えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

entry_top_w.png


親愛なるジョージくん、自ら銃を発砲し、その弾が敵にあたらないように願うのなんて、きみらしいけれど、兵士としてはどうかと思うよ。この本を読んで、ぼくは著者に、こんな手紙を書くたくなったのだけど、その本とはジョージ・オーウェルの著した「カタロニア賛歌」。「1984」を著したオーウェルがそれに先立つこと11年前の1939年に発表したスペイン市民戦争の従軍ルポルタージュ。「1984」にある全体主義のへの警鐘の種子のようなものすらここにはある。

1936年から1939年までスペインは反ファシズムの熱狂の中にあって、有名な小説家、もしくは後に小説を書く人としては、フランスのアンドレ・マルロー、アメリカのアーネスト・ヘミングウェイ、そしてイギリスのジョージ・オーウェルが兵士として、銃をとっている。ロバート・キャパやゲルダ・タローはカメラを武器に戦場に赴き、パブロ・ピカソは爆撃するフランコ軍への抗議として「ゲルニカ」を描いた。

パレスティナのガザへの爆撃のニュースを見るにつけ、この「カタロニア賛歌」が、21世紀にも向けた、何らかの強くて絶えることのないメッセージであるかのようだ。






entry_bottom_w.png
entry_top_w.png
講談社学術文庫版、夏目漱石の「私の個人主義」を読了した。「私の個人主義」以外に4つの講演も所収されていた。どれも漱石の早すぎる晩年に行われた講演で、確か、この「私の個人主義」は高校の教科書の載っていなかったかしら。そういえば、高校の教科書には大江健三郎の「ヒロシマ・ノート」が載っていたけれど、ある国語の教師は大江健三郎を好きではないと言っていたな。教科書には三島由紀夫の「不道徳教育講座」は載っていなかったな。ぼくは三島由紀夫も大江健三郎もおもしろく思い、両者とも好きなのだ。教科書には大江の「政治青年死す」と三島の「英霊の声」をとなりあわせに載せるというのはどうだろう。おもしろくないだろうか。世界にはいろんな見方があって、ものごとにはいろんな角度からの見え方がある。

さて、有名な漱石の「私の個人主義」に戻して、ぼくはこの講演記録を読んで、何か自分を励ましてくれるものを感じた。個人主義とはこんなものでもあるらしい。引用して漱石に感謝と尊敬の意を表します。

「もっと解りやすく云えば、党派心がなくって理非がある主義なのです。朋党を結び団隊を作って、権力や金力のために盲動しないという事なのです。それだからその裏面には人に知られない淋しさも潜んでいるのです。すでに党派でない以上、我は我の行くべき道を勝手に行くだけで、そうしてこれと同時に、他人の行くべき道を妨げないのだから、ある時ある場合には人間がばらばらにならなければなりません。そこが淋しいのです」

日露戦争の勝利に祝杯、喝采する日本にいて、夏目漱石は洞察し、こう言いはなったという。

「この国は滅ぶね」

その20年後、日本は敗戦した。暑い夏がやってまいりました。






entry_bottom_w.png
entry_top_w.png
確か、どこかに行こうとしていたいつかの日曜日に駅の売店で東京新聞を買って、電車の中で読んでいると、伊那食品工業の会長である人のインタビューがとてもおもしろく、それがきっかけで興味深々に注文をした本を読了した。

その伊那食品工業とは48年間増収増益を続けた寒天の会社で、社是は「いい会社をつくりましょう たくましく そして やさしく」。

へー、こんな会社があるんだと思い、その会社の会長である塚越寛さんの著した本「幸せになる生き方、働き方」を読んで、そうか、これこそが、保守本流、保守王道の哲学であるような気がした。ぼくは、今の日本の政権党は保守であることも怪しく思われ、何と言ったらいいかわからないのだけど、塚越寛さんの経営とか人生の哲学とか、伊那食品工業の昔ながらのようでもありながら、常に中庸の革新を求めてもいるようなあり方が、何かまぶしいものを感じてしまうのです。

