えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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この前テレビで村上龍のが司会している「カンブリア宮殿」というテレビに民主党小沢幹事長が出演していて、見ていたら、長崎2区選出の福田衣里子議員も少しだけ出ていた。それで興味を持ち、どんな人なんだろうと思い、薬害肝炎訴訟の原告でもあった福田衣里子さんの著した「覚悟。」という本を読んでみた。胡散臭そうに思える政治というものの実態のようなものが少しわかった気がする。まだ20代で現場で果敢に戦う彼女は偉いなぁなどと思った。薬害訴訟の一部始終も書かれていて、官僚や政治家のあくまでも責任逃れをしようとするどうしようもないズルさもよく分かった。

薬害と言うと、エイズの緑十字の事件からそれほど長くたってはいないのではないか? 同じことが繰り返されているのに唖然とする。薬害エイズの時は現副総理の管直人氏はよくがんばっていたけれど。

村上龍は小沢氏のことを最後の政治家と呼び高く評価しているのだが、政治家の本分って何だ? 景気はいっこうに回復しないけれど、それ以前に、日本の社会に対しての信任や信用、信頼の問題であると思う。福田さんのような人がいるから、今しばらくは民主党にエールを送っていようか?


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藤原新也さんの新しい文庫本「黄泉(よみ)の犬」を一気に読み終えてしまった。一気に読み終えてしまえるほど、この本はおもしろかった。オーム真理教、麻原彰晃と水俣病の関係性(?)、神戸の震災から著者の若かりしころのインド放浪へと遡行する旅と思索のドキュメントは、ところどころに本当に心の浄められるかのような出会いの物語すら含んでいる。この本に出てくるインドの船頭の即興の舟歌、アスマーサン/・・・あぁ、アスマーサン/おいらはこうして、ゆっくりとアスマーサンに向かって舟を漕いでるよと歌い始められるその歌のアスマーサンとは、火葬場という意味なんだけど、その歌は本当に美しい。そして、歌の続きはこの本を読んでみてくださいと言っておこう。付け加えるに、藤原氏の初期の代表作である「メメント・モリ」の種明かしのようなところもあり、興味深い。この本を読む前に「メメント・モリ」という写真集をじっくり眺めて見ることもお奨めします。

しかし、藤原新也さんはこう言うのではなかろうか? 藤原新也を読んだごときで世界を分かった気になるんじゃねーよ、と。生きるって何だ? 死ぬってどういうことだ? その答えはこの本にははっきりとは書かれてはいないけれど、この本に出てくる乞食同然の修行僧の平穏なやさしさに感じてしまう。すべては火葬場で焼かれて灰になるとしても、自分の人生が例えば、この本に出てくるような毎朝毎晩の山羊の乳搾りでしかなくても、死ぬことより、生きていった方が良いのかもしれないと、ぼんやりと思ってしまう。どうですか、藤原さんと尋ねても、答えてはくれない。それでいいんだ。


藤原新也さんのページ
http://www.fujiwarashinya.com/




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この前、農業を始めた友だちからその彼らの畑を見せてもらった時、ふと、かなり昔に、小説「楢山節考」を著した深沢七郎さんのラブミー農場を訪問した時のことを思い出した。埼玉のなだらかな半田舎にあるそこで深沢さんといろんな話をした。

深沢さんはぼくに訊いたのだと思う。
「小説なんて読むの?」
「はい、読みますけど」
「お、こわい。で、どんな小説家を読むの」
「まず、深沢さん。それに中上健次とか谷崎潤一郎とか武田泰淳とか三島由紀夫が好きです」
「中上健次の「枯木灘」はいいねー。谷崎潤一郎はいいねー。武田泰淳は東洋大学にいたなー。三島はいいけどよ、最後は変な風になっちまいやがってよ」
武田泰淳は東洋大学で中国文学の先生をしていたのだっけ。三島由紀夫について語る時は、にがにがしいというより、残念そうな感じだった。

