えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

矢部宏治さんが文を著し、須田慎太郎さんの写真の本「戦争をしない国 明仁天皇のメッセージ」を一気読みしました。近ごろでは左どころか右と呼ばれる人たちにも敵視されているようにぼくが思える平成の天皇の言葉による日本が表わされているようなのです。
こんな本を読んだからには、ぼくもいっぱしの右翼とかウヨクかなと思うとそうでもないらしいけれども、国旗とか国歌とか何か好きではない、そのような人でも日本が好きな人がいたらどうでしょうかと明仁天皇と美智子皇后に畏れおおくも問いかければ、そのような人がいてもいいのではないかしらお答えになってくれそうなお二人は、いまや民主主義と平和の守護者のようではないかしら。
天皇陛下が沖縄を訪れた際に詠まれた琉歌は、今、沖縄戦の最激戦地に建てられた住民、軍人、日本人、アメリカ人の区別なく身元不明者遺骨を収めた「魂魄の塔」に刻まれているそうです。
花よおしやげゆん
人 知らぬ魂
戦 ないらぬ世よ
肝に願て
陛下とともに日本がいつまでも戦争をしない国であることを願ってやみません。


ケネス・ルオフ先生によるハーバード大学での天皇制についての講義が新書になり、それを読みました。「天皇と日本人 ハーバード大学講義でみる「平成」と改元」です。おもしろくて一気読みしてしまった。ほとんどが平成の明仁天皇と美智子皇后について書かれている。アメリカの日本現代史の研究者は明仁天皇と美智子皇后の目標と象徴性は五つのことに特徴づけられるといっています。
(1)戦後憲法固有のさまざまな価値を含め、戦後体制を明確に指示してきたこと。
(2)社会の弱者に配慮し、地理的その他の要因により周辺でくらす人びとに手を差し伸べ、社会の周縁との距離を縮めるよう努力してきたこと。
(3)戦争の傷跡と、さらに全般的に帝国の時代がもたらした深い傷跡をいやし、戦後を終結させようと努力してきたこと。
(4)日本が示すぺき誇りを堂々と提示してきたこと。ただし、その誇りは、日本史の見方を含め、単純きわまるナショナリズムとは異なる国際協調主義に裏づけられたものであったこと。
(5)美智子皇后が際立った行動を示し、重要な役割を果たしてきたこと。
お二人を尊敬いたします。具体的な論証は本書をお読みください。すべてとはいいませんが、サヨクにもウヨクにも敵視されているようなところがある。苦しい立場ながら、明仁天皇と美智子皇后は伝統から立ちのぼってきた平和と民主主義の守護者のようではなかろうか。
(1)戦後憲法固有のさまざまな価値を含め、戦後体制を明確に指示してきたこと。
(2)社会の弱者に配慮し、地理的その他の要因により周辺でくらす人びとに手を差し伸べ、社会の周縁との距離を縮めるよう努力してきたこと。
(3)戦争の傷跡と、さらに全般的に帝国の時代がもたらした深い傷跡をいやし、戦後を終結させようと努力してきたこと。
(4)日本が示すぺき誇りを堂々と提示してきたこと。ただし、その誇りは、日本史の見方を含め、単純きわまるナショナリズムとは異なる国際協調主義に裏づけられたものであったこと。
(5)美智子皇后が際立った行動を示し、重要な役割を果たしてきたこと。
お二人を尊敬いたします。具体的な論証は本書をお読みください。すべてとはいいませんが、サヨクにもウヨクにも敵視されているようなところがある。苦しい立場ながら、明仁天皇と美智子皇后は伝統から立ちのぼってきた平和と民主主義の守護者のようではなかろうか。


