えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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あるテレビ番組で、文化人とか評論家と称する人たちがこんな言葉を言っていた。

「参院選に敗北した民主党はパーシャルな連合をこれからは模索せざるえなくなったのですよ」

「パーシャルな連合」って何だと思い、調べてみると、「部分的な連合」というような意味らしい。このように言い換えられる。

「参院選に敗北した民主党は部分的な連合をこれからは模索せざるえなくなったのですよ」

もっと分りやすく言うと、「参院選に敗北した民主党は、政策ごとに協力できる他の党との連合をこれからは模索せざるえなくなったのです」ということだろうか? カタカナばやりの今の世の中は明治以来の西洋への劣等感のなれの果てなのだろうか? 例えば、ガバナンスとは統治、コンプライアンスは法令遵守、パラダイムというのはある時代や分野において支配的規範となる物の見方や捉え方なのだそうだ。他にもこんなカタカナの言葉があふれかえっている。カタカナ万歳の世の中です。

海の向こうの概念をこのように、海の向こうのものだと明示しつつ、受容できる日本語の不思議さも感じ、そのカタカナは日本語にとって必要なものだとは思うのだけど、カタカナを連発する文化人たちに、赤塚不二夫の漫画「おそ松くん」に出てくるキャラクター「イヤミ」のような胡散臭さを感じてしまう。シェー!!

日本語に翻訳不能な英語の単語が、ぼくの好きなアメリカのリズム・アンド・ブルースにはあって、それらの歌に出てくる"baby"や"honey"は日本語には変換できそうにないなー。だから、ぼくはカタカナで「ベイビー」と歌うのです。「ベイビー」を歌えるのは、例えば、キヨシローとかぼくとかそう多くはない。自負しますと言い、照れ笑いしております。
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サッカーのワールド・カップを見ながら随想する。

例えば、日本代表の本田選手、ロシアのプロリーグで活躍しているそうだ。ヨーロッパの北の果ての国、ロシアから見える日本という故郷はどんな風に写っているのだろうか?

ワールド・カップが国と国との戦争だと言われることもあるが、国威発揚のための国歌や国旗について思いをめぐらし、人の思いの中には、国を愛する気持ちと、国を愛せない気持ちが錯綜しているのではないかとも思う。昔、ローリング・ストーンズのキース・リチャーズがイギリスにしろ、アメリカにしろ国歌なんて好きじゃない、たいがいの国歌なんて、つまらないと言っていた。

国旗というと、NBAのスター、マイケル・ジョーダンが試合の前のアメリカ合衆国の国旗の掲揚の時、たいがい、目を伏せて国旗から目をそらしていた。その当時、NBAの試合ではアフリカン・アメリカンはまともに揚げられる国旗を見ようとはしなかった。ただ、マイケル・ジョーダンのいいところは、たまに国際的な試合では、国旗を見ていたこともある。ぼくは、そういうかたくなではなく、ゆれ動くような人間の方が信じられるような気もするということ。NBAの試合でマービン・ゲイの歌うアメリカ国歌は良かったなー。

日本の国旗が揚げられたり、国歌である「君が代」を聞くときのぼくの違和感は愛国心というようなこと以前の何かであることに気付きもする。それは、第二次世界大戦以前の近代日本の軍国主義的はものに対する違和感であるようなのだ。国際的な試合でよく見られる、日本の国旗に寄せ書きをしたりしたものや、なぜか日本の国旗に"JAPAN"と英字で上書きしたものが見られるのだけど、もしかして、それは、ぼくの感じている違和感のようなものから自由になろうとしての発露なのかもしれないとも思うのだが、どうだろう?

