えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

ずっと買ってこの本の読まなかったことには理由があったのです。本のタイトルであ
る「聖老人 百姓・詩人・信仰者として」というのが何か引っかかった。この著者山尾
三省氏は自分のことを「聖老人」というのかと思い、なんとぞんざいな人なのだろうと誤解していた。読み進めていくとすぐに「聖老人」とは、山尾さんが移住した屋久島に生きる樹齢何千年もの杉の大きな木をそう呼んでいるらしいことが分かった。
これは山尾さんの1968年から1981年までのつれずれなるままの記で、未来の可能性を探し、新しい生き方を求めたルポルタージュでもあり、その新しい生き方の宣言でもあり、内側の声に耳を傾ける私的な日記でもある。素敵な人だったんだろうな。いまごろ空の上で悩めるぼくたちを暖かい笑顔で見ているのだろう。その暖かい笑顔に励まされ、一歩踏み出した人もたくさんいただとうし、そのはじめの小さなしずくは小さな流れとなり、小川となり、川となり、明日に向けて、流れてゆく。ぼくは、川のほとりでその流れを眺めているみたいだけど、ガンジス河に集うヒンズーの信仰の人たちのように、沐浴してみようかなどと、思い浮かべてしまう。
山尾三省さんの詩の読めるページ
http://happano.org/pages/sansei_yamao/sansei_yamao_index.html


中上健次の紀州を巡るルポルタージュ「紀州 木の国・根の国物語」を読了した。この本は何度か読んだことがあるのだけど、こんな結論を書いていることを忘れていた。紀伊半島が素晴らしいのは被差別部落があるからだと中上は言う。
音楽ならば、R&B、Donny Hathawayの"The Ghetto"、レゲエのBob Marleyの歌う"Trench Town Rock"と歌うように、中上健次は歌おうとしていて、それは彼の文学の生涯のテーマであった。
ものは名付けられて、はじめて現れるというようなことを、ジャズのリフレインのように中上健次は繰り返すのだけど、その語りはアメリカの沖仲仕の哲学者と呼ばれたエリック・ホッファーのようだ。実際、このころ、中上はエリック・ホッファーを素晴らしいと言っていたと思う。
中上健次が尊敬する日本の二人の作家は谷崎潤一郎と三島由紀夫。昭和天皇が逝去した時、挽歌を歌うと言った中上健次。レゲエやジャズを愛する中上健次。路地の作家。中上健次という人がよくわからなくなる。
この本の旅は南紀の新宮に始まり、大阪の天王寺に終えるのだけど、読み終えて、その天王寺が、朝鮮半島を通じ、アジアを抜け、世界に広がるDonnyの歌った"The Ghetto"やBobの歌った"Trench Town"への通路のような気がしてきた。


中上健次の紀州、熊野、和歌山一帯を巡るルポルタージュ「紀州 紀の国・根の国物語」の文庫本で本屋で見かけて、買ってしまい、久しぶりに読んでいる。中上健次が紀州に住むいろんな人たちにインタビューをし、日本の文化の根元を探るというような内容の本です。この本の初出は今は無き「朝日ジャーナル」に載せられてもの。その直前に野間宏、安岡章太郎、中上の三人での「市民にひそむ差別意識」という座談会、いわゆる鼎談に参加し、その鼎談を受けて、このルポルタージュを連載し始める。その鼎談で中上は自分が出自が被差別部落であることを公に初めて発言するが、それは伏せられ、ある被差別部落出身の作家の話であると、野間宏の勧めで、校正時に変更している。その鼎談で、中上は三島由紀夫を高く評価し、元日本共産党員の作家である野間宏は強く反発したのだと、昔読んだ中上の発言集で読んだ記憶がある。
中上の小説は難しいけれど、この「紀州 紀の国・根の国物語」やエッセイをまず読んで、ぜひ他のいろんな小説も、読んで欲しい。世界中のいろんな音楽、ロックやジャズ、ブルーズ、ソウル、レゲエにつながる根っこを持っているような気もするのです。
