えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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最近、諸般の事情で更新してなかったが、何か書こうかなと思った。なぜか、世間の厳しい状況をひしひしと感じたこの頃であったのだけど、やはりそうか、日本の一人当たりGDP(国内総生産)というものが2009年、世界で23位であるという。最高が世界で第2位だった1993年ごろであったそうだ。2001年ぐらいまで、2位から5位ぐらいまでをさ迷い続けるのだが、小泉という人が首相になってから下落し続けていくのであった。構造改革、派遣労働の解禁とか、にやけながらアメリカ合衆国の後を追えと行っていたのだが、明らかな失政だったのではないか?

話は変わるようで変わらず、昔、中学生の頃、NHKのFMで渋谷陽一という人のロックの番組を良く聴いていたんだな。その渋谷陽一氏、忌野清志郎が逝ってしまった時、追悼の文で、自分はキヨシローと同じ年齢だった、くやしい、残されたものとして、まだまだ頑張らねばと書いていたのだが、そのロックを電波に乗せてぼくに教えてくれた人が、オピニオン雑誌を出しているを見つけたのだった。彼の頑張らねばという言葉の応えのような「SIGHT」という雑誌を本屋で見つけたのだが、謳い文句に「リベラルに世界を読む」とある。季刊誌になっていて、最新号の特集は「ありがとう小沢一郎 僕たちは卒業します」とある。保守系の雑誌ばかり隆盛のオピニオン誌の中で左翼ではない反保守という、一昔前では生ぬるいと批判されてただろうこのスタンスが、現在進行形のロックであるよううな気もしたのだった。けれど、ソウル・フラワーの中川くんあたりからは、めちゃくくちゃ批判されてしまうのかもしれない。

内田樹と高橋源一郎の小沢一郎を巡る対談やら、「ペンタゴンに振り回されるアメリカと、どう向きあえばいいのか」と題された、オランダのジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレンへのインタビューなど一読の価値あり。そして、音楽に関するコラムでピーター・バラカン氏が「名盤おとぎ話」という連載を書いていて、今号は「ボビー・チャールズ」。いいですなぁ。

渋谷陽一さん、思わぬところで再会し、Led ZeppelinやEarth, Wind & Fire、Joni Mitchellをかけながらのボソボソと語るラジオの彼のディスク・ジョッキーを思い出したのです。


渋谷陽一さんのブログ「渋谷陽一の「社長はつらいよ」」
http://ro69.jp/blog/shibuya/
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「クマは眠れない」という本を読んだのだけど、読了後、ツキノワグマの壮絶なブルーズを聞いた思いがした。クマというと、ヒッピー・ロック・バンド、グレートフルデッドのキャラクタであるビーンベアや絵本のプーさん、ぬいぐるみのテディー・ベアなどかわいいイメージがあるのだけど、日本では絶命の危機であるかもしれないのだ。著者の米田一彦さんはそんなクマたちのためにフィールドを駆けずり回り、考え抜く守護天使のような人なのだ。環境問題とかエコロジーなどという言葉で言われるのが歯がゆく、粗大ゴミのように扱われ刹処分されるクマたちの次には、ぼくたちの暗い未来があるのかもしれず、自然を蕩尽しつくし、生きものたちの命を粗末に扱うぼくたちにとって、クマたちの次にやられるのはぼくたち自身ではないかという暗い予感も覚えてしまう。

付け加えるに、マグロが本当に絶滅の危機に瀕しているのならば、ぼくは大好きなマグロの刺身や寿司を食べなくてもよい。

ニホンオオカミ、ニホンカワウソの歌は聞こえなくなり、そして、今、泣くように歌っているクマのブルーズを聞いたし、聞こえるのです。


日本ツキノワグマ研究所のホームページ
http://ha3.seikyou.ne.jp/home/kmaita/index.htm




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コンビニで禅の本を見かけて、買って読んでしまった。赤根祥道さんの著した「心が晴れる禅の言葉」という本。読みながら、こんな日常的に使っている言葉も禅に由来しているのかと思う。例えば、「無事」という言葉であったり、「去来」という言葉であったり、「主人公」という言葉であったり。けれども、それらではなく、この本に書かれているそれらの言葉による人生指南、生活の指針や心構えでもなく、こんな言葉のそのままが心に残った。

「紅爐上一点の雪」

「水を掬すれば月手にあり」

「一片の好風光」

活!

