えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

坂本龍馬に興味を持ちそのことを話したら、友だちから歴史っておもしろいよ、何か本とか読んだらと言われて、何気なく本屋に立ち寄ったら、偶然「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」という本を見つけ、買って読んでしまった。2008年の米国のサブ・プライム・ローンの崩壊とそれに伴う株式市場の崩落は1929年の世界大恐慌にもたとえられ、1929年から世界はどう大戦にはまり込んで行ったのか、日本と日本人はどうであったのか、など興味があったのです。この本は東京大学の先生あである加藤陽子さんが栄光学園高等学校の歴史研究部の生徒たちに向けた実際の講義録になっていて、お馬鹿なぼくにも理解しやすいかなと思って読み始めたのだが、高校生を侮っていた自分を知った。歴史というのは人と場所と時間の物語でもあることもよく分かった。しかし、何か、読み終えると、第二次世界大戦の日本の壊滅的な敗戦をまず用意したのは日清戦争の勝利であったような気もした。好事魔多し。因果応報。
危機の時代に庶民はどうすればいいのだろう? 選挙ですか? デモですか? みんなが戦争をしたがっていたら、どうすればいいんでしょう? おれはおれだ。先生、教えて。
話はこの本から外れるが、テロによって崩落したツィン・タワーの瓦礫のあとにこう落書きがされていたそうだ。
「許してやれ」
イラクやアフガニスタンへの派兵でなく、アメリカはこの落書きによって勝利者ではないだろうか? 不謹慎かな?
再び、加藤陽子先生の本の話に戻って、この本はインチキじゃない良い本だと思った。学者らしい客観の矜持に見え隠れする戦争を起こさないことへの深い思いゆえにです。お奨めです。


高校生のころ読んだ本を古本屋などで見かけるとつい手にとってしまう。丸山健二氏の著した「雨のドラゴン」を買って読んでしまった。話の筋とか、すべて忘れてしまっていたなぁ。登場する人物は三人と一匹で、病み上がりの十代のぼく、その隣に住む家出を企てる少女から大人になり変わろうとしている女性のハト、海の見える郊外の住宅地の空家にふらりとやってきてすみ始めた謎の巨人のような男のドラゴン、そのドラゴンとともに住む獰猛そうな大きな犬のキバ。ひと夏の青春のメルヘンなのであった。おー、ラストとか、結構、感動した。
1973年発表の小説であるという。時代を感じた。1960年代から続いた氾濫の夏の終わりを暗示しているかのようだ。レクイエム、鎮魂歌なのです。
映画にしたらおもしろそう。プロレスラーの高山善廣選手をドラゴンの役にしたりして。
1973年発表の小説であるという。時代を感じた。1960年代から続いた氾濫の夏の終わりを暗示しているかのようだ。レクイエム、鎮魂歌なのです。
映画にしたらおもしろそう。プロレスラーの高山善廣選手をドラゴンの役にしたりして。


最近、相撲をよくテレビで見る。上位陣が外人ばかりなのに驚いた。朝青龍が優勝した時、行事から勝ち名乗りを受けて、握りこぶしを高々と上げたのにも驚いた。
勝者は誇らないというのは武道や相撲の現す日本の文化の美しさだと思うのだが、どうだろう? そのような日本文化は美しさは日々失われていっているらしいのだが、それは、やって来る外国人のせいでもないのだとも思う。日本ほど外からやってくる文化に対してある種の受容をする国はないとも思う。芥川龍之介の書いた「神々の微笑」の中でキリスト教の布教者であるオルガンティノはこんな嘆息をする。
