えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

ギターというのは不思議な楽器で、初めは鳴らなかった楽器も、何度も何ヶ月も何年も弾いているうちに、その年月とともに、弾いているその人に合わせて鳴り始めたりする。ぼくは実はギターの中に幽霊がいるのではないかと思ってもいる。
「ブルースギター大名鑑 写真と名器でたどる名器とブルースの世界」という本を眺め、読んでいる。Muddy Watersは赤いフェンダー社のテレキャスタで"Hoochie Coochie Man"を、"Got My Mojo Working"を、"Manish Boy"を奏でたのであるらしい。赤いテレキャスタは楽器屋さんやネットショップで要チェックだなぁなどと、思う。MGSのSteve Cropperもテレキャスタばかりを弾いて、Otis Reddingのバックで弾いたそうだ。Jimmy Reedが弾いていたのは通信販売で売られていた廉価なKayのギター。どんな音かは残されたレコードやCDを聴くとわかるのだけど、本物を触って弾いてその音を聴いてみたい。
この本はギター好き、ブルース好きの人に向けた素敵な大人の絵本ですな。


一篇につき一人の主人公がおり、彼らは男性で第二次世界大戦時にドイツから他のどこかに移住せざるえず、過去のハーケンクロイツの悪夢を持っていて、自ら命を絶ってしまう。ドイツ人作家、W. G. ゼーバルトの著した「移民たち 四つの長い物語」という本を読んだ。
いろんなページに写真の挿絵が入っていて、それが物語の文と化学反応を起こし、読み進めていくうちに、不思議な目眩感がやってきます。大きな物語ではなくて、心に自ら命を絶たなくてはならないほどの絶望的な深い傷を負った名もない人の人生を、虚飾もなく、かといってドキュメンタリー的でもなく、掬いとろうとしているかのようだ。読んだあとにやってくる、何にもなくなるかのような、同時に、確かに何かあって、古い友だちの写真を本棚の隅から見つけたかのような、残り続ける懐かしさは、夢のなかで酔っているかのようです。


素敵な読後感の残る読書をした。津島佑子さんの最新作「黄金の夢の歌」を読んだのです。夢の歌を聴きにキリギスを旅する津島さんは、その旅の中で、歌が時代や距離を多分、光の速さを越えて、飛び、移動し、アイヌやアボリジニの歌やらにも繋がるり、世界が一つのような、懐かしいその調べを聴いたんだな。その調べの少しでもをぼくも聴いたような気もしたのです。
津島佑子さんは太宰治の忘れがたみの娘さんで、中上健次の朋輩だった人。人は移動し、混じりあい、夢の歌を歌うというと、中上健次っぽくもあるけど、そんな小説です。そして、津島さんはローレン・バコールのようなしゃがれた割れた声でしゃべる人であるらしい。
ぼくも夢を見て生きてきました。おやすみ。


ぼくがアフリカ系アメリカ人(African American)の音楽に興味を持ち始めたのは初期のローリング・ストーンズがカバーしている元の楽曲を聴いてみたいと思ったからだった。そのころ、そういう音楽のとことを日本では「黒人音楽」と呼ばれていた。ふと本屋に入って、雑誌コーナを覗くと「黒人音楽」という言葉が目に飛びこんできた。中をペラペラめくり、その魅了的なグラビア写真に惹きつけられもして、買ってしまった。それは「男の隠れ家 2010 Januaru 1 ロック&ポップスを産んだ黒人音楽の世界」。
ゴスペル、ブルーズ、ソウル、ジャズと章立てされていて、鈴木啓志さんらの文章にも力が入っている。マイノリティこそ主流の文化を作れてしまうことの不思議を思い、それは、ゴスペル、ブルース、ソウル、ジャズを聞きながらのアメリカを縦断するロード・ムービーのような特集なのです。それぞれのジャンル毎のCD「必聴の20枚」というものになるほどと思い、ゴスペルのコーナーで紹介されていた"The Great Shrine Concert"を迷わずアマゾンで購入してしまった。
黒人音楽を聴き始めのきみにお薦めの雑誌の特集号です。


