えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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酔っ払って起きた朝、ふと思うことがある。忌野清志郎ってもうこの世の中にはいないんだ、信じられないなって。この前、読み終えた本が今井智子さんの著した「Dreams to Remenmber 清志郎が教えてくれたこと」だ。今井さんの30年にわたるおっかけ取材とインタビューを時系列に並べた本です。清志郎ってつかみどころがなく、矛盾したことも一杯言っていて、けれど、はっとさせらることも多いんだ。例えば、この本の中のインタビューでこんなことを言っていた。

「でもフツーの人は、30になったらどーのとか、自分のカオに責任もてとか、わざと自分で下らない区切りみたいのを作って自分で縛られている。それより、ホイホイやってるほうがいい。変化は日夜ある」

今井さんの取材の文章も多分発表当時ののままで、時代の記憶の感じ、ライブ感があっておもしろい。けれど、ミシシッピー州メンフィスとか書いてあるから、減点な。テネシー州メンフィスだろうが。まあ、どうでもいいか?

おまけとしてYouTubeの動画をご紹介します。川崎クラブチッタのJohnny Thundersの死の直前のステージに、清志郎さん、飛び入りしています。今ごろ、天国でいろんな人とセッションしているのかな?

johnny thunders - born to lose

http://www.youtube.com/watch?v=jUIQvUI8Frs


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「ジャズの歴史物語」という本を読んだ。今は亡きジャズ語りの巨匠、御大の油井正一さんの著した本です。この人、名調子のDJでも活躍していた人で、ラジオ日本になる前のラジオ関東でのオールド・ジャズの番組が好きでよく聴いていた。

この本は西暦1972年までのめくるめくジャズの水滸伝や三国志。さまざま音楽とさまざまな人物、さまざまな土地が交錯し、未踏の世界を求めていくのです。講談や落語のような語りっぽい文章も楽しい。おもしろい感動的な話もたくさん出てくる。例えばモダン・ジャズの第一人者かもしれないべーシスト、チャーリー・ミンガスはあの伝説的な夭折したサックス奏者、エリック・ドルフィーにこんな弔辞の言葉の花をさしむけている。

「エリックはやさしい、いたわりの心を持っていた。ある時、あるクラブで、私は長々とソロを演じた。耳を傾けている客は一人もいなかった。たまらないことである。するとエリックはそっと囁いた。"しっかりやりましょう。皆が聴いていないように見えますが、あそこの隅で熱心に聴いている人がいるんですよ"」

ジャズは好きな音楽だけど、やっぱ、かたよった聴き方しかぼくはしていなくて、それはそれでいいと思う。もしかして、リズム・アンド・ブルースの変種としてぼくはジャズを聴いているのかも。さまざまな残された文章や証言、音源を考証しながら、ジャズはもともとニューオーリンズの花街の酒場のダンス・ミュージックから発生したと、油井さんも書いている。

ぼくの熱心に聴いた、もしくは聴いている、ジャズと一般的に呼ばれている音楽はこんなもの。

Sun Ra、Albert Ayler、Charlie Paker、Billie Holiday、Nina Simone、Thelonious Monk、Bud Powell、Roland Kirk、Louis Armstrong、Lester Young、Pharoah Sanders、Duke Ellington、Dinah Washington、Charles Mingus、Django Reinhardt、John Coltrane・・・あと誰がいる? もっといっぱいいそう。最近はRed Garlandのピアノが好きです。

ジャズに名人や名曲はなくて、名演奏があるのみといわれるのも頷けるのだけど、「ジャズの歴史物語」のような迷路の物語の中で彷徨ってみるのも楽しいですな。

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「会津と長州、幕末維新の光と影」を読んだ。幕末とか維新って何だろうと最近思い、何にも知らないぞとも思い、この本を本屋で立ち読みしていたらおもしろそうだったのだ。二人の幕末史研究家、星享一さんと一坂太郎さんの対談集。

会津と長州、今で言えば、福島県と山口県には大きなわだかまりがあると聞いたことがあるのだが、本当だろうかと思っていた。一度、どこか旅した時、電車の中で、知らない人から東北地方の言葉で話かけられて、若いころはじめて関西方面に出張した時は本当に嫌だった、なにか、関西の方では田舎ものだと思われているような気がして落ち着かなく、戻ってきて東京のあたりに来て、ほっとしたと言っていた。その人の心の奥の深い無意識のどこかにに戊辰戦争や奥羽越列藩同盟の記憶があるのだろうか?