「南無(なむ)大慈大悲の泥烏須如来(デウスにょらい)! 私(わたくし)はリスポアを船出した時から、一命はあなたに奉って居ります。ですから、どんな難儀に遇(あ)っても、十字架の御威光を輝かせるためには、一歩も怯(ひる)まずに進んで参りました。これは勿論私一人の、能(よ)くする所ではございません。皆天地の御主(おんあるじ)、あなたの御恵(おんめぐみ)でございます。が、この日本に住んでいる内に、私はおいおい私の使命が、どのくらい難(かた)いかを知り始めました。この国には山にも森にも、あるいは家々の並んだ町にも、何か不思議な力が潜(ひそ)んで居ります。そうしてそれが冥々(めいめい)の中(うち)に、私の使命を妨(さまた)げて居ります。さもなければ私はこの頃のように、何の理由もない憂鬱の底へ、沈んでしまう筈はございますまい。ではその力とは何であるか、それは私にはわかりません。が、とにかくその力は、ちょうど地下の泉のように、この国全体へ行き渡って居ります。まずこの力を破らなければ、おお、南無大慈大悲の泥烏須如来(デウスにょらい)! 邪宗(じゃしゅう)に惑溺(わくでき)した日本人は波羅葦増(はらいそ)(天界(てんがい))の荘厳(しょうごん)を拝する事も、永久にないかも存じません。私はそのためにこの何日か、煩悶(はんもん)に煩悶を重ねて参りました。どうかあなたの下部(しもべ)、オルガンティノに、勇気と忍耐とを御授け下さい。――」
この国には山にも森にも、あるいは家々の並んだ町にも、何か不思議な力が潜(ひそ)んで居りますといのだが、その力について同じ小説の中で芥川はこのようなことを書いている。同じ小説の中で頸(くび)に玉を巻いた老人はこう語る。
「ところが実際はあるのです。まあ、御聞きなさい。はるばるこの国へ渡って来たのは、泥烏須(デウス)ばかりではありません。孔子(こうし)、孟子(もうし)、荘子(そうし)、――そのほか支那からは哲人たちが、何人もこの国へ渡って来ました。しかも当時はこの国が、まだ生まれたばかりだったのです。支那の哲人たちは道のほかにも、呉(ご)の国の絹だの秦(しん)の国の玉だの、いろいろな物を持って来ました。いや、そう云う宝よりも尊い、霊妙(れいみょう)な文字さえ持って来たのです。が、支那はそのために、我々を征服出来たでしょうか? たとえば文字(もじ)を御覧なさい。文字は我々を征服する代りに、我々のために征服されました。私が昔知っていた土人に、柿(かき)の本(もと)の人麻呂(ひとまろ)と云う詩人があります。その男の作った七夕(たなばた)の歌は、今でもこの国に残っていますが、あれを読んで御覧なさい。牽牛織女(けんぎゅうしょくじょ)はあの中に見出す事は出来ません。あそこに歌われた恋人同士は飽(あ)くまでも彦星(ひこぼし)と棚機津女(たなばたつめ)とです。彼等の枕に響いたのは、ちょうどこの国の川のように、清い天(あま)の川(がわ)の瀬音(せおと)でした。支那の黄河(こうが)や揚子江(ようすこう)に似た、銀河(ぎんが)の浪音ではなかったのです。しかし私は歌の事より、文字の事を話さなければなりません。人麻呂はあの歌を記すために、支那の文字を使いました。が、それは意味のためより、発音のための文字だったのです。舟(しゅう)と云う文字がはいった後(のち)も、「ふね」は常に「ふね」だったのです。さもなければ我々の言葉は、支那語になっていたかも知れません。これは勿論人麻呂よりも、人麻呂の心を守っていた、我々この国の神の力です。のみならず支那の哲人たちは、書道をもこの国に伝えました。空海(くうかい)、道風(どうふう)、佐理(さり)、行成(こうぜい)――私は彼等のいる所に、いつも人知れず行っていました。彼等が手本にしていたのは、皆支那人の墨蹟(ぼくせき)です。しかし彼等の筆先(ふでさき)からは、次第に新しい美が生れました。彼等の文字はいつのまにか、王羲之(おうぎし)でもなければ 遂良(ちょすいりょう)でもない、日本人の文字になり出したのです。しかし我々が勝ったのは、文字ばかりではありません。我々の息吹(いぶ)きは潮風(しおかぜ)のように、老儒(ろうじゅ)の道さえも和(やわら)げました。この国の土人に尋ねて御覧なさい。彼等は皆孟子(もうし)の著書は、我々の怒に触(ふ)れ易いために、それを積んだ船があれば、必ず覆(くつがえ)ると信じています。科戸(しなと)の神はまだ一度も、そんな悪戯(いたずら)はしていません。が、そう云う信仰の中(うち)にも、この国に住んでいる我々の力は、朧(おぼろ)げながら感じられる筈です。あなたはそう思いませんか?」
同じくこのようにも語る。
