えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
山口冨士夫の"So What"が面白くて一気に読了した。1990年に出された冨士夫のそれまでの音楽人生を語り尽くした本です。
昔、高円寺で友だちに呼ばれて居酒屋で冨士夫ちゃんとお酒を飲んだことがありました。そのころは山口冨士夫関係のTEARDROPSやらTUMBLINGS、そして、FOOLSのギグには、よく行きびたっていました。
この本は2008年に復刊されたものだけど、その時の添えられた山口冨士夫自身による「あとがき」を添えて、冨士夫の魂とRock'n' Rollよ、永遠なれ、とおれは叫びたい。
「どうやら、神様がいたずら好きだからか、オレはまだまだたくさんの仕事をしないと、あちらへは行かせてくれないらしい。だったら、いろんな人々と、本当につながっていこうじゃないか。オイ!いい加減、オレたちの本来ってやつを取り戻しにかからないか?
君の本当の友達 フジオより、複雑な思いをこめて・・・・。とにかく元気でいてくれ」
歴史探偵を自称する半藤一利さんの著した「あの戦争と日本人」を読了した。この本はインタビューによる書きおろし、別のもうすこし堅い言葉で言うと口述筆記らしいのだが、半藤さん日本の近代史に対するめくるめく博学と知見にぼくは驚きを隠せない。半藤さんの本を読むのはこれが三冊目で一冊目が「幕末史」、二冊目が「ノモンハンの夏」、そして今回の「あの戦争と日本人」なのだが、どれも面白かったし、やはり温故知新というのは大切だ、と思う。
安藤さんが感服した二人の日本人の小説家、夏目漱石と坂口安吾のことを思い出し、その透徹した目について考えもする。いつのまにやら、戦後から戦前になってしまったように感じる日本なのだが、今だからこそ、たくさんの日本人に読んで欲しい本です。
鈴木啓志さんの著した「ゴースト・ミュージシャン ソウルの黄金時代、アメリカ南部の真実」を読む。
アラバマ州マスル・ショールズというとある田舎町にあるレコーディング・スタジオ「フェーム」を舞台にした、さまざまなミュージシャンが出入りする本当にあった物語。主人公はそのフェーム・レコーデイング・スタジオのオーナーであるリック・ホール。そこに、世紀の天才ドラマー、フリーマン・ブラウンがヒーローよろしく登場し、そして、ニューヨークの名門レーベル「アトランティック」のオーナー、ジェリー・ウェクスラーが思惑ありげに絡んでくる。ぞくぞくときらめくようなシンガーたちが、この片田舎のスタジオに訪れ、セッションをし、名録音を残していく。さまざまな人間ドラマと変遷を経て、アメリカ南部と北部、黒人と白人に横たわるなんともセンシティブな問題も語られ、キング牧師の暗殺された1968年にフリーマン・ブラウンらを中心にしたアメリカ音楽史上、最強で最高なリズム・アンド・ブルース・バンド"Fame Gang"に結実する。
さて「ゴースト・ミュージシャン」とは誰か? ジェリー・ウェクスラーによって、クレジットから消され、いなかったことになってしまったさまざまなミュージシャンがいたということ。音をたどって明かされる真実は、リック・ホールという、プロデューサーと呼ばれる楽器を持たないミュージシャンにスポットを当て、この南部白人の、音楽家としての、人間としての偉大さを浮き彫りにする。
あぁ、"Fame Gang"の強靭なグルーヴはキャンディ・ステイトンやローラ・リーの1960年代のアルバムで聴くことができます。
映画も素晴らしかったら、妹尾河童さん著した「少年H」を読んだ。そして、戦争のことを考え、思いをめぐらせた。少年の低い目から見た戦時下の日常がリアル。例えば、子どもに向かって戦闘機から機銃掃射するのか、恐いな、と思った。大本営発表の統制報道などは今の原発事故・放射能報道と似ていて、こわい、こわい、とも思う。それから、少年Hのお父さんはすごく尊敬に値するぞ。家族を守るためにこんなことを言う。
「そうやないんや、踏んでもええのや。信仰は自分の心にあるんやから、それを護るんは正面から抵抗するだけやないとというのを知っておいて欲しいんや」
ぼくはクリスチャンではないのだけど、何か胸の底に来ました。
戦後、少年Hが大人たちにこの負けた戦争について尋ね、、敵機が飛来し始めたころには、もう日本は戦争に負ける、と少なからぬ人たちが思っていたことに、少年Hは驚くのだが、特攻隊として死んでいった青年たちの至純には嘘はない、と書いた坂口安吾の随筆を思い出したりもした。
今が戦前だという暗い予感が当たらないことを祈りながら本を閉じました。
この前、能楽というものを初めて見たこともあって、久しぶりに三島由紀夫の著作の中から「近代能楽集」を再読してみた。死が香り立つような戯曲集は古い能楽の古典を現代劇に翻案したような寸劇集であった。芸術はエロスとタナトスから生まれるというけれど、エロスは性愛、タナトスは死で、三島由紀夫の小さな物語はそれで、小さな危ない小宇宙のようなのであった。舞台で見てみたい。
「ニッポン猪飼野ものがたり」を読了した。いろんな人が大阪にある日本一のコリアンタウンである猪飼野について書いた本です。
なぜか、前の会社の社長が言っていた二宮尊徳の芋むき器の話を思いだした。二宮尊徳の考案した芋むき器とは、桶のような器にいろんな大きさの芋を入れて、棒のようなものでかき回すと芋と芋とがこすり合わさって、皮が薄くつるりとむけるという。いろんあ芋があっても、そこで切磋琢磨していいじゃないかというような話でした。社長もいいこといいますな。いろんな大きさの芋があってこそ、うまくむけるということだそうだ。その芋は小さな島国にひしめくぼくたちのような気もするではないか。
さて、コリアンタウンというと、東京の新大久保の街などで、聞くに堪えない言葉でデモををする輩もいるらしい。しかしながら、昨今は街や町でいろんな顔の人が見え、いろんな言葉が聞こえてきてくるようになった。ぼくのよくいく相模大野のバーもアフリカ人が経営者でマスターであったりする。これから、いろんな人が日本にやってきて、いろんな人が日本から行くだろう。
仁徳天皇の昔から渡来の文物と人を受け入れてきた歴史もあるらしい。敗れた百済の王とその一族はいろんなものをもたらし猪飼野に定住したという。
この本の雑多な文の中には笑いと涙がつまっています。仲良くしたほうがいいと思います。