えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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「紅の巻」につづき、読んだ秋山真志さんの著した「職業外伝 白の巻」です。「白の巻」で紹介される職業は、イタコ、映画看板絵師、宮内庁式部職鵜匠、荻江流二代目家元、琵琶盲僧、蝋人形師、チンドン屋、流しの職業に就かれた八人の方々。目次を見るだけでわくわくしてしまいます。おもしろかった。チンドン屋、いまでも、健在なんですね。イタコはめっきり数が少なくなったそうだけど、沖縄のユタはどうなんだろう。

昔、ぼくもこの本が紹介するような職業に興味を惹かれたことがあって、一つはNHKのテレビで見た宮内庁での古文書やら古美術を修復する仕事、もう1つは宮大工。そんな仕事をする自分もあったろうに、その選択はしなかったのでした。好きなことを仕事をするのも、仕事にしてしまたことが好きで好きでたまらなくなるのも、最高なことだ。

あー、今日は成人式、みんな、これから素敵なことが待っているよ、いいじゃないですか。





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飴細工師、俗曲師、銭湯絵師、へび屋、街頭紙芝居師、野州麻紙紙漉人、幇間、彫師、能装束師、席亭、見世物師、真剣師、日本にはいろんな職業があるものだ。秋山真志さん著した「職業外伝 紅の巻」を読んだのです。とてもおもしろかった。あぁ、あさっては成人の日ではないか。これから何かの職業に就こうという人も、リストラなどという変なカタカナで最近では呼ばれている解雇にあった人たちにも、この本はお薦めです。仕事観、職業観が広がり、さらには、生活、生活から紡がれる人生っていろいろあっていいんだなぁ、楽しいなぁ、と思いました。この本に出てきた彫刻家の平櫛田中の言葉をはたちになるみなさんの門出のはなむけに送りたい、とも思います。

「今日もお仕事、おまんまうまいよ、びんぼうごくらく、ながいきするよ」







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レヴィ=ストロースの「悲しき熱帯」を読了したけれど、なんだかとっても難しかった。終章あたりでイスラム教への苛烈な批判と仏教の繰り返して尽きない称揚はこの文化人類学者らしからぬ、と思ってしまった。ぼくは仏教的な何かは好きなのだけど、何か違和を感じてしまった。

仏教といえば、ぼくは禅の十牛図が好きです。論理や修辞を越えた何がかあるような気がするのです。ぼくにとって大きな哲学は過ぎ去ろうとしているのかもしれない。

レヴィ=ストロースのこの「悲しき熱帯」でのイスラム教批判は彼のユダヤ人という出自と関係しているのだろうか、と不謹慎なことを考えてしまった。すみません。出自に安住せずに絶えず問い続けることこそ、彼の思想の初めの立ち位置なのだ、とも思い、なくなっていく言葉と人たちを祈りのように見つめるときもある。そこが好きです。いつか、この難しい本を再読してみたい。
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内田樹さんの著した「寝ながら学べる構造主義」という本を読みました。レヴィ=ストロースの「悲しき熱帯」が難しくて、なかなか読み進められなかったもので、その解説本のような本に手を出してしまったのだけど、さすが内田樹さんの著作、一気におもしろく読めてしまった。

構造主義という哲学には3人の源流があるらしい。その源流とは経済学者マルクスと精神分析医のフロイトともとは文献学者であったニーチェ。それを受け継いだのが言語学者のソシュール。それらの思潮がフーコー、バルト、レヴィ=ストロース、ラカンに続いていく。

どういう考え方なのかというと、ぼくたちは当たり前の前提としてあるものも疑わなくてはならないけれど、それに気づくことも難しい、というようなことだろうか。例えばの端初として、虹が七色に見えるという人たちもいて、虹が二十色に見えるという人もいて、言葉と思考は牢獄のようなものかもしれない、などと思う。それに気づくとはどういうことなのだろうか、ということのヒントが、例えば、レヴィ=ストロースのこの言葉を何度も、ゆっくりと読むと、少しはわかる気がするのです。

「彼らのうちであれ、私たちのうちであれ、人間性のすべては、人間の取りうるさまざまな歴史的あるいは地理的な存在様態のうちのただ一つのもののうちに集約されていると信じ込むためには、かなりの自己中心性と愚鈍さが必要であるだろう。私は曇りない目でものを見ているという手前勝手な前提から出発するものは、もはやそこから踏み出すことはできない。」

この言葉は、サルトルの実存主義を終焉させ、教化する宣教師たちの役割を終わらせたのかもしれないけれど、レヴィ=ストロース自身にも鋭い刃を向けているのに違いない。そして、ぼくたちだれもが、未開と呼ばれようがそう呼ばれなくても、西洋であれ東洋であれ、「悲しき熱帯」を生きているのかもしれない、と想起させてくれもする。









