えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
村上龍には親しみをおぼえているのに、それほどたくさんの小説は読んでいない。一番好きなのは、「限りなく透明に近いブルー」。その小説に出てくる「おまえには黒い鳥がみえるよ」というセリフがかっこいいなどと友だちと語りあっていた。一番美しい音楽は初期のビートルズと言ったのも村上龍さんで、なるほどと思った。ローリング・ストーンズ好きで、それにキューバ好き。中上健次に殴られなかった数少ない同世代の小説家。その中上と対談した時、ありとあらゆる薬物を若いころ試したと語っていた。何かのアンケートで数年前、もっとも上司になって欲しい有名人の一人に選ばれたりもしていた。龍さんの最近の小説は常に同時代を活劇的な物語の中で描き、少年の心を残しているかのよう。理屈っぽくなく、けれどとても聡明で、偏見なしにものを見ることができる人。そんな龍さんの最新のエッセイ「櫻の樹の下には瓦礫が埋まっている。」を読んだ。やはり面白かった。この本の中の「若者の病理と文学」からぼくの共感した龍さんの文学観を引用します。
「小説というのは、基本的にマイノリティを代弁するものだ。社会に受け入れられない人々の声にならない声を翻訳して、人間の精神の自由と社会の公正さを訴える、それが文学である。だから文学は回答を示すものではない。本質的な疑問を提出する」
そして、最後の章「櫻の樹の下には瓦礫が埋まっている。」にはとても感じ入り、震災後の日本の状況について、わが意を得たりと思い、深く溜飲をさげた。立ち読みでもいいから、この章だけでも読むことをおすすめします。
章と章の間のはさまった龍さん自信が写したカラーの花の写真も素敵です。
チリの作家、エンリケ・バリオスさんの著した「アミ 小さな宇宙人」を読んだ。なんだか、ジョン・レノンの歌、メッセージ、例えば、"All You Nedd Is Love"とか"Imagine"とか"Mind Games"が物語になったような本であった。この物語の中に、空飛ぶ円盤の中で子どもの宇宙人といっしょに宇宙の音楽や地球の音楽を聴く場面があるのだけど、その音楽の一つが、ジョン・レノンでありビートルズなのだ。しかも、物語の後ろのほうで少しだけ日本の少女も出てくるのだけど、ジョン・レノンの二人目のお嫁さんは誰だっけ? そこで、ぼくは、ジョン・レノンの"Mind Games"という歌を思い出したので、拙訳してみます。この物語の伴奏曲にどうかな。
「ぼくたちはいっしょに心のゲームを遊んでいる
種を植えに柵を押すんだよ
そう、心のゲリラを遊んでいる
世界に平和をと真言を詠唱し
ぼくたちは永久に心のゲームを遊んでいる
古代ケルトの祭司のようにめかしてベールをそっと持ち上げ
心のゲリラをしているのさ
聖杯を探し求める魔法だとも人はよぶ
愛が答え、それは確かなことだよ
愛はきみが育む一つの花
だから、この心のゲームを続けよう
さあ、たった今から未来をかたく信じよう
きみにこの心のゲリラを打ちのめせはしない
それはきみの心のなかの石ころにある何か完璧なところなんだ
そう、ぼくたちはいっしょに心のゲームを遊んでいる
イエスが答え、それは確かなことだよ
はいというのは降伏で、もっといかせてあげよう
だから、この心のゲームを続けよう
典礼の舞いを陽の下で踊り
数えきれない心のゲリラは
魂の力をカルマの輪にそそぎ
この心のゲームを永久に続けて
平和と愛の精神を掲げよう
愛
戦争ではなく愛しあって欲しい、どこかで聞いたことがあるはずさ」
心のゲリラもやりとげ、世界の心に平和と愛がもたらされ、さて、「アミ 小さな宇宙人」に戻れば、一つ政府もよいのだが、この空の下、地の上の世界は、分裂せずに、しかも、多様にいくつもであって欲しいと願います。
言語学者、文化人類学者の西江雅之さんの最新著である「異郷 西江雅之の世界」を読み、そして、見る。見るといったのは、この本の真ん中あたりの130頁ほどの写真集となっていて、「影を掬い採る」とタイトルされている。美しい人々と彼らの生活がいくつも並んだ写真について西江さんは、すでにこの世界から消えてしまった人びと、消えかけている日常の景色、と書いている。影か、とぼくは小さなため息をつく。
再録された旅の記憶のようなエッセイは、1960年代から21世紀まで書き綴られたもので、それは、小さな声で歌われる、消えていくかのような美しいレクイエムのようだ。スクラップブックの中の写真は、遺影のようでもあり、遺影のようでもなく、懐かしい異郷の人たちが、時を越えて微笑んでいる。
