えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
角川文庫版での小林秀雄の「ゴッホの手紙」を読了した。この前、ゴッホの映画「永遠の門 ゴッホの見た未来」を見て、無性に何度目かの再読をしたくなったのです。
この角川文庫版には名著「ゴッホの手紙」以外に「ゴッホの病気」、「ゴッホの絵」、青山二郎氏との対談「「形」を見る目」も所収。やっぱ、小林秀雄の文章は読ませるなと思いつつ、ゴッホの生涯の捉え方が、小林がこの本を書いた当時と変わってしまっていることを思わずにはいられない。年月は流れました。小林秀雄はゴッホの死を自殺によるものと自明のこととして書いているのだが、その後の研究によれば、近くの若者による他殺、射殺であった説も有力なのだそうだ。しかも、ゴッホ自身は自分を撃った少年をかばって一言もそのことは言わなかったそう。もしも、小林秀雄がよみがえったなら、この「ゴッホの手紙」というたくさんのゴッホ自身の手紙をひもといた評伝をどのように加筆、訂正するのだろうか? などど思いつつ、この半世紀にも満たない間に、小林秀雄の著作が書店の書棚から消えていってしまっていたことも思う。ゴッホの絵も、小林秀雄の説こうとしたゴッホの存在も、あのころのままなのに。
小林秀雄の生涯をしめくくった著作が中上健次から容赦なく批判された「本居宣長」であったのを嘆きつつ、少なくともこの「ゴッホの手紙」は、青春のとばっちりに読む古典として読み継がれていって欲しいと思うのだった。
この角川文庫版には名著「ゴッホの手紙」以外に「ゴッホの病気」、「ゴッホの絵」、青山二郎氏との対談「「形」を見る目」も所収。やっぱ、小林秀雄の文章は読ませるなと思いつつ、ゴッホの生涯の捉え方が、小林がこの本を書いた当時と変わってしまっていることを思わずにはいられない。年月は流れました。小林秀雄はゴッホの死を自殺によるものと自明のこととして書いているのだが、その後の研究によれば、近くの若者による他殺、射殺であった説も有力なのだそうだ。しかも、ゴッホ自身は自分を撃った少年をかばって一言もそのことは言わなかったそう。もしも、小林秀雄がよみがえったなら、この「ゴッホの手紙」というたくさんのゴッホ自身の手紙をひもといた評伝をどのように加筆、訂正するのだろうか? などど思いつつ、この半世紀にも満たない間に、小林秀雄の著作が書店の書棚から消えていってしまっていたことも思う。ゴッホの絵も、小林秀雄の説こうとしたゴッホの存在も、あのころのままなのに。
小林秀雄の生涯をしめくくった著作が中上健次から容赦なく批判された「本居宣長」であったのを嘆きつつ、少なくともこの「ゴッホの手紙」は、青春のとばっちりに読む古典として読み継がれていって欲しいと思うのだった。
最近、武道の道場に土曜日の朝とかに通っています。ロンドンのパンクロック、ストラングラーズのジャン・ジャック・バーネルは空手の有段者で三島由紀夫を尊敬、心酔していて、三島の歌とかも作っていたけれど、ぼくの通っているのは合氣道の道場。確か、三島由紀夫は剣道の有段者だったと思うけれど、始めたばかりのぼくは、まだ、合氣道の無級者。
そんな道場の創始者、今は亡き藤平光一さんはぼくの師匠の師匠の師匠にあたる人でもあって、そんな藤平光一師匠の残した著作「中村天風と植芝盛平 気の確立」を読みました。
藤平さんにも師匠がいて、一人は中村天風、一人は植芝盛平。中村天風は戦前、戦中の九州の民族派右翼、玄洋社のメンバーで、玄洋社といえば、辛亥革命を起こす孫文をかくまい、その首謀者の一人であった杉山茂丸は「ドグラ・マグラ」を著した夢野久作こと杉山泰道の父であった。植芝盛平は戦前、日本主義的な新興宗教団体、大本教で武道に開眼したという。昔、大本教をモデルとして書かれた高橋和巳の「邪宗門」はおもしろかったな。
さて、「中村天風と植芝盛平 気の確立」に戻り、この本では二人の師との極私的な交流を中心に武道家としての藤平光一さんの心身統一合氣道会設立までの半生が描かれています。昭和のもうひとつの歴史を武道というもう一つの市井から見るようでとてもおもしろかった。道場の歴史をたどれば、この「君が代」を歌わなく、かといって共産主義も好きではないぼくが、愛国の伝統につながっているらしい不思議さを感じています。
