えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
法師温泉の長寿館へ旅をしました。インターネットを見ていて、その長寿館の湯船の写真が大好きな川瀬巴水の版画「上州法師温泉」そのままであるのを見て、とても興味をそそられ、行ってきました。
行きの足で、五徳山水澤観世音に寄り、自らの心身健康と世界の平和をお祈り申し上げます。御神籤をひくと「大吉」でとても幸先がよい。
「第九十九番 大吉
紅日当門照 こつじつもんにあたりててらす
暗月再重圓 あんげつふたたびちょうえんたり
遇珍須得宝 ちんにおうてすべからくたからをう
頗有称心田 すこぶるしょうありかならずすみやかならん
紅日とは能く照り輝く日なり
門に当りとは天のめぐみをうける意味
雲のかかった暗い月もはれて
ふたたびまどかな月を見る
珍に遭うてとは思いがけぬ宝をうる事あり
目上の人に引き立てられ出世立身すべし
大吉なり」
ゆめゆめうたがふことなかれ
法師温泉は水上温泉をさらに北に車を走らせ、群馬県と新潟県の県境の山の中、森の中にあって、長寿館は一軒家で明治時代の建てものが歴史のかなたから忽然と姿を現す。川瀬巴水の版画は長寿館の三つある湯船のひとつの法師の湯でところどころで黒いごろた石がしかれているところでぷくぷくと湯もわいていて、それがかすかに硫黄の香りただよう無色透明のこのうえない上質。しかも苔むした屋根の明治からの建てものが風情と情趣をさそう。あまりの素晴らしさに、ぼくは何度も湯船に足をはこんでしまいました。読んだ句。
窓に舞う紅葉ははらり湯はぷくり
館内の古い日本建築と屋根に見える太い黒い梁も美しい。飾られた調度品もぼくの心を歴史の向こうに誘うかのようなのです。
夕食は上州牛のステーキ、松茸の土瓶蒸し、鯉のあらいの刺身、岩魚の南蛮漬けなど、ぼくのあまり食べたことのないものも出て、どれもとても美味しい。地酒の「誉国光(ほまれくにみつ)」のきりっとした美味しさよ。
翌朝、館内を散歩していると流れている川に岩魚がおよいでいるのを見て驚く。毛鉤を投げて一匹ぐらい釣って、放ちたいものだ。けれども、釣り竿は持ってきてはいなく、今は禁漁期間です。読んだ句。
古旅館の秋の川には岩魚かな
帰りの足で濱名神社をお参りしました。国のこの重要文化財は修復中でありました。御神籤をひくと「中吉」。
「誠
どんな人生になるかは
誰にもわからない
どんな人生にするかは
あなただけが分かる
誠の心を持って生きよ
嘘や上辺の言葉は自分自身を裏切る
運勢中吉」
ゆめゆめうたがふことなかれ
行きの足で、五徳山水澤観世音に寄り、自らの心身健康と世界の平和をお祈り申し上げます。御神籤をひくと「大吉」でとても幸先がよい。
「第九十九番 大吉
紅日当門照 こつじつもんにあたりててらす
暗月再重圓 あんげつふたたびちょうえんたり
遇珍須得宝 ちんにおうてすべからくたからをう
頗有称心田 すこぶるしょうありかならずすみやかならん
紅日とは能く照り輝く日なり
門に当りとは天のめぐみをうける意味
雲のかかった暗い月もはれて
ふたたびまどかな月を見る
珍に遭うてとは思いがけぬ宝をうる事あり
目上の人に引き立てられ出世立身すべし
大吉なり」
ゆめゆめうたがふことなかれ
法師温泉は水上温泉をさらに北に車を走らせ、群馬県と新潟県の県境の山の中、森の中にあって、長寿館は一軒家で明治時代の建てものが歴史のかなたから忽然と姿を現す。川瀬巴水の版画は長寿館の三つある湯船のひとつの法師の湯でところどころで黒いごろた石がしかれているところでぷくぷくと湯もわいていて、それがかすかに硫黄の香りただよう無色透明のこのうえない上質。しかも苔むした屋根の明治からの建てものが風情と情趣をさそう。あまりの素晴らしさに、ぼくは何度も湯船に足をはこんでしまいました。読んだ句。
窓に舞う紅葉ははらり湯はぷくり
館内の古い日本建築と屋根に見える太い黒い梁も美しい。飾られた調度品もぼくの心を歴史の向こうに誘うかのようなのです。
夕食は上州牛のステーキ、松茸の土瓶蒸し、鯉のあらいの刺身、岩魚の南蛮漬けなど、ぼくのあまり食べたことのないものも出て、どれもとても美味しい。地酒の「誉国光(ほまれくにみつ)」のきりっとした美味しさよ。
