えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

この前、内田樹さんの著した「街場の戦争論」を読んだ。内田さんの本はたくさん読んだけれど、この本で初めてなるほど内田さんって右翼なんだと思ったよ。この本では玄洋社の頭山満の名前まで出てきて共感を隠さない。吉本隆明ではなく江藤淳に惹かれて、日本の自立を説いて、アメリカからの自由を夢見ている。
おいらも最近は右翼なんだ。本当かい? 本当さ。日本のいろんな文化や生活が好きよ。けれど、憲法九条とか憲法前文が好きで、国歌は歌わず、国旗は掲揚しない。どんな集団でも、集団とかってどっか好きになれないものがあるよ。そして、遅れてやってきた駆け出しの武道家でもあるんだぜ。こんな愛国者がいてもいいじゃんか。内田さんも言っているけれど、自分らしさってやつのの向こうにあるらしい複雑さや矛盾を進んで受け入れることも大人になるってことらしいよ。なんか、おいら、内田樹さんに近づいていっとるわ。
おいらも最近は右翼なんだ。本当かい? 本当さ。日本のいろんな文化や生活が好きよ。けれど、憲法九条とか憲法前文が好きで、国歌は歌わず、国旗は掲揚しない。どんな集団でも、集団とかってどっか好きになれないものがあるよ。そして、遅れてやってきた駆け出しの武道家でもあるんだぜ。こんな愛国者がいてもいいじゃんか。内田さんも言っているけれど、自分らしさってやつのの向こうにあるらしい複雑さや矛盾を進んで受け入れることも大人になるってことらしいよ。なんか、おいら、内田樹さんに近づいていっとるわ。


山崎洋子さんの著した「女たちのアンダーグラウンド 戦後横浜の光と闇」を読了しました。「天使はブルースを歌う 横浜アウトサイド・ストーリー」の二十年後の続編です。「天使はブルースを歌う」では横浜を彷徨い歩いているうちに見つかったあるもの、歌われることのなかった歌をブルースに託したというような印象だとすれば、この「女たちのアンダーグラウンド」では、それを垂直の方向に、多少曲がりくねっても深いところに降りていくようであった。何か、横浜が魅力的に感じたなら、その深いところに降りて行ってもいいと思う。町や街は記録とともに記憶でもあるとぼくは思うのです。横浜よ、忘れないでくださいと、ぼくは空と地から声を聞いたような気がするのです。


山崎洋子さんの著した名著「天使はブルースを歌う―横浜アウトサイド・ストーリー」が去年、二十年ぶりに復刊されて、再読した。横浜の過去、光がまぶしければ、闇もまた濃い、というようなドキュメンタリー。この本が1999年に出版された時、この本に登場する最も重要な一人であるゴールデンカップスにキャリアを始めたギタリスト、エディー藩はこう言ったとこの本の「二十年目―新版のためのあとがき」に書かれていた。
「山崎さん、続編を書かなきゃ駄目だよ」
あれから時が流れ、横浜が何も変わっていないことに、あることがきっかけで気が付いて、山崎洋子さんが続編を書き始めたのは二〇一五年。今、横浜は、巨大ギャンブル場、カジノの誘致で揺れているようにも見える。今の金だけの世の中かい? 横浜のことは横浜に住む人が決めればいいとぼくは思いながら、横浜をこよなく愛したぼくの大好きな音楽評論家、平岡正明が生きていたら、きっとカジノ誘致には大反対しただろう、とも思う。そして、今、ぼくは「天使はブルースを歌う」の続編「女たちのアンダーグラウンド―戦後横浜の闇と光」を読み始めたところです。


『「この世界の片隅に」こうの史代 片淵須直 対談集 さらにいくつもの映画のこと』がおもしろくて一気読みしてしまった。二年間のロングランをしたアニメーション映画「この世界の片隅に」と今、公開され始めたばかりの「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の監督、片淵須直さんと原作者、こうの史代さんの対談集なのです。いろんな創作や制作の秘密、ネタ晴らしがあるのので、どうかくれぐれも映画を見てから、この本を手に取ってみてください。そして、ですね、困ったことにこの本を読むと、再び、映画の「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」を見たくなってしまうではないですか!




角川文庫版での小林秀雄の「ゴッホの手紙」を読了した。この前、ゴッホの映画「永遠の門 ゴッホの見た未来」を見て、無性に何度目かの再読をしたくなったのです。
この角川文庫版には名著「ゴッホの手紙」以外に「ゴッホの病気」、「ゴッホの絵」、青山二郎氏との対談「「形」を見る目」も所収。やっぱ、小林秀雄の文章は読ませるなと思いつつ、ゴッホの生涯の捉え方が、小林がこの本を書いた当時と変わってしまっていることを思わずにはいられない。年月は流れました。小林秀雄はゴッホの死を自殺によるものと自明のこととして書いているのだが、その後の研究によれば、近くの若者による他殺、射殺であった説も有力なのだそうだ。しかも、ゴッホ自身は自分を撃った少年をかばって一言もそのことは言わなかったそう。もしも、小林秀雄がよみがえったなら、この「ゴッホの手紙」というたくさんのゴッホ自身の手紙をひもといた評伝をどのように加筆、訂正するのだろうか? などど思いつつ、この半世紀にも満たない間に、小林秀雄の著作が書店の書棚から消えていってしまっていたことも思う。ゴッホの絵も、小林秀雄の説こうとしたゴッホの存在も、あのころのままなのに。
小林秀雄の生涯をしめくくった著作が中上健次から容赦なく批判された「本居宣長」であったのを嘆きつつ、少なくともこの「ゴッホの手紙」は、青春のとばっちりに読む古典として読み継がれていって欲しいと思うのだった。
この角川文庫版には名著「ゴッホの手紙」以外に「ゴッホの病気」、「ゴッホの絵」、青山二郎氏との対談「「形」を見る目」も所収。やっぱ、小林秀雄の文章は読ませるなと思いつつ、ゴッホの生涯の捉え方が、小林がこの本を書いた当時と変わってしまっていることを思わずにはいられない。年月は流れました。小林秀雄はゴッホの死を自殺によるものと自明のこととして書いているのだが、その後の研究によれば、近くの若者による他殺、射殺であった説も有力なのだそうだ。しかも、ゴッホ自身は自分を撃った少年をかばって一言もそのことは言わなかったそう。もしも、小林秀雄がよみがえったなら、この「ゴッホの手紙」というたくさんのゴッホ自身の手紙をひもといた評伝をどのように加筆、訂正するのだろうか? などど思いつつ、この半世紀にも満たない間に、小林秀雄の著作が書店の書棚から消えていってしまっていたことも思う。ゴッホの絵も、小林秀雄の説こうとしたゴッホの存在も、あのころのままなのに。
小林秀雄の生涯をしめくくった著作が中上健次から容赦なく批判された「本居宣長」であったのを嘆きつつ、少なくともこの「ゴッホの手紙」は、青春のとばっちりに読む古典として読み継がれていって欲しいと思うのだった。


