えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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草間彌生さん自らが著した「無限の網 -草間彌生自伝-」がおもしろくて、一気に読めてしまう。ぼくは草間さんの芸術が大好きなのだが、この本を読んで、草間芸術の秘密とか草間さん自身の中にある根拠のようなのもの、原理とか基底のようなものの一端が分かった、ような気がした。

草間彌生という人は日本を代表する芸術家草間ではなく、世界の草間彌生であるのを、この本を読んで、納得したのだけど、特に第3部の「反戦と平和の女王となって -前衛パフォーマンスの仕掛け人 1967-1974」は過激だなぁ。世界の先端を、道なき道を疾駆するとはこういうことをいうのだ、と思い、この前、埼玉県立近代美術館で見たニューヨークの警官に追われヒッピーに囲まれて走るモノクロの小さな東洋の女の子の彼女のビデオを思い出す。

第5部の「日本に帰ってから -日本から発信する世界のクサマ 1975-2002」の日本の帰国し、変わってしまった日本にも変わらない日本にも幻滅した草間さんが、生まれ育った信州松本で雪の降ってきたその景色に、故郷の美しさをふと見つけるそこも、ちょっといいなぁ。

あぁ、やっぱり、草間彌生、最高!













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最近、アイルランドにちょっとだけはまっている。ビートルズのジョン・レノンも、セックス・ピストルズやパブリック・イメージ・リミテッドのジョン・ライドン(ジョニー・ロットン)も、ポーグスのシェイン・マガウアンもお父さんとかお母さんがアイルランドからやってきたイギリス移民であったのかと、何か、秘密を知ったかのように、少し驚いたりして、もしかして、アイルランドとはアメリカ合衆国にとってのカナダのようなところなのかな、と思う。カナダ出身のミュージシャンとしては、ジョニ・ミッチェルとか、ザ・バンドとか、ニール・ヤングとかいるし、かたやアイルランドには、前述の三人の他にも、ヴァン・モリソンとか、エンヤとか、ボブ・ゲルドフがボーカルのブームタウン・ラッツとか、ボノのU2とか、あとシネイド・オコナーも、アイルランドの人で、もちろんチーフタンズも好きだし、上げていけばきりもない。

音楽も好きだが、本を読むことも好きなぼくは、そんなわけで、柳瀬尚紀さん訳で、アイルランドの言葉の魔術師のような文豪、ジェイムズ・ジョイスの中短編集「ダブリナーズ」を読みかえしてみる。このダブリンの人たちを描いた小説集「ダブリナーズ」の中で原題を"The Dead"と付けられた「死せるものたち」は、ぼくの大好きな、深い余韻の残る名編なのです。そして、ジョン・ヒューストン監督の遺作の映画「ザ・デッド ダブリン市民より」も渋い名作でした。もう一度、見てみたい。近所のつたやとかに置いていないかねー。












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写真家の藤原新也が、大江健三郎などではなく、石牟礼道子こそ、ノーベル文学賞にふさわしいと言っていたのが気になり、彼女の最も有名な著作である「苦海浄土 わが水俣病」を読んだ。南の国、九州の熊本での公害病を告発する書は、身もだえするような息づかいの郷土とその郷土にうち捨てられるかのようにいまわす人たちへ愛み満ちた枕経のような物語でもあった。

この本を読みながら二人の作家を思い出しもした。その二人とは中上健次と深沢七郎。石牟礼さんよりも若い中上健次にいたっては文体すら影響を受けているように感じた。それは、中上が紀州の被差別部落を旅したルポルタージュ「紀の国・根の国の物語」。

石牟礼道子さんに戻れば、その文章の力は三島由紀夫を越え、谷崎潤一郎のように美しく、柳田国男のような口碑の夢と現が表れ、それらが読後感として久方ぶりの重たい言葉の芸術を読み終えた疲労感すら感じさせる。まさに文学です。ぼくも、石牟礼道子さんこそ、ノーベル文学賞にふさわしい、と思う。










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内田樹さんと中沢新一さんの対談集「日本の文脈」を読んだ。お二人とも日本大好き人間なんだね。それはどういう日本かというと、例えば、軍国主義とは対極にあるような日本なのかな。柳田国男の、折口信夫の、保田与重郎の日本。宮沢賢治の、出口王仁三郎の日本。ぼくも日本は大好きです。神社とか仏閣とか好きだし、日本にはたくさんの居酒屋や温泉もある。内田さんと中沢さんのような人たちが庶民の実感と接合して新しい日本が生まれるのではないか、とこの本を読みながら、夢をたくましくする。

さて、二人が共通に尊敬するフランスの思想家がいて、クロード・レヴィ・ストロース。レヴィ・ストロースの本は読んだことがないけれど、「悲しき熱帯」にはどんなことが書いてあるのだろう? あと、内田さんが長年、修行しているという合気道を習ってみたくなった。能という伝統芸能を見たくなった。








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本屋で昔読んだことのあるこの本を立ち読みしていると、あれっ、こんなこと書いてあったけな、と思って、つい買ってしまい、一気に読んでしまった忌野清志郎の「瀕死の双六問屋」。その話とはバスでミシシッピのクラークデールに向けて、旅をする話で、アメリカを西から東に横断旅しようというあの娘に、クラークスデールは行った方がいいよ、とぼくが教えたあげたのも、思い出したのだった。

