えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

entry_top_w.png
こんな夢を見た。ぼくは自分の家の居間にいる。隣の部屋で何かの気配がするので、覗きに行くと、そこにわが家で飼っていた今はもう天国に逝ってしまった犬のレオがいる。居間にいる母にレオが帰って来ているよと声をかけようとするやいなや、レオはぼくに飛びついてきて、すると、みるみるうちにレオの背丈はぼくの背丈ほどに伸びて、ぼくにキスをして、離れようとしない。ふと、部屋の片隅に目を移すと黒っぽい柴犬の子犬が六匹いて、ぼくはレオの子どもかなと思う。レオはいつまでもぼくに抱きついて離れようとしない。

そこで目が覚めた。レオ、いつだってきみはぼくに会いに来てくれる心の友だち。
entry_bottom_w.png
entry_top_w.png
こんな夢を見た。とある知っているようで知らないどこにもないバーがあり、ぼくはそこに何度か夢の中で出入りしているらしい。ぼくはそこで昼間、ビールを飲み、ソーセージのサンドイッチを食べている。気が付くと、あるぼくのことを殺すとか、死ねとか言う人がそのバーのカウンターにいて、ぼくに挨拶をする。ぼくは当惑と恐怖をを感じ、、急いでサンドイッチを食べ、店の外に出る。そこにはその店のマスターがいて、たくさんの人と会話をしていて、楽しそうに、電車に乗って、ハイキングに行く話をしている。ぼくはハイキングはいいな、楽しいなと思う。

そこで目が覚めた。また、明日、山を歩きに行こうかな。あっ、そうだ、今日の午後三時から小田急相模原のエルトピートで新年会だから、そこで山の歌を歌おう。お酒より山歩きってことかな。山を歩いたあと飲んでしまうのだけど。
entry_bottom_w.png
entry_top_w.png
こんな夢を見た。ぼくは佐野元春とレコーディング・スタジオにいる。音楽を録音し、コンソール・ルームで厳しく調整しているのは佐野元春で音楽の音に没頭して、厳しい表情を見せている。ぼくは、少しその場から外れて、別の部屋に行く。すると、もう一人の佐野元春がその部屋に入ってくる。そのもう一人の佐野元春はものすごく明るい笑顔の表情でぼくに挨拶してくれて、ぼくは佐野元春がスタジオに来ています、と言う。さて、二人の佐野元春は対面するわけだが、スタジオにいる厳しい表情の佐野元春にもう一人の明るい佐野元春は、やっているねという風に指をさし、満面の笑みを浮かべて、手をさしのべる。

そこで目が覚めた。佐野元春さんはぼくの大好きなミュージシャンでもあります。これは相反する二面性の統合というようなことがテーマの夢なのだろうか? 陰と陽のような、韓国の国旗ともなっている太極図、陰陽魚は何を表しているのか、考えてしまう。ここから生成し、ここに遷化してゆく。その間のしばしの夢の時、ある人は蝶となる夢を見たそうな。これは「荘子」に出てくるお話です。

目が覚めて、The Rascalsの"Once Upon A Dream"をCDプレイヤーのターンテーブルののせてしまったのも、何かの符号なのであるのでしょうか? これは多分、東洋思想、道教とか禅とかの何かのためのコンセプト・アルバムで、ラストのタイトル曲"Once Upon A Dream"でしめくくられるのだけど、訳すとこんな感じかな? 意訳してみました。不思議だな。