三島由紀夫は全共闘との討論で、気がつくと国家なんてなかったと言われ、きみは国際人として生きていけばいい、私は日本人として生きていくと、共感めいた笑い顔で宣言していた。たしか、その1年後、三島は、自衛隊に、武士の魂はどこに行ったんだ、いつまでも自衛隊はアメリカの傭兵でいいのかと言って、切腹したのだけど、その百年前の吉田松陰は自ら死を選ばなかった。

サッカーは激しく走りまわるコンタクトスポーツで四年後には、また、新しい顔が出てくるだろうし、それは今年のワールドカップの何かを継承しているだろう。

人々の世代を越えて引き継がれるある集合体の無意識を含めた意識は、忘れられることもなく引き継がれ、それは暗い未来を指し示す地図のようなのだけど、それを超越した何かが現れる予感はしませんか?

日本も先進国の落ちこぼれのようなになってしまって、だから、サッカーで戦う姿がいとおしい。

日本が敗れた今、パラグアイとガーナを応援します。

おやすみ...ZZZzzzzzzzzzz...........
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今日、またテレビでバビロンの大淫夫(男だったので淫婦ではなく淫夫)がのたまっていた。こんな会話。テレ朝の「サンデーフロントライン」という番組でこんなことを言う経済学の大学教授がいた。

バビロンの大淫夫「おまえの奴隷小屋に住まわせてやっているのに今まで百万円払わせてやっていたが、これからは二百万円いただくこととする」
神の子羊「えっ、そんなお金もうありません」
バビロンの大淫夫「いいではないか、その増やした百万円でおまえはを雇って、仕事をくれてやる。その百万は働けば戻してやるよ」
神の子羊「えっ?」
バビロンの大淫夫の内心声(しめしめ、これでさらに愚かな奴隷をただでこき使えるぞ)
神の子羊「それでは、ただ働きで手元に残るのは同じ百万円しかなくて、働いても働いでも私の暮らしは楽になりません」
バビロンの大淫夫の内心声(やべっ、ばれたか。奴隷でもものを考えるのか)
神の子羊「それに私にはもう払えるお金なんてないのです」

神の子羊の耳にははレゲエシンガー、グレゴリーアイザックス(Gregory Isaacs)の歌「奴隷監視官(Slave Master)」が聞こえてくる。

「奴隷監視官がおれを鞭打つたびに
おれには音楽を聴こえてきて、こう思うんだ
おれの欲しいものが手に入れられないのなら
この農場に火を付けてやって
おれは熱病のようになって
必要なものを手に入れようとする

いつだってまじめに働き、傷つき打たれ
ボスな何にもくれやしない
おれの欲しいものが手に入れられないのなら
この農場に火を付けてやって
おれは熱病のようになって
必要なものを手に入れようとする

音楽を聴くたびに仲間に呼びかける
奴隷監視官がうろつき、おれを鞭打つけれど
おれは善良な羊飼いだが、奴隷監視官はおれを飼いつづける
おれが働けるうちにもっと鞭打つがいいさ
おれの欲しいものが手に入れられないのなら
この駅に火を付けてやって
おれは熱病のようになって
必要なものを手に入れようとする

おれの欲しいものが手に入れられないのなら
この駅に火を付けてやって
おれは熱病のようになって
必要なものを手に入れようとする」
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辺野古移設「賛成」51%が毎日新聞の6月8日と9日の全国世論調査の結果だそうだ。自分の住む地域には米軍基地は要らないと言い、やっかいなものは押し付けて、沖縄は基地の島であり続けろ言うことなのだろうか? ショックだ。この日本という国はどうなるのだろう? きっと10年後に失ったもののあまりの大きさに気付くということになるのかもしれない。沖縄の次にはあなたの町や村がその番かもしれない。まさしくバビロンだ。バビロンに大淫婦はいるが、愛はない。奪う人はいるが、与える人はいない。今、Bob Marleyを聴いているんだ。Bobの歌う"Mr. Chatterbox"とは誰のことだろう?

