えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

こんな夢を見た。ぼくは椅子も机もない大学の講堂のようなところにいて、そこにはたくさんの人が集い、その中で立って待っている。今日はそこで村八分のレコード「ライブ」の視聴コンサートらしいのだ。長髪のDJが舞台にあがり、レコードをかけ始めると、舞台のスクリーンにムービーが映し出される。はじめは1970年代のいつかの冬の遊園地にあったかのようなスケートリンクにたくさんの人々がスケートをすべる映像で、次はどこかのサーカス小屋の蒸し暑い屋根裏で上半身が裸の男とTシャツ姿の男が何やら仕込みらしい作業をする映像。そして、かっこいい村八分のライブ映像が映し出される。ふと隣を見ると、村八分のギタリストで、山口冨士夫の古友達で長いことバンド活動を共にしていたアオちゃんこと青木真一さんがいる。青木さんにぼくは、山口冨士夫の活動の中でティアドロップスが一番、好きでした、追っかけみたいにライブハウスに通っていましたというと、青木さんがうなずきながら、微笑み返しをしてくれた。
そこで目が覚めた。ティアドロップス、最高だったなぁ。ムービーを紹介しますね。ロックンロール、最高!
TEARDROPS LIVE AT CROCODILE 1988
TEARDROPS LIVE AT CROCODILE 1988 (Johnny Thunders & いまぁの清志郎乱入) その一
TEARDROPS LIVE AT CROCODILE 1988 (Johnny Thunders & いまぁの清志郎乱入) その二
https://www.youtube.com/watch?v=MooJ3l-pSdo
そこで目が覚めた。ティアドロップス、最高だったなぁ。ムービーを紹介しますね。ロックンロール、最高!
TEARDROPS LIVE AT CROCODILE 1988
TEARDROPS LIVE AT CROCODILE 1988 (Johnny Thunders & いまぁの清志郎乱入) その一
TEARDROPS LIVE AT CROCODILE 1988 (Johnny Thunders & いまぁの清志郎乱入) その二
https://www.youtube.com/watch?v=MooJ3l-pSdo


こんな夢を見た。ぼくはどこかの田舎にある大学に合格したらしい。この田舎の大学で古い日本の庶民について勉強するために、川端康成の小説に出てきそうな古い旅館のような部屋に下宿している。民俗学とかそういうことを学ぶらしいのだけど、今朝が初日の登校日なのだ。下宿のもよりの駅に向かい、終点駅になっている少し大きな古い昔の田舎の駅に着くと大正か昭和初期のころのような列車がたくさんの人を乗せて停車している。駅員にぼくは、切符は要りませんよ、早く乗ってください、と声をかけられる。
そこで目が覚めた。何夜かつづいて見る夢が続きもののストーリーになっているのが、われながら面白い。近い未来のこととか? そういえば、学生のころ、柳田國男、宮本常一とかの、そんな民俗学とか好きだったなぁ。今、とても興味があるのは柳宗悦。今度、日本民藝館に行ってみたいと思います。
日本民藝館
そこで目が覚めた。何夜かつづいて見る夢が続きもののストーリーになっているのが、われながら面白い。近い未来のこととか? そういえば、学生のころ、柳田國男、宮本常一とかの、そんな民俗学とか好きだったなぁ。今、とても興味があるのは柳宗悦。今度、日本民藝館に行ってみたいと思います。
日本民藝館


こんな夢を見た。ぼくは高校にいて、明日が卒業式で、それを仕上げねば、卒業とならないものがある。それは美術の課題で油絵を描いて提出するということなのだ。ショッピング・モールのような大きな高校を早く出て、家に帰り、絵を描かなくてはならない、とぼくは思う。どんな絵を描くかは心の中ではもう決まっていて、襖の格子のようないくつもの窓枠の向こうにたくさん星が輝いているというような絵で、題は「コンスタレーション(constellation)」にしようと思っている。それは、配置とか布置などの意味なのである。頭の中、心の中ではもう絵は描かれ、できあがっていて、早く家に帰って、描き始めたい、とぼくは思っている。
そこで目が覚めた。目が覚めてから"constellation"は「星座」の意味でもあったことにも気が付いた。なぜか、傑作が描けそうな、すばらしい歌が作れ、歌えそうな根拠のない予感をぼくは感ぜずにはいらないのです。
そこで目が覚めた。目が覚めてから"constellation"は「星座」の意味でもあったことにも気が付いた。なぜか、傑作が描けそうな、すばらしい歌が作れ、歌えそうな根拠のない予感をぼくは感ぜずにはいらないのです。


こんな夢を見た。ぼくは大学の古い講堂にいる。そこでは、講義ではなく何かの集会のようで、ぼくが学生だったころの懐かしい人たちが集まっていて、がやがやと人の声が講堂に響いている。一升瓶を持った誰かの、その講堂の入り口の方で、振る舞い酒が出たよ、とおらぶ声がする。ぼくは、そうかと思い、その振る舞い酒をもらいに講堂の外に出る。大学は小高い丘の上にあり、そこから夜の海が見え、月明かりに照らされた凪いだ波の光景がとても美しい。振る舞い酒は体育会や学生のサークルの部屋の集まった学生棟で出るらしく、そこまでの短い道を歩くのだが、その道はとてもぬかるんでいて、ぼくの足は踝のあたりまで泥につかってしまう。ようやく学生棟のところに着き、やっとコップに一升瓶から日本酒をもらおうとして、そのお酒をぼくはこぼしてしまう。もう残り少ないお酒をもらえるだろうか、と思いながら、ぼくは再びコップをさしだしている。
そこで目が覚めた。月明かりの夜の海の美しさが心に残りました。心理学の祖、カール・グスタフ・ユングの説く原型の物語に「夜の航海(night sea journey)」というのがあるそうです。人は太陽で、その太陽は夜になると西の海で怪魚に飲まれ、苦しい旅をして、東の海で怪魚から吐きだせれて、昇ってくる。人生が変わろうとする時、ぼくはいつも水に関係する夢を見てきたような気がします。夜の海の航海でたよりにできるのは月の光だけなのさ。
そこで目が覚めた。月明かりの夜の海の美しさが心に残りました。心理学の祖、カール・グスタフ・ユングの説く原型の物語に「夜の航海(night sea journey)」というのがあるそうです。人は太陽で、その太陽は夜になると西の海で怪魚に飲まれ、苦しい旅をして、東の海で怪魚から吐きだせれて、昇ってくる。人生が変わろうとする時、ぼくはいつも水に関係する夢を見てきたような気がします。夜の海の航海でたよりにできるのは月の光だけなのさ。