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近ごろはネットウヨクと呼ばれる人たちがいるらしい。インターネットの中の右翼であるらしい。そういえば、電話線の中の右翼を描いた小説があった気がし、それが、中上健次の「十九歳の地図」であることことを思い出し、再び読みたくなり、会社帰りにイーオンの中の未来書店で文庫本を見つけ、買って、読んでしまった。

「十九歳の地図」の主人公は十九歳の新聞配達の少年で、いちおう、浪人生となっていて、けれど、大学の進学はあきらめ、東京のどこかで、半ば無為と思えるような毎日を送っていて、気晴らしに公衆電話から、自分は右翼だと自称する嫌がらせの電話を知らない人にかける。

ぼくは、ティーンエイジャーのころ、ミュージック・マガジンか何かの記事で芥川賞を取った新進気鋭の作家、中上健次という人を知り、近所の鹿沼図書館でその芥川賞を取った小説「岬」を読み、こんな小説があってもいいのかと当時はショックを受け、あらゆる中上健次の作品をむさぼり読んだ。今、読み返してもおもしろく、あー、この悪態をつく文体はカソリックの司祭から不道徳、非倫理的作家だとされ、葬儀を拒まれたフランスの作家、ルイ・フェルディナン・セリーヌの強い影響を日本の風景の中に必死に定着させようとしていたのかもしれない、とも思った。この短編集の中には四篇の小説が収められていて、それは、「一番はじめの出来事」、「十九歳の地図」、「蝸牛」、「補陀洛」。昔、読んだころは「十九歳の地図」を一番おもしろいと思ったのだったけれど、今のぼくは、中上健次の首をくくって死んだ実の半分だけ血のつながった兄を哀悼するかのような「補陀洛」に惹かれる。この死んだ兄の話は、多くの中上健次の小説に影をおとし、何度も登場する。

初めて読んだ時は、これらの小説の舞台としてもあるようなところが本当に日本のどこかにあるのか、と驚きもした。後にこれらの小説が被差別部落を描いていることを知ったのだけど、小説の中では一度も「差別反対」や「部落」という言葉は出てこず、そこを中上健次は「路地」と呼称した。その路地のある町、紀州の新宮あたりを旅したことがあるのだけど、中上健次の小説の世界を想像していたぼくは、むしろ不思議に明るい感じを受け、拍子抜けしたような気にもなった。その時、太地の町かどこかを歩いていると、男二人が紀州弁で怒気荒く、何かを言い争っていて、女一人がそれを止めに入ろうとしている。その時は、何度も読んだ中上健次の世界が胸にせまるようで、火をつければ燃え上がる男たちと女たちであるならば、それは、中上健次の愛した神倉山の火祭りであるような気がした。







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クリストファー・ロイドさんの著した「137億年の物語」を読了した。カラー口絵のたくさんはさまった歴史図鑑のような本です。507頁で2段組のヴォリュームの本で最後の方はななめ読みになってしまいました。しかし、読み通させたこの本はぼくにとって、やはりとてもおもしろかったということ。

歴史の変動に気候の変化があり、その気候の変化はプレート・テクトニクスという大地の移動によるらしい。最後の方の章には解決されなくてはならないたくさんの問題、例えば、人口の爆発的増加、人類の活動による生態系の破壊、貧富の格差の拡大化、エトセトラが書かれてあって、どれも深刻です。

この地球が生きものの楽園となったのはティアという星が地球に衝突し、月が誕生し、そこから、太陽風からの磁気シールドが生まれ、四季を生み出す地軸の傾きと安定的な公転も生まれたということです。なんという偶然なのだろう。その137億年の歴史の中で人類の歴史は1分17秒にすぎず、有史は3秒をすぎない。人類は悪いことをしすぎだとも思うのだけど、歴史に残るとはそういうことなのだろう。ほとんどの人たちは善い心を持った善い人たちだとも思う。

本を閉じて想像するに、今、新しい世界が訪れつつあって、その鍵は、インドのシャカ族の王子が見つけ、アショカ王が広めた生きとし生けるものへの愛を説く教えにあるのではないか、と思いました。

http://hon.bunshun.jp/sp/137okunen










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熊本大学の先生、小松裕先生の著した「真の文明は人を殺さず 田中正造の言葉に学ぶ明日の日本」を読みました。田中正造さんは明治時代の足尾鉱毒事件で獅子奮迅して戦った人です。良かったです。特に第六章「自然との共生に学ぶ」と第七章「公共思想に学ぶ」で引用された田中正造の言葉は明日の世界への羅針盤であり、道でもあるように思えました。ぼくもここで素晴らしい田中正造の言葉を引用します。

「真の文明は
山を荒らさず
川を荒らさず
村を破らず
人を殺さざるべし」

この前の震災で足尾銅山の鉱毒は百年の時を越えて川に流れだしたといいます。こわい。何かを変えなきゃいけない。









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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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