「仏陀(ぶっだ)の運命も同様です。が、こんな事を一々御話しするのは、御退屈を増すだけかも知れません。ただ気をつけて頂きたいのは、本地垂跡(ほんじすいじゃく)の教の事です。あの教はこの国の土人に、大日貴(おおひるめむち)は大日如来(だいにちにょらい)と同じものだと思わせました。これは大日貴の勝でしょうか? それとも大日如来の勝でしょうか? 仮りに現在この国の土人に、大日貴は知らないにしても、大日如来は知っているものが、大勢あるとして御覧なさい。それでも彼等の夢に見える、大日如来の姿の中(うち)には、印度仏(ぶつ)の面影(おもかげ)よりも、大日貴が窺(うかが)われはしないでしょうか? 私(わたし)は親鸞(しんらん)や日蓮(にちれん)と一しょに、沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の陰も歩いています。彼等が随喜渇仰(ずいきかつごう)した仏(ほとけ)は、円光のある黒人(こくじん)ではありません。優しい威厳(いげん)に充ち満ちた上宮太子(じょうぐうたいし)などの兄弟です。――が、そんな事を長々と御話しするのは、御約束の通りやめにしましょう。つまり私が申上げたいのは、泥烏須(デウス)のようにこの国に来ても、勝つものはないと云う事なのです。」
続けてこうも言う。
「私(わたし)はつい四五日前(まえ)、西国(さいこく)の海辺(うみべ)に上陸した、希臘(ギリシャ)の船乗りに遇(あ)いました。その男は神ではありません。ただの人間に過ぎないのです。私はその船乗と、月夜の岩の上に坐りながら、いろいろの話を聞いて来ました。目一つの神につかまった話だの、人を豕(いのこ)にする女神(めがみ)の話だの、声の美しい人魚(にんぎょ)の話だの、――あなたはその男の名を知っていますか? その男は私に遇(あ)った時から、この国の土人に変りました。今では百合若(ゆりわか)と名乗っているそうです。ですからあなたも御気をつけなさい。泥烏須(デウス)も必ず勝つとは云われません。天主教(てんしゅきょう)はいくら弘(ひろ)まっても、必ず勝つとは云われません。」
老人は小声でこう続ける。
「事によると泥烏須(デウス)自身も、この国の土人に変るでしょう。支那や印度も変ったのです。西洋も変らなければなりません。我々は木々の中にもいます。浅い水の流れにもいます。薔薇(ばら)の花を渡る風にもいます。寺の壁に残る夕明(ゆうあか)りにもいます。どこにでも、またいつでもいます。御気をつけなさい。御気をつけなさい。………」
なんかゾクゾクしてこないか? 日本って不思議だなぁ。泥烏須(デウス)自身も、この国の土人に変らされるのではなく、変わるのだ。朝青龍に声低く忠告してあげよう。
「我々は木々の中にもいます。浅い水の流れにもいます。薔薇(ばら)の花を渡る風にもいます。寺の壁に残る夕明(ゆうあか)りにもいます。どこにでも、またいつでもいます。御気をつけなさい。御気をつけなさい。………」
やっぱゾクゾクしてきた。日本って不思議だなぁ。
神神の微笑 芥川龍之介
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/68_15177.html
青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/
勝者は誇らないというのは武道や相撲の現す日本の文化の美しさだと思うのだが、どうだろう? そのような日本文化は美しさは日々失われていっているらしいのだが、それは、やって来る外国人のせいでもないのだとも思う。日本ほど外からやってくる文化に対してある種の受容をする国はないとも思う。芥川龍之介の書いた「神々の微笑」の中でキリスト教の布教者であるオルガンティノはこんな嘆息をする。
