えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

佐藤愛子さんの著した「冥界からの電話」を読みました。読み終わり、なんともいえないこの小説とも実話ともつかない物語の結末に三島由紀夫の「豊穣の海」の第四部「天人五衰」のラストのお寺のシーンを思い出してしまった。寂しさと悲しさの有限さの向こうに虚無らしきものが口をあけて、待っているような気もしたのです。これは、もちろん、佐藤愛子さんはそのようなことは書いておらず、多分、まったく逆の意見だとは思うのですが、わからない、わからない、すべてはわからない。ぼくは今のところ、わからないままほうっておくことにします。佐藤愛子さん、つづきの物語が訪れたら、ぜひまた、書いてください。


吉本隆明の「最後の親鸞」を読む。生涯を通して親鸞はどんな思想の到達点に達していたかを書いてあるそうなのだが、難しくて、ぼくは読んでる途中で眠くなり、眠ってしまう。読み通せたのが不思議だ。吉本隆明の本はぼくには難しくて、大概、眠くなる。この本にある中沢新一さんの解説で少しだけ、わかったような気になれた。また時がたって、いつか再び、吉本隆明の本に挑戦しようかなと思います。


吉本隆明の著した「今に生きる親鸞」を読む。「共同幻想論」のような難しくて理解できないような内容なのかと思って読み始めたら、そうでもなかった。
鎌倉時代の僧、親鸞と一遍には近ごろ、並々ならぬ興味をかきたてられています。親鸞は、自分で自分を救うことはできないからこそ、救われようという言葉を何べんも唱えることも空しく、一度でいいから阿弥陀仏の御加護にすがりなさいと説き、一遍は、阿弥陀仏は世界ののすべての人が救われまい限り私は仏にならないと唱え、阿弥陀仏は仏になったのだから、どんな人も救われている、さぁ、生に歓喜し踊れと唱えた人、というのは未熟なぼくの浅はかな考え。
著者の吉本隆明は吉本ばななさんのお父さんで、とても難解な文章を書く、聡明な知識のかたまりのような思想家、詩人だったのけれど、とても罪深い人だったと思う。というのも、この前、YouTubeで「三島由紀夫vs東大全共闘」というムービーを発見し、見ていたら、登壇した学生のほとんどが「擬制の終焉」で書かれた吉本隆明のような用語で発言していて、何を言っているのか分からなく、彼らの少なからぬ人が自殺したり、その後すぐに死んでしまっていることを知った。けれども、もう、そのような吉本隆明は「今に生きる親鸞」にはいない。
吉本隆明は親鸞を信仰や宗教の人ではなく、思想の人だというのだけど、それには違和感をぼくは持ち、親鸞はすべての人を救いたいと志した人だとも思うのです。キリスト教を普遍にまで高めたパウロのような存在かもしれません。聖書からパウロの言葉。
「人は、正しい行いを積むことによって、神の義と認められて救いに導かれるのではない。人が神の前に義と認められるのは、ひとえに神の子イエス・キリストを信じることによる。律法を守り行う者は、かえっておごり高ぶることになりかねない。しかし、イエス・キリストに現された神の義は、律法を守れない者にも、律法を知らない者にも、救いの可能性を開いたのである。神の子であるイエス・キリストが十字架につけられた意味は、ここにある。これを信じ、これを受け入れるとき、人は無条件で義とされる。神の前には、ユダヤ人と異邦人の区別も、奴隷と主人の区別も、男と女の区別もない」
吉本隆明ではなく五木寛之の「親鸞」から。
「これまで世間に信じられている善行とは、たとえば、大きな塔を建てることや、立派な仏像を造らせることや、そして金銀錦などで美しく装飾された経典などを寄進することや、豪華な法会を催すことなどが善行とされてきたのだよ。身分の高い人びと、ありあまる財産をもつ人びとや富める者たちは、きそってそんな善行にはげんできた。しかし、そんな余裕のあるのは、選ばれた小数の人たちだ。いまさらわたしがいうまでもない。天災や、凶作や、疫病がくるたびに、どれほど多くの人びとが道や河原にうちすてられ死んでいくことか。かつて養和の大飢饉のときには、赤子を食うた母親さえいたときいている。世にいう善行をつとめられる者など、ほんのひとにぎりしかいない。その日をすごすことで精一杯の人びとがほとんどなのだ。そんな人たちを見捨てて、なんの仏の道だろう。法然上人は、仏の願いはそんな多くの人びとに向けられるのだ、と説かれた。たぶん、世間でいう善行などいらぬ、一向に信じて念仏するだけでよい、とおっしゃっているのだ」
愛です。
吉本隆明の「最後の親鸞」も読んでみようかな。
鎌倉時代の僧、親鸞と一遍には近ごろ、並々ならぬ興味をかきたてられています。親鸞は、自分で自分を救うことはできないからこそ、救われようという言葉を何べんも唱えることも空しく、一度でいいから阿弥陀仏の御加護にすがりなさいと説き、一遍は、阿弥陀仏は世界ののすべての人が救われまい限り私は仏にならないと唱え、阿弥陀仏は仏になったのだから、どんな人も救われている、さぁ、生に歓喜し踊れと唱えた人、というのは未熟なぼくの浅はかな考え。
著者の吉本隆明は吉本ばななさんのお父さんで、とても難解な文章を書く、聡明な知識のかたまりのような思想家、詩人だったのけれど、とても罪深い人だったと思う。というのも、この前、YouTubeで「三島由紀夫vs東大全共闘」というムービーを発見し、見ていたら、登壇した学生のほとんどが「擬制の終焉」で書かれた吉本隆明のような用語で発言していて、何を言っているのか分からなく、彼らの少なからぬ人が自殺したり、その後すぐに死んでしまっていることを知った。けれども、もう、そのような吉本隆明は「今に生きる親鸞」にはいない。
吉本隆明は親鸞を信仰や宗教の人ではなく、思想の人だというのだけど、それには違和感をぼくは持ち、親鸞はすべての人を救いたいと志した人だとも思うのです。キリスト教を普遍にまで高めたパウロのような存在かもしれません。聖書からパウロの言葉。
「人は、正しい行いを積むことによって、神の義と認められて救いに導かれるのではない。人が神の前に義と認められるのは、ひとえに神の子イエス・キリストを信じることによる。律法を守り行う者は、かえっておごり高ぶることになりかねない。しかし、イエス・キリストに現された神の義は、律法を守れない者にも、律法を知らない者にも、救いの可能性を開いたのである。神の子であるイエス・キリストが十字架につけられた意味は、ここにある。これを信じ、これを受け入れるとき、人は無条件で義とされる。神の前には、ユダヤ人と異邦人の区別も、奴隷と主人の区別も、男と女の区別もない」
吉本隆明ではなく五木寛之の「親鸞」から。
「これまで世間に信じられている善行とは、たとえば、大きな塔を建てることや、立派な仏像を造らせることや、そして金銀錦などで美しく装飾された経典などを寄進することや、豪華な法会を催すことなどが善行とされてきたのだよ。身分の高い人びと、ありあまる財産をもつ人びとや富める者たちは、きそってそんな善行にはげんできた。しかし、そんな余裕のあるのは、選ばれた小数の人たちだ。いまさらわたしがいうまでもない。天災や、凶作や、疫病がくるたびに、どれほど多くの人びとが道や河原にうちすてられ死んでいくことか。かつて養和の大飢饉のときには、赤子を食うた母親さえいたときいている。世にいう善行をつとめられる者など、ほんのひとにぎりしかいない。その日をすごすことで精一杯の人びとがほとんどなのだ。そんな人たちを見捨てて、なんの仏の道だろう。法然上人は、仏の願いはそんな多くの人びとに向けられるのだ、と説かれた。たぶん、世間でいう善行などいらぬ、一向に信じて念仏するだけでよい、とおっしゃっているのだ」
愛です。
吉本隆明の「最後の親鸞」も読んでみようかな。