さて、この「紀州 紀の国・根の国物語」は、さまざまな土地(その多くは被差別部落)の空気を吸い、さまざまな人の話を聞き書きし、紀伊半島を海岸線に沿いにさ迷い、大阪の天王寺で了となるが、ぼくはまだ「天王寺」の章まで読み進めていない。
「紀州 紀の国・根の国物語」以外での中上の作品のぼくのお薦めを紹介します。
まずはエッセイでは、「鳥のように獣のように」、「夢の力」、「破壊せよ、とアイラーは言った」、「スパニッシュ・キャラバンを捜して」など。その他も中上のエッセイはおもしろい。
初期の青春ものの短編小説集はあまり難しくなく、とっつきやすく、けれど、刺さってくる。「十八歳、海へ」、「十九歳の地図」、「鳩どもの家」。
紀州熊野を舞台とした短編集。「岬」、「蛇淫」、「化粧」、「水の女」、「千年の愉楽」、「熊野集」。圧倒的な筆力を感じます。
長編では、「枯木灘」、「地の果て至上の時」、「奇蹟」。この三作は難しくて、やばい。
1992年に若く46才で逝ってしまった中上健次だけれど、ぼく選んだものの中で、「奇蹟」以外の全ては、1980年代中期までの作品で、逝ってしまう間際の中上は新しい文学を求めて模索中だったようにも思う。長生きして、二十一世紀の日本と世界を語って、そして、新しい中上健次として書いて欲しかった。
中上の小説は難しいけれど、この「紀州 紀の国・根の国物語」やエッセイをまず読んで、ぜひ他のいろんな小説も、読んで欲しい。世界中のいろんな音楽、ロックやジャズ、ブルーズ、ソウル、レゲエにつながる根っこを持っているような気もするのです。
さて、この「紀州 紀の国・根の国物語」は、さまざまな土地(その多くは被差別部落)の空気を吸い、さまざまな人の話を聞き書きし、紀伊半島を海岸線に沿いにさ迷い、大阪の天王寺で了となるが、ぼくはまだ「天王寺」の章まで読み進めていない。
「紀州 紀の国・根の国物語」以外での中上の作品のぼくのお薦めを紹介します。
まずはエッセイでは、「鳥のように獣のように」、「夢の力」、「破壊せよ、とアイラーは言った」、「スパニッシュ・キャラバンを捜して」など。その他も中上のエッセイはおもしろい。
初期の青春ものの短編小説集はあまり難しくなく、とっつきやすく、けれど、刺さってくる。「十八歳、海へ」、「十九歳の地図」、「鳩どもの家」。
紀州熊野を舞台とした短編集。「岬」、「蛇淫」、「化粧」、「水の女」、「千年の愉楽」、「熊野集」。圧倒的な筆力を感じます。
長編では、「枯木灘」、「地の果て至上の時」、「奇蹟」。この三作は難しくて、やばい。
1992年に若く46才で逝ってしまった中上健次だけれど、ぼく選んだものの中で、「奇蹟」以外の全ては、1980年代中期までの作品で、逝ってしまう間際の中上は新しい文学を求めて模索中だったようにも思う。長生きして、二十一世紀の日本と世界を語って、そして、新しい中上健次として書いて欲しかった。


最近、「もう一度読みたい宮澤賢治」という本を読んでいる。未だ読了してはいないのだが、その本には賢治先生(宮澤賢治の故郷の岩手県花巻の人はそう呼ぶ)の二十二編の童話、物語と十三編の詩が収められいる。
その本に収められて物語を読むと、その文章の中に「[一字空白]」というように書かれているところがあって、それは文字通り原稿には一字がすっぽりと空白の部分なのだ。この本に掲載されている物語よりももっと膨大な数の物語や詩を賢治は書いたのだが、そのほとんどが本となって正式に発表される当てのないまま書き綴られたことが、「[一字空白]」から分かってしまう。
宮澤賢治は花巻の稗貫農学校(のちに花巻農学校、現花巻農業高等学校)で教師という仕事をしていたから、時にはその童話を生徒たちに読み書かせたことはあっただろう。たくさんの絵や音楽すら残している賢治が発表の当てのないまま書き綴っていった、賢治にそんなたくさんの創作を常にかき立てていた、それとは何だろうか? しかも、僭越すぎるかもしれないけれど、教室で生徒たちに物語を語って聞かせる賢治先生とライブバーやらで歌をうたうぼく自身が、ダブって見えることもあるこのごろ。
