えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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毎朝、NHKの朝ドラ「ばけばけ」の主題歌、ハンバートハンバートの歌う「笑ったり転んだり」に癒されております。この曲を聴くと、ほっとしますな。



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十月十四日、新宿末廣亭にて令和七年十月中席です。見た演目を書き出してみます。前座の三遊亭夢ひろくんの「他行」、二つ目の三遊亭花金くんの「やかん」、春風亭吉好師匠の「熊の皮」、国分健二さんの漫才、春風亭笑好師匠の漫談、日向ひまわり師匠の 講談「木っ端売り」、ぴろきさんの漫談、春風亭柳太郎師匠の「カレー屋」、三遊亭竜楽師匠の「蛙茶番」東京ボーイズのお二人の歌謡漫談、桂伸治師匠の「替り目」、三遊亭円丸師匠の「お菊の皿」で仲入りです。雷文音助師匠の「宮戸川」、東京太さんの漫談、三遊亭遊馬師匠の「転失気」、春風亭柳好師匠の「なめる」、鏡味正二郎師匠の太神楽曲芸 、主任は春風亭柳之助師匠の「子別れ」でした。

その後、新宿から中野に列車で移動し、なかのZERO小ホールで『桃花一葉』という落語の二人会を見ました。見た演目です。蝶花楼桃花師匠と桂二葉師匠のトーク、前座の三遊亭東村山くんの「牛ほめ」、桂二葉師匠の「看板のピン」、蝶花楼桃花師匠の「元禄女太陽伝」で仲入りとなりました。蝶花楼桃花師匠の「やかん」、主任は桂二葉師匠の「子は鎹(子別れ)」でした。

今日はなんといっても桂二葉師匠の「子は鎹」です。関西弁で語られる人情噺に江戸の粋ではない上方の伝統の深い根っこを感じます。すごくいいものを聴いたという感じです。感動しました。がつんとやられました。素晴らしい人が出てきたものだ。

暗いこの世のつらさ忘れ、落とし噺は心のオアシスです。
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ガザの停戦を心から喜べない自分がいる。イスラエルは70年以上、民族差別、民族隔離、民族虐殺を行ってきた国だ。世界の心ある人はイスラエルをさらに注視し、何かあれば、ただちに抗議の声をあげなくてはならない。
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『猫と藤田嗣治』を読みました。藤田嗣治の画集なので、読んだというより見たというほうがいいのかもしれません。監修をポーラ美術館の内呂博之さんが行い、文を美術ライターの浦島茂世さんとネコ研究者の荒堀みのりさんが書いた本です。生涯にわたって藤田嗣治は、ここにも猫がいる、あそこにも猫がいる、といった具合に、戦争画の数年間の期間を除いて、猫を描きつづけたのでした。ピカソの鳩、藤田の猫、とぼくは思うのでありまして、しかも、藤田嗣治の猫は、躍動感に満ち、生きているかのようで、いかにも可愛く、藤田自身の猫への愛を感じてしまうのであります。

猫と藤田嗣治
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府中市美術館で『フジタからはじまる猫の絵画史 藤田嗣治と洋画家たちの猫』を見ました。戦前期の藤田嗣治の何気なく描く猫がリアルでありながら、かわいい。戦後はカリカチュアされた猫なども藤田はいっぱい描いている。本当に猫が好きだったんだ。藤田は日本画で「猫」も描いているのだけど、自ら日本画を知っていたから西洋で自分の絵が認められた、などと語っていたらしい。付け加えるに、西洋では単なる動物で背景や象徴にすぐぬものが、日本では心のある生きものなのです。真言宗の胎蔵界曼荼羅にはたくさんの心ある生きものも描かれているではないか。などという講釈はここまでとして、日本画からは、原在明の「虎耳草と猫図」、菱田春草の「黒猫」、岸田劉生の「眠猫」なんかがまたいい。ひさしぶりに熊谷守一の「白猫」も見れました。中村寛の「猫の子」や長谷川潾二郎の「猫と毛糸」のもふもふ感。猫好きにはたまらない垂涎の展覧会のようです。
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五木寛之さんの著した『あきらめる力 毎日を愉しむ48のヒント』を読みました。面白くて、ほぼ一気読みです。問答形式で五木さんが、いろんなことの雑感を述べておられます。悲観による人生の肯定というようなことに、ぼくは共感してしまいます。五木寛之さんの本はたくさん読んでいて、ぼくの日本に対する見方は、五木さんの日本の見方によるところが大きいことに、今さらながらに気づきました。ということで、これから読んでみたい本のリストに五木さんの『日本のこころ』シリーズも加わりました。五木さんは近ごろ、長大な『青春の門』の続編を書き始めたそうです。五木寛之さんはフランスのギ・ド・モーパッサンのような偉大な作家だと思います。

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上坂次郎さん、福富太郎さん、川田明久さん、丹尾安則さんの四方の共著による『画家たちの「戦争」』を読む。戦争画とはどういうものか、この一冊でよくわかりました。第二次世界大戦時の日本の軍部はいわゆる戦争画を描くことを推奨していた。軍部の注文による「戦争記録画」もたくさん描かれた。柳条湖事件の1931年から真珠湾攻撃のあった1941年までの中国との戦争で、軍部は大義も挙げられない戦争に戦争画を重宝したという。1941年からアジアの解放だの大東亜共栄圏だのと唱え始めるのだが、それも虚しい呪文に終始し、アジアにおびただしい死をもたらした。

この本で取り上げられている絵が、はたして芸術なのか、軍国主義プロパガンダの宣伝にすぎないのか? 多くは宣伝でしかないだろうが、藤田嗣治の「アッソ島玉砕」や「サイパン島同胞忠節全うす」、小早川秋聲の戦時中は軍部の受け取りと天覧を拒否され、戦後に散る桜の花を作者自身により黒く塗り足された「国の楯」にぼくの心は揺らいでしまう。この三点は展覧会でも見たことがあって、忘れられない。

藤田は画家仲間や批評家の言葉の暴力により一人、戦争協力の汚名を被るようにして、なかば国外追放。フランスでフランス人として客死。小早川秋聲は終戦時、戦犯として捕らえられることを覚悟していたという。小早川は戦後、長く患い、大作は描かないようになり、依頼された小さな不動明王などをほそぼそと描いて過ごしていく。「アッソ島爆撃」で日本軍の爆撃機を描いたシュールレアリストの小川原修は、戦争協力の咎により戦後、美術文化協会を除名となり、生まれ故郷の北海道に戻り、ほそぼそと絵を描きつづるける。その戦後の作品「群れ」は傑作で、小川原の胸の内を生々しく吐露しているかのようなのだ。

無条件な日本万歳というような文章、絵、歌が日本に現れた時、日本に戦争は近く、日本が再びすべてを失う時も近いのかもしれず、それは今なのかもしれない、とぼくは恐れ慄きもするのです。

画家たちの「戦争」 - 福富太郎、河田明久、丹尾安典
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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