この前、「おーい! 竜馬」という漫画を読んだのだが、美化されていない歴史とは何だろうとも思ったのだった。何が正義で、何が悪なのだろう? 人の人生が、歴史の力学に吸いとられていってしまうのが、はがゆい。昔、歴史は勝者によって作られ、歌は敗者によって歌われ、物語も敗者によって語られるのではないかと思ったことがある。この本の共感できるところは、敗者の視点を通低として常に、底のところにどこか持っているところと、同時に歴史学者として客観の視点、複眼の視点を持っているところ。

歴史について概括したような本を読むたびに、こういう鳥からの視点って、何か嫌だなぁと思うけれど、歴史という学問の持つ限界なのだろうか? 屍の累々としている日本近代史。この本に書かれている時代、幕末から明治維新あたりまでの歴史、そして、もう一つ、世界恐慌から第二次世界大戦までの歴史は、同じ過ちを繰り返さないために(!!)、もっと研究されるべきだろうと思う。今の時代、やばい空気がぷんぷんしないか? Hey, politcian, stop lying!

そういえば、千円札の野口英世って会津、福島県でしたね。Respect!

戦争反対!

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武田鉄矢原作、小山ゆう漫画の「おーい! 竜馬」の全巻を読んでしまった。高知を旅してから坂本龍馬のことが知りたくなって、何か本を読みたくなって、いろいろ考えたのだけど、漫画にしました。という理由の一つは、人物伝として、昔、手塚治虫の「仏陀」というのを読んですごく良かったんだな。それから、歴史ものとして、昔、白土三平の「カムイ伝」を読んで、これもすごく良かったことが記憶にある。

読み終わった「おーい! 竜馬」だけど、どこまでが史実で、どのように人物像がデフォルメされているのかなどが気にならないでもないが、それでも何度も眼がうるうるするほど感動した。電車の中で漫画を読んで、眼をうるうるさせているおれっていいではないか。

史実とは明らかに違うところがあるらしいから「龍馬」ではなく「竜馬」なのだろうか。一巻目の末に武田鉄矢の書いた文章に司馬遼太郎の「竜馬がゆく」へのレスペクトが述べられており、だから「竜馬」なのかとも思った。

竜馬はすごくかっこいい。例えば竜馬自身の尽力により成し遂げた新政府の体制案を竜馬が作ったらしいのだが、その体制案に竜馬自身の名前が入っていない。不思議に思った西郷隆盛とのやりとり。

「なぜでごわす!?・・・」
「窮屈な役人になるがは性に合わん」
「役人がいやなら・・・・・・坂本さァは・・・・・・なんばやられもす!?」
「そうさな・・・・・・・・・世界の海援隊でもやりますかいのう・・・・・・・・・」

長い13巻を読み通して、14巻目の「世界の海援隊でもやりますかいのう・・・・・・・・・」のせりふのページ見開きの漫画のカットが出てくるところは、まぶしくて、すごく美しく感じた。ロマンチック。

友だち、その時の敵、味方であろうが、竜馬の周りの人がどんどん死んでいく。竜馬自身も常に命を狙われている。すさまじい物語でもある。世界の海援隊の夢を果たせず、齢三十二歳での竜馬暗殺の件は、ページをめくるのがつらかった。

北辰一刀流の免許皆伝の剣の達人であった、この物語の坂本竜馬も、史実の坂本龍馬も、ただ一度として、その剣を抜いて人を切り倒したことがなかったという。
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忌野清志郎の「ロックで独立する方法」を一気に読んだ。とてもおもしろかった。2000年から2001年にかけてのインタビュー集で、驚くほど率直に清志郎の音楽観と生き方観が書かれている。清志郎自らのロックで独立する方法という発案で、「クイック ジャパン」誌に連載されたのだけど、出版されたのは2009年8月。

