えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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ヨシフ・スターリンの恐るべき狂った圧政のソビエト連邦のシベリアの極寒の地の強制収容所から、書きものという方法を奪われた帰還兵たちによって、記憶という手段で、俳号、北溟子こと山本幡男さんからの遺書がその妻、モジミさんに戦後、手渡される、辺見じゅんさんの著したそんなノン・フィクション「収容所(ラーゲリ)からの遺書」を読んだ。

辺見さんが「あとがき」に書かれているように、過酷な状況に置かれてもなお人間らしく生きるとはどういうことか、ということが、胸に重く響く。愛する家族への最後の手紙であると同時に今の時代への警句でもあるかのような、その届けられた遺書がどのようなものかは、本書を読んでいただくとして、死を覚悟した晩年の山本幡男さんの言葉を引用してこの本を紹介します。

「野本さん、釈迦はね、世界最大のセンチメンタリストなんだよ。キリストは詩人なんだ。ぼくはね、なんのとりえもない凡人だけど、どんなときでもセンチメンタリストでありつづけたい。結局ね、パトスだけがわれわれ人間にとって最初の審判者であり最後の審判者なんだ。そう思えてきたよ」

ぼくはこのパトスを受苦をともなう他者への共感と訳してみる。誤訳かもしれないけれど・・・おやすみ、ZZZzzz.....










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戦争ものの大衆小説を著し、今はもう忘れさられたような作家、棟田博の「サイパンから来た列車」を読む。二編収められていて一つは小品の「サイパンから来た列車」、もう一つは中編の「ポッポ班長万歳」。こてこての戦記文学ではなく戦争を背景した淡い笑い、ユーモアと悲哀の涙を誘う珠玉の作品が二つで、かのオー・ヘンリーの名作を思い起こさせる。ぼくは10年後の日本はどこかの国と戦争でもしているのではあるまいかと、昨今の風潮に悪い予感をおぼえ、どんな時にも、どこか善良に生きたいと心貧しくも願いつつ、こんな本に手が伸びてしまう。その悪い予感がはずれたらいいと思い、このような読書が悪魔祓いのまじないのようでもあると感じてしまう。









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映画「オン・ザ・ロード」がとてもおもしろかったので、ジャック・ケルアックの原作を本当にとても久しぶりに読み返してみた。昔は「路上」と題されていたこの長編小説が今は文庫本として映画と同じく「オン・ザ・ロード」と題されて河出書房新社から出されていて、昔は確か古本屋で単行本を買ってよんだことを思い出し、なんとも便利な世の中になったものだ、と思う。その昔、読んだ単行本の「路上」が青山南さんの訳であったのかは思い出せなく、今、読み終えた「オン・ザ・ロード」の青山さんの日本語もすばらしく、イマジネイティブ。

このジャック・ケルアックの路上が無ければ、ボブ・ディランやジム・モリソン、ルー・リードらのロックン・ロールの伝説の人たちも登場してこなかっただろう。特にジム・モリソンの詞と詩はケルアックの散文に込められた詩の心の延長線上に位置するようにも思われた。

「オン・ザ・ロード」は話の筋もないような北米大陸を放浪する物語でもあるのだが、ケルアックのとりとめもない散文は韻律を伴うかのような詩の美しさが宝石のようにきらめいている。訳した青山南さんに敬意を表しつつ、例えば、第3章の7のラストを引用させて、この本を自由を求める誰にでも薦めたいのです。

「西部もこのあたりになると、ワイオミングの州でもそうだったが、夜は、星々がローマ花火のようにでかく、まるで先祖の森を見失った達磨王子が北斗七星の柄のなかの空間を転々とひたすら旅して森をふたたび見つけようとしているかのように孤独だ。そんな風に星々がゆっくり夜を回しているうち、じっさいに朝日が昇る時間よりもずっと早くに、大きな赤い光が、西カンザスのほう、灰褐色の荒涼とした土地のはるか向こうに現れ、鳥たちがデンヴァーで囀りを始めた」

「オン・ザ・ロード」の英雄ともいうべき自由そのもであるような登場人物、ディーン・モリアーティことニール・キャサディは42歳で1968年にメキシコの路上で全裸で死んでいるのを発見され、ディーンを追いかける語り部のサル・パラダイスことジャック・ケルアックもその翌年、47歳で、その精神的跡継ぎともいうべき若者たち、ヒッピー・ムーブメントのアメリカの長い髪をした反戦の子どもたちに大酒を飲みながら悪態をつき、孤独のうちに逝ってしまう。

ジャックによって残されたのは驚きのような人生への賛美に満ちた散文と韻文で、知らない荒野の遠くを指差すような、生きよ、という声が聞こえてくる。そして、同時に兄弟のような呼びかけで、どこまでも、いかれたバスでドライブしようぜ、というニールの声も聞こえてくる。Yes, yes, yes!