そんな道場の創始者、今は亡き藤平光一さんはぼくの師匠の師匠の師匠にあたる人でもあって、そんな藤平光一師匠の残した著作「中村天風と植芝盛平 気の確立」を読みました。
藤平さんにも師匠がいて、一人は中村天風、一人は植芝盛平。中村天風は戦前、戦中の九州の民族派右翼、玄洋社のメンバーで、玄洋社といえば、辛亥革命を起こす孫文をかくまい、その首謀者の一人であった杉山茂丸は「ドグラ・マグラ」を著した夢野久作こと杉山泰道の父であった。植芝盛平は戦前、日本主義的な新興宗教団体、大本教で武道に開眼したという。昔、大本教をモデルとして書かれた高橋和巳の「邪宗門」はおもしろかったな。
さて、「中村天風と植芝盛平 気の確立」に戻り、この本では二人の師との極私的な交流を中心に武道家としての藤平光一さんの心身統一合氣道会設立までの半生が描かれています。昭和のもうひとつの歴史を武道というもう一つの市井から見るようでとてもおもしろかった。道場の歴史をたどれば、この「君が代」を歌わなく、かといって共産主義も好きではないぼくが、愛国の伝統につながっているらしい不思議さを感じています。
ハルキ文庫版の「草野心平詩集」を読みました。この前、中川五郎さんのライブを見に行ったら、ちかごろは草野心平の詩集をよく読んでいて、勝手に曲を付けて歌ったりしている、というのを聞いて、ぜひ、ぼくも読まばければ、と思い。読んでしまったのです。草野心平ってさ、カエル語で詩を書いて、そのカエル語の詩の日本語訳もしているだよ。すごい人だ。詩の言葉が歌みたいなんだよ。明治、大正、昭和を生きものや人を愛し、駆け抜けたんだよ。この詩集は何度も読みかえしそうだけれど、ぼくが一番、いいなぁ、と思った「デンシンバシラのうた」を紹介して、おやすみZZZzzz.....
そんなときには。いいか。
デンシンバシラとしゃべるんだ。
稲妻が内部をかけめぐり。
丸い蜜柑がのけぞりじゃえる。
そんな事態になったなら。
白ちゃけて。唸るようにさびしくなったなら。
人じゃない。相棒になるのは。
夜中の三時のデンシンバシラだ。
デンシンバシラはゆすっても。
デンシンバシラは動かない。
手のない。指のない。見えない腕で。
デンシンバシラは。しかし。
お前を抱くだろう。
ありっこない。そんなことが。
そんなことの方がまだあるんだ。
ちぐはぐで。ガンジガラメで。
遠吠えしてもまにあわない。
そんなときには。霙にぬれて。
夜中の三時のデンシンバシラだ。
そんなときには。いいか。
デンシンバシラとしゃべるんだ。
稲妻が内部をかけめぐり。
丸い蜜柑がのけぞりじゃえる。
そんな事態になったなら。
白ちゃけて。唸るようにさびしくなったなら。
人じゃない。相棒になるのは。
夜中の三時のデンシンバシラだ。
デンシンバシラはゆすっても。
デンシンバシラは動かない。
手のない。指のない。見えない腕で。
デンシンバシラは。しかし。
お前を抱くだろう。
ありっこない。そんなことが。
そんなことの方がまだあるんだ。
ちぐはぐで。ガンジガラメで。
遠吠えしてもまにあわない。
そんなときには。霙にぬれて。
夜中の三時のデンシンバシラだ。
細野晴臣さんのインタビュー集である「細野晴臣 とまっていた時計がうごきはじめた」を読む。聞き手は、近年は音楽のプロデュースを主な鈴木惣一郎さんで、インタビューの場所は都内にちらばる古い喫茶店で、最後の1回だけ細野さん自身のスタジオ。時は震災後の2012年7月11日から2014年6月17日までのいつかの9回。
細野さんの話を読みながらジョージ秋山の漫画「浮浪雲」を思い出す。粋なアナーキーといった風情なのです。細野さんってまぎれもなく日本のポップミュージックの巨匠で、そうありながらも、遊行の徒で、しかも苦行をつづけているような不思議な人みたく、ぼくには思える。この本のどこかで、音楽は死ぬまでやめない、と言い切っておりました。かっこいいっす。というか、天国でも、音楽をしていそうだ。死んだらフェンダーベースが軽く感じて、最近はいつも雲の上でベース、弾いているだよ、なんて言いそうです。本当、とても素敵な人です。
