えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

映画論で著名な四方田犬彦さんがアジアについて書いた雑多な文集である「アジア全方位」を読了する。
四方田さんについては、はるか昔のぼくが学生のころ、ささやかな思い出があって、ぼくの通っている大学で友だちが、駆け出しの学究であった四方田犬彦こと四方田剛己先生の英語の授業を受けていた。その友だちにどんな授業なのかとたずねると、例えば、授業の間中、英語とは関係ない「ローズマリーの赤ちゃん」を監督したロマン・ポランスキーの映画の話や、その監督にまつわるシャーロン・テイト事件などのエピソードの話が続き、最後にジミー・クリフの"So Many Rivers To Cross"の歌詞の翻訳をしてチャイムが鳴るというような内容だったそうだ。その後、もうその頃は、韓国や映画を論じ、著述する有名人であった四方田先生を囲むホームパーティーがあって、ぼくも誘われ出席した。新宿に新宿アートシアターがまだあって、怪しげな前衛映画がかかっていたあの時代のカウンター・カルチャーとも呼ばれるべきサブ・カルチャー好きの学生がたくさん集まっていた。その中のぼくもいて、ぼくは酔っぱらいながら、四方田先生に、大好きな中上健次の小説について話したような記憶もうっすらある。
近頃、本屋で偶然、四方田先生の近著を見つけ、あっ、この人の文はおもしろくて、共感もできる、と思い、買って読んでしまった。この本の中で四方田先生は千のアジアと言い、統合されないそのまとまりのなさ、多様であることを、褒めたたえてもいる。
この本の中のどの文も面白いのだけど、特に映画監督の大島渚、小説家の李光洙、立原正秋、そして、あの中上健次を引き出しにして、韓国と日本を論じた「他者としての日本、内面化された日本」は圧巻で深く鋭い。
四方田犬彦さんの他の近著もさらに読みたくなった。


山口冨士夫の"So What"が面白くて一気に読了した。1990年に出された冨士夫のそれまでの音楽人生を語り尽くした本です。
昔、高円寺で友だちに呼ばれて居酒屋で冨士夫ちゃんとお酒を飲んだことがありました。そのころは山口冨士夫関係のTEARDROPSやらTUMBLINGS、そして、FOOLSのギグには、よく行きびたっていました。
この本は2008年に復刊されたものだけど、その時の添えられた山口冨士夫自身による「あとがき」を添えて、冨士夫の魂とRock'n' Rollよ、永遠なれ、とおれは叫びたい。
「どうやら、神様がいたずら好きだからか、オレはまだまだたくさんの仕事をしないと、あちらへは行かせてくれないらしい。だったら、いろんな人々と、本当につながっていこうじゃないか。オイ!いい加減、オレたちの本来ってやつを取り戻しにかからないか?
君の本当の友達 フジオより、複雑な思いをこめて・・・・。とにかく元気でいてくれ」


歴史探偵を自称する半藤一利さんの著した「あの戦争と日本人」を読了した。この本はインタビューによる書きおろし、別のもうすこし堅い言葉で言うと口述筆記らしいのだが、半藤さん日本の近代史に対するめくるめく博学と知見にぼくは驚きを隠せない。半藤さんの本を読むのはこれが三冊目で一冊目が「幕末史」、二冊目が「ノモンハンの夏」、そして今回の「あの戦争と日本人」なのだが、どれも面白かったし、やはり温故知新というのは大切だ、と思う。
安藤さんが感服した二人の日本人の小説家、夏目漱石と坂口安吾のことを思い出し、その透徹した目について考えもする。いつのまにやら、戦後から戦前になってしまったように感じる日本なのだが、今だからこそ、たくさんの日本人に読んで欲しい本です。


鈴木啓志さんの著した「ゴースト・ミュージシャン ソウルの黄金時代、アメリカ南部の真実」を読む。
アラバマ州マスル・ショールズというとある田舎町にあるレコーディング・スタジオ「フェーム」を舞台にした、さまざまなミュージシャンが出入りする本当にあった物語。主人公はそのフェーム・レコーデイング・スタジオのオーナーであるリック・ホール。そこに、世紀の天才ドラマー、フリーマン・ブラウンがヒーローよろしく登場し、そして、ニューヨークの名門レーベル「アトランティック」のオーナー、ジェリー・ウェクスラーが思惑ありげに絡んでくる。ぞくぞくときらめくようなシンガーたちが、この片田舎のスタジオに訪れ、セッションをし、名録音を残していく。さまざまな人間ドラマと変遷を経て、アメリカ南部と北部、黒人と白人に横たわるなんともセンシティブな問題も語られ、キング牧師の暗殺された1968年にフリーマン・ブラウンらを中心にしたアメリカ音楽史上、最強で最高なリズム・アンド・ブルース・バンド"Fame Gang"に結実する。
さて「ゴースト・ミュージシャン」とは誰か? ジェリー・ウェクスラーによって、クレジットから消され、いなかったことになってしまったさまざまなミュージシャンがいたということ。音をたどって明かされる真実は、リック・ホールという、プロデューサーと呼ばれる楽器を持たないミュージシャンにスポットを当て、この南部白人の、音楽家としての、人間としての偉大さを浮き彫りにする。
あぁ、"Fame Gang"の強靭なグルーヴはキャンディ・ステイトンやローラ・リーの1960年代のアルバムで聴くことができます。




映画も素晴らしかったら、妹尾河童さん著した「少年H」を読んだ。そして、戦争のことを考え、思いをめぐらせた。少年の低い目から見た戦時下の日常がリアル。例えば、子どもに向かって戦闘機から機銃掃射するのか、恐いな、と思った。大本営発表の統制報道などは今の原発事故・放射能報道と似ていて、こわい、こわい、とも思う。それから、少年Hのお父さんはすごく尊敬に値するぞ。家族を守るためにこんなことを言う。
「そうやないんや、踏んでもええのや。信仰は自分の心にあるんやから、それを護るんは正面から抵抗するだけやないとというのを知っておいて欲しいんや」
ぼくはクリスチャンではないのだけど、何か胸の底に来ました。
戦後、少年Hが大人たちにこの負けた戦争について尋ね、、敵機が飛来し始めたころには、もう日本は戦争に負ける、と少なからぬ人たちが思っていたことに、少年Hは驚くのだが、特攻隊として死んでいった青年たちの至純には嘘はない、と書いた坂口安吾の随筆を思い出したりもした。
今が戦前だという暗い予感が当たらないことを祈りながら本を閉じました。


この前、能楽というものを初めて見たこともあって、久しぶりに三島由紀夫の著作の中から「近代能楽集」を再読してみた。死が香り立つような戯曲集は古い能楽の古典を現代劇に翻案したような寸劇集であった。芸術はエロスとタナトスから生まれるというけれど、エロスは性愛、タナトスは死で、三島由紀夫の小さな物語はそれで、小さな危ない小宇宙のようなのであった。舞台で見てみたい。


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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