えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

本屋で昔読んだことのあるこの本を立ち読みしていると、あれっ、こんなこと書いてあったけな、と思って、つい買ってしまい、一気に読んでしまった忌野清志郎の「瀕死の双六問屋」。その話とはバスでミシシッピのクラークデールに向けて、旅をする話で、アメリカを西から東に横断旅しようというあの娘に、クラークスデールは行った方がいいよ、とぼくが教えたあげたのも、思い出したのだった。
さて、本の帯には「最終話を含む幻の原稿18話分を収録」とあり、そうだったのかと合点した。この本は、清志郎がメジャーを干されて、インディーズというより、自主制作でアルバムを連発し、日本中をライブツアーでドサ回りしていた、そんな時に雑誌に連載されていたもので、ブルースマン、忌野清志郎がそのまま表れている。
おれも最近、自分がブルースマンのような気がして、そのブルースってのは、苦悩の音楽で、なぜそのような苦悩の音楽によって幸せを感じたり、救われたするのだろう、と思いめぐらすと、その答えも、この本には書かれているような気がする。「これだけは言っておく。ブルースを忘れないほうがいい」と言う清志さんの言葉に絶対的に共感し、忌野巨匠のぼくの大好きな名盤「メンフィス」を聴きたくなるのです。
ぼくといえば、ぼくのブルースマンであるぼく自身が、今度の土曜日(3月31日)の夜、小田急相模原のエルトピート(http://www.el-topito.com/)で歌っています。みなさん、ぼくのブルースを聴きにきてください。そして、空の向こうで歌を歌っているあの人と唱和しつつ、もう一度、言おう。
「これだけは言っておく。ブルースを忘れないほうがいい」


今回の福島での原発事故は熊本県の水俣での水銀公害の再来であるような気がする。ぼくは原発公害事件だと認識しているのだけど、いち早く福島で取材をし「書行無常」という本にそれを収めた写真家の藤原新也さんと四十年ほど前に水俣を書いた「苦海浄土」で有名な石牟礼道子さんの対談集「なみだふるはな」を一気に読んだ。公害事件についての対談というより、水俣の公害以前の水銀にも現代の経済成長にも汚染されていない、それ以前の水俣について、藤原さんが石牟礼さんから話をうかがうという内容であった。石牟礼さんの語る汚染以前の水俣に日本の、そして、世界の行くべき地を指し示されたような気がした。石牟礼さんの書いたこんなあとがきに、いかばかりの胸騒ぎとともに大きな当惑がやってきて、ぼくは小さな勇気をもらったような気もするのだった。引用します。
ある方がこんことをおっしゃいました。
「東京まで行ってみたがなあ、日本ちゅう国は見つからんじゃった。探しきらんじゃった。
東京にゆけば祖(おや)さまの国があるにちがいなか。わたしらは、その祖さまの人民じゃと思うとりました。さきの戦争も陛下のひと言で終わらせなはった。
いざというときには祖さまがおんなはると、こう思うてきましたばってん、わたしどもは、祖さまば持たん人民じゃろかいなあ。
どこにゆけばよかろか。
水俣は、日本の外になっとるにちがいなか。日本から見れば、水俣は行方不明になっとるちがいなか。
家族全員水俣病になって、もう三代目、いやいやもう四代目になっとる。ひょっとすればわざと、失(う)してられとるかもしれんと邪気まわりしたりして、こりゃ独立して、もう一つの世ば作れちゅうことじゃなかろかなあ」
今はなくなった、患者さんの言葉です。


