えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
大岡昇平が編纂した岩波文庫版の「中原中也詩集」を読んでいます。
この前、レンタルDVDで見た映画「野のなななのか」で常盤貴子さんが演じた清水信子が愛読していたたった一冊の本が中原中也の「山羊の歌」であったことから、再び読んでみたくなったのです。あー、大林宣彦監督も中原中也が好きであったのか。
この詩人に初めて出会ったのは高校生のころ、好きでよく聞いていた友川かずきさんのアルバム「俺の裡で鳴り止まない詩」がまる一枚、中原中也の詩を歌ったものだったのです。そのころから、中原中也の詩を思い出してはよく読んでいます。「野火」や「レイテ戦記」を書いた戦後文学のまぎれもない文豪であった大岡昇平は友だちであった詩人への敬意を隠そうともせず、岩波文庫版での解説も、とても読み応えのあるものになっています。ぼくは、これからも、何度も中原中也の詩を読むでしょう。
この前、レンタルDVDで見た映画「野のなななのか」で常盤貴子さんが演じた清水信子が愛読していたたった一冊の本が中原中也の「山羊の歌」であったことから、再び読んでみたくなったのです。あー、大林宣彦監督も中原中也が好きであったのか。
この詩人に初めて出会ったのは高校生のころ、好きでよく聞いていた友川かずきさんのアルバム「俺の裡で鳴り止まない詩」がまる一枚、中原中也の詩を歌ったものだったのです。そのころから、中原中也の詩を思い出してはよく読んでいます。「野火」や「レイテ戦記」を書いた戦後文学のまぎれもない文豪であった大岡昇平は友だちであった詩人への敬意を隠そうともせず、岩波文庫版での解説も、とても読み応えのあるものになっています。ぼくは、これからも、何度も中原中也の詩を読むでしょう。
その昔、残業続きの夜、終電で家に帰ってくると、深夜にNHKで「兵士たちの戦争」という番組をやっていて、見始めると、その戦争の悲惨さにいつしか深夜の二時になるまで見ていた。その番組は第二次世界大戦を戦った(名もなき)兵士にインタビューするという内容で、インタビューに答える兵士は、怒りのような感情で、ついには手も声も震えて証言する人も多くいた。その時に、哲学や理念での真実とか本当とかでははなしに、戦争の現実とは何だろうかと、ぼくは考えてしまうようになった。
ついちかごろも吉田裕さんの「日本軍兵士 ―アジア・太平洋戦争の現実」を読んだ。戦争の現実は恐ろしい。戦争は地獄です。
そして、人の命を大切にしない政軍一致のかつての日本と、過労死や自殺を顧みず、何も変わろうとしない、変えようとしない今の日本の多くの企業は、まったく地続き暗黒であるとも思う。
番組|NHK 戦争証言アーカイブス - NHK オンライン
ついちかごろも吉田裕さんの「日本軍兵士 ―アジア・太平洋戦争の現実」を読んだ。戦争の現実は恐ろしい。戦争は地獄です。
そして、人の命を大切にしない政軍一致のかつての日本と、過労死や自殺を顧みず、何も変わろうとしない、変えようとしない今の日本の多くの企業は、まったく地続き暗黒であるとも思う。
番組|NHK 戦争証言アーカイブス - NHK オンライン
この前、見た坂本長利さんの芝居の「土佐源氏」がすごく良くて、原作の「土佐源氏」が所収されている民俗学者、宮本常一の「忘れられた日本人」を読みました。何度目かの再読です。
この本に載せられた「土佐源氏」は自伝的要素の濃い創作だなどともいわれてきたのだけれども、いつか、この「土佐源氏」について記した発表されなかった日記も見つかり、本当の聞き書きであったことも証明されたことは、カーテンコールの答えて、拍手の中を登場した坂本長利さんも言っておりました。
「忘れられた日本人」に書かれた戦前の日本人の男女の性の奔放さに、はにかみ屋のぼくは驚いてしまうのだった。民俗学という学問を起こした柳田国男はそのようなことは、ほとんど書いていないのになと思う。柳田国男は性については、何か抑圧していたのかもしれないな。