サラ・ロイさんの著した「ホロコーストからガザへ パレスチナの政治経済学」を読みました。父と母がナチスのホロコーストの生き残りであるアメリカ在住のユダヤ人の政治経済学者がイスラエルのパレスチナ人への暴力に理路整然と激しく抗議している。それは何か今の日本の状況ともどこか通底していることのように思われるのです。第二次世界大戦の後のナチス無き後も根強くユダヤ人差別のあるポーランドで彼女の母はアメリカに行くことを決め、彼女の叔母はイスラエルに行くことを決めたのだけれども、その時の母の言葉が彼女の正義を目覚めさせ、彼女の人生にあることが貫かれる。今の時代にあまりに切実にも響くその言葉をこの「ホロコーストからガザへ パレスチナの政治経済学」から引用します。
「イスラエルでは暮らさないという母の決断は、戦時中の体験から母が学びとった強い信念に基づいていました。それは人間が自分と同類の者たちのあいだでしか生きないならば、寛容と共感と正義は実践されることもなければ、広がりを見せることもないという信念です。母は言いました。「ユダヤ人しかいない世界でユダヤ人として生きることなど、私にはできませんでした。そんなことは不可能だし、そもそも望んでもいませんでした。私は、多元的な社会でユダヤ人として生きたかった。ユダヤ人も自分にとって大切であるけれども、ほかの人たちも自分にとって大切である、そのような社会で生きたかったのです。」」
この本は、ユダヤ・パレスチナ問題を超えて、21世紀を生きていくぼくたちにもっとも大切な課題を問うているようにも思いました。


友川カズキのインタビューが読みたくて、週刊金曜日を買ってしまいました。題して「自他に抗う―表現者のハシくれとして」。やっぱ友川カズキさんの話は面白くて、ぼくは全面的に共感してしまうなどというと、友川さんからおまえは自分ってのがあるのかよとお叱りを受けそうだ。何せ、高校生のころから、友川さんはぼくがどこか、忘れずに追いつづけてきた人なのです。友川さんのこのインタビューについての言葉。
「さすが週刊金曜日だけあって、ほかの雑誌ではカットされそうな政治的なことも全部載せてくれたのよ。飲みながらインタビューを受けたら、ついベラベラしゃべりすぎて3軒もハシゴしちゃったな」
そして、インタビューから。
「手拍子も昔からダメなんだ。なんでみんなで一緒に手をたたかなきゃならないんだよよ。群れたがるんだね。俺は一人ひとりに向かって歌ってるんだよ、聴く方も「ひとりで」で聴いてほしいんだよ。ライブは群れる場所じゃなくて、個人になれる場所だと思っているから」
かっこいいなぁ。あとは、四段組み六頁、買って読んでみてください。


「新版 きけ わだつみのこえ 日本戦没学生の手記」を読む。ほんとうに先の戦争で多くの若い人の命が赤紙と呼ばれた召集令状一枚で奪われたのを実感した。没年18歳から33歳まで。これらの残された手紙や日記にぼくは言葉も出ず、ただ戦争だけは起こしてはならないと思う。


渡辺一史さんの著した「こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち」を読みました。感動しました。映画の「こんな夜更けにバナナかよ」もすごくよかったのだけど、それを超えた面白さと感動です。
特に鹿野さんがとても荒れていた時期があって、それを書いた章「第七章 夜明け前の介助 人が人と生きることの喜び」は圧巻で、深く考えさせられたり、感じたりさせられる章、物語でいうと「序破急」の「破」、「故障転結」の「転」にあたるところで、のめりこむように読みました。「介護ノート」と呼んでいる、交換日記のようなものの、介護されりものと介護するもののやりとりが生々しく、それらの疑問符と感嘆符の連続のようでもある文章に、読んでいて打たれるような感じでした。
「エピローグ 燃え尽きたあとに残るもの」は、「序破急」の「急」、「故障転結」の「結」で、読んだ後、ぼくは、「障害者、鹿野靖明、ここにあり」と立ち上がって叫び出したくもなるのです。見事な42歳の人生だったのです。読みながら、涙が止まりません。そして、ぼくはこの本のいくつかの差し挟まれている口絵の鹿野靖明さんの写真を懐かしい友だちの写真を見るかのように眺めつつ、扉の言葉を諒解するのです。
「きみは選んだのだ
内側から ひそかに
きみ自身を。
そして 生きるとは
屈することなく選びつづけること。
死ぬことも含めて。- 清岡卓行『四季のスケッチ』より」