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この本には、半藤一利、保坂正康、中西輝政、戸髙一成、福田和也、加藤陽子の六人の作家、評論家、学者の方々による「あの戦争になぜ負けたのか」というテーマによる鼎談と「あの戦争に思うこと」というテーマでの6人の方々それぞれの短いけれど内容の濃い評論が書かれている。あの戦争とは第二次世界大戦のことで負けたのは日本という国。この本に書かれている日本という国の組織の中の人の動きを読むにつれ、近しい会社という組織などでも同じであるなどと思った。組織も人も無能であったのか? 戦略なき場当たり主義と海軍と陸軍の組織間の分裂。その組織を動かす士官たちの自己保身による嘘とごまかしによって死体が累々と積み重なる中、虚偽を発しつづけた当人は生き延び、戦後、国会議員になっていたりすることに驚く。そんな人、あなたの会社にもいませんか? 会社ではなく、国家間の戦争となると、直接的に人の生死の問題であり、罪は限りなく重い。保坂氏の発言から引用します。

「僕は長年、元兵士たちの声をかなり聞いてきましたが、インパール作戦に参加した人に会うと、みんな数珠を握りしめながら話すんです。インドからビルマへ、仲間たちの死体で埋めつくされた「白骨街道」を引き上げてきた無念の思いでしょう。
 そして牟田口司令官の名前が出ると、元兵士の誰もがブルブル身を震わせて怒るんです。「牟田口が畳の上で死んだのだけは許せない」とまで言いきります。前線にいたときは知らないけれど、戦後になって、牟田口が前線から離れた「ビルマの軽井沢」と呼ばれる地域で、ひたすら「前進あるのみ」と命令を出していたことを知る。しかも作戦の失敗を部下の師団長に押し付けて、自分は責任を問われぬまま生き延びたんですから」

同じく保坂氏の発言。

「前線の兵士だった人に、「なんであんなに懸命に戦ったんですか」と質問すると、主に学徒兵のインテリ層ですが、こう答える人たちがいるんです。「日本は一度、こういう無理な戦争をくぐり抜けなければ仕方ない運命なんだ。それを私たちの世代が引き受けているんだと理解していました」と。次の世代にこんな戦争をしてほしくないから、自分たちがやるしかない、と思ったというんですね」

この部分だけでも買って読む価値のあると思われる、深く心に残った戸髙氏の評論の「果たされなかった死者との約束」から引用します。

「自分は死ぬことのない立場で、他人に死を要求することの理不尽さは誰にも分かっていた。だからこそ、多くの指揮官は出撃する特攻隊員に「君たちだけを死なせない、自分も後から必ず行く」と訓示したのである」

この約束は、ほとんどは果たされることはなかった。

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NHK大河ドラマにあやかって世はいわゆる坂本龍馬ブームです。本屋に並ぶ龍馬関係の本の数々。そして、歴史ブームでもあるらしい。歴史好きの「歴女」という女子たちもいるらしい。そんな本屋の中で少なからず目立っていた「幕末史」という本を読んだ。おもしろくて一気に読めた。

半藤一利さんの書いたこの本は、何でも、反薩長史観で書かれているらしい。半藤さんは幕末をペリー来航の西暦でいうところの1853年から大久保利通が暗殺される1878年として切り取った。維新という言葉は使わず、これは下級武士による暴力革命だったと主張する。ちょうど四半世紀、25年間の間にさまざまな人物が登場し、生き生きと描かれ、主人公が目まぐるしく変わっていき、みんな若くして殺されたり、自害させられたりする。この日本の歴史の本当に近い過去にこのようなことがあったということが、それは驚くべき、恐るべきことだと思った。国難を救う、みんなのためだと言いながら、自分のため、小さな範囲の自分たちのためにすり変わっていく。