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映画「そして父になる」がとても良かったので、その映画製作の參考書籍と謳われる奥野修司さんの著した「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年」を読んだ。これは映画の原作ではなく一つのドキュメンタリーで、フィクションである映画よりも一層に深刻でさらにいろんなことがメッセージとして胸に重く響く。

親が子どもに与えることのできる最高のものとは何だろう? 悲劇としか表しようのない話なのだが、最後まで読み進むと、うっすらとした一筋の救いのような、あたかも希望の光のようなものが差し込んでくるようにも感じられもし、すべては神様のもたらした配材、計らいだったのだろうか、と安堵もまじった嘆息をした。ただただ、子どもたちに幸あれ。







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映画論で著名な四方田犬彦さんがアジアについて書いた雑多な文集である「アジア全方位」を読了する。

四方田さんについては、はるか昔のぼくが学生のころ、ささやかな思い出があって、ぼくの通っている大学で友だちが、駆け出しの学究であった四方田犬彦こと四方田剛己先生の英語の授業を受けていた。その友だちにどんな授業なのかとたずねると、例えば、授業の間中、英語とは関係ない「ローズマリーの赤ちゃん」を監督したロマン・ポランスキーの映画の話や、その監督にまつわるシャーロン・テイト事件などのエピソードの話が続き、最後にジミー・クリフの"So Many Rivers To Cross"の歌詞の翻訳をしてチャイムが鳴るというような内容だったそうだ。その後、もうその頃は、韓国や映画を論じ、著述する有名人であった四方田先生を囲むホームパーティーがあって、ぼくも誘われ出席した。新宿に新宿アートシアターがまだあって、怪しげな前衛映画がかかっていたあの時代のカウンター・カルチャーとも呼ばれるべきサブ・カルチャー好きの学生がたくさん集まっていた。その中のぼくもいて、ぼくは酔っぱらいながら、四方田先生に、大好きな中上健次の小説について話したような記憶もうっすらある。

近頃、本屋で偶然、四方田先生の近著を見つけ、あっ、この人の文はおもしろくて、共感もできる、と思い、買って読んでしまった。この本の中で四方田先生は千のアジアと言い、統合されないそのまとまりのなさ、多様であることを、褒めたたえてもいる。

この本の中のどの文も面白いのだけど、特に映画監督の大島渚、小説家の李光洙、立原正秋、そして、あの中上健次を引き出しにして、韓国と日本を論じた「他者としての日本、内面化された日本」は圧巻で深く鋭い。

四方田犬彦さんの他の近著もさらに読みたくなった。





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山口冨士夫の"So What"が面白くて一気に読了した。1990年に出された冨士夫のそれまでの音楽人生を語り尽くした本です。

昔、高円寺で友だちに呼ばれて居酒屋で冨士夫ちゃんとお酒を飲んだことがありました。そのころは山口冨士夫関係のTEARDROPSやらTUMBLINGS、そして、FOOLSのギグには、よく行きびたっていました。

この本は2008年に復刊されたものだけど、その時の添えられた山口冨士夫自身による「あとがき」を添えて、冨士夫の魂とRock'n' Rollよ、永遠なれ、とおれは叫びたい。

「どうやら、神様がいたずら好きだからか、オレはまだまだたくさんの仕事をしないと、あちらへは行かせてくれないらしい。だったら、いろんな人々と、本当につながっていこうじゃないか。オイ!いい加減、オレたちの本来ってやつを取り戻しにかからないか?
 君の本当の友達 フジオより、複雑な思いをこめて・・・・。とにかく元気でいてくれ」





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歴史探偵を自称する半藤一利さんの著した「あの戦争と日本人」を読了した。この本はインタビューによる書きおろし、別のもうすこし堅い言葉で言うと口述筆記らしいのだが、半藤さん日本の近代史に対するめくるめく博学と知見にぼくは驚きを隠せない。半藤さんの本を読むのはこれが三冊目で一冊目が「幕末史」、二冊目が「ノモンハンの夏」、そして今回の「あの戦争と日本人」なのだが、どれも面白かったし、やはり温故知新というのは大切だ、と思う。

安藤さんが感服した二人の日本人の小説家、夏目漱石と坂口安吾のことを思い出し、その透徹した目について考えもする。いつのまにやら、戦後から戦前になってしまったように感じる日本なのだが、今だからこそ、たくさんの日本人に読んで欲しい本です。






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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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