池田香代子さんの訳されたエーリヒ・ケストナー作の「飛ぶ教室」を読んだ。児童向けの文学の作家でケストナーは特に大好きで、この「飛ぶ教室」は何度も読んでいる。クリスマスの12月の寄宿学校の物語はこの季節にぴったりで、読後感は心が洗われるよう。1933年にこの本はドイツで出版され、その年はナチスに政権を奪われた年で、後にケストナーの児童文学は、たくさんの少数民族を殺人した政治家たちに焚書される。そんななかで、ケストナーの心は壊されなかったし、物語の中の子どもたちと先生によって抵抗をしているような一文を紹介いたします。
「世界の歴史には、かしこくない人びとが勇気をもち、かしこい人びとが臆病だった時代がいくらもあった。これは正しいことではなかった」
さらに、それ以上に、きらきらした輝く美しい言葉もたくさん出てくる。一つだけぼくの心に深く刻まれた言葉を「飛ぶ教室」から。
「星は消えても、光はずうっと旅をする」
こんな池田香代子さんの日本語訳も美しい。
ベンヤミンはケストナーの小説をブルジョアのなぐさみものと言ったそうだが、まさか。ケストナーは生粋の労働者の息子だったのだよ。そして、ケストナーの児童文学を愛するぼくもそうなのです。