こんな夢を見た。ぼくはどこかのダンススタジオにいる。畳敷きのダンススタジオ。ぼくはそのスタジオに久しぶりに顔を出したらしく、踊りの練習に来ているみんなが、久しぶりと、目で合図をしてくる。一人の女の人は、ぼくの手を取り、どこへ行っていたの、みんな、心配していたんだから、何かをさとすかのようなのだ。しばらくすると、「七人の侍」のラストシーンのように、お揃いのスゲ笠と赤い手ぬぐい、木綿の絣の着物の娘たちが、民謡風の音楽に合わせて踊り始める。それを見ながらぼくは、畳に煙草で焦げたような焼け跡を見つけ、それをテープか何かで修繕することを考えている。
そこで目が覚めた。「七人の侍」のラストシーンを知っているかい? 「田植え踊り」とも呼ばれているそのシーンは映画史上に残る最も美しいファイナルだと思う。志村喬の演じる勘兵衛の最後のセリフです。
「今度もまた、負けいくさだったな」
「え?」
「勝ったのはあの百姓たちだ。わしたちではない」
そこで目が覚めた。「七人の侍」のラストシーンを知っているかい? 「田植え踊り」とも呼ばれているそのシーンは映画史上に残る最も美しいファイナルだと思う。志村喬の演じる勘兵衛の最後のセリフです。
「今度もまた、負けいくさだったな」
「え?」
「勝ったのはあの百姓たちだ。わしたちではない」


こんな夢を見た。ぼくは日がな一日、大きな広場のある公園でぼーっとしている。いろんな人が通りすぎていく。すると、前の会社の友だちが散歩をしていて、声をかけられる。サカイさん、何しているですか、と声をかけられ、別に何もしていないよ、とぼくは答える。また、飲み会しようよなどと、ぼくは続ける。友だちは、いいですね、じゃまた、といい去っていく。あの友だちは、テレビやネットでの報道をにぎわしている高級なホテルの親会社の航空会社に勤めているのを、ぼくは思い出し、まともな嘘をつかない普通の会社が日本を救うのかもしれない、と思う。午後もおそくなり、夕方近くなり、いろんな人が家路に急いでいるらしい。犬をつれて散歩をしている人も家路に急いでいる。そんな時、飼い主からはぐれてしまったらしい一匹のビーグル犬がベンチにすわっているぼくにまとわりつき、じゃれついててくる。テレパシーで、ぼくに「撤収」という言葉を送ってくる。見ると、赤い首輪がついていて、雄の犬だ。飼い主は探しているのではないかしら? 家へ連れ帰ったらいいか、警察に届け出て、飼い主が見つからなければ、引き取ればいいか、などと、ぼくは、印象的な「撤収」という言葉とともに、あれこれ考えている。
そこで目が覚めた。起きてネットを見ていたら、ANAインター・コンチネンタル・ホテルに日本の航空会社は出資してはいるが、親会社ではないらしいのを知った。さて、かわいい犬にぼくは「撤収」ということを夢の中で教わったのだが、どうしよう?
そこで目が覚めた。起きてネットを見ていたら、ANAインター・コンチネンタル・ホテルに日本の航空会社は出資してはいるが、親会社ではないらしいのを知った。さて、かわいい犬にぼくは「撤収」ということを夢の中で教わったのだが、どうしよう?


こんな夢を見た。ぼくはどこかにのライブハウスにいる。あたり一面の壁に落書きだらけのライブハウスは大学生の頃の軽音の部室のようで何やら懐かしい。そこのライヴハウスは壊れかけたような間仕切りで、ミキシングコンソールのあるところが区切られている。そこには窓にはガラスははまっていない。ぼくはミキサーの隣にいる。客席は全部で五十席ぐらきて三十席ほど埋まっている。ちらほらと若い女子がおり、なぜだか、その人たちは、昔の大学時代に出会った人のようでもあるのだ。そのステージに死んでしまったぼくの友だちがアコースティックギターも持って現れ、歌い始める。その歌は河島英五の「酒と泪と男と女」であることにぼくは驚く。ぼくの知っている彼はロックンロールやブルースの英語の歌しか歌わなかったのだ。いつのまに、こんな日本の歌を歌うようになったのだろうとぼくは感心し、それにしても、相変わらず歌がうまいなと思う。
そこで目が覚めた。ところで、死んだ人に心のどこかで引け目を感じてしまうのはぼくだけだろうか? と同時に生も死もつながっているとも思う。だから悪夢ではないこんな夢を見るのかしら。夢で会う彼らは、いつも、とても穏やかなのです。
そこで目が覚めた。ところで、死んだ人に心のどこかで引け目を感じてしまうのはぼくだけだろうか? と同時に生も死もつながっているとも思う。だから悪夢ではないこんな夢を見るのかしら。夢で会う彼らは、いつも、とても穏やかなのです。


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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