深沢さんは音楽のことを訊いてきた。
「音楽なんて好きなの?」
「ええ、最近、友川かずきが好きです」
「この前、友川はここに来て、畑の草、抜いていったよ。友川はいいんだけどよ、あの難しいような詞は、歌っていうより文学って感じじゃないか? おれはエルビス・プレスリーみたいな、好きだの、惚れたの、恋だの、なんだのって歌っているのが好きよ。ああいう簡単なのが歌っていうんじゃないかね? あっ、そうだ、ロッド・スティワート、聴く?」
そう言って、深沢さんはロッド・スティワートのレコードをかけてくれた。ラブミー農場のラブミーはエルビス・プレスリーの「ラブ・ミー・テンダー」から来ているらしい。

ぼくは深沢さんに少しミーハー的なことを訊いてみた。
「クマさんとか来るんですか?」
「クマはよ、最近、テレビとかに出て、偉そうなこと言ってやがるから、破門にしてやった。ハハハ」
と笑う。クマさんとは最近でも北野武のテレビ番組「たけしの誰でもピカソ」に出演している鉄のゲージツ家クマさんのこと。なんか、クマさんって深沢さんの魂を一番継いでいるなぁとふと思う。破門された時は寂しかっただろうなー。

ぼくとぼくと一緒に来た友だちと二人で畑の草取りをした。草取りとは雑草取りのことです。夕方、深沢さんの作ってくれたカレーライスがおいしかった。

深沢さんが見たという戦争未亡人の遺品か何かの話をしてくれた。深沢さんが見たというものは、ある大きな紙に戦死した夫の命日とその日からの毎年が書かれていて、毎年毎年の一年毎にその未亡人の自分の陰毛がテープか何かで止められているものだったそうだ。
「あれには感動したよ」
深沢さんは独言のように言った。

「今度は一人一人別々に来な」
と深沢さんは別れ際に言った。帰路、一緒に来た友だちこう訊かれた。
「どう思った?」
「人嫌いの変人のおじいさんって感じでしたね」
その数年後に深沢さんは逝ってしまった。

などと思い出し、ネット・サーフィンしていると、深沢さんの、雑誌に掲載されて以来、ある事件によって、決して書籍にはならなかった発行禁止のような「風流夢譚」が読めるページを発見した。あぁ、こんな小説だったのか? その他の深沢七郎の小説やエッセイも再読したくなった。

「風流夢譚」の読めるページ
http://azure2004.sakura.ne.jp/s_hukazawa/huryumutan.htm

クマさんのページ
http://www.kuma-3.com/



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野球に打ち込む中学生の1年間を描いた全6巻の小説を読んでしまった。あさのあつこさんの著した「バッテリー」、「バッテリーⅡ」、「バッテリーⅢ」、「バッテリーⅣ」、「バッテリーⅤ」、「バッテリーⅥ」の6冊。なんか、突飛かもしれないけれど、中上健次の秋幸(あきゆき)を主人公とする「岬」、「枯木灘」、「地の果て至上の時」の3部作を思い出した。秋幸が「バッテリー」での巧(たくみ)の物語を違えた兄弟であるかのようなのは、巧という天才中学生ピッチャーを通して、あさのさんがジャズのテーマのように何度も繰り返して書くこんな一説からによる。

「親の職業も、学校の成績も、野球に何の関係もない」

「そこには、さみしいだろうとか気を悪くしたかなんて心づかい無用だと思う。ごちゃごちゃした感情はいらないのだ」

「このボールを誰よりも速く投げること。向かってくる相手より強くなること。野球ってそんな単純なものじゃないのか」

物語が進むにつれ、このテーマが聞こえなくなっていき、このテーマから巧が解放された時、物語は途絶え、唐突にラストをむかえる。ぼくは、今まで自我のかたまりであったかのような巧が、実は最も自分を抑圧していたのであって、むしろ、最後の最後の試合の場面で、巧は自分の人生を生き始めたように思え、感動した。