「南無(なむ)大慈大悲の泥烏須如来(デウスにょらい)! 私(わたくし)はリスポアを船出した時から、一命はあなたに奉って居ります。ですから、どんな難儀に遇(あ)っても、十字架の御威光を輝かせるためには、一歩も怯(ひる)まずに進んで参りました。これは勿論私一人の、能(よ)くする所ではございません。皆天地の御主(おんあるじ)、あなたの御恵(おんめぐみ)でございます。が、この日本に住んでいる内に、私はおいおい私の使命が、どのくらい難(かた)いかを知り始めました。この国には山にも森にも、あるいは家々の並んだ町にも、何か不思議な力が潜(ひそ)んで居ります。そうしてそれが冥々(めいめい)の中(うち)に、私の使命を妨(さまた)げて居ります。さもなければ私はこの頃のように、何の理由もない憂鬱の底へ、沈んでしまう筈はございますまい。ではその力とは何であるか、それは私にはわかりません。が、とにかくその力は、ちょうど地下の泉のように、この国全体へ行き渡って居ります。まずこの力を破らなければ、おお、南無大慈大悲の泥烏須如来(デウスにょらい)! 邪宗(じゃしゅう)に惑溺(わくでき)した日本人は波羅葦増(はらいそ)(天界(てんがい))の荘厳(しょうごん)を拝する事も、永久にないかも存じません。私はそのためにこの何日か、煩悶(はんもん)に煩悶を重ねて参りました。どうかあなたの下部(しもべ)、オルガンティノに、勇気と忍耐とを御授け下さい。――」
この国には山にも森にも、あるいは家々の並んだ町にも、何か不思議な力が潜(ひそ)んで居りますといのだが、その力について同じ小説の中で芥川はこのようなことを書いている。同じ小説の中で頸(くび)に玉を巻いた老人はこう語る。
「ところが実際はあるのです。まあ、御聞きなさい。はるばるこの国へ渡って来たのは、泥烏須(デウス)ばかりではありません。孔子(こうし)、孟子(もうし)、荘子(そうし)、――そのほか支那からは哲人たちが、何人もこの国へ渡って来ました。しかも当時はこの国が、まだ生まれたばかりだったのです。支那の哲人たちは道のほかにも、呉(ご)の国の絹だの秦(しん)の国の玉だの、いろいろな物を持って来ました。いや、そう云う宝よりも尊い、霊妙(れいみょう)な文字さえ持って来たのです。が、支那はそのために、我々を征服出来たでしょうか? たとえば文字(もじ)を御覧なさい。文字は我々を征服する代りに、我々のために征服されました。私が昔知っていた土人に、柿(かき)の本(もと)の人麻呂(ひとまろ)と云う詩人があります。その男の作った七夕(たなばた)の歌は、今でもこの国に残っていますが、あれを読んで御覧なさい。牽牛織女(けんぎゅうしょくじょ)はあの中に見出す事は出来ません。あそこに歌われた恋人同士は飽(あ)くまでも彦星(ひこぼし)と棚機津女(たなばたつめ)とです。彼等の枕に響いたのは、ちょうどこの国の川のように、清い天(あま)の川(がわ)の瀬音(せおと)でした。支那の黄河(こうが)や揚子江(ようすこう)に似た、銀河(ぎんが)の浪音ではなかったのです。しかし私は歌の事より、文字の事を話さなければなりません。人麻呂はあの歌を記すために、支那の文字を使いました。が、それは意味のためより、発音のための文字だったのです。舟(しゅう)と云う文字がはいった後(のち)も、「ふね」は常に「ふね」だったのです。さもなければ我々の言葉は、支那語になっていたかも知れません。これは勿論人麻呂よりも、人麻呂の心を守っていた、我々この国の神の力です。のみならず支那の哲人たちは、書道をもこの国に伝えました。空海(くうかい)、道風(どうふう)、佐理(さり)、行成(こうぜい)――私は彼等のいる所に、いつも人知れず行っていました。彼等が手本にしていたのは、皆支那人の墨蹟(ぼくせき)です。しかし彼等の筆先(ふでさき)からは、次第に新しい美が生れました。彼等の文字はいつのまにか、王羲之(おうぎし)でもなければ 遂良(ちょすいりょう)でもない、日本人の文字になり出したのです。しかし我々が勝ったのは、文字ばかりではありません。我々の息吹(いぶ)きは潮風(しおかぜ)のように、老儒(ろうじゅ)の道さえも和(やわら)げました。この国の土人に尋ねて御覧なさい。彼等は皆孟子(もうし)の著書は、我々の怒に触(ふ)れ易いために、それを積んだ船があれば、必ず覆(くつがえ)ると信じています。科戸(しなと)の神はまだ一度も、そんな悪戯(いたずら)はしていません。が、そう云う信仰の中(うち)にも、この国に住んでいる我々の力は、朧(おぼろ)げながら感じられる筈です。あなたはそう思いませんか?」
同じくこのようにも語る。