そして、宮本常一の「忘れられた日本人」に登場する人たち、男も女もなんと生き生きとしていることだろう。これは日本の風土に根ざしたブルーズだ。旅する民俗学者、宮本常一の歌うように唱えた聞き書きは常民学とも呼ばれたのだけれども、あるブルーズ・マンはぼくにブルーズはordinary(普通の、平凡な、ありきたりな)だから素晴らしいと教えてくれたことも思い出した。宮本常一は日本の古い村でたくさんのロバート・ジョンソンやライトニン・ホプキンスとも出会ったことだろう。
この本に載せられた「土佐源氏」は自伝的要素の濃い創作だなどともいわれてきたのだけれども、いつか、この「土佐源氏」について記した発表されなかった日記も見つかり、本当の聞き書きであったことも証明されたことは、カーテンコールの答えて、拍手の中を登場した坂本長利さんも言っておりました。
「忘れられた日本人」に書かれた戦前の日本人の男女の性の奔放さに、はにかみ屋のぼくは驚いてしまうのだった。民俗学という学問を起こした柳田国男はそのようなことは、ほとんど書いていないのになと思う。柳田国男は性については、何か抑圧していたのかもしれないな。
そして、宮本常一の「忘れられた日本人」に登場する人たち、男も女もなんと生き生きとしていることだろう。これは日本の風土に根ざしたブルーズだ。旅する民俗学者、宮本常一の歌うように唱えた聞き書きは常民学とも呼ばれたのだけれども、あるブルーズ・マンはぼくにブルーズはordinary(普通の、平凡な、ありきたりな)だから素晴らしいと教えてくれたことも思い出した。宮本常一は日本の古い村でたくさんのロバート・ジョンソンやライトニン・ホプキンスとも出会ったことだろう。
野坂昭如の「戦争童話集」を読了した。野坂さん、やさしすぎるよ。喫茶店や通勤電車の中で読んでるさいちゅう、うぇーんって泣き出しそうになってしまった。
そういえば、「おもちゃのチャチャチャ」って野坂さんの作詞なんだね。この歌もやさしいなぁ。
そういえば、「おもちゃのチャチャチャ」って野坂さんの作詞なんだね。この歌もやさしいなぁ。
風邪でうなされつつ、内田樹さんの著した「街場の天皇論」を読んだ。今は休刊となった「Sight」という雑誌があったころ、高橋源一郎さんと内田樹さんお対談がおもしろく、楽しみに読んでいたのを思い出す。ある号では二人は皇室こそもっとも強力な平和と民主主義を守護する勢力ではあるまいかと、論じていたのだけど、その論の様々なヴァリ―エーションが一冊の本になり、平成の終焉も近しくなり、上梓された。
多分、内田さんが、今、最も書きたかったのはこの本の終章「「日本的状況を見くびらない」ということ―あとがきにかえて」ではなかろう? ここにはとても怖いような彗眼があるように思われる。ぼくたちは死者たちの立ち上がる姿を何度も見てきたけれど、再びその姿に畏怖するのではなかろうか?
多分、内田さんが、今、最も書きたかったのはこの本の終章「「日本的状況を見くびらない」ということ―あとがきにかえて」ではなかろう? ここにはとても怖いような彗眼があるように思われる。ぼくたちは死者たちの立ち上がる姿を何度も見てきたけれど、再びその姿に畏怖するのではなかろうか?
「滝田ゆう展」を開催していた弥生美術館で売られていた松本品子さんの著した「滝田ゆう 昭和×東京下町セレナーデ」を読んだ。松本品子さんは弥生美術館のキュレーターで図録のようなこの本には美しい滝田ゆうの絵が多数、掲載されている。
年譜によれば滝田ゆうは一九九〇年、平成二年に御年五八歳で急折していたのであった。細かく描かれた絵を見ると、これでもか、これでもかと細かく描き足されたありし日の下町の風情に、命を削ってペンと筆を走らせていたのではないと思わせる。ジャンルは少し違うけれど、フランスの印象派から点描画を極限ま押し進めたジョルジュ・スーラの生涯がダブるな。
滝田ゆう、家庭では癇癪もちの良きお父さんであったそうです。唯一の気晴らしが街歩きとお酒。飲み仲間の嵐山孝三郎に飲み屋のカウンターに置かれたグラスを指し、滝田ゆうはこう言ってのぞきこんでいたという。
「ほら、コップ一杯の焼酎に虹が出ているよ」
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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