えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

太田和彦さんの著した「ニッポンぶらり旅 宇和島の鯛めしは生卵入りだった」を読了した。居酒屋と日本酒の達人である太田和彦さんが日本の各地に旅に出かけ、昼は古い街並みをや史跡を歩き、夜は老舗の居酒屋に出向き、おいしい料理やお酒を味わう。その楽しさと幸せが文と文の間から立ち上ります。


小説家の小川洋子さんと臨床心理学者であり心理分析医でもある河合隼雄先生の対談集「生きるとは、自分の物語をつくること」がおもしろくて、一気に読んでしまった。思えば、河合隼雄先生が一年間の夢の中の旅の後、天国に旅立たれたのは十年前、2007年7月19日だったのだけど、この小川洋子さんとの対談が、河合隼雄先生の最後のメッセージとなりそのタイトルがずばり「生きるとは、自分の物語をつくること」。この本の中の河合隼雄さんのある言葉にぼくはぎくりとして出会うべくして、今、出会ったかのような、何かが胸の奥底からあふれるかのような感動をおぼえたのでした。敬意を込めて、ぼく自身のためにも引用をお許しください。
「お医者さんに、魂とは何ですか、と言われて、僕はよくこれをいいますよ。分けられないものを明確に分けた途端に消えるものを魂というと。善と悪とかもそうです。そういう区別を全部、一端、ご破算にして見ることなんです。障害のある人とない人、男と女、そういう区別を全部消して見る」
それから、小川洋子さんの書いた「二人のルート|少し長すぎるあとがき」も追悼文になってしまったのだけど、素晴らしい。ぼくは小川さんの書いた小説は「ミーナの行進」しか読んだことがないけれど、この「生きるとは、自分の物語をつくること」でも取り上げられている「博士の愛した数式」も読んでみようかな。昔、読んだ「ミーナの行進」はすごくよかったです。
ぼくは自分の物語をつくっているだろうか? 空の向こうの河合先生、作っていますよね。


太田和彦さんの著した「居酒屋を極める」を読了する。思えば、旅チャンネルの番組「日本全国居酒屋紀行」を見て、ぼくもその影響を受け、太田和彦さんをまねて、日本のいろんな小都市に居酒屋を求めて旅をしていたころがあった。思い出してしまう。さて、この新著、たんなるうんちく本とか、ガイドブックにとどまらない、何か深みのある考察を提示もしてくれている気がした。第四章の「身も心も満たす「いい店」はどう探すのか」にこんな言葉が出てくる。
「よい年齢になり社会経験を積むと人も見方も変わってくる。社会的地位が高い・低いなどという価値観はとうに消えた。逆にそこにこだわる人とは用心してつき合うようになった。立身出世ははたした、経済的に成功した、それがどうした。頭がいいとか、人を引っ張ってゆけるとかも消えた。
そして残ったのは「あの人はいい人だ」だ。人格者でなくてもいい。死んだ後「もうちょっと一緒に酒飲みたかったな」と言われるようになりたい」
そうですよね。ぼくは、十牛図の十番目「入鄽垂手(にってんすいしゅ)」を思い出してしまった。そして、「居酒屋を極める」は感動の第五章「あのとき、何が起こったか―いつもそこに居酒屋があった」に進むのです。さて、ぼくの思い出した入鄽垂手とは。
「胸を露わし足を跣(はだし)にして鄽に入り来たる 土を抹(な)で灰を塗り笑い腮(あぎと)に満つ」
居酒屋で冷奴などを肴に微笑みながら酒をちびりちびりやる。これは神仙の奥義や秘訣であるかもしれませんぞ。
「よい年齢になり社会経験を積むと人も見方も変わってくる。社会的地位が高い・低いなどという価値観はとうに消えた。逆にそこにこだわる人とは用心してつき合うようになった。立身出世ははたした、経済的に成功した、それがどうした。頭がいいとか、人を引っ張ってゆけるとかも消えた。
そして残ったのは「あの人はいい人だ」だ。人格者でなくてもいい。死んだ後「もうちょっと一緒に酒飲みたかったな」と言われるようになりたい」
そうですよね。ぼくは、十牛図の十番目「入鄽垂手(にってんすいしゅ)」を思い出してしまった。そして、「居酒屋を極める」は感動の第五章「あのとき、何が起こったか―いつもそこに居酒屋があった」に進むのです。さて、ぼくの思い出した入鄽垂手とは。
「胸を露わし足を跣(はだし)にして鄽に入り来たる 土を抹(な)で灰を塗り笑い腮(あぎと)に満つ」
居酒屋で冷奴などを肴に微笑みながら酒をちびりちびりやる。これは神仙の奥義や秘訣であるかもしれませんぞ。


