えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

映画も素晴らしかったら、妹尾河童さん著した「少年H」を読んだ。そして、戦争のことを考え、思いをめぐらせた。少年の低い目から見た戦時下の日常がリアル。例えば、子どもに向かって戦闘機から機銃掃射するのか、恐いな、と思った。大本営発表の統制報道などは今の原発事故・放射能報道と似ていて、こわい、こわい、とも思う。それから、少年Hのお父さんはすごく尊敬に値するぞ。家族を守るためにこんなことを言う。
「そうやないんや、踏んでもええのや。信仰は自分の心にあるんやから、それを護るんは正面から抵抗するだけやないとというのを知っておいて欲しいんや」
ぼくはクリスチャンではないのだけど、何か胸の底に来ました。
戦後、少年Hが大人たちにこの負けた戦争について尋ね、、敵機が飛来し始めたころには、もう日本は戦争に負ける、と少なからぬ人たちが思っていたことに、少年Hは驚くのだが、特攻隊として死んでいった青年たちの至純には嘘はない、と書いた坂口安吾の随筆を思い出したりもした。
今が戦前だという暗い予感が当たらないことを祈りながら本を閉じました。


この前、能楽というものを初めて見たこともあって、久しぶりに三島由紀夫の著作の中から「近代能楽集」を再読してみた。死が香り立つような戯曲集は古い能楽の古典を現代劇に翻案したような寸劇集であった。芸術はエロスとタナトスから生まれるというけれど、エロスは性愛、タナトスは死で、三島由紀夫の小さな物語はそれで、小さな危ない小宇宙のようなのであった。舞台で見てみたい。


「ニッポン猪飼野ものがたり」を読了した。いろんな人が大阪にある日本一のコリアンタウンである猪飼野について書いた本です。
なぜか、前の会社の社長が言っていた二宮尊徳の芋むき器の話を思いだした。二宮尊徳の考案した芋むき器とは、桶のような器にいろんな大きさの芋を入れて、棒のようなものでかき回すと芋と芋とがこすり合わさって、皮が薄くつるりとむけるという。いろんあ芋があっても、そこで切磋琢磨していいじゃないかというような話でした。社長もいいこといいますな。いろんな大きさの芋があってこそ、うまくむけるということだそうだ。その芋は小さな島国にひしめくぼくたちのような気もするではないか。
さて、コリアンタウンというと、東京の新大久保の街などで、聞くに堪えない言葉でデモををする輩もいるらしい。しかしながら、昨今は街や町でいろんな顔の人が見え、いろんな言葉が聞こえてきてくるようになった。ぼくのよくいく相模大野のバーもアフリカ人が経営者でマスターであったりする。これから、いろんな人が日本にやってきて、いろんな人が日本から行くだろう。
仁徳天皇の昔から渡来の文物と人を受け入れてきた歴史もあるらしい。敗れた百済の王とその一族はいろんなものをもたらし猪飼野に定住したという。
この本の雑多な文の中には笑いと涙がつまっています。仲良くしたほうがいいと思います。


「半藤一利と宮崎駿の腰ぬけ愛国談義」という本を読みました。半藤さんは近代日本の歴史の語り部作家で、宮崎さんは日本を代表するアニメーション映画監督。二人とも戦闘機だの軍艦だのが大好きなのですね。宮崎駿が半藤一利の大ファンであるというのも意外な気もしつつ、腑に落ちた。二人とも戦争が大っ嫌いなのです。
ところで、宮崎さんは自ら監督した映画「風立ちぬ」の試写で涙が止まらなかったというのだけど、ぼくは、中国の映画監督、陳凱歌がインタビューに答えていた、後には自ら徹底的に否定する紅衛兵だった中国文化革命時の記録フィルムを見て、涙が止まらくなった、という話を思い出した。ひるがえって、宮崎さんの涙のそれは、東の果ての島の小さな過去に確かにいた人たちへの愛のようなものかもしれない。そして、ぼくが昔、読んだ半藤さんの著作「ノモンハンの夏」はこれからの日本人に書き残すべきものの愛のようなものかもしれない。
そんなお二人が茶碗に酒をそそぎ縁側で近代から現代までの日本と日本人をかって気ままに語りつくしているような本でした。