震災から一年経とうとしている今、「世界が感嘆する日本人」という本を読んだ。さまざまな海外メディアの特派員が震災後の日本の庶民の立ち振舞いを伝えていて、それは感嘆され、賞賛され、敬意を持って報道されていたりする。そのようなことがこの本にはまとめられてあった。
日本人は昔から地震とともに生きてきた。まさに、日本列島は地震の巣窟のような場所に位置していて、そのことが日本人の心に影響しないわけわなく、ぼくたちの古くからの心が持つ習慣、日本人のエートスは地震ということが古層に常に横たわっているのは想像にかたくない。イギリスでは解説委員が、この日本の震災に際し、伊勢神宮がなぜ建て替えられ続けられているのかを考察している、そのような長文の論説が新聞にのったそうだ。この本にもそのほんの一部が抜粋されているけれど、全文を読んでみたい。
この本には今の海外特派員ではなく、過去の日本を訪れた外国人の見聞録も紹介されているのだけど、豊臣秀吉が治世をしていた時代に宣教師として訪日したポルトガル人のジョアン・ロドリゲスの言葉を引用しよう。
「日本人は極めて純真であり、儀式や外面的な華麗さを好む。また、秩序立てられた国家における礼節ある人間生活に必要なあらゆる種類の学問、芸術を持っている」
「彼らはみな非常に辛抱強く、餓えや寒さ、過酷な労働などの苦しみを耐えることに慣れている。庶民も貴族も非常に貧しいが、それを恥ずかしいこととはみなされない。そう考える節もない。なぜなら彼らは持っているわずかばかりのもので、正直に生き、礼節を重んじているからだ」
美しいではないですか。
明日、震災から一年目、三月十一日の夜、小田急相模原のスクールオブロック(http://blog.goo.ne.jp/ryusisekine)でゆっくりだけど、前に歩いていくような歌も歌いたいと思う。


登場する主人公は、レスター・ヤング、セロニアス・モンク、バド・パウエル、ベン・ウェブスター、チャールズ・ミンガス、チェト・ベイカー、アート・ペパー。ジャズと呼ばれる音楽の演奏者の人生のシーンを切り取って英国の作家、ジェフ・ダイヤーは短編集「バット・ビューティフル」を編んだのです。その本の翻訳者は日本の世界的作家、村上春樹。時間が錯綜し、悪夢が良き夢となるのを描いているかのようなこの小説は詩的で素敵でした。ジェフの自由な文体の文章はジャズの自由をミュージシャンの人生の力をかりて追い求める。レスター・ヤングを主人公にした「楽器が宙を飛びたいと望むなら」から一節を引用します。
-もう死んでしまっている。あっちからここまで光がやって来るのにとんでもなく時間がかかるから、光が届いた頃には、星なんてみんななくなっている。燃え尽きている。お前が見てるのはもう存在していないものなんだよ、レスター。現実にそこにあるものは、お前にはまだ見られないのさ。


内田樹さんの最新の著である「呪いの時代」を読んだ。前著「日本辺境論」もおもしろかったけれど、この「呪いの時代」はその前著を更に発展させて、震災と原発事故を踏まえ、交換経済から贈与経済を説き、他者への、そして、自分への呪いから解き放たれようというポジティブなメッセージに共感した。例えば、この著にはユダヤ神学者のエマニュエル・レヴィナスについて言及しているのだけど、それを引用させてもらいます。
「神が人間を創造したのだとすれば、人間は神の威徳と全能にふさわしい存在でなければならない。「神の威徳と全能にふさわしい存在」とはどのようなものでしょうか。これについてはエマニュエル・レヴィナスがきっぱりとこう書いています。「神の支援抜きで、地上に公正で平和な社会を構築しうるもの」、それが神が創造するだけの甲斐のある人間、神でなければ創造できない人間です」
なんというポジティブな言葉なのだろう。このレヴィナスの言葉は、ナチスの虐殺によって精神的にも壊滅状態にあった、第2次世界大戦後のヨーロッパのユダヤ人たちを強く勇気づけ、方向づけた、という。
ぼくはこの本を読んで、ローカルなものがいろんな世界で復権することによって、世界は一つになれるのではないかなどと何故か思いをめぐらした。それがもう一つのぼくたちのオルタナティブのグローバリゼーションなのかもしれない。
内田樹さんのホームページ「内田樹の研究室」
http://blog.tatsuru.com/




座禅ってどうするのかな、と思い、コンビニで偶然に見かけて読んだ曹洞宗のお坊さん、中野東禅さんの著した「心が大きくなる座禅のすすめ」を読みました。
実践的な座禅のいろんな仕方がたくさん書いてあったのだけど、禅のエッセンスを絵で表現した十牛図の解説も載せられていた。その十牛図の解説の中で八番目の牛の絵に「人牛倶亡」というのがあるのだけど、無があれば有もあって、空とはそれらを超える、というようなことが書かれているのだが、よくわからん。悟ろうとすれば、悟れず、わかろうとする心はわかることはない、と言われても、わからないので、とにかく座れということでしょうか。そこで、キッチンタイマーに10分をセットして座ってみると、雑念が次から次へとわいて、おもしろおかし。
和尚さん、雪がふっていますよ。おやすみなさいZZZzzz.....


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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