細野さんの話を読みながらジョージ秋山の漫画「浮浪雲」を思い出す。粋なアナーキーといった風情なのです。細野さんってまぎれもなく日本のポップミュージックの巨匠で、そうありながらも、遊行の徒で、しかも苦行をつづけているような不思議な人みたく、ぼくには思える。この本のどこかで、音楽は死ぬまでやめない、と言い切っておりました。かっこいいっす。というか、天国でも、音楽をしていそうだ。死んだらフェンダーベースが軽く感じて、最近はいつも雲の上でベース、弾いているだよ、なんて言いそうです。本当、とても素敵な人です。
いつか、ハンナ・アーレントの問題の大著「エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告」を読もうと思っていて、その序章というかイントロダクションとして仲正昌樹さんの著した「悪と全体主義 ハンナ・アーレントから考える」を読みました。半世紀前の思想家の著作が、今こそ復活し、時代をとらまえている、なんと不幸な現代という時代なのだろうか。
ちなみに、「エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告」を書いたドイツ生まれ、ドイツ育ちにして、ナチスの時代アメリカに亡命したハンナは、アメリカのユダヤ人のコミュニティの友人から去られたという。なんという厳しくも美しい晩年なのだろう。何も怖がるな! そう心の内から声も聞こえるではないか。
ちなみに、「エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告」を書いたドイツ生まれ、ドイツ育ちにして、ナチスの時代アメリカに亡命したハンナは、アメリカのユダヤ人のコミュニティの友人から去られたという。なんという厳しくも美しい晩年なのだろう。何も怖がるな! そう心の内から声も聞こえるではないか。
雨宮処凛さんの編著した「この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代」を一気読みしました。雨宮処凛さんはファンでけっこう著作を読んでいるのですが、この「不寛容の果てに」は相模原での障害者施設で19人もの人が殺された事件に、何らかの意味や形で当事者として関わり続ける人たちとの対談です。雨宮さんの対談のお相手は、自ら障害のある子どものおられるRKB毎日放送記者の神戸金史さん、東京大学先端科学技術センター准教授で小児科医の自らも障害を持つ熊谷晋一郎さん、ずっと医療の問題、尊厳死の問題を追いかけ続けてきたBuzzFeed Japan記者の岩永直子さん、批評家で元障害者ヘルパーの杉田俊介さん、東京都池袋で炊き出しや医療相談も行う精神科医の森川すいめいさん、浦河べてるの家ソーシャルワーカーの向谷地生良さん。日本って何かすさまじくすさんだ国になりつつあるような気がして、希望があるとしたら、それに抗っているこの本で話しているような人や話されている言葉だろうと思い、心を閉ざしたり、単純な言葉を鵜呑みにしてもいけないとも思うのです。
この本を読みながら、ふと思い出したことが一つ。前に努めていた会社の朝会で、部長がやるかやらないか、白黒はっきりさせて行動しろなどと、口角泡を飛ばして檄を飛ばしているのをぼーっと聞いていたら、隣にいたKくんが、サカイさん、ぼくは大概、人間ってのは灰色だと思いますよ、とぼそっとぼくに声をかけてくれました。その言葉には目を覚まされたように感じ、ときおり思い出し、なぜか忘れられません。どうだろう、そのことはこの本と関係はないのかな?
この本を読みながら、ふと思い出したことが一つ。前に努めていた会社の朝会で、部長がやるかやらないか、白黒はっきりさせて行動しろなどと、口角泡を飛ばして檄を飛ばしているのをぼーっと聞いていたら、隣にいたKくんが、サカイさん、ぼくは大概、人間ってのは灰色だと思いますよ、とぼそっとぼくに声をかけてくれました。その言葉には目を覚まされたように感じ、ときおり思い出し、なぜか忘れられません。どうだろう、そのことはこの本と関係はないのかな?
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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