津島佑子さんの真新しい小説「ヤマネコ・ドーム」を読了した。ひさしぶりに本気の小説、本ものの文学を読んだ気がした。主人公たちは米兵と日本人の間に生まれたホームなどとも呼ばれる施設育ちの子どもたちで、彼らが先の大戦の敗戦から2011年の東日本の震災までを自由にブルーズを歌いながら、世界中を旅して駆け抜ける、ポリフォニーの語りもの。
施設の子どもというとキース・リチャーズと並ぶ日本の最高のロック・ギタリストの山口冨士夫さんもそうなのであったのを思い出した。そして、この小説は同時代を並走して、先に逝ってしまった小説家、中上健次や立松和平に捧げられているような気もした。津島さんのローレン・バコールのようなしゃがれ声で言う、あなたたち、ずるいわよ、さっさと先に逝ってしまてって、今、日本は恐ろしい地震とかおっかない津波とかお化けみたいな原発で大変なことになっているのよ、という声が聞こえてきそうだ。
タイトルの「ヤマネコ・ドーム」はエニウェトク環礁のルニット・ドームからインスパイアされているものと思われるのだけど、津島さんはこの小説の最後の一頁でこう解説している。
「アメリカの核実験はビキニ環礁だけではなく、エニウェトク環礁も四八~五八年にかけて行われ、そこに住んでいたひとたちも強制移住させられた。しかし、ここではアメリカ軍による除染作業ののち、八○年、住民たちは帰島が許された。戻ってみれば、いくつかの島々は核実験によって消え失せ、ルニット島には除染作業で生じた膨大な汚染物質を集めた「ルニット・ドーム」なるコンクリートの巨大なドームが作られていた。その周囲にはマーシャル語と英語で、「危険 近づくな」と記された看板が建てられたがニ五年経った次点で、すでにその文字は薄れて読みにくくなっていた(竹峰誠一郎氏の報告による)」


異端の民俗学者、宮本常一の著した「忘れられた日本人」を読了した。昔の日本人といってもほんの六十年前の彼らだけど、なんて自由で心豊かでおおらかなんだろう、と思った。貧しさを通り越して、失われたものもたくさんるような気がして、どこか少しうらやましくもある。この本は西暦千九百六十年、昭和三十五年に出されたから、今から六十三年前には日本のどこかでこんな風景があったのだろうか。博徒や夜這いの話とかもあって、昔、見た寺山修司の映画「さらば方舟」を思い出す。それが不幸とは言いきれないけれど、現代という時代は、何かとても寂しい時代なのかもしれない。夜這いの話とかは出てこないけれど、ぼくはこの本の中のとても穏やかな「私の祖父」という章がとても好きなのだ。常民学と呼ばれる宮本民俗学をとても深いところで支え、その生涯を動かしたものに祖父の宮本市五郎とその人が常一少年に語ってきかせた昔語りがあったに違いない。そんな日本のおじいさんの話をぼくも聞きたい。


大映の兵隊やくざシリーズの実質のラストである八作目「兵隊やくざ 強奪」を見た。この大映でのシリーズ、一作目のみが増村保造監督で二作目から八作目までが田中徳三監督、九作目が大映ではなく勝プロでの制作の「新兵隊やくざ火線」で異色、唯一DVD化されておらず、ぼくは一作目から八作目まで見たのだけど一作目の「兵隊やくざ」と並ぶ「兵隊やくざ強奪」は不可思議な名作だと感じた。
七作目の「兵隊やくざ 殴りこみ」で日本は負け、田村高廣の演ずる有田上等兵も、勝新太郎の演じる大宮一等兵も、すでに兵隊ですらなく、二人は混乱の中国の中、日本内地を目指し、南に向かう、その途上で三才にもならない捨てられた赤ん坊を拾う。満人か日本人の子かわからんものを置いていけ、と言う有田上等兵に、大宮一等兵は、人間の子どもであります、と返す。一旦は置いていく子どもの泣き声に堪らず、引き返し子どもを連れて行く決心をする有田上等兵に喜ぶ大宮一等兵、そして、名前もわからない子どもとの三人での旅が始まり、大宮一等兵は、おれたちの子どもであります、と叫んだのだった。
戦争映画を二歩離れ、B級映画のマニアであるアメリカのタランティーノ監督が絶賛しそうな無国籍な情趣のこの映画は、あとは見てのお楽しみ。
今作の脇役陣の中で、どの俳優たちも素晴らしかったのだけど、特に、美人の抗日ゲリラ隊長、楊秋蘭を演じる佐藤友美が良かったです。
七作目の「兵隊やくざ 殴りこみ」で日本は負け、田村高廣の演ずる有田上等兵も、勝新太郎の演じる大宮一等兵も、すでに兵隊ですらなく、二人は混乱の中国の中、日本内地を目指し、南に向かう、その途上で三才にもならない捨てられた赤ん坊を拾う。満人か日本人の子かわからんものを置いていけ、と言う有田上等兵に、大宮一等兵は、人間の子どもであります、と返す。一旦は置いていく子どもの泣き声に堪らず、引き返し子どもを連れて行く決心をする有田上等兵に喜ぶ大宮一等兵、そして、名前もわからない子どもとの三人での旅が始まり、大宮一等兵は、おれたちの子どもであります、と叫んだのだった。
戦争映画を二歩離れ、B級映画のマニアであるアメリカのタランティーノ監督が絶賛しそうな無国籍な情趣のこの映画は、あとは見てのお楽しみ。
今作の脇役陣の中で、どの俳優たちも素晴らしかったのだけど、特に、美人の抗日ゲリラ隊長、楊秋蘭を演じる佐藤友美が良かったです。