子供のころは子供のころでいろんな悩みがあったような気がするなぁ。


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坂本龍馬に興味を持ちそのことを話したら、友だちから歴史っておもしろいよ、何か本とか読んだらと言われて、何気なく本屋に立ち寄ったら、偶然「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」という本を見つけ、買って読んでしまった。2008年の米国のサブ・プライム・ローンの崩壊とそれに伴う株式市場の崩落は1929年の世界大恐慌にもたとえられ、1929年から世界はどう大戦にはまり込んで行ったのか、日本と日本人はどうであったのか、など興味があったのです。この本は東京大学の先生あである加藤陽子さんが栄光学園高等学校の歴史研究部の生徒たちに向けた実際の講義録になっていて、お馬鹿なぼくにも理解しやすいかなと思って読み始めたのだが、高校生を侮っていた自分を知った。歴史というのは人と場所と時間の物語でもあることもよく分かった。しかし、何か、読み終えると、第二次世界大戦の日本の壊滅的な敗戦をまず用意したのは日清戦争の勝利であったような気もした。好事魔多し。因果応報。

危機の時代に庶民はどうすればいいのだろう? 選挙ですか? デモですか? みんなが戦争をしたがっていたら、どうすればいいんでしょう? おれはおれだ。先生、教えて。

話はこの本から外れるが、テロによって崩落したツィン・タワーの瓦礫のあとにこう落書きがされていたそうだ。

「許してやれ」

イラクやアフガニスタンへの派兵でなく、アメリカはこの落書きによって勝利者ではないだろうか? 不謹慎かな?

再び、加藤陽子先生の本の話に戻って、この本はインチキじゃない良い本だと思った。学者らしい客観の矜持に見え隠れする戦争を起こさないことへの深い思いゆえにです。お奨めです。


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高校生のころ読んだ本を古本屋などで見かけるとつい手にとってしまう。丸山健二氏の著した「雨のドラゴン」を買って読んでしまった。話の筋とか、すべて忘れてしまっていたなぁ。登場する人物は三人と一匹で、病み上がりの十代のぼく、その隣に住む家出を企てる少女から大人になり変わろうとしている女性のハト、海の見える郊外の住宅地の空家にふらりとやってきてすみ始めた謎の巨人のような男のドラゴン、そのドラゴンとともに住む獰猛そうな大きな犬のキバ。ひと夏の青春のメルヘンなのであった。おー、ラストとか、結構、感動した。

1973年発表の小説であるという。時代を感じた。1960年代から続いた氾濫の夏の終わりを暗示しているかのようだ。レクイエム、鎮魂歌なのです。

映画にしたらおもしろそう。プロレスラーの高山善廣選手をドラゴンの役にしたりして。


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最近、相撲をよくテレビで見る。上位陣が外人ばかりなのに驚いた。朝青龍が優勝した時、行事から勝ち名乗りを受けて、握りこぶしを高々と上げたのにも驚いた。

勝者は誇らないというのは武道や相撲の現す日本の文化の美しさだと思うのだが、どうだろう? そのような日本文化は美しさは日々失われていっているらしいのだが、それは、やって来る外国人のせいでもないのだとも思う。日本ほど外からやってくる文化に対してある種の受容をする国はないとも思う。芥川龍之介の書いた「神々の微笑」の中でキリスト教の布教者であるオルガンティノはこんな嘆息をする。