Muddy WatersがMuddy Watersになる前のMcKinley Morganfieldであったころの素晴らしい録音集"The Complete Plantation Recordings"を聴きながら、これを記す。
(来る5月29日(土)に小田急相模原のbar School of Rock(http://blog.goo.ne.jp/ryusisekine)でまた歌います)
その本に収められて物語を読むと、その文章の中に「[一字空白]」というように書かれているところがあって、それは文字通り原稿には一字がすっぽりと空白の部分なのだ。この本に掲載されている物語よりももっと膨大な数の物語や詩を賢治は書いたのだが、そのほとんどが本となって正式に発表される当てのないまま書き綴られたことが、「[一字空白]」から分かってしまう。
宮澤賢治は花巻の稗貫農学校(のちに花巻農学校、現花巻農業高等学校)で教師という仕事をしていたから、時にはその童話を生徒たちに読み書かせたことはあっただろう。たくさんの絵や音楽すら残している賢治が発表の当てのないまま書き綴っていった、賢治にそんなたくさんの創作を常にかき立てていた、それとは何だろうか? しかも、僭越すぎるかもしれないけれど、教室で生徒たちに物語を語って聞かせる賢治先生とライブバーやらで歌をうたうぼく自身が、ダブって見えることもあるこのごろ。
Muddy WatersがMuddy Watersになる前のMcKinley Morganfieldであったころの素晴らしい録音集"The Complete Plantation Recordings"を聴きながら、これを記す。
(来る5月29日(土)に小田急相模原のbar School of Rock(http://blog.goo.ne.jp/ryusisekine)でまた歌います)


棚の奥からある詩集が出てきた。それは「チャー坊遺稿集」という。チャー坊とは、昔、「村八分」という放送禁止用語をバンド名に冠した日本のロック・バンドがあって、その村八分のヴォーカリストであった人で、本名を柴田和志という。村八分は1960年代にダイナマイツのギタリストであった山口冨士夫が、アメリカを旅しローリング・ストーンズのオルタモント駐車場でのフリー・コンサートを見て帰国したチャー坊を誘い、1971年に結成したバンドであった。村八分は1973年までにシンプルなブルース・ロックを演奏し、歌詞はチャー坊のオリジナル日本語詞で、その詞もヴォーカルも本当にオリジナルで素晴らしく、冨士夫のシンプルなギター・リフが音楽を滑空させていた。1973年に2枚組のライブ・アルバムを発表し、休止状態になる。山口冨士夫と柴田和志が協同して初めて作った曲が「くたびれて」という楽曲で、柴田和志は石川啄木やフランスの詩人、ランボーが好きだったらしく、こんな詞であった。
「あるいても あるいても
はてどなく はてどなく
にぎりしめた手のひらは
あせばかり あせばかり
あるいては 立ちどまり
目を閉じて ふりかえる
心にしまった宝は
さみしさばかり
あるいては くたびれて
ふりかえり くたびれて
にぎりしめた手のひらは
くたびれて くたびれて」
チャー坊はバンドがなくなったあと、旅に出る。1973年から1975年ぐらいまで、世界中を旅し、あらゆるメディシン、ドラッグを経験したという。帰国後の1975年、薬物中毒と統合失調症(旧名:精神分裂病)を発症。度重なる入退院を繰り返す。1977年と1979年に山口冨士夫と村八分を再結成している。1979年のライブ音源がCDとなり公式にリリースされているのだけど、モータウンのスタンダードなども山口冨士夫のボーカルで演奏している。この1979年の再結成はあまり評判が良くなかったらしいのだけど、今、聴くとこの時のライブは本当に素晴らしい。この時に「Red Letter(思想犯の手紙)」という曲を英語の詞で新曲として披露しているのだけど、もともとの日本語の詩はこう。