♪♪♪
あるとき夢を見た
時は静かに
平和な夢の中で止まり
人は意のままに導かれた

希みは望みのまま
彼の心に休息と導きを与えた

あるとき夢を見た
ぼくはわかる
つづいていると
おそれはさり
ぼくは自由なんだ

あるとき夢を見た
愛は生まれた

夢がかなったなら
どこまでもすくすく育つだけ

あるとき夢を見た
何度も見たよ
幸福と平和
それがつづいていた
おそれはさり
ぼくは自由なんだ♪♪♪

entry_bottom_w.png
entry_top_w.png
こんな夢を見た。とあるバーでぼくはとある有名ミュージシャンと同じステージに立つことになり、ぼくは当日のリハーサルとして弾き語りをしている。ぼくはある憧れのミュージシャンの前座のようなもので、数曲、そのミュージシャンと共演することになっており、本番前のリハーサルをそのミュージシャンと始める。ぼくは尊敬しているミュージシャンのじゃまをしないように、なるたけシンプルなコードストロークだけを弾く。すると、ぼくの共演者は、どうしたの、もっといろんなふうにジャカジャカ弾いてよ、とぼくにリクエストをする。ぼくは遠慮しなくていいのかな、もっとジャカジャカ弾いてみようかな、と思う。

そこで目が覚めた。これは夢からのどういうメッセージだろうかな? 演奏もそうだけど、人生でも、もっととジャカジャカ弾いてみてもいいのかもしれません。人生で弾くのはギターだけではなく、もっと大切な何かであるかもしれず、それは言葉にはできない何かであるのかもしれません。
entry_bottom_w.png
entry_top_w.png
こんな夢を見た。ぼくは高速道路を車で走っている。多摩の方で開かれるある友だちのライブ・コンサートを見に行こうとしている。すると、前の方で、そのコンサートでボーカルをつとめる女子が映画「イージー・ライダー」でデニス・ホッパーが乗っていたようなバイクにまたがり走っている。車のメーターを見ると120キロぐらい出ているので、そのバイクの女子もそのぐらいのスピードのはず、ずいぶん、飛ばすんだなと思うと、女子の心の中の声が聞こえる。女子は心の中で、スピード出せる時はスピード出さなきゃねと言っている。えっ、そんなにスピード出して大丈夫なのかと思うと、彼女はぐんぐんスピードを上げていく。雨上がりで水溜まりなっている所に突っ込んで行き、バイクは猛スピードに振り回されコントオールを失い、中央分離帯のない高速道路の対向車線をはみ出しそうになり、すんでのところで対向車とぶつかりそうになる。ぼくは、びっくりして、とりあえず、路肩に車を止め、あたりを見回わす。後ろの方でバイクに乗っていた女子とは別の女子の声がする。彼女は、Aちゃん、大丈夫かなとぼくに声をかける。ぼくはわからないと答えている。道路の前の方を見ると、バイクが止まっていて、人だかりになっていて、たくさんのそのバイクの女子の友だちが、けがをしている彼女に、Aちゃん、大丈夫と声をかけている。ぼくは彼女に駆け寄っていくとむらむらと腹が立ってくる。あまり怒ることのないぼくだけど、バカ、なにやっているんだよと声をあらげてしまう。彼女は何も答えず、ばつの悪そうな苦笑いをしている。しかし、擦り傷と打撲だけだとは、なんと悪運の強い人なのだろう。ぼくは、反省顔の彼女に、大事なコンサートに遅れちゃうよと言おうとする。

そこで目が覚めた。バイクって憧れるところがあります。チェ・ゲバラはまだ革命家でなく若い医師だったころ南米大陸をバイクに乗って友だちと旅したそうだ。映画や自伝の「モーターサイクル・ダイアリー」に出てくるよ。そして、ヴィム。ヴェンダースの「都会のアリス」とかもよかったね。もちろん「イージー・ライダー」もです。ボブ・ディランはバイク事故で引きこもっているところで、ザ・バンドに出会い、セッションを重ね、新しいロックを切り拓いていった。そうか、バイクって自由ってことなんだ、きっと。なるほどね。夢に出てきたバイク女子も、ぼくよりずっと自由な人です。
entry_bottom_w.png
entry_top_w.png
こんな夢を見た。ぼくはイーオンの写真のコーナーで履歴書に貼るための写真ができあがったのを受け取り、家に帰り、その写真を見てみる。証明写真の入った小さな数センチの縦横の入れ物には数枚の写真が入っておりその写真はお坊さんを筆で書いた絵を白黒の写真にしたものである。なぜ、このぼくがこのお坊さんの写真なのだろうと訝しく思い、もしかして、ぼくの本当の姿はこの写真のお坊さんの写真かもしれないなどとも思う。そして、紙切れが一枚、入っているのを見つけ、そこには日蓮とプリントされている。そうか、これは日蓮上人なのかと思い、ぼくは日蓮の生まれ変わりだろうかと思う。と同時に、もう一枚、写真を見つけ、そこには長髪の髪がカールした知らない男性が写っている。あっ、そうか、この男の人の写真を間違われて渡されたんだと了解し、イーオンにもどり、取り替えてもらわなくてはと考えている。