太田和彦さんの著した「酒と人生の一人作法」を読む。昔、太田さんの本に書かれていることをいいなぁと思い、あこがれ、いろんなところに居酒屋を求めて小さな旅によく出ていた。この「酒と人生の一人作法」を読んで、また、そんな旅をしたくなるとともに、この本には晩年の人生の流儀ともいうべきことも書かれているのだ。本の帯にもあるこの本からの太田さんの文です。
「ながく生きてきて、ものごとが見えてきた。社会的地位が高い・低いなどという価値観はとうに消えた。そういうことにこだわる人はつまらん人だとわかってきた。立身出世をはたした、経済的に成功した、それがどうした。頭がいいとか、リーダーシップがあるとかも、どうでもよいことになった。人生の価値観が変わったのだ」
太田さんのもともとの生業は「異彩」とも「奇才」と呼ばれたグラフィック・デザイナーで、いくつかの賞も取られ、頂点まで達した人で、そのような人だから、ぼくはおこがましくも太田さんの言葉に本当の響きを感じてしまう。
アーサー・C・クラークの名作に「幼年期の終わり」というのがあったけれど、ぼくの老年期は太田和彦さんに習いたい。一人で居酒屋に入り、少ない肴と美味しい日本酒をせいぜい二合、ゆうゆうと飲み、いつでも穏やかにして笑みをたやさず、楽しい話をして、さっと切り上げ、水鳥のごとく、後を濁さず去っていく。偶然に諏訪の居酒屋で会った太田さんはそのような人であった。また偶然にどこかの居酒屋で会いたいな。


金時鐘さんの著した「背中の地図 金時鐘詩集」を読む。
「金時鐘」と書いて「キム・シジョン」と読むこの詩人は、今は亡き中上健次が尊敬していた在日の詩人で、言葉遊びではない、中上健次ふうにいえば、切って血が出るような言葉がそこにいつもある。
この「背中の地図」は東北大震災の後に書き綴られてきた現代詩で、内省的でありながら外に開かれ、詩となった痛みはぼくの胸をえぐりながら、清冽な清水のようでもある。日本にも、ガルシーア・ロルカやパブロ・ネルーダのような詩人がいることを知る。
その人生は波乱そのもので、戦中は内鮮一体や大東亜共栄圏・八紘一宇を信じて疑わず、日本の敗戦時には皇国少年として天皇陛下への申し訳無さから涙にむせぶ。戦後の済州島の島民虐殺を生き延び、大阪に渡り、ろうそく工場で働きながら、詩を書き、社会主義に傾倒するも、その権威主義に疑問を抱き、北朝鮮の体制を嫌悪する批判文を書き、朝鮮総連から民族の裏切者と呼ばれる。ここにも異邦の眼差しがあったのだとぼくは思うのだった。
金時鐘さんは「詩は書かれなくても存在する」という。「背中の地図」の出版に際しての最近のインタビューでの言葉。
「よほど恵まれた人でない限り、喉元(のどもと)まで突き上がる思いを抱えながら、飯を食うために好きでもない仕事をやっているんです。その思いを言葉にできるのが詩人。美しい世の中があるとすれば、書かれない詩を生きている人が満遍なく点在している国です」
そのように語る詩人はこのように人生をふりかえりもする。
「私にとって、詩を書くというのは『そうであってはならないことには与(くみ)しない』ということ。つらい目にあったけど、それで精神が傷つくことはなかったな」
励まされるようです。


安田純平さんの会見記「シリア拘束 安田純平の40か月」を読んだ。
アラブの内部のしかも監獄のような所での異邦の眼差しというようなことを感じ、考えた。安田さんは、ジャーナリズムがなくなることは絶対にないようにと願うと言っていて、ぼくもそれに同意するのは、事実を知らしめるということと、ぼくの感じた異邦の眼差しからしか人は気づきえぬこともたくさんあるような気がするから。さらに不遜なことを言えば、安田さんの幽閉生活はカフカの小説のようでもある。この強烈な体験をさらに掘り下げて何らかの形で文章にしてくれることを願います。
いや、その前に安田さんのPTSDが心配だ。今は安らかにお休みになられんことも願っております。
アラブの内部のしかも監獄のような所での異邦の眼差しというようなことを感じ、考えた。安田さんは、ジャーナリズムがなくなることは絶対にないようにと願うと言っていて、ぼくもそれに同意するのは、事実を知らしめるということと、ぼくの感じた異邦の眼差しからしか人は気づきえぬこともたくさんあるような気がするから。さらに不遜なことを言えば、安田さんの幽閉生活はカフカの小説のようでもある。この強烈な体験をさらに掘り下げて何らかの形で文章にしてくれることを願います。
いや、その前に安田さんのPTSDが心配だ。今は安らかにお休みになられんことも願っております。