今度、新しく会社に入る時は、社訓とか社是とか注目しなくては、とも思う。それから、伊那食品工業のブランド「かんてんパパ」のホームページを見て、寒天一筋の伊那食品工業の寒天の本当にいろんな取り揃えにびっくりしてしまう。寒天宇宙だ。今度、通信販売で取り寄せて食べてみよっと。

http://www.kantenpp.co.jp/corpinfo/index2.html







entry_bottom_w.png
entry_top_w.png


村上春樹さんの著した「村上ソングス」を読んだ。今や世界を股に駆け、国際的な文学者が、アメリカのポップ・ミュージックの詞の翻訳とそれにまつわるエッセイ集です。本当に村上さんはこういうポップ・ミュージックが好きなんだなぁ、訳にそのもともともの曲への愛がこもっているとも感じ、そのエッセイもしかりで、心地よいエスピリに胸がくすぐられてしまいます。そのポップ・ミュージックとは、古いジャズ・ソングから映画の主題歌、ソウル・ミュージック、ロック、とジャンルを横断し多岐にわたるのだが、その一つの共通して流れる特徴は、何かしゃれていて、どこか都会的、「街」といった言葉で思い浮かべられるような歌であること。村上さん自身は気づいておられるでしょうか? そんな音楽が好きな人には、なんとも楽しい本ではあります。

歌は世につれ、世は歌につれ、という言葉をこの軽いエッセイ集から思い出したりもしたけれど、なぜか、こういう音楽は世につれながらも、世を超えてしまう普遍性をどこかに持っているのだと思う。

この本、挿画が和田誠さんで、これがまた素敵。









entry_bottom_w.png
entry_top_w.png
今の日本の総理大臣は明治にいろんなことを復古させようとしているらしい。それがいいことなのかははなはだ、疑問を持ってしまうのだけど、日本には偉大な先人としての精神が明治にはあったのかもしれない、と渋沢栄一の著した「論語と算盤」を読んで思った。そんな明治の精神を表わした本があと二冊あって、一冊は内村鑑三の著した「代表的日本人」、もう一冊は新渡戸稲造の著した「武士道」。あとその三冊以外にも、田中正造を忘れてはいけない。田中正造の「田中正造文集」。そして、ぼくは夏目漱石の小説が大好きです。夏目漱石の「私の個人主義」。ぼくにとって、この五人が偉大なる明治の精神だろうか。本屋で見かけたら、手に取ってみて、少し読んでみてください。










entry_bottom_w.png
entry_top_w.png


堀江邦夫さんが文を書き。水木しげるさんが絵を描いた「福島原発の闇 原発下請け労働者の現実」を読んだ。1978年にはもうすでにこのようなものが日本を代表する写真雑誌「アサヒグラフ」で発表されていた。この本に書かれているそれは、この本から引用すれば、「目にも見えず、匂いもせず、痛くもかゆくもない」ものだけど、このようなものでもあるらしい。

「(内部被ばく)
―身体内にとりこまれた放射性物質の放射線で身体の内部から被ばくすること。(放射性物質が)一度身体にはいると、多くの場合、これを体外に排泄することは困難である。血球の減少をおこし、衰弱と貧血をともなうことがある。また白血病、骨しゅようの発生の原因となる可能性が大きい
―「放射線と人間環境」(科学技術庁)」

ぼくは、最近、いろんなマスコミでかしましい「内部被ばく」の意味も本当はよく知らなかったばかな人間だ。今は本当のところを誰も語らない戦時中なのかもしれない、と思う。ならば、戦前に書かれたこの文と絵も読んでみたらどうだろうか、とも思ったのだった。この本の筆者は当時をこうも振り返る。再びこの本からの引用。

「原発のもつもうひとつの顔が、ひそかに、しかも着実に社会全体を覆いつつありました。ドイツ生まれの作家ロベルト・ユンクがその著「原子力帝国」のなかで、原子力は強力な警察・管理国家をもたらす、と警鐘を鳴らしていたとおり、たとえば1974年には米国の核燃料製造所に勤務する女性技術者が内部告発資料を持ち出したとたん不審な自動車事故に遭い死亡する事件(カレン・シルクウッド事件)が起きていましたし、私のように売れないものかきでさえ、1977年、取材の途中で原発のPR館を見学しただけで電力会社から警察に通報され、県警による長時間の取り調べを受ける、といった不快きわまる経験をしています」