そこで目が覚めた。とあるフロイト派の精神分析医、ジャック・ラカンか誰かの本を読んでいると、鏡の中の自分を発見し鏡の中の自分が自分であることを認識することが、人間の精神の発育において、決定的な役割を果たしている、精神を病む原因もそこにあると書いていたのを、ぼんやりと思い出した。例えば、写真は写真であって、そこに自分が写っていても自分ではなく、写真でしかないのに、自分だというのだろうかというような話だったのかもしれない。どういうことだろうか? 日蓮上人に関しては、その日蓮宗の総本山のある山梨県南巨摩郡の身延山久遠寺の近く下部温泉によく行くことがあるのです。そして、ぼくはぼくを日蓮宗だと規定しない。生まれ変わりに関しては、あるのかないのか、信じも信じなくもなく、ぼくにはよくわからないのだが。
entry_bottom_w.png
entry_top_w.png


こんな夢を見た。ぼくはたくさんの掘っ立て小屋のある、知らない土地を歩いている。歩き続けると、とある海辺にたどり着いている。凪いでいる穏やかな遠浅の海が水平線まで続いている。足もとは板張りのボードウォークになっていて、ぼくは遠い海を眺めている。すると、遠くから美しい娘たちが数人、泳いでくる。その娘たちが水からボードウォークにあがってきて、いつの間にか、水着から普段着に着替えて、ぼくの近くを歩いている。ぼくは、彼女たちのその美しさに何かの清らかさ、清らかさを超えた聖なるものの壊れやすい清浄な何かすら感じているのに気付く。

そこで目が覚めた。目が覚めると「アルビオンの娘たち」とか「アビニヨンの娘たち」という言葉が思い浮かんだ。調べてみると「アルビオンの娘たち」、正確には「アルビオンの娘たちの幻視」はウィリアム・ブレイクの預言詩の一つで、「アビニヨンの娘たち」はパブロ・ピカソの名作絵画。そして、この二つの芸術に共通なあるものによって、ぼくの心深くに胸騒ぎが立ちのぼってくるようでもあるのです。
entry_bottom_w.png
<< 前のページ   HOME   次のページ >>
[13]  [14]  [15]  [16]  [17]  [18]  [19]  [20]  [21]  [22]  [23
plugin_top_w.png
カレンダー
03 2025/04 05
S M T W T F S
1 4
9 10
14 16 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
plugin_bottom_w.png
plugin_top_w.png
えいちゃんのお奨め

ライブのお知らせ

ぼくのTwitter

plugin_bottom_w.png
plugin_top_w.png
最新コメント
[12/23 ロンサム・スー]
[07/27 gmail account]
[08/29 えいちゃん]
[08/29 みさき]
[05/18 えいちゃん]
plugin_bottom_w.png
plugin_top_w.png
プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
plugin_bottom_w.png
plugin_top_w.png
ブログ内検索
plugin_bottom_w.png
plugin_top_w.png
最新トラックバック
plugin_bottom_w.png
Copyright えいちゃん(さかい きよたか) by えいちゃん All Rights Reserved.
Template by テンプレート@忍者ブログ