「仏陀(ぶっだ)の運命も同様です。が、こんな事を一々御話しするのは、御退屈を増すだけかも知れません。ただ気をつけて頂きたいのは、本地垂跡(ほんじすいじゃく)の教の事です。あの教はこの国の土人に、大日貴(おおひるめむち)は大日如来(だいにちにょらい)と同じものだと思わせました。これは大日貴の勝でしょうか? それとも大日如来の勝でしょうか? 仮りに現在この国の土人に、大日貴は知らないにしても、大日如来は知っているものが、大勢あるとして御覧なさい。それでも彼等の夢に見える、大日如来の姿の中(うち)には、印度仏(ぶつ)の面影(おもかげ)よりも、大日貴が窺(うかが)われはしないでしょうか? 私(わたし)は親鸞(しんらん)や日蓮(にちれん)と一しょに、沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の陰も歩いています。彼等が随喜渇仰(ずいきかつごう)した仏(ほとけ)は、円光のある黒人(こくじん)ではありません。優しい威厳(いげん)に充ち満ちた上宮太子(じょうぐうたいし)などの兄弟です。――が、そんな事を長々と御話しするのは、御約束の通りやめにしましょう。つまり私が申上げたいのは、泥烏須(デウス)のようにこの国に来ても、勝つものはないと云う事なのです。」
続けてこうも言う。
「私(わたし)はつい四五日前(まえ)、西国(さいこく)の海辺(うみべ)に上陸した、希臘(ギリシャ)の船乗りに遇(あ)いました。その男は神ではありません。ただの人間に過ぎないのです。私はその船乗と、月夜の岩の上に坐りながら、いろいろの話を聞いて来ました。目一つの神につかまった話だの、人を豕(いのこ)にする女神(めがみ)の話だの、声の美しい人魚(にんぎょ)の話だの、――あなたはその男の名を知っていますか? その男は私に遇(あ)った時から、この国の土人に変りました。今では百合若(ゆりわか)と名乗っているそうです。ですからあなたも御気をつけなさい。泥烏須(デウス)も必ず勝つとは云われません。天主教(てんしゅきょう)はいくら弘(ひろ)まっても、必ず勝つとは云われません。」
老人は小声でこう続ける。
「事によると泥烏須(デウス)自身も、この国の土人に変るでしょう。支那や印度も変ったのです。西洋も変らなければなりません。我々は木々の中にもいます。浅い水の流れにもいます。薔薇(ばら)の花を渡る風にもいます。寺の壁に残る夕明(ゆうあか)りにもいます。どこにでも、またいつでもいます。御気をつけなさい。御気をつけなさい。………」
なんかゾクゾクしてこないか? 日本って不思議だなぁ。泥烏須(デウス)自身も、この国の土人に変らされるのではなく、変わるのだ。朝青龍に声低く忠告してあげよう。
「我々は木々の中にもいます。浅い水の流れにもいます。薔薇(ばら)の花を渡る風にもいます。寺の壁に残る夕明(ゆうあか)りにもいます。どこにでも、またいつでもいます。御気をつけなさい。御気をつけなさい。………」
やっぱゾクゾクしてきた。日本って不思議だなぁ。
神神の微笑 芥川龍之介
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/68_15177.html
青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/


酔っ払って起きた朝、ふと思うことがある。忌野清志郎ってもうこの世の中にはいないんだ、信じられないなって。この前、読み終えた本が今井智子さんの著した「Dreams to Remenmber 清志郎が教えてくれたこと」だ。今井さんの30年にわたるおっかけ取材とインタビューを時系列に並べた本です。清志郎ってつかみどころがなく、矛盾したことも一杯言っていて、けれど、はっとさせらることも多いんだ。例えば、この本の中のインタビューでこんなことを言っていた。
「でもフツーの人は、30になったらどーのとか、自分のカオに責任もてとか、わざと自分で下らない区切りみたいのを作って自分で縛られている。それより、ホイホイやってるほうがいい。変化は日夜ある」
今井さんの取材の文章も多分発表当時ののままで、時代の記憶の感じ、ライブ感があっておもしろい。けれど、ミシシッピー州メンフィスとか書いてあるから、減点な。テネシー州メンフィスだろうが。まあ、どうでもいいか?