「南無(なむ)大慈大悲の泥烏須如来(デウスにょらい)! 私(わたくし)はリスポアを船出した時から、一命はあなたに奉って居ります。ですから、どんな難儀に遇(あ)っても、十字架の御威光を輝かせるためには、一歩も怯(ひる)まずに進んで参りました。これは勿論私一人の、能(よ)くする所ではございません。皆天地の御主(おんあるじ)、あなたの御恵(おんめぐみ)でございます。が、この日本に住んでいる内に、私はおいおい私の使命が、どのくらい難(かた)いかを知り始めました。この国には山にも森にも、あるいは家々の並んだ町にも、何か不思議な力が潜(ひそ)んで居ります。そうしてそれが冥々(めいめい)の中(うち)に、私の使命を妨(さまた)げて居ります。さもなければ私はこの頃のように、何の理由もない憂鬱の底へ、沈んでしまう筈はございますまい。ではその力とは何であるか、それは私にはわかりません。が、とにかくその力は、ちょうど地下の泉のように、この国全体へ行き渡って居ります。まずこの力を破らなければ、おお、南無大慈大悲の泥烏須如来(デウスにょらい)! 邪宗(じゃしゅう)に惑溺(わくでき)した日本人は波羅葦増(はらいそ)(天界(てんがい))の荘厳(しょうごん)を拝する事も、永久にないかも存じません。私はそのためにこの何日か、煩悶(はんもん)に煩悶を重ねて参りました。どうかあなたの下部(しもべ)、オルガンティノに、勇気と忍耐とを御授け下さい。――」

この国には山にも森にも、あるいは家々の並んだ町にも、何か不思議な力が潜(ひそ)んで居りますといのだが、その力について同じ小説の中で芥川はこのようなことを書いている。同じ小説の中で頸(くび)に玉を巻いた老人はこう語る。

「ところが実際はあるのです。まあ、御聞きなさい。はるばるこの国へ渡って来たのは、泥烏須(デウス)ばかりではありません。孔子(こうし)、孟子(もうし)、荘子(そうし)、――そのほか支那からは哲人たちが、何人もこの国へ渡って来ました。しかも当時はこの国が、まだ生まれたばかりだったのです。支那の哲人たちは道のほかにも、呉(ご)の国の絹だの秦(しん)の国の玉だの、いろいろな物を持って来ました。いや、そう云う宝よりも尊い、霊妙(れいみょう)な文字さえ持って来たのです。が、支那はそのために、我々を征服出来たでしょうか? たとえば文字(もじ)を御覧なさい。文字は我々を征服する代りに、我々のために征服されました。私が昔知っていた土人に、柿(かき)の本(もと)の人麻呂(ひとまろ)と云う詩人があります。その男の作った七夕(たなばた)の歌は、今でもこの国に残っていますが、あれを読んで御覧なさい。牽牛織女(けんぎゅうしょくじょ)はあの中に見出す事は出来ません。あそこに歌われた恋人同士は飽(あ)くまでも彦星(ひこぼし)と棚機津女(たなばたつめ)とです。彼等の枕に響いたのは、ちょうどこの国の川のように、清い天(あま)の川(がわ)の瀬音(せおと)でした。支那の黄河(こうが)や揚子江(ようすこう)に似た、銀河(ぎんが)の浪音ではなかったのです。しかし私は歌の事より、文字の事を話さなければなりません。人麻呂はあの歌を記すために、支那の文字を使いました。が、それは意味のためより、発音のための文字だったのです。舟(しゅう)と云う文字がはいった後(のち)も、「ふね」は常に「ふね」だったのです。さもなければ我々の言葉は、支那語になっていたかも知れません。これは勿論人麻呂よりも、人麻呂の心を守っていた、我々この国の神の力です。のみならず支那の哲人たちは、書道をもこの国に伝えました。空海(くうかい)、道風(どうふう)、佐理(さり)、行成(こうぜい)――私は彼等のいる所に、いつも人知れず行っていました。彼等が手本にしていたのは、皆支那人の墨蹟(ぼくせき)です。しかし彼等の筆先(ふでさき)からは、次第に新しい美が生れました。彼等の文字はいつのまにか、王羲之(おうぎし)でもなければ 遂良(ちょすいりょう)でもない、日本人の文字になり出したのです。しかし我々が勝ったのは、文字ばかりではありません。我々の息吹(いぶ)きは潮風(しおかぜ)のように、老儒(ろうじゅ)の道さえも和(やわら)げました。この国の土人に尋ねて御覧なさい。彼等は皆孟子(もうし)の著書は、我々の怒に触(ふ)れ易いために、それを積んだ船があれば、必ず覆(くつがえ)ると信じています。科戸(しなと)の神はまだ一度も、そんな悪戯(いたずら)はしていません。が、そう云う信仰の中(うち)にも、この国に住んでいる我々の力は、朧(おぼろ)げながら感じられる筈です。あなたはそう思いませんか?」

