えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
中村元さんの訳した仏典「ブッダの 真理のことば 感興のことば」を読む。インドのパーリー語で書かれた古いブッダに関する書物は中村元という顕学により美しく平易な日本語となっていた。この本を読んでみたいと思ったのは御神籤でひいた大吉の言葉が仏典からだと知ったことにもよる。
「無益の句なる一千語よりも、聞きて安隠を得る一つの益ある句を勝れたりとす」
さて、中村さんはどう訳しているのだろう。
「無益な語句を千たびかたるよりも、聞いて心の静まる有益な語句を一つ聞くほうがすぐれている」
読みながら、この「真理のことば」はビズネス・ホテルに聖書とともに引き出しにしまわれている、英語と日本語が併記された本でもあることに気づいた。そうです、布団の中で読んでいると、とたんに眠たくなります。そうして眠ると、青くて清い気の目覚めたやさしい神のような人に出会い、その人なぼくに何かを告げてくれるのかもしれません。「感興のことば 第三〇章 楽しみ」の四九番のことばです。おやすみZZZzzz.....
「われらは何物をももっていない。いとも楽しく生きていこう。光り輝く神々のように、喜びを食(は)むものとなろう」
「無益の句なる一千語よりも、聞きて安隠を得る一つの益ある句を勝れたりとす」
さて、中村さんはどう訳しているのだろう。
「無益な語句を千たびかたるよりも、聞いて心の静まる有益な語句を一つ聞くほうがすぐれている」
読みながら、この「真理のことば」はビズネス・ホテルに聖書とともに引き出しにしまわれている、英語と日本語が併記された本でもあることに気づいた。そうです、布団の中で読んでいると、とたんに眠たくなります。そうして眠ると、青くて清い気の目覚めたやさしい神のような人に出会い、その人なぼくに何かを告げてくれるのかもしれません。「感興のことば 第三〇章 楽しみ」の四九番のことばです。おやすみZZZzzz.....
「われらは何物をももっていない。いとも楽しく生きていこう。光り輝く神々のように、喜びを食(は)むものとなろう」
五木寛之さんの著した「はじめての親鸞」を読んだ。「絶対他力本願」とか「善人、往生をとぐ、いわんや悪人をや」とか何となくぼくもそんな言葉こそ曖昧に知っていた親鸞についての小説家の目で見た親鸞についての講義録。
知らなことも、もちろんいっぱい。例えば、鎮護国家の仏教から人を救うための仏教への遷り変わりとか、唯円による親鸞の聞き書き「歎異抄」を読むとキリスト教との共通点に驚くらしいとか、親鸞の教えは今でいう被差別部落で初めに熱烈に支持されたとか、晩年は仏教を称える歌謡、和讃をたくさん読んだとか。
それから、金子みすゞの「大漁」を枕に親鸞を論ずるところなどは、五木さんならでは。「大漁」ではないけれど、なにやら親鸞につながっていそうな金子みすずさんの「蓮と鶏」をご紹介いたします。おやすみZZZzzz.....
泥のなかから
蓮が咲く。
それをするのは
蓮じゃない。
卵のなかから
鶏(とり)が出る。
それをするのは
鶏じゃない。
それに私は
気がついた。
それも私の
せいじゃない。
知らなことも、もちろんいっぱい。例えば、鎮護国家の仏教から人を救うための仏教への遷り変わりとか、唯円による親鸞の聞き書き「歎異抄」を読むとキリスト教との共通点に驚くらしいとか、親鸞の教えは今でいう被差別部落で初めに熱烈に支持されたとか、晩年は仏教を称える歌謡、和讃をたくさん読んだとか。
それから、金子みすゞの「大漁」を枕に親鸞を論ずるところなどは、五木さんならでは。「大漁」ではないけれど、なにやら親鸞につながっていそうな金子みすずさんの「蓮と鶏」をご紹介いたします。おやすみZZZzzz.....