さて、本の帯には「最終話を含む幻の原稿18話分を収録」とあり、そうだったのかと合点した。この本は、清志郎がメジャーを干されて、インディーズというより、自主制作でアルバムを連発し、日本中をライブツアーでドサ回りしていた、そんな時に雑誌に連載されていたもので、ブルースマン、忌野清志郎がそのまま表れている。

おれも最近、自分がブルースマンのような気がして、そのブルースってのは、苦悩の音楽で、なぜそのような苦悩の音楽によって幸せを感じたり、救われたするのだろう、と思いめぐらすと、その答えも、この本には書かれているような気がする。「これだけは言っておく。ブルースを忘れないほうがいい」と言う清志さんの言葉に絶対的に共感し、忌野巨匠のぼくの大好きな名盤「メンフィス」を聴きたくなるのです。

ぼくといえば、ぼくのブルースマンであるぼく自身が、今度の土曜日(3月31日)の夜、小田急相模原のエルトピート(http://www.el-topito.com/)で歌っています。みなさん、ぼくのブルースを聴きにきてください。そして、空の向こうで歌を歌っているあの人と唱和しつつ、もう一度、言おう。

「これだけは言っておく。ブルースを忘れないほうがいい」










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今回の福島での原発事故は熊本県の水俣での水銀公害の再来であるような気がする。ぼくは原発公害事件だと認識しているのだけど、いち早く福島で取材をし「書行無常」という本にそれを収めた写真家の藤原新也さんと四十年ほど前に水俣を書いた「苦海浄土」で有名な石牟礼道子さんの対談集「なみだふるはな」を一気に読んだ。公害事件についての対談というより、水俣の公害以前の水銀にも現代の経済成長にも汚染されていない、それ以前の水俣について、藤原さんが石牟礼さんから話をうかがうという内容であった。石牟礼さんの語る汚染以前の水俣に日本の、そして、世界の行くべき地を指し示されたような気がした。石牟礼さんの書いたこんなあとがきに、いかばかりの胸騒ぎとともに大きな当惑がやってきて、ぼくは小さな勇気をもらったような気もするのだった。引用します。

 ある方がこんことをおっしゃいました。
「東京まで行ってみたがなあ、日本ちゅう国は見つからんじゃった。探しきらんじゃった。
 東京にゆけば祖(おや)さまの国があるにちがいなか。わたしらは、その祖さまの人民じゃと思うとりました。さきの戦争も陛下のひと言で終わらせなはった。
 いざというときには祖さまがおんなはると、こう思うてきましたばってん、わたしどもは、祖さまば持たん人民じゃろかいなあ。
 どこにゆけばよかろか。
 水俣は、日本の外になっとるにちがいなか。日本から見れば、水俣は行方不明になっとるちがいなか。
 家族全員水俣病になって、もう三代目、いやいやもう四代目になっとる。ひょっとすればわざと、失(う)してられとるかもしれんと邪気まわりしたりして、こりゃ独立して、もう一つの世ば作れちゅうことじゃなかろかなあ」
 今はなくなった、患者さんの言葉です。









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震災から一年経とうとしている今、「世界が感嘆する日本人」という本を読んだ。さまざまな海外メディアの特派員が震災後の日本の庶民の立ち振舞いを伝えていて、それは感嘆され、賞賛され、敬意を持って報道されていたりする。そのようなことがこの本にはまとめられてあった。

日本人は昔から地震とともに生きてきた。まさに、日本列島は地震の巣窟のような場所に位置していて、そのことが日本人の心に影響しないわけわなく、ぼくたちの古くからの心が持つ習慣、日本人のエートスは地震ということが古層に常に横たわっているのは想像にかたくない。イギリスでは解説委員が、この日本の震災に際し、伊勢神宮がなぜ建て替えられ続けられているのかを考察している、そのような長文の論説が新聞にのったそうだ。この本にもそのほんの一部が抜粋されているけれど、全文を読んでみたい。

この本には今の海外特派員ではなく、過去の日本を訪れた外国人の見聞録も紹介されているのだけど、豊臣秀吉が治世をしていた時代に宣教師として訪日したポルトガル人のジョアン・ロドリゲスの言葉を引用しよう。

「日本人は極めて純真であり、儀式や外面的な華麗さを好む。また、秩序立てられた国家における礼節ある人間生活に必要なあらゆる種類の学問、芸術を持っている」

「彼らはみな非常に辛抱強く、餓えや寒さ、過酷な労働などの苦しみを耐えることに慣れている。庶民も貴族も非常に貧しいが、それを恥ずかしいこととはみなされない。そう考える節もない。なぜなら彼らは持っているわずかばかりのもので、正直に生き、礼節を重んじているからだ」

美しいではないですか。

明日、震災から一年目、三月十一日の夜、小田急相模原のスクールオブロック(http://blog.goo.ne.jp/ryusisekine)でゆっくりだけど、前に歩いていくような歌も歌いたいと思う。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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