えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ



座禅ってどうするのかな、と思い、コンビニで偶然に見かけて読んだ曹洞宗のお坊さん、中野東禅さんの著した「心が大きくなる座禅のすすめ」を読みました。
実践的な座禅のいろんな仕方がたくさん書いてあったのだけど、禅のエッセンスを絵で表現した十牛図の解説も載せられていた。その十牛図の解説の中で八番目の牛の絵に「人牛倶亡」というのがあるのだけど、無があれば有もあって、空とはそれらを超える、というようなことが書かれているのだが、よくわからん。悟ろうとすれば、悟れず、わかろうとする心はわかることはない、と言われても、わからないので、とにかく座れということでしょうか。そこで、キッチンタイマーに10分をセットして座ってみると、雑念が次から次へとわいて、おもしろおかし。
和尚さん、雪がふっていますよ。おやすみなさいZZZzzz.....


「禅マインド ビギナーズ・マインド」という本を読んだ。これは北米に渡り、禅と仏教を広めた曹洞宗のお坊さんである鈴木俊隆さんの法話を本にしたもので、スティーブ・ジョブスも愛読したという。企業家のスティーブ・ジョブスが愛読したのなら、詩人のアレン・ギンズバークや小説家のジャック・ケラワックも愛読したのだろうか、と思い、いや、この本が出版されたのは1970年であるらしいから、ケラワックは既に没していたのに気づいた。ジム・モリソン以外のドアーズのメンバーが通った禅の道場とはこの鈴木さんのお寺、桑港寺だったのかしれない、と想像をたくましくする。そして、この本の出版後、1971年に鈴木俊隆さんも亡くなられた。
この「禅マインド ビギナーズ・マインド」には、禅では世界をどのように見て、どうとらえるのか、その精髄がやさしい言葉で語られていて、まず初めに読むようないい意味で教科書的な一冊となっている。何度でも読みたくなってくる。ところで、鈴木俊隆さんとはどのような人だったのだろう。この本の訳者、松永太郎さんのあとがきから引用させてもらいます。
「「海の向こうで、戦争しているのに、私たちは、ここでなにをしているのですか?」
老師は、聞き取れなかったので、弟子のジョン・スタイナーがもう一度繰り返しました。彼は、カリフォルニア大学バークレー校で反戦運動に参加していました。その日、マーケット・ストリートでは反戦のデモが予定されていました。
「海の向こうで戦争しているのに、なぜ、ここでみな集まっているのですか?」老師は微笑み、ジョンも微笑みました。
突然、猫がねずみを襲うよりもすばやく、老師は、上座から飛び降りて、ジョンの後ろに回り、警策(眠気をさまし、怠りを励ます木[主に樫]の棒)を伸ばして、大声で「合掌!」といいました。それから何度もジョンを打ち、叫びました。「愚か者。愚か者。時間を無駄にしておる」彼は何度もジョンを打ったので、ジョンは前のめりに倒れてしまいました。「夢を見ているのだ! 夢を見ているのだ! なんの夢を見ているのだ!?」
師が声を荒げたことを一度も聞いたことのなかった聴衆は、驚愕のあまり口もきけませんでした。師は、息切れして、ほとんど聞き取れない声でいいました。「怒っているわけではない。ただ・・・・・・」息をついでから「自分の靴の紐も結べないのに、なにをしようというのだ」
あとになって師は、ジョンに乱暴だったことを詫びたあと、「戦争中の日本の体験を思い出してな」といいました。ジョンは師の目に苦痛の色を見ました。袈裟の長い裾が、細い腕にかかっていて、ジョンは師の老齢、かぼそさ、その慈悲と苦悩に打たれたのです。」
禅とは何なのだろう。仏教とな何なのだろう。悟りとは何なのだろう。和尚、とにかく座ってみろということでしょうか。


日本の現代文学には津島佑子がいるではないか、と思う。ぼくが今、読み終えた小説「葦舟、飛んだ」は津島佑子さんが2009年から2010年まで毎日新聞に連載していた小説で重たいテーマを平易になさまざまな文体の言葉で紡ぎ、和声(ハーモニー)で歌いあげた傑作でした。テーマは九章目の「八 森へ行きましょう」の中に出てくるこんな言葉で言い表されていて、一箇所だけを引用させていただきます。
戦後、ウデヘ人が狩りに出てもさっぱり獲物が撮れなくなった。そんなことははじめてだった。
「戦争でたくさんの人が血を流したから、悪い神が憑いたらしいとの不安がひろがった。それでシャーマンに依頼して、天の神に祈りを捧げることにした。
・・・・・・地上に生きる人間のかぎりない愚かしさをお許しください。
そして、戦争で死んだ無数の気の毒な人たちの魂をお救いください。私たちはもう決して悪い神に近づきません。
ですから、私たち人間を哀れみ、どうか動物の賜物をお恵みください。
物語の内容はこれからの読者のためにやはり伏せておきます。そういえば、津島さんって太宰治の娘さんなのでした。親子二代、大小説家。そして、津島さんの小説にはいつも祈りのようなものがあって、読み終わったあとに静かな平和すら感じてしまう。


