えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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近ごろはネットウヨクと呼ばれる人たちがいるらしい。インターネットの中の右翼であるらしい。そういえば、電話線の中の右翼を描いた小説があった気がし、それが、中上健次の「十九歳の地図」であることことを思い出し、再び読みたくなり、会社帰りにイーオンの中の未来書店で文庫本を見つけ、買って、読んでしまった。

「十九歳の地図」の主人公は十九歳の新聞配達の少年で、いちおう、浪人生となっていて、けれど、大学の進学はあきらめ、東京のどこかで、半ば無為と思えるような毎日を送っていて、気晴らしに公衆電話から、自分は右翼だと自称する嫌がらせの電話を知らない人にかける。

ぼくは、ティーンエイジャーのころ、ミュージック・マガジンか何かの記事で芥川賞を取った新進気鋭の作家、中上健次という人を知り、近所の鹿沼図書館でその芥川賞を取った小説「岬」を読み、こんな小説があってもいいのかと当時はショックを受け、あらゆる中上健次の作品をむさぼり読んだ。今、読み返してもおもしろく、あー、この悪態をつく文体はカソリックの司祭から不道徳、非倫理的作家だとされ、葬儀を拒まれたフランスの作家、ルイ・フェルディナン・セリーヌの強い影響を日本の風景の中に必死に定着させようとしていたのかもしれない、とも思った。この短編集の中には四篇の小説が収められていて、それは、「一番はじめの出来事」、「十九歳の地図」、「蝸牛」、「補陀洛」。昔、読んだころは「十九歳の地図」を一番おもしろいと思ったのだったけれど、今のぼくは、中上健次の首をくくって死んだ実の半分だけ血のつながった兄を哀悼するかのような「補陀洛」に惹かれる。この死んだ兄の話は、多くの中上健次の小説に影をおとし、何度も登場する。

初めて読んだ時は、これらの小説の舞台としてもあるようなところが本当に日本のどこかにあるのか、と驚きもした。後にこれらの小説が被差別部落を描いていることを知ったのだけど、小説の中では一度も「差別反対」や「部落」という言葉は出てこず、そこを中上健次は「路地」と呼称した。その路地のある町、紀州の新宮あたりを旅したことがあるのだけど、中上健次の小説の世界を想像していたぼくは、むしろ不思議に明るい感じを受け、拍子抜けしたような気にもなった。その時、太地の町かどこかを歩いていると、男二人が紀州弁で怒気荒く、何かを言い争っていて、女一人がそれを止めに入ろうとしている。その時は、何度も読んだ中上健次の世界が胸にせまるようで、火をつければ燃え上がる男たちと女たちであるならば、それは、中上健次の愛した神倉山の火祭りであるような気がした。







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えいちゃん
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男性
職業:
S.E.
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音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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