マーティン・スコセッシ監督の「沈黙 -サイレンス-」を見て、感動して、それから、原作である遠藤周作の小説「沈黙」もと思い、読んでしまったところです。
読んでいる最中、狐狸庵先生こと遠藤周作自身が、この「沈黙」に出てくるとても大切な人物であるキチジローのことを自分のことだと言っていたのを知り、なんだか、作品の秘密のとても大事な何かの一つが解きあかされたように感じいってしまった。キチジローについては実際に小説を読むか、映画を見て欲しいのだけど、もしかして、この弱くていくじなしの全然立派じゃないだめなやつが一番キリストを愛し、信じていたのかもしれません。
何かを信じるってどういうことだろうか? しかも逆境の中で、そのふきつづける嵐の中で命までも奪われたり、奪われそうになったりしながらも、信じつづける、もしくは信じつづけてしまうということって、どんなことだろうか? この本を読んで、その答えが少し近づき、さらにわからなくなったような気もするのです。
マーティン・スコセッシ監督は英訳で「沈黙」を読んだそうです。それは"Shusaku Endo SILENCE"。日本文学も世界にその素晴らしさが紹介されているのですね。


津島佑子さんの「狩りの時代」を読みました。津島佑子さんの遺作になってしまった「狩りの時代」。ヒットラー・ユーゲントが第二次世界大戦中の日本に来日した思い出が繰り返し、思い出され、「フテキカクシャ」という言葉、それは「不適格者」ということなのだろうけれど、それがリフレインされます。相模原での事件もありましたね。もっと、みんなにこのような小説を読んでみて、何かを感じて欲しい。
ラストの方では、やっぱ胸がジーンとしてしまった。
津島裕子さん、今頃、向こうの方では朋輩の中上健次と再会していうのかな。ふと想像するに、津島裕子さんは中上健次に、ずいぶん早く逝ってしまって、ずるいじゃないのと、抗議しているのではないかしら。そんなことより、おれの歌を聞けと、中上健次はジャズを歌いだす。それは"You'd Be So Nice To Come Home "。(わがやに帰る時は楽しかったよね)
「差別の話になったわ。」
と、一人で育てた娘さんにこの小説について津島裕子さんが語ったというは、この本のあとがきにも書いておりました。もっと、津島裕子さんの小説を読みたくもなりました。すばらしい小説家を失いましたけれど、ぼくの読んでいない言葉もたくさん、あるのです。
ラストの方では、やっぱ胸がジーンとしてしまった。
津島裕子さん、今頃、向こうの方では朋輩の中上健次と再会していうのかな。ふと想像するに、津島裕子さんは中上健次に、ずいぶん早く逝ってしまって、ずるいじゃないのと、抗議しているのではないかしら。そんなことより、おれの歌を聞けと、中上健次はジャズを歌いだす。それは"You'd Be So Nice To Come Home "。(わがやに帰る時は楽しかったよね)
「差別の話になったわ。」
と、一人で育てた娘さんにこの小説について津島裕子さんが語ったというは、この本のあとがきにも書いておりました。もっと、津島裕子さんの小説を読みたくもなりました。すばらしい小説家を失いましたけれど、ぼくの読んでいない言葉もたくさん、あるのです。


ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞したこともあり、なんだか、ディラン関係の本を読みたくなって、「ローリング・サンダー航海日誌 ディランが街にやってきた」を本屋で買ってしまい。読み終えたところ。この本はディラン本人の著作ではなくて、アメリカの劇作家、サム・シェパードの著作なのです。1975年ごろ、その同時のお祭り騒ぎの全米ツアー、ディランがたくさんのいかれた仲間を引き連れて、見世物小屋の芸人になろうとした「ローリング・サンダー・レビュー」のサムによる随行記。
いくら、サムがディランに近づこうとして、ここでのディラン、サムの目から見たディランは台風の渦の中心の目の中であるかのように、静かな無風の空白であるかのようなのだ。ボブ・ディランとはなんて不思議な男なのだろう。何かをかたくなに信じることよりも、もしかして、それは、ありうるべき正しく美しい何かとは、どのようなものであるかを問いを発しながら、探しつづけているかのようなのだ。それは、もう一つのアメリカへの終わりのない旅であるかのよう。
この時、サムが即興で脚本を書こうとして書けなかった映画「レナルド&クララ」は評論家をはじめ、多くの人びとから酷評されるのだけど、サムにとっては、この経験が種となり糧となりヴィム・ヴェンダース監督の「パリ・テキサス」での脚本家の仕事の美しい果実となったのかもしれない。
ロード・ムービーならぬ、ロード・ブック、路上の本であるかのような一冊。ちりばめられた断片が詩の美しさとして、ときおり輝き始める。


この前、下北沢に用があり、出かけて、ちょっと時間があったので、ヴィレッジ。ヴァンガードに入ったのさ。アニメ映画「この世界の片隅に」がとてもヒットしている、その原作者のこうの史代さんコーナーがあって、読みたいと思っていた「夕凪の街 桜の国」があって即座に買い、読んでみたよ。この人の描く漫画って、いろんな小さな泡のような物語がいくつも細部に描きこまれ、眠っているかのようでもある。どうしてだろうと思い、カバーに書かれた略歴を読むと、こうのさんのもっとも好きな言葉が載っていて、それはフランスの小説家、アンドレ・ジッドが自らの小説を語ったものだそう。
「私はいつも真の栄誉をかくし持つ人間を書きたいと思っている」
英雄じゃなくてもきっといいんだよ。小さな小さな本当の歌が素敵なのさ。それはこうの史代さんの漫画に描かれた物語でもあるように思った。