泥のなかから
蓮が咲く。
それをするのは
蓮じゃない。
卵のなかから
鶏(とり)が出る。
それをするのは
鶏じゃない。
それに私は
気がついた。
それも私の
せいじゃない。
赤坂憲雄さんと会津学研究会の方々の著した「会津物語」を読んだ。再読です。今を生きる福島の人たち語る不思議な物語の聞き書きが百話、収めれれています。
キツネの話がとても多い。お稲荷さまの信仰もわけある、せんかたないことなのは、生きものは、みんなで生きてるということ。会津の奇談集「老媼茶話」から二百七十年後、柳田國男の「遠野物語」に編まれたこの「会津物語」を、赤坂憲雄さんは、原発とキツネがひっそりとしあう光景が埋もれている、ともいう。
あぁ、一等新しい話でもある第99話の「廃校で遊ぶ」は泣いてしまいました。
忘れたころまた読みたくなるような本です。
キツネの話がとても多い。お稲荷さまの信仰もわけある、せんかたないことなのは、生きものは、みんなで生きてるということ。会津の奇談集「老媼茶話」から二百七十年後、柳田國男の「遠野物語」に編まれたこの「会津物語」を、赤坂憲雄さんは、原発とキツネがひっそりとしあう光景が埋もれている、ともいう。
あぁ、一等新しい話でもある第99話の「廃校で遊ぶ」は泣いてしまいました。
忘れたころまた読みたくなるような本です。
東日本大震災のことは忘れない方がいいような気がしていて、和合亮一さんの「詩の礫(つぶて)」を読んだ。福島に生まれ育った、高校の先生でもあり、詩人でもある和合さんが、震災直後の福島にとどまり、ツイッターに連投したたくさんの詩を越えたかのような言葉たちが一冊の本にまとめられたもの。初めて詩の礫ツイッターに投稿した日、和合さんはこんな言葉が書き込む。
「放射能が降っています。静かな夜です。」
何度も何度も繰り返されるこんな言葉。
「明けない夜はない」
この本にはこんな言葉もある。
「日本人よ 震災をゆめゆめ忘れるな」
いつか、連投は連祷のようになり、ぼくの心に響き、いろんな音の鐘を打っていました。その音は、怒りや悲しみを越えて美しく、本を読みながら、何度か泣いた。
何か最近、調子悪くて、石原結實先生の著した「高血圧の9割は「脚」で下がる」を読んだ。
近ごろは、日本人の三分の一以上が成人病なのだそうだが、ぼくは成人病とは呼ばず、老人病と呼んでしまう。ぼくはもう老人なのだと思うとなぜか、うれしくなってしまう。もう人はばかることなく、無理をしなくていいのだ。
この本の主となるメッセージの三つで、はよく歩こう、あまり食べないようにしよう、おいしい野菜や果物をいっぱい食べるようにしよう、ということ。
血圧が高いといことは、血圧が高くなるために体が欲している理由があるというのもなるほどと思った。
あと、ストレスもよくないのだそう。そういえば、春前ごろ、仕事いやだなと夜の遅い残業時間に思っただけで、その時、手のひらにたくさんの汗疱ができた、いまだに治らなくて、ぼくは手にオロナイン軟膏を塗っています。どれだけ、仕事がいやなのかと、自分で自分を笑ってしまう。あなたがいなくても会社はつづいていくけれども、あなたがいねければ、あなたの人生はつづかないというのは、真実で、人生は、多分、二度ないかもしれない。
近ごろは、日本人の三分の一以上が成人病なのだそうだが、ぼくは成人病とは呼ばず、老人病と呼んでしまう。ぼくはもう老人なのだと思うとなぜか、うれしくなってしまう。もう人はばかることなく、無理をしなくていいのだ。
この本の主となるメッセージの三つで、はよく歩こう、あまり食べないようにしよう、おいしい野菜や果物をいっぱい食べるようにしよう、ということ。
血圧が高いといことは、血圧が高くなるために体が欲している理由があるというのもなるほどと思った。
あと、ストレスもよくないのだそう。そういえば、春前ごろ、仕事いやだなと夜の遅い残業時間に思っただけで、その時、手のひらにたくさんの汗疱ができた、いまだに治らなくて、ぼくは手にオロナイン軟膏を塗っています。どれだけ、仕事がいやなのかと、自分で自分を笑ってしまう。あなたがいなくても会社はつづいていくけれども、あなたがいねければ、あなたの人生はつづかないというのは、真実で、人生は、多分、二度ないかもしれない。
半藤一利さんの「歴史と戦争」がおもしろくて一気読みしてしまった。ぼくは歴史探偵の大ファンなんです。これまでの膨大な半藤さんの著作から短い文を集めて、明治、大正、昭和の歴史を新書判サイズで駆け抜けるといった内容に、半藤史観の戦争への嫌悪と反省が見え隠れする。半藤史観の特徴というのは、第二次世界大戦の敗戦が富国強兵の軍国主義の明治維新にすでに始まっていたとすることと、終戦における昭和天皇の聖断ということだろうか?
空襲や疎開などの実体験も書かれ、半藤さんによれば、戦争終結の数日間、省庁と方に昼夜問わず、大量の文章を燃やす立ち上る煙が見えていたそうだ。やすやすと文章を廃棄したと国会で発言する今の官僚とその上に立つ政府と同じではないか。歴史から学ばないとこの国はまた滅ぶかもしれないとも思う。今の日本を歴史探偵はどう見ているのだろうか? さぞかし心を痛めておられるのではなかろうか?
空襲や疎開などの実体験も書かれ、半藤さんによれば、戦争終結の数日間、省庁と方に昼夜問わず、大量の文章を燃やす立ち上る煙が見えていたそうだ。やすやすと文章を廃棄したと国会で発言する今の官僚とその上に立つ政府と同じではないか。歴史から学ばないとこの国はまた滅ぶかもしれないとも思う。今の日本を歴史探偵はどう見ているのだろうか? さぞかし心を痛めておられるのではなかろうか?
峰三吉の「原爆詩集」のガリ版復刻版を読む。詩が一九四五年八月六日の広島にぼくを連れて行く。
彼も戦争と原爆によって奪われた短い三十六歳(昭和28年(1953)に去られている)の生涯だったことを詩人の年表を見て知った。
高校の修学旅行が広島で、広島平和記念資料館に見学に行ったことを思い出した。言葉が出なかった。あるいは、会社の出張で一カ月ほど広島に滞在し、ホテルと出張先の仕事場の往復で、広島平和記念公園の中の原爆ドームと呼ばれる広島平和記念碑を横に見ていたのを思い出した。
この詩は感動を越えている。未来の子どもたちのためにも、語られつづけ、読まれつづけた方がいい。
峰三吉 愛と平和を生きた詩人