その25年の間に庶民は辛酸をなめた、もっと言えば、辛酸をなめつくしていたことも本書の一等後ろの方で書かれる。内乱と内戦とテロの25年間であったようなのだ。そう、テロ。むすびの章の題としてこう言われている。

「だれもいなくなった後|明治十一年(一八七八)参謀本部設立」

参謀本部とは軍隊において高級指揮官の作戦指揮を補佐するための合議機関のこと。これが天皇の直下の政府や内閣とは独立した機関として設置され、それが、1945年の第二次世界大戦での悲惨な敗戦までの間、日本が富国強兵の名のもと軍国主義にひた走る、その端緒であったと、半藤氏は主張し、この本は後書きを残すのみとなる。歴史って怖いね。

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この前テレビで村上龍のが司会している「カンブリア宮殿」というテレビに民主党小沢幹事長が出演していて、見ていたら、長崎2区選出の福田衣里子議員も少しだけ出ていた。それで興味を持ち、どんな人なんだろうと思い、薬害肝炎訴訟の原告でもあった福田衣里子さんの著した「覚悟。」という本を読んでみた。胡散臭そうに思える政治というものの実態のようなものが少しわかった気がする。まだ20代で現場で果敢に戦う彼女は偉いなぁなどと思った。薬害訴訟の一部始終も書かれていて、官僚や政治家のあくまでも責任逃れをしようとするどうしようもないズルさもよく分かった。

薬害と言うと、エイズの緑十字の事件からそれほど長くたってはいないのではないか? 同じことが繰り返されているのに唖然とする。薬害エイズの時は現副総理の管直人氏はよくがんばっていたけれど。

村上龍は小沢氏のことを最後の政治家と呼び高く評価しているのだが、政治家の本分って何だ? 景気はいっこうに回復しないけれど、それ以前に、日本の社会に対しての信任や信用、信頼の問題であると思う。福田さんのような人がいるから、今しばらくは民主党にエールを送っていようか?


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藤原新也さんの新しい文庫本「黄泉(よみ)の犬」を一気に読み終えてしまった。一気に読み終えてしまえるほど、この本はおもしろかった。オーム真理教、麻原彰晃と水俣病の関係性(?)、神戸の震災から著者の若かりしころのインド放浪へと遡行する旅と思索のドキュメントは、ところどころに本当に心の浄められるかのような出会いの物語すら含んでいる。この本に出てくるインドの船頭の即興の舟歌、アスマーサン/・・・あぁ、アスマーサン/おいらはこうして、ゆっくりとアスマーサンに向かって舟を漕いでるよと歌い始められるその歌のアスマーサンとは、火葬場という意味なんだけど、その歌は本当に美しい。そして、歌の続きはこの本を読んでみてくださいと言っておこう。付け加えるに、藤原氏の初期の代表作である「メメント・モリ」の種明かしのようなところもあり、興味深い。この本を読む前に「メメント・モリ」という写真集をじっくり眺めて見ることもお奨めします。

しかし、藤原新也さんはこう言うのではなかろうか? 藤原新也を読んだごときで世界を分かった気になるんじゃねーよ、と。生きるって何だ? 死ぬってどういうことだ? その答えはこの本にははっきりとは書かれてはいないけれど、この本に出てくる乞食同然の修行僧の平穏なやさしさに感じてしまう。すべては火葬場で焼かれて灰になるとしても、自分の人生が例えば、この本に出てくるような毎朝毎晩の山羊の乳搾りでしかなくても、死ぬことより、生きていった方が良いのかもしれないと、ぼんやりと思ってしまう。どうですか、藤原さんと尋ねても、答えてはくれない。それでいいんだ。


藤原新也さんのページ
http://www.fujiwarashinya.com/




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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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