よく、CSの朝日ニューススターというチャンネルの「西部邁・佐竹信の学問のすゝめⅡ」という番組を見てしまう。この番組、保守の論客と番組では言われる西部氏とリベラルの論客であるらしい佐竹氏が一冊の本を取り上げて、合評するというもの。たいがいは激しくけなされる。まあ、好意的に取り上げられたのはチャーチル著の「第二次大戦回顧録」とか多くなく、京セラの創業者である稲盛和夫氏の著である「生き方」などは、ぼろくそにけなされ、人生観そのものにも異を二人してとなえていた。いつも、政治的立場としては対立する二人が意見と評価の一致を見ているのがちょっと不思議。
その二人が意見を一致して珍しく素晴らしいと言っていた本が川上未映子さんの著した「ヘブン」という一冊で近所のブックオフで見つけ、買って読んだ。いわゆる中学生のイジメの話。いやだなー、いたいなーと思いながらも、読み進められずにはいられない本でした。
この本にあるような過酷なイジメはぼくのまわりにはなかったように思うが、もしかして、ぼくが気づかなかっただけなのかもしれない。いじめられてても気づかない自分なのかもしれない。服従し続ける男子の主人公と女子の主人公のその行動が不可解だ。いまいち、この本の世界に入り込めなかった。思い出すに、昔、教師の体罰とか生徒同士の喧嘩とか当たり前のようにあったなー。今のティーンエイジャーはどういう時間を過ごしているのだろう?


ずっと買ってこの本の読まなかったことには理由があったのです。本のタイトルであ
る「聖老人 百姓・詩人・信仰者として」というのが何か引っかかった。この著者山尾
三省氏は自分のことを「聖老人」というのかと思い、なんとぞんざいな人なのだろうと誤解していた。読み進めていくとすぐに「聖老人」とは、山尾さんが移住した屋久島に生きる樹齢何千年もの杉の大きな木をそう呼んでいるらしいことが分かった。
これは山尾さんの1968年から1981年までのつれずれなるままの記で、未来の可能性を探し、新しい生き方を求めたルポルタージュでもあり、その新しい生き方の宣言でもあり、内側の声に耳を傾ける私的な日記でもある。素敵な人だったんだろうな。いまごろ空の上で悩めるぼくたちを暖かい笑顔で見ているのだろう。その暖かい笑顔に励まされ、一歩踏み出した人もたくさんいただとうし、そのはじめの小さなしずくは小さな流れとなり、小川となり、川となり、明日に向けて、流れてゆく。ぼくは、川のほとりでその流れを眺めているみたいだけど、ガンジス河に集うヒンズーの信仰の人たちのように、沐浴してみようかなどと、思い浮かべてしまう。
山尾三省さんの詩の読めるページ
http://happano.org/pages/sansei_yamao/sansei_yamao_index.html


中上健次の紀州を巡るルポルタージュ「紀州 木の国・根の国物語」を読了した。この本は何度か読んだことがあるのだけど、こんな結論を書いていることを忘れていた。紀伊半島が素晴らしいのは被差別部落があるからだと中上は言う。
音楽ならば、R&B、Donny Hathawayの"The Ghetto"、レゲエのBob Marleyの歌う"Trench Town Rock"と歌うように、中上健次は歌おうとしていて、それは彼の文学の生涯のテーマであった。
ものは名付けられて、はじめて現れるというようなことを、ジャズのリフレインのように中上健次は繰り返すのだけど、その語りはアメリカの沖仲仕の哲学者と呼ばれたエリック・ホッファーのようだ。実際、このころ、中上はエリック・ホッファーを素晴らしいと言っていたと思う。
中上健次が尊敬する日本の二人の作家は谷崎潤一郎と三島由紀夫。昭和天皇が逝去した時、挽歌を歌うと言った中上健次。レゲエやジャズを愛する中上健次。路地の作家。中上健次という人がよくわからなくなる。
この本の旅は南紀の新宮に始まり、大阪の天王寺に終えるのだけど、読み終えて、その天王寺が、朝鮮半島を通じ、アジアを抜け、世界に広がるDonnyの歌った"The Ghetto"やBobの歌った"Trench Town"への通路のような気がしてきた。


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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