「おしゃべりやさん(Mr. Chatterbox)、どのぐらい長生きした?
受け取るだけで何もくれない
あるとあらゆるところにニュースをばらまき
おしゃべりやさん(Mr. Chatterbox)、ごうせいなもんだぜ
おまえの頬と舌が
おまえをだめにするぜ
せいぜいうろつきな
おしゃべりやさん(Mr. Talkative)、そのうち後悔するぜ」

Bobの歌う"Nice Time"は風に乗って誰が歌っているんだろう?

「ながい間、おれたちにはいいことはなかったよ
あのことなんだ、きみのこと、考えてもみなよ
ながい間、おれたちにはいいことはなかったよ
あのことなんだ、きみのこと、考えてもみなよ

これはぼくのハートで
いつでもきみをロック(rock)していた
こらからも愛をあげるよ
きみの準備ができるまで
このぼくのハートは
どうにもできなくて
今もロック(rock)している
ぼくと一緒にロック(rock)しないかい?

ながい間、おれたちにはいいことはなかったよ」
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激しく揺さぶられ、胸に痛く刺さるものがあります。


http://www.youtube.com/watch?v=yq3GQ4-RmQo

おやすみ......ZZZZZzzzzzzz
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何度か沖縄を旅したことがある。ある旅では、沖縄の唄と三線の始祖と呼ばれる伝説の人、赤犬子を祀った赤犬子宮を訪ねたことがあった。本当に小さなお宮であったが、国道の脇でひっそりと、めったに訪れる観光客もいなさそうであった。近くには「やむちんの村」という陶芸家の人たちの集まったところろがあり、そこをふらっと見学した。のどかな沖縄の田舎のそこを訪れる人もほとんど見かけなかった。熱帯の熱さの中に昔ながらの沖縄があったような気がする。

赤犬子に話はもどり、お宮を見学したあと、ふとまわりを見ると、有刺鉄線が目に飛び込んで来た。神奈川県の相模原育ちのぼくはぴーんと来るものがあった。読谷村のこんなところにも米軍の施設があるのかと驚いた。沖縄にはいたるところに有刺鉄線があったし、今もある。基地の県、神奈川に暮らすぼくも驚いてしまうほど、沖縄はいたるところに有刺鉄線のある島だなーと思った。

その旅で沖縄市に向かう。その昔、コザと呼ばれた街の店の看板には日本語と英語が並んで表記され、通りは広々としている。コザ独立国の大統領を自称する漫談家でもあり唄者でもある照屋林助さんのお店を訪ねたのだった。広い通りを歩くと、そこはカリフォルニアの街ってこんなところかもと思わせられ、日差しが明るく、向こうの方に巨大な飛行場の有刺鉄線が見えもした。

金武町にもその旅では行った。その街は1960年代で時の止まったアメリカのゴースト・タウンのようだった。遠くから、米兵相手にならしたCondition Green(そういうウチナンチューのバンドがあった)のようなハード・ロックや生粋のリズム・アンド・ブルースではなくて、不思議なことにあの独特な三線の旋律が耳に聞こえた。

ぼくはアメリカの文化に惹かれているのだろうか? 多分そうだ。ホイットマンの詩、フォークナーの小説、リズム・アンド・ブルース、ロック、好きなものを上げれば尽きることはないのだが、それは戦争をするアメリカではなくて、もっと別のアメリカ。そして、同じくらいかもしれなく好きな嘉手苅林昌さんらの沖縄民謡、島唄。

沖縄の地の精に由来したかのようなウタギ(沖縄の神を拝めるところ)のような文化、唄の島、三線の響きに、ヤマトやチュウゴクやアメリカの文化が混じり合い、不思議な風情を持っている、沖縄はそのようなところだと感じたのだが、当のウチナンチュー(沖縄の人)も、そのような文化をチャンプルーと称して誇っているようなのだ。

