えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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本好きのぼくですが、村上春樹の小説はほとんど読んだことがなかった。東日本の地震を数字に表われない何かも知りたく、そういう災害の何かを思ったり、感じたりしたくなって、ふと物語を読みたくなり、阪神大震災の後に「震災のあとで」と題され書かれた短篇集を読んでみた。とてもおもしろくて、共感するところがたくさんあった。この連作集は「神の子どもたちはみな踊る」と名前を変えて、単行本として発刊され、文庫本ともなった。そのタイトルはジャズ好きの春樹さんいかにもというものだけど、その一篇はなんとも言えない苦くて甘い読後感を残す。春樹さん著の「ポートレイト・イン・ジャズ」も大好きな一冊だったことを思い出す。

そうだ、イスラエルやカタルーニャでの受賞の時の村上春樹のスピーチにぼくはまっとうなシンパシーすらおぼえていたのだった。放射能漏れつづける福島の原子発電所に「かえるくん、東京を救う」に登場する「かえるくん」が今、悪と戦っているのではないかという奇妙かも知れない思い描きすらぼくは心にしたのです。









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茂木健一郎さん編集の「わたしの3・11 あの日から始まる日」という本を読み終わった。各界の有名人が書き下ろした震災の起こった3月11日についての文章が集められた本。雨宮処凛さんの文章にはぼくとつながる感じ方みたいなのがあって共感を覚えたもした。今でも「3・11」と言われ始めた2011年3月11日の震災は続いているような気がするし、実際そうなんだとぼくは言いたい。ふと、ぼくの死んだ後に生まれたり生きて行ったりする人たち、子供たちのことを思って、今を生きていかなきゃいけないような気がしてきました。そんな意味があるのかも知れず、この本に納められた高橋源一郎さんの「レッツゴー、いいことあるさ」は小さな傑作かもしれません。おやずみZZZzzz.....
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音楽について書いた本を読むのが好きである。雑誌とかも好きなのだが、このところ読み応えのある雑誌がなくなってしまった。

昔、ティーン・エイジャーのころミュージック・マガジンの前身であるニュー・ミュージック・マガジンのフィル・オクスに関する記事など、貪るように読んで刺激を受けた。フィル・オクスとは、アメリカに希望があるとするならば、エルヴィスがチェ・ゲバラになれるかどうかにかかっているんだ、というような歌を歌っていて、エルヴィスが死んだ、その年に自殺したフォーク・シンガーで、もう一人の日のあたらないボブ・ディランをも呼ばれた人であった。

ロックについて書かれたグリル・マーカスの名著「ミステリー・トレイン―ロック音楽にみるアメリカ像」は反逆や放浪こそがアメリカ的であるとしてスライ・アンド・ファミリーストーンやザ・バンド、ロバート・ジョンソンを取り上げ、ロック・ミュージックにこそそれが表れていると刺激的に書かれていたのだけど、その本はわがバンド、チェーズの最も初期のギタリスト、イノウエくんの病気見舞いに、昔、あげてしまった。もう一回読んでみたいなぁ。

雑誌に関して言えば、今はもう何もおもしろいものは無いと思っていたのだけど、近所の中古CD・レーコド屋さん、ディスク・ユニオンでおもしろそうな雑誌があって、買ってしまって、読んでみて、とてもおもしろかったのが、「音盤時代」という雑誌の創刊準備号。音楽好きの喜びは音楽を自由に語ることにもあるというような内容を追求した雑誌であった。ぼくがファンである物書き、湯浅学さんの「抵抗の音楽史~レコード倫理とな何か」に登場するミュージシャンはボブ・ディラン、ザ・バンド、フランク・ザッパ、じゃがたの江戸アケミ。妹沢奈美さんの「ロックとワーキングクラスとの蜜月の、断絶と復縁」では労働者階級に再び戻りつつある反抗のロックン・ロールが語られて興味深い。ローリング・ストーンズやクラッシュのジョー・ストラマーは違うのだけど、ビートルズもセックス・ピストルズもポール・ウェラーもポーグスも大英帝国の階級社会の中でワーキング・クラスなのであるのだよ。

久々におもしろい雑誌だったのでこんな文章を書いてしまったのです。














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ぼくにとってのアイルランドとはヴァン・モリソンやチーフタンズになるのだけど、ウィリアム・トレヴァーというアイルランド人の著したアイルランドを舞台にした短編集「アイルランド・ストーリーズ」を読んでみた。