おまけとしてYouTubeの動画をご紹介します。川崎クラブチッタのJohnny Thundersの死の直前のステージに、清志郎さん、飛び入りしています。今ごろ、天国でいろんな人とセッションしているのかな?
johnny thunders - born to lose
http://www.youtube.com/watch?v=jUIQvUI8Frs


「ジャズの歴史物語」という本を読んだ。今は亡きジャズ語りの巨匠、御大の油井正一さんの著した本です。この人、名調子のDJでも活躍していた人で、ラジオ日本になる前のラジオ関東でのオールド・ジャズの番組が好きでよく聴いていた。
この本は西暦1972年までのめくるめくジャズの水滸伝や三国志。さまざま音楽とさまざまな人物、さまざまな土地が交錯し、未踏の世界を求めていくのです。講談や落語のような語りっぽい文章も楽しい。おもしろい感動的な話もたくさん出てくる。例えばモダン・ジャズの第一人者かもしれないべーシスト、チャーリー・ミンガスはあの伝説的な夭折したサックス奏者、エリック・ドルフィーにこんな弔辞の言葉の花をさしむけている。
「エリックはやさしい、いたわりの心を持っていた。ある時、あるクラブで、私は長々とソロを演じた。耳を傾けている客は一人もいなかった。たまらないことである。するとエリックはそっと囁いた。"しっかりやりましょう。皆が聴いていないように見えますが、あそこの隅で熱心に聴いている人がいるんですよ"」
ジャズは好きな音楽だけど、やっぱ、かたよった聴き方しかぼくはしていなくて、それはそれでいいと思う。もしかして、リズム・アンド・ブルースの変種としてぼくはジャズを聴いているのかも。さまざまな残された文章や証言、音源を考証しながら、ジャズはもともとニューオーリンズの花街の酒場のダンス・ミュージックから発生したと、油井さんも書いている。
ぼくの熱心に聴いた、もしくは聴いている、ジャズと一般的に呼ばれている音楽はこんなもの。
Sun Ra、Albert Ayler、Charlie Paker、Billie Holiday、Nina Simone、Thelonious Monk、Bud Powell、Roland Kirk、Louis Armstrong、Lester Young、Pharoah Sanders、Duke Ellington、Dinah Washington、Charles Mingus、Django Reinhardt、John Coltrane・・・あと誰がいる? もっといっぱいいそう。最近はRed Garlandのピアノが好きです。
ジャズに名人や名曲はなくて、名演奏があるのみといわれるのも頷けるのだけど、「ジャズの歴史物語」のような迷路の物語の中で彷徨ってみるのも楽しいですな。


「会津と長州、幕末維新の光と影」を読んだ。幕末とか維新って何だろうと最近思い、何にも知らないぞとも思い、この本を本屋で立ち読みしていたらおもしろそうだったのだ。二人の幕末史研究家、星享一さんと一坂太郎さんの対談集。
会津と長州、今で言えば、福島県と山口県には大きなわだかまりがあると聞いたことがあるのだが、本当だろうかと思っていた。一度、どこか旅した時、電車の中で、知らない人から東北地方の言葉で話かけられて、若いころはじめて関西方面に出張した時は本当に嫌だった、なにか、関西の方では田舎ものだと思われているような気がして落ち着かなく、戻ってきて東京のあたりに来て、ほっとしたと言っていた。その人の心の奥の深い無意識のどこかにに戊辰戦争や奥羽越列藩同盟の記憶があるのだろうか?