ある道路沿いの市場のようなところでのこと。何やらアメリカ人の家族が車の脇で困っている。車の鍵を車内に閉じ込めてしまったようだ。ある見知らぬウチナンチューが、長くて細い金属の棒のようなものを持ってゆっくりやって来た。車の窓のかすかな隙間からその棒を曲げながら差し入れて、カチャカチャと果てしなく何かをし続ける。ずいぶん時間がたったころ、その細い棒で車のロックがやっと降りる。満面の笑みで「サンキュー」と感謝を表すアメリカ人。「ユアウェルカム」と答える沖縄の人。まわりではさざ波のように拍手がひろがった。

昨日、日本の総理大臣が沖縄の県知事に言った言葉にやりきれない虚しさを感じました。
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JAYWALKというバンドのボーカリストが覚せい剤取締法違反というので逮捕されてそのバンドのCDが出荷停止だという。ミック・ジャガーやキース・リチャーズが同じようなことで逮捕されて、ローリング・ストーンズのCDが出荷停止になったことはあっただろうかと思う。さらに、ポール・マッカートニーが同じようなことで逮捕されて、ビートルズが出荷停止になったことはあっただろうか? 昔、ショーケンこと萩原健一は同じようなことで逮捕されて、テレビ・ドラマや映画からはほされたけれど、コンサート・ツアーは続けて、その時のライブが「アンドレ・マルロー・ライブ」というライブ・アルバムにもなっている。そのアルバムを聴くと、ショーケンは、歌いながら、おれの真似すんなよ、仕事がないぞ、嫁が逃げたぞ、とかってわめいていて、なんともいとおしい、いかれた道化師だと思った。そして、キース・リチャーズが捕まった時は、その捕まった国がカナダで、終身刑になる可能性もあったのだけど、ストーンズ・ファンの盲目の少女のカナダ政府への嘆願とキース自信の盲人のためのチャリティー・コンサートの開催により放免になったのだった。

麻薬をすると三つの悪いことがあるとも思う。

一つは、逮捕されてしまうかもしれないこと。芸能人とか政治家は逮捕されても、一年後とかに、なんだかもとの鞘に収まっているということがよくあるのだけど、芸能人でも政治家でもないぼくたちはそうは行かない。田中角栄なんて人は逮捕された後も、闇将軍などと呼ばれ、当時の政治を支配していたという噂もあるけれど、ぼくたちはそうは行かないのだ。

一つは、身体にも精神にも悪影響はなはだしいこと。昔、深夜に見たテレビのドキュメンタリーで、覚醒剤中毒で入院した女性を取材していて、その女性はやけに普通の声でハキハキと、医師に、毎日同じ内容の新聞が配達される、どうしてなのかと訴えていた。ものすごく怖かったです。

一つはお金が途方もなくかかること。お酒を飲む人なら分かると思うのだが、お酒も覚え始めは少量ですぐに酔ってしまうのではないか。しばらくすると、量が増えていくのだけど、麻薬の場合は倍々に増えていって、元々、その筋の人からしか手に入らない高価なものだから、お金をどんどんたくさん使うことになってしまう。

お金がどんどん無くなり、健康の損ない続け、社会生活において圧倒的ハンデを背負うという三重苦が待っているかもしれないのを、興味本位で試そうとするお若いさん、よく憶えておきなはれ。そんなやついないか?

麻薬とは呼ばれないが、アルコールというものがある。酔っ払って、素っ裸になって、公園でわめき続けるような人もいるらしいのだが、もっと悪いのは、電車の中とかで酔っ払って暴力とかを振るう人もいるらしい。そういう人は酔いから覚めた後、酔っていてすいませんなどと言うが、もし運転中ならば、車を酔っ払って運転して事故を起こしたら、二重どころか四重、八重の重罪になることを知らないのだろうか? 事故を起こしました、すいません、酔ってもいました、すいません、ではないだろうか? お酒は理由にならんだろう。

などと考えていたら、おぁ、居酒屋行って、一杯、呑みたくなってしまう。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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