同じくこのようにも語る。

「仏陀(ぶっだ)の運命も同様です。が、こんな事を一々御話しするのは、御退屈を増すだけかも知れません。ただ気をつけて頂きたいのは、本地垂跡(ほんじすいじゃく)の教の事です。あの教はこの国の土人に、大日貴(おおひるめむち)は大日如来(だいにちにょらい)と同じものだと思わせました。これは大日貴の勝でしょうか? それとも大日如来の勝でしょうか? 仮りに現在この国の土人に、大日貴は知らないにしても、大日如来は知っているものが、大勢あるとして御覧なさい。それでも彼等の夢に見える、大日如来の姿の中(うち)には、印度仏(ぶつ)の面影(おもかげ)よりも、大日貴が窺(うかが)われはしないでしょうか? 私(わたし)は親鸞(しんらん)や日蓮(にちれん)と一しょに、沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の陰も歩いています。彼等が随喜渇仰(ずいきかつごう)した仏(ほとけ)は、円光のある黒人(こくじん)ではありません。優しい威厳(いげん)に充ち満ちた上宮太子(じょうぐうたいし)などの兄弟です。――が、そんな事を長々と御話しするのは、御約束の通りやめにしましょう。つまり私が申上げたいのは、泥烏須(デウス)のようにこの国に来ても、勝つものはないと云う事なのです。」

続けてこうも言う。

「私(わたし)はつい四五日前(まえ)、西国(さいこく)の海辺(うみべ)に上陸した、希臘(ギリシャ)の船乗りに遇(あ)いました。その男は神ではありません。ただの人間に過ぎないのです。私はその船乗と、月夜の岩の上に坐りながら、いろいろの話を聞いて来ました。目一つの神につかまった話だの、人を豕(いのこ)にする女神(めがみ)の話だの、声の美しい人魚(にんぎょ)の話だの、――あなたはその男の名を知っていますか? その男は私に遇(あ)った時から、この国の土人に変りました。今では百合若(ゆりわか)と名乗っているそうです。ですからあなたも御気をつけなさい。泥烏須(デウス)も必ず勝つとは云われません。天主教(てんしゅきょう)はいくら弘(ひろ)まっても、必ず勝つとは云われません。」

老人は小声でこう続ける。

「事によると泥烏須(デウス)自身も、この国の土人に変るでしょう。支那や印度も変ったのです。西洋も変らなければなりません。我々は木々の中にもいます。浅い水の流れにもいます。薔薇(ばら)の花を渡る風にもいます。寺の壁に残る夕明(ゆうあか)りにもいます。どこにでも、またいつでもいます。御気をつけなさい。御気をつけなさい。………」

なんかゾクゾクしてこないか? 日本って不思議だなぁ。泥烏須(デウス)自身も、この国の土人に変らされるのではなく、変わるのだ。朝青龍に声低く忠告してあげよう。

「我々は木々の中にもいます。浅い水の流れにもいます。薔薇(ばら)の花を渡る風にもいます。寺の壁に残る夕明(ゆうあか)りにもいます。どこにでも、またいつでもいます。御気をつけなさい。御気をつけなさい。………」

やっぱゾクゾクしてきた。日本って不思議だなぁ。



神神の微笑 芥川龍之介
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青空文庫
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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