翌朝、館内を散歩していると流れている川に岩魚がおよいでいるのを見て驚く。毛鉤を投げて一匹ぐらい釣って、放ちたいものだ。けれども、釣り竿は持ってきてはいなく、今は禁漁期間です。読んだ句。
古旅館の秋の川には岩魚かな
帰りの足で濱名神社をお参りしました。国のこの重要文化財は修復中でありました。御神籤をひくと「中吉」。
「誠
どんな人生になるかは
誰にもわからない
どんな人生にするかは
あなただけが分かる
誠の心を持って生きよ
嘘や上辺の言葉は自分自身を裏切る
運勢中吉」
ゆめゆめうたがふことなかれ
九月の二十九日から三十日にかけて山梨県の忍野へ釣りの旅をしました。泊まったところはいつもの忍野高原ホテルで、地元の人が忍野川と呼ぶ澄んだ湧き水を源流とする桂川でフライフィッシングをしましたが、釣果はボーズ(一匹も釣れないこと)にならなくてよかったという一匹。
ここにこれだけ釣り人が入っているのを初めて見て、驚きます。いつも停めている駐車場もぼくが駐車して満杯なのは、十月一日から禁漁の期間になるからかしら? その明日から来年の三月十四日まで、釣って放つ釣り人も、釣って放たない釣り人も川岸に立たなくなるのを魚たちはどう感じ、思っているのでしょう? この忍野の釣り人の多くは釣れば放つ人なのですが、魚たちは安心になったと思うのでしょうか?
魚たちよ、釣り人は川岸に立たなくなるけれど、川鵜には気をつけな。来年の春にまた会おう。
福島県の方を一泊二日の旅をしました。首都高のあたりで故障車の渋滞にまきこまれ、もっと早く福島に入れる予定であったのですが、既に夕方になっていて、どこにも行かず、湯野上温泉というとろのにしきやという宿、民宿に直行となりました。その宿が当たりでこざいました。黒い立派な木の梁のある古民家を改装した素敵な宿は隅々まで風情ある佇まいで、檜風呂の温泉も素晴らしく、夕食の会津料理の懐石料理がとても美味しかったのです。何でも台風の影響により、ぼく以外はキャンセルということで、静かさが気持ちよく、山間の集落の宿でゆっくりと鈴虫の歌うのを聞きながら、ぐっすりと眠りました。
翌日は、この旅の目当てでもありまする南会津の伊南川水系での渓流でのフライフィッシングをしました。舘岩川に入渓し、ボーズ(一匹も釣れないこと)でしたが、たった独りでの渓谷入りで、清浄なる景色の中、清浄なる空気をいっぱい吸った気がして、とてもよかったです。釣り道具を後片付けしていると、地元の知らない人から、釣れましたか、と声をかけられ、正直にゼロ匹でした、と応えると、その人も渓流釣りをたしなむらしく、釣れる小河川のことなどを教えてもらいましたよ。釣り人同士の、一期一会の美しい友情を胸に、降りだした雨の中、車を家路に走らせたのです。たくさんの渓流のある南会津。翌の春にはまた来たいな。
伊豆の松崎町に旅をしました。松崎町を流れる那賀川の上流で渓流釣りができるというのを聞いたのです。
三聖苑という古い明治の建物の残されているところで身支度を整え、毛鉤を出しながら川を上っていく。途中で知らない男の人にもっと五百メートル先のポンドとなっているところに魚がいついていますよ、とアドバイスを受け、上っていく。不思議なことにその人は、数年前に山梨県のヘルシー美里というところに泊まったときに出会ったその人でもあるような気がして、妙なな気持ちになりました。そのひとは、ぼくにとってユングのいうところの影のような存在か、むしろぼくの方がこの世界のあらぬ存在である影かもしれぬなどと妄想をたくましくしてしまいます。三時間ほど釣り上り、結果はボーズ(一匹も釣れないこと)でしたが、水の中を走り逃げる小さな魚は少なからぬ見たし、あの人が教えてくれたところに魚はたまっていたようにも思います。
泊まりはいつもの夕日のきれいな伊豆まつざき荘。夕食は伊勢海老、さざえ、あわびで贅沢な美味しさです。伊勢海老の頭を使った味噌汁が濃厚で美味しい。温泉風呂に入り部屋に戻るとき、どこかのお母さんと小学生の男の子が卓球部屋で卓球をしています。幸福とはこういうことをいうのではあるまいか、などと思います。