ラップやヒップホップが好きでよく聴いていたことがある。どんなのを聴いていたのかというと、Dr. Dre、Snoops Doggie Dog、Naughty By Nature、A Tribe Called Quest、Geto Boys、Boogie Down Productionなどなど。それらの音楽が本格的にメインストリームに昇りきったころに、ぼくはラップやヒップホップに興味を無くしたような気もしていたのだけど、裏通りで本物のヒップホップをする人たちはまだいるだろう。ラップにサンプリングループがほとんど使われなくなったころ、ぼくは聞かなくなってしまった。Dr. DreもNaughty By NatureもA Tribe Called QuestもGeto Boysも、ぼくは六本木や渋谷や水道橋でそのギグを生で見ているのだった。ぼくはそのころラップやヒップホップを今を生きるブルーズのような音楽だと感じて、聴いていた。
などと、思いだし書いてしまったのだけど、今だに歌い続けている日本のベテラン・ヒップホッパー、ECDの「何にもしないで生きていらんねぇ」を読んだのです。おもしろくて、一気に読めてしまった。マイナーな日本のロックのレコードへの感想やら、本の感想、万引きを繰り返す少年を主人公にした小説、アルコール中毒のこと、ヒップホップ観やラップ観や日記のようなものが、並べられて本にされた文集なのだった。この本を読んで、古友だちに本当にに久しぶりに出会ったようなうれしさすら感じたのだった。熱くて、頭がいかれていて、けでど、めっぽう本気で、正気でもある、そんな友だち。おやすみZZZzzz.....


51歳のラッパーのお父さんと27歳の写真家のお母さん、その間に2歳と0歳の子ども2人と猫3匹の日記をお母さんが綴った、そのような1年間の日記を読んだ。毎日の出費家計簿付きで、お父さんの月給は16万5千円で家賃11万円だそうだ。その本とは植本一子さんが著した「働けECD わたしの育児混沌記」。この本には貧困を越えての家族の愛の物語がいっぱいつまっています。そして、ページの間にさしはさまった一子さんのお父さんや子どもたち、猫ちゃんをとらえた写真があまりに美しくて素敵です。それから、脱原発のデモで知ったのだけどこのECDとかRankin' Taxiとかのベテランがとんがったまんま流されずにインデペンデントに音楽をつづけているのを知って、とってもうれしいです。
しかし、育児って大変そうだな。
植本一子さんのブログ
http://hatarakecd.exblog.jp/


大杉栄の「日本脱出記」という本を読む。大正時代や戦前の昭和がリバイバルしているのだろうか。数年前に小林多喜二の「蟹工船」ブームがあったっけ。大杉栄は大正時代の無政府主義者でこの本を書いた一年後、憲兵隊によって裁判もなく殺されてしまう。没年38歳の前年、ベルリンでの無政府主義者の大会に出席すべく、日本からヨーロッパに密航するのを記したのがこの本。この本を読むと当時の世界の様子が生々しく伝わってきます。ロシア革命が進行中で、フランス革命の起こった伝統的には自由の地、大杉の滞在したパリでも、無政府主義者や共産主義者への弾圧は吹き荒れていたのだなー。しかしながら、この本には政治的であったり、思想的であったりすることはほとんど出てこない。自由な旅行記なのです。そういえば、チェ・ゲバラがチェ・ゲバラになる前にアーネスト・ゲバラであったころに書いた「モーター・サイクル・ダイアリー」を思い起こさせる。「モーター・サイクル・ダイアリー」は無名のころのゲバラの本だけど、大杉栄はこのころ、天下の無政府主義者として全国に知られていて、官憲の監視下にあった。大杉栄とともに殺された伊藤野枝の生涯を描いた瀬戸内晴美(のちに寂聴)の「美は乱調にあり」という小説も良かったとうっすら記憶している。また読んでみようかなー。あと、大杉栄を殺した当時の陸軍大尉、甘粕正彦はこの後、満州に渡り、満州国建設で一役を担い、満州映画協会の理事に納まり、第二次世界大戦の終戦時に自殺。満州映画協会では李香蘭(山口淑子さん)らを主役に国策映画を作る。この「日本脱出記」は、激動の不幸な日本の現代史に突入する前夜だったのだろうか。さて、「日本脱出記」には次のような一節がある。
「そして、パパは? とだれかに聞かれても黙って返事をしないか、あるいはなにかほかのことを言ってごまかしておいて、ときどき夜になるとママとだけそっと何気なしのパパのうわさをしているそうだ。ぼくはこの魔子に電報を打とうと思った。そしてテーブルに向かって、いろいろ簡単な文句を考えては書きつけてみた。が、どうしても安あがりになりそうな電文ができない。そしてそのいろいろ書きつけたものの中から、次のような変なものができあがった。
魔子よ、魔子
パパは今
世界に名高い
パリの牢やラ・サンテに
だが、魔子よ、心配するな
西洋料理のご馳走たべて
チヨコレイトなめて
葉巻スパスパ ソファの上に。
そしてこの
牢やのおかげで
喜べ、魔子よ
パパはすぐ帰る。
おみやげどっさり、うんとこしょ
お菓子におべべにキスにキス
踊って待てよ
待てよ、魔子、魔子」
大杉栄さん、あなたのころは、無政府主義やら、共産主義やらが世界を動かす最新の思想の武器だったのでしょう。けれど、今、そんなものは無くなってしまったのかもしれません。あなたの自由を求める心とやさしさに感じます。