ぼくたちの今は、ジョージ・オーウェルのいう「1984」以後の抑圧された世界かもしれない。その世界で封じられている言葉とな何だろう。







entry_bottom_w.png
entry_top_w.png


大熊一夫さんの著した「精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本」を読了した。イタリアとはサッカーとカンツオーネ、もちろんフェリーニの映画はすばらしいし、それから、最古の帝国、ローマの古い歴史、そのようなばかりの国ではなく、もっとも進んだ精神医療の国でもあるのを知った。話は1960年代の初頭にさかのぼる。イタリアから離れるけれど、1963年2月5日の一般教書演説でアメリカのケネディ大統領はこのように述べ、国を挙げて新しい精神保険計画に取り込むことを高らかに宣言する。「精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本」からの引用。

「こういう事態は今まで放置されすぎた。それは、われわれ国民の良心の痛みだった。口にするのもはばかられて、簡単にあとまわしにできて、しかもその解決はほとんど絶望的であった。国家にとって重要な問題であるにもかかわらず、連邦政府は解決を州政府にまかせてきた。これらの病院は職員不足、過剰入院、劣悪居住環境といった点で、恥ずべき状態にあった。ここから逃れ出る唯一の確実な希望の道は死のみであった」

あぁ、未完のいまだにさまざまな希望への問いを投げかけるかのような偉大なアメリカの大統領よ、あなたは知っていたのだろうか、時をほぼ同じくして、イタリアの一人の精神科医が、このように述べて改革の旗を上げ、自ら実践し始める。再び「精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本」からの引用。

「鉄格子や鉄の扉の奥に押し込めることを正当化するような精神状態など、本来ないのだ。精神病者の、ときおりの暴力は、結果である。施設の中での抑圧で引き起こされた人間としての反応である。つまり、それは精神病院が引き起こす病気。精神病院などやめて人間的存在たりうる暖かい状況に置くことができれば、精神病者の暴力などなくなるのだ」

こう言ったフランコ・バザーリアはそのおよそ20年後、イタリアでの精神医療改革の法律の制定を達成しながら、道なかばで、病に倒れ、逝ってしまう。そのフランコ・バザーリアの付けた改革の野火はその次の世代に伝承され、ある時は燃え盛り、ある時は、地下に潜行し、21世紀には、イタリアは治療はあるが精神病院のない社会を実現する。

さて、わが日本は、何周もの周回遅れでやっと始まったような状況なのだけど、それは、小さな明るい希望で、細い水の流れなのだけど、誰もが人間らしく生きれるように、この旧態の岩盤を砕いて欲しい。

この本、イタリアの現代史や社会の勉強にもなりました。ビバ・イタリア。チャオ。






entry_bottom_w.png
<< 前のページ   HOME   次のページ >>
[55]  [56]  [57]  [58]  [59]  [60]  [61]  [62]  [63]  [64]  [65
plugin_top_w.png
カレンダー
01 2025/02 03
S M T W T F S
2 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28
plugin_bottom_w.png
plugin_top_w.png
えいちゃんのお奨め

ライブのお知らせ

ぼくのTwitter

plugin_bottom_w.png
plugin_top_w.png
最新コメント
[12/23 ロンサム・スー]
[07/27 gmail account]
[08/29 えいちゃん]
[08/29 みさき]
[05/18 えいちゃん]
plugin_bottom_w.png
plugin_top_w.png
プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
plugin_bottom_w.png
plugin_top_w.png
ブログ内検索
plugin_bottom_w.png
plugin_top_w.png
最新トラックバック
plugin_bottom_w.png
Copyright えいちゃん(さかい きよたか) by えいちゃん All Rights Reserved.
Template by テンプレート@忍者ブログ