「帰りたい君の住む家へ
なんて遠くまできちまったんだろう
はやく はやくたどりつきたい
君の住む家へ帰りたい
あなたを愛してるから
今 赤い手紙を書いている
今から海を見にいくんだ
流れ星を見たことあるかい
何かいい事があるぜ
思想犯の手紙 悲しい手紙だぜ
ガンバレ赤軍 赤い星 人は殺すな
東大闘争の人たち覚えているかい
銀色の涙を流す老母よ 元気を出すんだ
銀色の涙を流す老母よ 海は近い
今 赤い手紙を書いている
帰りたいあなたの住む家へ
もう帰れないのだろうか
はやく帰りたい」
その後、再び、入退院の繰り返しとフラッシュ・バックとの戦い。1990年に山口冨士夫抜きで村八分を再始動。年に数本のライブをする。1994年に逝去。死の直前に書かれた題名の無い詩がある。
「このなげき 悲しみを 誰がわかるというのかい
このなげき 悲しみを 誰がわかるというのかい
生や死 どうすればいいんだい 自殺しろというのかい
おれはそんな勇気はもうないぜ 動機もないぜ
そりゃー昔は自殺にあこがれたもんだぜ
だけど今 おれには生きるよろこびが生まれてきたんだ
ステージがあるぜ ずーっと闘病生活だった
天に星 地に花 人に愛
おれは生きるよろこびを認識していきたいぜ
たしかなものにしたい 生きててよかった
そう思いたい
誰にも邪魔されたくない
おれはひっしでみつけたんだ
おれには音楽や美術があるってね
わかってくれよ おれの事
麻薬でだめになったおれの事を
はいじんを
このなげき悲しみを誰がわかるというのか
友よ 友がほしい おれはしょうしょう気ちがいだけど
この苦しみ苦悩を誰がわかってくれるのか
誰かわかってくれよ
わかってくれよ 麻薬ではい人になったおれの事を
オレにはステージがあるぜ!
オレにはステージがあるぜ!
オレが死んでも時々思い出してくれるかい
オレが死んでも時々思い出してくれるかい」
思い出すさ。この心やさしき革命的な詩人にレスペクト! そして、ロック・シンガー、ダンサー、パフォーマー。命日は四月二十五日であった。


本の帯にこんな言葉がある。
「中上健次は、そこを路地と呼んだ 「路地」とは被差別部落のことである」
この帯の文がちょっとショッキングかもしれない上原善広さんの著した「日本の路地を旅する」という本を読んだ。東京近郊の新興住宅地に育ったぼくは被差別部落と言われても、はなはだピンとこず、中上健次の小説を読んでも、「路地」が被差別部落であることを長い間、気付かなかったほどなのだ。この著者である上原善広さん自身がそのような所の出身であるらしい。「それは、自らのルーツをたどる旅でもあった」ともう一つの帯の言葉にあるのだけど、過去に犯罪を犯した兄を沖縄に訪ねる終章を読み終わって、心の中のモヤモヤの澱が、出口を求めてたまってしまう。
知らないことがいっぱい書かれていた。デモ登校と言って、子どもに「差別反対」と書いたゼッケンのようなものを着せて登校させるようなことや教室の中で「ぼくは被差別部落出身です」と啓蒙の意味を込めて宣言するというようなことが大阪では行われるのか? 驚いてしまう。
昔、白土三平の「カムイ伝」という漫画を読んで、そういう被差別部落とかって、不謹慎かもしれないが、かっこいいんじゃないかと思ったこともある。
中上健次曰く「異族」という人たちもぼくたちの社会にも身近にいるのだが、同じ時代を生きていく仲間として、仲良くやっていった方がいいのではないかと思うぼくは、甘いのだろうか? けれど、人の幸せよりも、まずは自分の幸せだな。


忘れ去られそうで、忘れることのできない作家、中上健次の小説に出会ったのは高校生のころであった。そんな中上健次に21世紀の今、インターネットの動く絵の世界、YouTUBEで再会した。