音楽業界の裏話、数字しか話のされなくなった音楽業界、だまされていた契約書のこと、RCサクセション解散のいきさつ、君が代騒動でのマスコミについてとか、音楽について書かれない音楽雑誌のことなど、本当はこう思っていたのかとよくわかった。この手の人生の指南書みたいな本が今いっぱい出ていて花盛りだけど、多くの本がおまじないみたいなことの羅列ばかりでリアリティーがなく、この本がおもしろいのは、清志郎自身が本当に経験したことと、その時どう思っていたのかが、実にストレートに語られていること。実践的で役立つ哲学書かもしれない。そして、曲作りの秘密みたいなこととか。例えば、清志郎に近所の八百屋のオヤジさんがこんなことを言ったという。

「芸術家ってのはね、うしみつ時ってのが大事なんだ」って。変なオヤジだよね。「うしみつ時って、何時ですか?」って訊いたら「多分一時から三時までの間じゃないかな」って教えてくれたんで、妙に印象に残っている記憶なんだけど。

なるほどね。この本、本屋で平積みになっています。プライベートな話はぜんぜん、載っていません。プライベートな話は清志郎の歌を聴けばいいと思う。

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この前、忌野清志郎のインタビューを読んでいたら、天才は生きてるうちは認められないと思っていたって言っていた。そう言えば、絵描きのゴッホやこのまえ展覧会を見たゴーギャンも、ブルース・マンのロバート・ジョンソンも、詩人でたくさんの素敵な童話を残した宮澤賢治も、最近知った俳人の住宅顕信も生きているうちは少ない人しか知らない人であった。ぼくの好きな人はそういう人がけっこういる。

人は思い出を残すのだけど、自分で本を作って残したらどうだろう? なんか、いろんな人に詞はいいねって、よく言われることがあるんだ。きみは天才かいって自問する声が聞こえれば、ぼくの小学生みたいな詞を思い浮かべ、違うと答えるしかないのだけど、それはぼく以外が決めること。しかし、なんのかんの言っても、生きているうちに認められる天才の方がやっぱ、断然多いのは分かっているのだけど・・・。

出版費用のためにも、仕事さがしをしないといかん。早く見つかるとハローワークからいっぱいお金をもらえるらしい。本はCD付きにしたいなぁ。
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ショーケンこと萩原健一の58歳までの自伝、その名も「ショーケン」を読んだ。もしも、1990年を待たずに彼が人生をまっとうしていたら、まぎれもなく、アメリカ映画「エデンの東」のジェームズ・ディーンやポーランド映画「灰とダイアモンド」のズビグニエフ・チブルスキーのような反抗のアイコンとなっていただろうショーケンと呼ばれた人の口述筆記である。ショーケンの若かりしころの主演作「傷だらけの天使」はドラマ史上に残る名作だと思う。しかし、その彼に更に神さまはその後の人生すら与えたのだった。萩原健一という人がこれほどに勉強熱心な俳優であるのを初めて知った。古今東西、ありとあらゆる映画を見て、本を読み、役作りにのめりこんでいた彼を知った。彼のバンドのDONJUAN ROCKN' ROLL BANDがカルロス・カスタネダの「呪術師と私 - ドン・ファンの教え」から取られたなどという、ぼくにとって意外なエピソードがいくつも披露される。そして、この本を今は亡き中上健次ならば、その語り言葉の力と現代の神話のよううな物語性によって絶賛したのではなかろうかと思わせるほど、おもしろかった。

今、根っから自由人のショーケンは、若い頃の薬物依存の後遺症からなのか満身創痍の状態で仕事待ちの状況であって、日々自己鍛錬に励んでいるという。それでも、ぼくは、人の何倍も自由に生きてきて、たくさんの人から愛されてきた、ピカレスク・ロマン、悪漢小説の主人公のような彼の人生が少しうらやましい。復活を切に願います。

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プロフィール
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えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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