。それから、子どもづれも多かったな。子どもにも大人にも草間彌生さんの芸術は通じそうだし、難しいことを考えずに、驚いて、言葉にできない何かを感じればいいのではなかろうか。
何年間も草間彌生さんの芸術に注目し、どこか近くで展覧会があると必ず見に行っているぼくだけど、ここ数年の彼女の芸術の変化を感ぜずにはいられない。何か絵に喜びが溢れているのです。何度も美術館の中を往復し、この喜びと幸せに浸りたい、と思わずにはいられなかった。いろんな時に何度も見た草間彌生展だけど、こんなふうに感じたのは初めてだ。
地下一階の吹き抜けになったホールに巨大な水玉の女の子の風船のオブジェが、ふわふわと置かれていて、そこでビデオが放映されている。数分間、1960年代の、前衛の、ハプニングの女王を呼ばれた若い草間彌生がモノクロ映像でテレビ・モニターに写る。まぶしいほどに、輝いている。ぼくは五十年前のニューヨーク在住の日本人の若い女性アーティストに恋をしそうになったのかもしれない。
草間彌生、最高!


数年前、ぼくは初めてオグリ昌也くんのギター弾き語りの歌を小田急相模原のバー、スクールオブロックで聴いたのだった。カントリーブルースでの日本語オリジナルの弾き語りをぼくはいいなと思い、その後も、何度か、スクールオブロックで聴いた。いつか、スクールオブロックにはオグリくんの絵が何枚も飾られていた。ある一枚の絵に惹かれ、オグリくんに、売ってくれないか、と話しかけたことがある。オグリくんに、あれは売り物じゃないですから、とあっさりこ断られた。しかし、数ヶ月後、ぼくが欲しかった絵は、スクールオブロックから無くなっていた。どうしたのだろう、と思った。さらに数ヶ月たち、風の便りでオグリくんは神奈川県から西の方へ帰っていたことを知った。ぼくは心のなかで、ひとりごちた。オグリくんがどういう理由で神奈川から離れていったかはよくは知らないけれど、例えば、オグリくん、放射能からは逃げられても、きみもぼくもブルースからは逃れられないのさ。ぼくたちはそういうやつらなんだ。ブルースは忘れない方がいい。
今でもオグリくんは歌っているというのも風の便りで聞いた。数ヶ月後、スクールオブロックの近所の雑貨屋、ぼくはエルトピートで歌うこととなった。歌う前に、いろんなものが雑然と売られている、大きなおもちゃ箱のような店内を見てまわると、ぼくの欲しかったオグリくんの絵が飾られていた。あれも売っているのですかと尋ねると、売っているとの答え。ぼくは、ずっと心のなかで気になっていたあの絵を手に入れた。今は、ぼくの家の部屋に飾れているのです。
オグリくん、また再び、どこかでいっしょにライブして、お酒を呑もう。その時はおごってあげるよ、きみがブルースを忘れない限りは。ブルースは忘れない方がいい。
オグリ昌也くんのmyspace
http://www.myspace.com/oggy6954
オグリ昌也くんmyspaceの中にある画集のページ
http://www.myspace.com/oggy6954/photos/albums/album/408203#mssrc=SitesPhotos_SP_AlbumCover_ViewAlbum
http://www.myspace.com/oggy6954/photos/albums/album/210639#mssrc=SitesPhotos_SP_AlbumTitle_ViewAlbum
スクールオブロックのブログ
http://blog.goo.ne.jp/ryusisekine
エルトピートのページ
http://www.el-topito.com/
今でもオグリくんは歌っているというのも風の便りで聞いた。数ヶ月後、スクールオブロックの近所の雑貨屋、ぼくはエルトピートで歌うこととなった。歌う前に、いろんなものが雑然と売られている、大きなおもちゃ箱のような店内を見てまわると、ぼくの欲しかったオグリくんの絵が飾られていた。あれも売っているのですかと尋ねると、売っているとの答え。ぼくは、ずっと心のなかで気になっていたあの絵を手に入れた。今は、ぼくの家の部屋に飾れているのです。
オグリくん、また再び、どこかでいっしょにライブして、お酒を呑もう。その時はおごってあげるよ、きみがブルースを忘れない限りは。ブルースは忘れない方がいい。
オグリ昌也くんのmyspace
http://www.myspace.com/oggy6954
オグリ昌也くんmyspaceの中にある画集のページ
http://www.myspace.com/oggy6954/photos/albums/album/408203#mssrc=SitesPhotos_SP_AlbumCover_ViewAlbum
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横浜美術館の「マックス・エルンスト展」に行ってきた。マックス・エルンストは前世紀の前半に活躍したシュールリアリズム絵画の最も有名は一人です。一枚、とても気になり、惹かれる絵があった。それは「自由の賞賛」という絵で、暗い森に真っ白い鳩が光りながら、翼を休めているというもの。エルンストの絵にたくさんの鳥をモチーフにしたものがあるのだけど、ウィキペディアによると、高校生時代(1906年)、愛鳥であるインコのホルネボムが死んだ次の朝に、母親が妹ロニを出産した、少年マックスは妹が鳥の精気を吸収してこの世に生を受けたと信じ、それ以後鳥のイメージが彼の重要なモチーフとなった、ということだ。この「自由の賞賛」の絵の数年後、エルンストの絵は、軽く、明るく、自由になり、ユーモアすら満ちている、そんな自由を謳歌するような絵になるのを、ぼくはこの展覧会で見つけたのだった。その謳歌するような自由をエルンストが絵を描いて見つけたように、ぼくは歌を歌って見つけたい、とふと思った。