初めて中上健次の小説を読んだ時、ここに描かれたような処が本当に日本にあるのだろうかと思うほど、衝撃を受けたのだったけど、それは「岬」という短編集で、この「岬」という小説の南紀州にあるらしい舞台は「路地」と中上から名付けられ、その「路地」を舞台とした小説は「枯木灘」や「千年の愉楽」、「地の果て、至上の時」に書き連ねられていく。後でこの「路地」という場所が和歌山県の新宮市の被差別部落であるらしいことを知った。なぜ分からなかったかは、中上の「路地」を舞台にした小説には「差別」やら「解放」という言葉の一字も出てこないことによる。
中上健次はエッセイもたくさん残した人で、そのエッセイによってジャズのアルバート・アイラーやジョン・コルトレーンを知った。ボブ・マーレイについて書いていた。対談でビートルズをいいと言っていた。ぼくはニューヨークのイースト・ヴィレッジやリバプール、ジャマイカのキングストンにも中上の「路地」があるような気がする。
中上健次は1992年に逝ってしまったのだけど、中上健次の故郷の新宮市に旅をしたことがある。「路地」らしいところはどこにも無かった。中上が「路地」を舞台にした小説を書き連ねているころ、市の同和行政によって、「路地」は再開発され消失したと言う。
小説家の宮内勝典はニューヨークのイースト・ヴィレッジの麻薬密売人がたむろするところからスラム街の奥まで、中上と歩き入ったそうだ。微塵も臆せず歩く中上に不安になり、宮内氏は中上に大丈夫かと尋ねると、中上はこう呟いたと言う。
「おれはこういうところで生まれたんだからな」
このYouTUBEには韓国のソウルに「路地」を発見し、ご機嫌な中上健次がいる。
http://www.youtube.com/watch?v=ZtxAvSuuGGo
何か一冊と言われれば「紀州 木の国・根の国物語」をお奨めします。南紀を旅してのルポルタージュでありエッセイなのだが、中上健次の作品の中では読みやすく、けれど、内容は濃い。古本屋とかで見かけたら読んでみてください。
初めて中上健次の小説を読んだ時、ここに描かれたような処が本当に日本にあるのだろうかと思うほど、衝撃を受けたのだったけど、それは「岬」という短編集で、この「岬」という小説の南紀州にあるらしい舞台は「路地」と中上から名付けられ、その「路地」を舞台とした小説は「枯木灘」や「千年の愉楽」、「地の果て、至上の時」に書き連ねられていく。後でこの「路地」という場所が和歌山県の新宮市の被差別部落であるらしいことを知った。なぜ分からなかったかは、中上の「路地」を舞台にした小説には「差別」やら「解放」という言葉の一字も出てこないことによる。
中上健次はエッセイもたくさん残した人で、そのエッセイによってジャズのアルバート・アイラーやジョン・コルトレーンを知った。ボブ・マーレイについて書いていた。対談でビートルズをいいと言っていた。ぼくはニューヨークのイースト・ヴィレッジやリバプール、ジャマイカのキングストンにも中上の「路地」があるような気がする。
中上健次は1992年に逝ってしまったのだけど、中上健次の故郷の新宮市に旅をしたことがある。「路地」らしいところはどこにも無かった。中上が「路地」を舞台にした小説を書き連ねているころ、市の同和行政によって、「路地」は再開発され消失したと言う。
小説家の宮内勝典はニューヨークのイースト・ヴィレッジの麻薬密売人がたむろするところからスラム街の奥まで、中上と歩き入ったそうだ。微塵も臆せず歩く中上に不安になり、宮内氏は中上に大丈夫かと尋ねると、中上はこう呟いたと言う。
「おれはこういうところで生まれたんだからな」
このYouTUBEには韓国のソウルに「路地」を発見し、ご機嫌な中上健次がいる。
http://www.youtube.com/watch?v=ZtxAvSuuGGo
何か一冊と言われれば「紀州 木の国・根の国物語」をお奨めします。南紀を旅してのルポルタージュでありエッセイなのだが、中上健次の作品の中では読みやすく、けれど、内容は濃い。古本屋とかで見かけたら読んでみてください。