世界中を舞台に八面六臂の活躍をされている尺八奏者の中村明一さん、その人の著した「倍音 音・ことば・身体の文化誌」がおもしろくて、一気に読めてしまう。
今は和楽器の大家である中村さんが若かりしころ、まず惹きつけられた音楽は、ロックの、特にジミ・ヘンドリックスだったそうだ。そのギターの音色に惹きつけられ、自らギターを手に、アンプにエフェクターを通してつなげ、どうしたらジミ・ヘンドリックスのようなギターの音が出るのか、日夜、爆音をアンプから出し、両親から睨まれながら、格闘したこともあったそう。そんな中村さんは、ある日、ふと、クラシックの現代音楽世界的の巨匠、武満徹の「ノベンバー・ステップ」を聴いてしまい、武満徹の聞いたこともないような音楽とそこで鳴らされている楽器、尺八の音に引きつけられ、電話帳をめくって見つけた有名な尺八奏者である横山勝也師に即座に弟子入りした。そんな人が中村明一さん。
ジミ・ヘンドリックスのギターの音と日本古来の尺八という楽器の音の共通点とは何でしょう? それが豊かな倍音であるそうだ。この本は倍音を切り口に日本の文化の深層やら音楽の不思議に多方面から迫っていく。何せ、東洋の果ての果ての島国の住民たちは、もちろん、それは私たちなのだが、彼らは、音を聞く時、西洋人とは全く異なった脳の使い方をしているという。西洋人には秋の鈴虫の鳴き声は雑音にしか聞こえないらしいのだけど、日本人にとっては、心地良い音楽として響き、その違いの理由の一つが、倍音に体する日本人の感受性にあるという。そんなことからこの本での話はいろんなところに行き来し、ぼくは、音って不思議だなぁ、その音を起点としてめぐる日本、その日本の文化っておもしろいなぁと再発見した気持ちにもなったのです。そして、デジタル処理されていない、生の演奏が、どんなに豊かさを含むのか、そんなことも再確認したようなのです。
濁った音色、音響の音楽が好きなぼくも、昔から倍音に惹きつけられていたのかもしれない。ぼくは今夜はギターを持って池袋のポルカ・ドッツに歌いにゆくぞ。そうか、アコースティック・ギターもたくさん倍音の鳴る楽器なのか。
草間彌生さん自らが著した「無限の網 -草間彌生自伝-」がおもしろくて、一気に読めてしまう。ぼくは草間さんの芸術が大好きなのだが、この本を読んで、草間芸術の秘密とか草間さん自身の中にある根拠のようなのもの、原理とか基底のようなものの一端が分かった、ような気がした。
草間彌生という人は日本を代表する芸術家草間ではなく、世界の草間彌生であるのを、この本を読んで、納得したのだけど、特に第3部の「反戦と平和の女王となって -前衛パフォーマンスの仕掛け人 1967-1974」は過激だなぁ。世界の先端を、道なき道を疾駆するとはこういうことをいうのだ、と思い、この前、埼玉県立近代美術館で見たニューヨークの警官に追われヒッピーに囲まれて走るモノクロの小さな東洋の女の子の彼女のビデオを思い出す。
第5部の「日本に帰ってから -日本から発信する世界のクサマ 1975-2002」の日本の帰国し、変わってしまった日本にも変わらない日本にも幻滅した草間さんが、生まれ育った信州松本で雪の降ってきたその景色に、故郷の美しさをふと見つけるそこも、ちょっといいなぁ。
あぁ、やっぱり、草間彌生、最高!
最近、アイルランドにちょっとだけはまっている。ビートルズのジョン・レノンも、セックス・ピストルズやパブリック・イメージ・リミテッドのジョン・ライドン(ジョニー・ロットン)も、ポーグスのシェイン・マガウアンもお父さんとかお母さんがアイルランドからやってきたイギリス移民であったのかと、何か、秘密を知ったかのように、少し驚いたりして、もしかして、アイルランドとはアメリカ合衆国にとってのカナダのようなところなのかな、と思う。カナダ出身のミュージシャンとしては、ジョニ・ミッチェルとか、ザ・バンドとか、ニール・ヤングとかいるし、かたやアイルランドには、前述の三人の他にも、ヴァン・モリソンとか、エンヤとか、ボブ・ゲルドフがボーカルのブームタウン・ラッツとか、ボノのU2とか、あとシネイド・オコナーも、アイルランドの人で、もちろんチーフタンズも好きだし、上げていけばきりもない。
音楽も好きだが、本を読むことも好きなぼくは、そんなわけで、柳瀬尚紀さん訳で、アイルランドの言葉の魔術師のような文豪、ジェイムズ・ジョイスの中短編集「ダブリナーズ」を読みかえしてみる。このダブリンの人たちを描いた小説集「ダブリナーズ」の中で原題を"The Dead"と付けられた「死せるものたち」は、ぼくの大好きな、深い余韻の残る名編なのです。そして、ジョン・ヒューストン監督の遺作の映画「ザ・デッド ダブリン市民より」も渋い名作でした。もう一度、見てみたい。近所のつたやとかに置いていないかねー。