北アイルランド紛争を通低音にした小さな物語たちが語りかけるのは、その紛争や、また差別による貧困によって心に傷を負った人の、静かだけど確かな響きをもつ小さな音楽やら歌、ブルーズのようであった。訳者の栩木伸明さんによればアイルランドは大英帝国の最古の植民地であったし、北アイルランド紛争とは、アメリカの公民権運動の影響を受けたカトリック系住民たちが差別撤廃のデモの行うようになったそデモにイギリス軍が治安維持ということで出動し、デモ行進していたグループに発砲し、13人の一般市民が殺害される所謂「血の日曜日事件」が起き、それを機に1997年までカソリック系とプロテスタント系の紛争状態となっていた。ウィリアム・トレバーの小さな物語は政治的にはカソリック系にもプロテスタン系にも身を置かないようなとこがあって、それは、アイルランドのぼくには地名も知らない町を彷徨うブルーズ・マンのようでもあるのだ。詩人イエーツや文豪ジェームズ・ジョイスの詩心や魂はトレヴァーに受け継がれている。がんばれ、アイルランド。
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インド独立の偉人、ガンディーについての本を読んだ。中島岳志著の「ガンディーからの<問い> 君は「欲望」を捨てられるか」という本です。

ぼくは実は欲望を捨てることについてはさしたる興味もないが、非暴力だの植民地からの英国の奴隷状態からのインド独立だのというキーワードから語られるガンディーには、何か惹かれるものがあって、読み進めたのです。この本はガンディーのことを知るための入門編みたいな本で、ガンディーの異性に関するスキャンダルについても書かれている。

なにごとも神格化は歪んでいるなと思いながら、ガンディーについても神格化は良くないとも思う。「塩の行進」のこととか、ガンディーが言葉を超えた実践と行動の人であることを知る。ガンディーの子どもは、ぐれて、奥さんには寂しい思いをさせてというような話を読み、聖人というより、インド愛国のお父さんというようなガンディーであったのだった。けれど、ガンディーは単なるしゃべるだけのベロヤではなく、口より実践と行動の人だったと納得した。独立運動として、自分たち生きていくには欠かせない塩ぐらいは、英国の植民地政府ではなく、自分たちの手で作ろうと、彼はそれを訴えるために独りで塩の行進を始めるのだけど、その行進は数十万人の大行進になり、それがインド独立の端初となる。そこにはドン・キホーテ、ラ・マンチャの男ののような愚か者的な真理の輝きがあった。その愚かさは今も輝いてもいる。

ぼくもガンディーの行進に続けているのだろうか?
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日本には私小説という小説の中の一ジャンルがあって、それは、作者が作者からの視点で日常のこまごまとしたことと、その感想やら心境やらが語られる。別の名を「心境小説」、「感想小説」などと呼ばれるそれを書き続けた藤枝静男という眼科医師兼小説家がいたのだけど、初めて藤枝の小説を読了しました。その「悲しいだけ 欣求浄土」という文庫本は「悲しいだけ」、「欣求浄土」という二冊の単行本をまとめたもの。章という眼科医を主人公とする「欣求浄土」は「ごんぐじょうど」と呼ぶのだけど、その意味は極楽浄土を心から願い求めることというような意味であるらしい。「欣求浄土」の連作のラストの展開に狂気すれすれの覚醒みたいなものを感じ、頭がくらくらします。「悲しいだけ」も胸に染みる連作で、その中の「雉鳩帰る」に唐突に出てくる詩のようなものをうつし、今は亡き藤枝静男氏に敬意を評します。

釈迦曰く
愛欲を去り、犀角の如く、ただ一人歩めかしと
汝の命如何に終わるとも
流沙のマリアの如く
荒野に住む孤児の如く
はたまた冬の王の如く
自らを罰し
歩めかし汝









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「AERA」誌の緊急増刊「東日本大震災 100人の証言」という雑誌を読んだのだけど、たくさんの有名な人たちがこの前の大震災について書いていて、例えば、内田樹氏の「物語の教訓はシンプル「金より命」「マニュアルより直感」」など、なるほどと思った。けれど、なんか、この人はこういうことを言うだろうみたいな文章が多くて、あまりおもしろくない。雑誌の前半を占めるこれらの文章の外野からの金持ち発言の辟易するところもあったのだけど、巻末の半分近くを占める「100人の証言」という特集は震災に会われたりした市井の人々のインタビュー集で、胸にせまる何かがあった。

ところで、かなり昔、静岡のあたりを一人で旅をしたことがある。知らない町の居酒屋で一人で呑んでいると、となりに腰掛けたおじさんがぼくに声をかけてきて、聞くと、雲仙普賢岳の火砕流の避難に会われた人で、家も仕事もマグマの巨大な炎に飲み込まれて失い、家族がちりぢりになり、今は、知らない町で一人で日雇いの仕事をしているという話を聞いた。子どもは東京の方にいて、かあちゃんはどこそこ、自分は静岡にいる。ぼくは、相槌を打ち、ためいきををもらすことしかできなかった。今、そのおじさんのことを思い出す。一期一会ではあったのだけど、今はどうしているのだろうか? 今ごろは、長崎の島原に戻り、家族そろって幸せな暮らしをしているに違いないではないかと、自分に言い聞かせる。

さて「AERA」という雑誌に戻り、「100人の証言」の一人として「私たちにできること」の項に、岩井俊二映画監督のインタビューが載っていて、現在ロサンゼルスに住む彼の故郷は仙台なのだそうだ。その「どんな状況でも咲き続ける「花」がある」と題されたインタビューは良かった。共感しました。みなさん立ち読みでもしてみてください。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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