翌日もフライフィッシングです。昨日よりもさらに上流に車を走らせ、那賀川から池代川と名前を変える集落のところまで来ました。見回せばあたりにはわさび田もあるような村でございます。昨日と同じく帽子に遊漁証をくくりつけさらに上流にと釣りながら歩いて上がっていきます。魚が毛鉤を追う姿もはっきりと何度か目にしました。すると知らない女の人がぼくに大きな声で、なにやら白い紙のものをふりつつ、これ落としていないですか、と声をかけてくれます。車の近くにあったそうで、わざわざぼくの落とした入漁証届けに来てくれたのでした。釣果はこの日もボーズでしたが、思いがけずに人の心の暖かさ、善意と人情にふれて、ぼくは嬉しかった。その嬉しさを胸に家に向かって、帰ってまいりました。
奄美大島に二泊三日の旅をしました。
二晩ともギターを弾きながら歌を歌ってしまいました。一晩目は老舗のライブハウス「ROAD HOUSE ASIVI」でぼくの作った名曲「Garden of Love」を歌い、二晩目は矢沢永吉さんファンのマニア的なマスターのカラオケとスタジオとバーのお店「カエル」でぼくの作った名曲「祭りばやし」と「わが家に帰る」を歌ってしまって、地元の人もたくさんいて、あたたかく聴いてくれて、とても楽しかったのです。
何としても行きたかった「田中一村記念美術館」にも訪れたし、田中一村終焉の家にも行ってみました。晩年の一村の妥協をしない厳しい労働の日々と絵描きとしての芸術への献身を知りました。砂糖黍畑のつらなる中や美しい海の海岸線をドライブしたりもして、夕方から太田和彦さんも推薦している居酒屋「一村」で美味しい魚やら豚足を食べながら珍しい黒糖焼酎を飲んだりもしました。
あー、奄美大島の町や村の醸し出す深い旅情、ノスタルジーの空気にぼくの胸はぐっと打たれてしまいます。この島からぼくの好きな、シンガーの元ちとせさんや民謡の朝崎郁恵さんが出てきたと思うと感慨もひとしおで、名瀬のノスタルジックな街を歩きながら、半世紀前のこの街のどこかであまりにも偉大な唄者の里国隆が煙草のピースの空き缶を前に置き、今は弾く人の少なくなった奄美竪琴を弾きながら唄っていたのかと思えば、慄然としつつも、唄や歌の神、ブルースの神、音楽の神のつかさどる電流がぼくの心と魂に走るようでもあって、目を細めたり、見開いたりしつつ、ありし日の里国隆の姿をなんとか見ようともしていたのです。
発句しました。
朝花や夏の奄美のノスタルジー
二晩ともギターを弾きながら歌を歌ってしまいました。一晩目は老舗のライブハウス「ROAD HOUSE ASIVI」でぼくの作った名曲「Garden of Love」を歌い、二晩目は矢沢永吉さんファンのマニア的なマスターのカラオケとスタジオとバーのお店「カエル」でぼくの作った名曲「祭りばやし」と「わが家に帰る」を歌ってしまって、地元の人もたくさんいて、あたたかく聴いてくれて、とても楽しかったのです。
何としても行きたかった「田中一村記念美術館」にも訪れたし、田中一村終焉の家にも行ってみました。晩年の一村の妥協をしない厳しい労働の日々と絵描きとしての芸術への献身を知りました。砂糖黍畑のつらなる中や美しい海の海岸線をドライブしたりもして、夕方から太田和彦さんも推薦している居酒屋「一村」で美味しい魚やら豚足を食べながら珍しい黒糖焼酎を飲んだりもしました。
あー、奄美大島の町や村の醸し出す深い旅情、ノスタルジーの空気にぼくの胸はぐっと打たれてしまいます。この島からぼくの好きな、シンガーの元ちとせさんや民謡の朝崎郁恵さんが出てきたと思うと感慨もひとしおで、名瀬のノスタルジックな街を歩きながら、半世紀前のこの街のどこかであまりにも偉大な唄者の里国隆が煙草のピースの空き缶を前に置き、今は弾く人の少なくなった奄美竪琴を弾きながら唄っていたのかと思えば、慄然としつつも、唄や歌の神、ブルースの神、音楽の神のつかさどる電流がぼくの心と魂に走るようでもあって、目を細めたり、見開いたりしつつ、ありし日の里国隆の姿をなんとか見ようともしていたのです。
発句しました。
朝花や夏の奄美のノスタルジー
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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