この前、「おーい! 竜馬」という漫画を読んだのだが、美化されていない歴史とは何だろうとも思ったのだった。何が正義で、何が悪なのだろう? 人の人生が、歴史の力学に吸いとられていってしまうのが、はがゆい。昔、歴史は勝者によって作られ、歌は敗者によって歌われ、物語も敗者によって語られるのではないかと思ったことがある。この本の共感できるところは、敗者の視点を通低として常に、底のところにどこか持っているところと、同時に歴史学者として客観の視点、複眼の視点を持っているところ。
歴史について概括したような本を読むたびに、こういう鳥からの視点って、何か嫌だなぁと思うけれど、歴史という学問の持つ限界なのだろうか? 屍の累々としている日本近代史。この本に書かれている時代、幕末から明治維新あたりまでの歴史、そして、もう一つ、世界恐慌から第二次世界大戦までの歴史は、同じ過ちを繰り返さないために(!!)、もっと研究されるべきだろうと思う。今の時代、やばい空気がぷんぷんしないか? Hey, politcian, stop lying!
そういえば、千円札の野口英世って会津、福島県でしたね。Respect!
戦争反対!


武田鉄矢原作、小山ゆう漫画の「おーい! 竜馬」の全巻を読んでしまった。高知を旅してから坂本龍馬のことが知りたくなって、何か本を読みたくなって、いろいろ考えたのだけど、漫画にしました。という理由の一つは、人物伝として、昔、手塚治虫の「仏陀」というのを読んですごく良かったんだな。それから、歴史ものとして、昔、白土三平の「カムイ伝」を読んで、これもすごく良かったことが記憶にある。
読み終わった「おーい! 竜馬」だけど、どこまでが史実で、どのように人物像がデフォルメされているのかなどが気にならないでもないが、それでも何度も眼がうるうるするほど感動した。電車の中で漫画を読んで、眼をうるうるさせているおれっていいではないか。
史実とは明らかに違うところがあるらしいから「龍馬」ではなく「竜馬」なのだろうか。一巻目の末に武田鉄矢の書いた文章に司馬遼太郎の「竜馬がゆく」へのレスペクトが述べられており、だから「竜馬」なのかとも思った。
竜馬はすごくかっこいい。例えば竜馬自身の尽力により成し遂げた新政府の体制案を竜馬が作ったらしいのだが、その体制案に竜馬自身の名前が入っていない。不思議に思った西郷隆盛とのやりとり。
「なぜでごわす!?・・・」
「窮屈な役人になるがは性に合わん」
「役人がいやなら・・・・・・坂本さァは・・・・・・なんばやられもす!?」
「そうさな・・・・・・・・・世界の海援隊でもやりますかいのう・・・・・・・・・」
長い13巻を読み通して、14巻目の「世界の海援隊でもやりますかいのう・・・・・・・・・」のせりふのページ見開きの漫画のカットが出てくるところは、まぶしくて、すごく美しく感じた。ロマンチック。
友だち、その時の敵、味方であろうが、竜馬の周りの人がどんどん死んでいく。竜馬自身も常に命を狙われている。すさまじい物語でもある。世界の海援隊の夢を果たせず、齢三十二歳での竜馬暗殺の件は、ページをめくるのがつらかった。
北辰一刀流の免許皆伝の剣の達人であった、この物語の坂本竜馬も、史実の坂本龍馬も、ただ一度として、その剣を抜いて人を切り倒したことがなかったという。


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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