えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

菅原正二さんの著した『[新版]ぼくとジムランの酒とバラの日々』が面白くて、お正月の間、一気読みしてしまった。
菅原正二さんは、レコードを演奏するともいわれ、スピーカーはコーンの紙でできた楽器だと世の音楽好きに認識させた、岩手県一関の世界一、音の良いジャズ喫茶、ベイシーの店主である人で、この『ぼくとジムランの酒とバラの日々』には酒とバラのことは何も書かれていなくて、ほとんどはアンプやらスピーカーやらレコード針やらのオーディオセットのことと、ジャズのことがほとんどなのです。人が好きなことに没頭し追求し追究しているのを見る事は面白いように、それについて書いたことを読むことも、専門用語のことなど何も分からずとも、とても面白いのはどうしてだろう。それにこのユーモアあふれた文体が菅原さんの素晴らしい人となりを感じさせもしてくれる。さてこの本の書名にある「ジムラン」とは何でしょう? この本から引用します。
ところで、これから随所に登場する「ジムラン」とは、ジム・ランシングのことで、渡辺貞夫さんを「ナベサダ」、日野皓正さんを「ヒノテル」と呼ぶのと同様、もともとは人の名前だ。
ジム・ランシング、本当はジェームズ・B・ランシングといい、英語で書くと"James B. Lansing"となり、その頭文字をとるとなんだ、あの世界一有名なスピーカー「JBL」のことか!! と納得がいく。
いってもらわないと困る。
「JBL」の創始者であるジム・ランシングは〝スピーカー作り゛の稀代の天才エンジニアであったが、一九四九年(昭和二十四年)にナゾの自殺を遂げており、天才の死はいまだナゾのままだ。
そして、「JBL」のことを、ムカシの人はよく「ジムラン」と呼んだ。
などと書かれると、ぼくも「ジムラン」が欲しくなり、レコードを鳴らしてみたくなる、危険な本でもあります。
ジャズ喫茶「ベイシー」でぼくはまだ音を聴いたことはなく、今、コロナ禍の中、無期限の閉店中でもある「ベイシー」。この本の「あとがき」にはこうあります。
「二〇二〇年は無かったことにしよう」と坂田明と二人で話し合った。
ということは『ベイシー50周年』も無かったことになる。けじめのつかない幻の50周年というのもいいかもしれない。
いつか「ベイシー」でジャズのレコードを聴くぞ、とぼくは心を決めるのであります。


ラングストン・ヒューズの「ジャズの本」の何度目かの読了をしました。
木島始さんが訳した、ハーレム・ルネッサンスが生んだ最も重要なアフリカン・アメリカンの詩人、ラングストン・ヒューズの本をぼくはたくさん読んでいます。
この「ジャズの本」は、ジャズの黎明である19世紀の終わりごろから1950年代ビバップまでのジャズの歴史を書いたものを中心に、たくさんのジャズについてのあれこれを、スウィングするリズムやら、きらびやかなハーモニー、物憂げでもあるようなメロディーすら、耳に響いてきそうな、詩と歌の心にあふれたものです。
アメリカでのもともとは絵本として出版されたものらしく、楽しい口絵がとても可愛らしい。
ラングストン・ヒューズの詩といえば、浅川マキさんがこの木島始さんの訳に曲をつけて歌っておりました。そんな木島始さんの「ジャズの本」の訳も素晴らしい。
ジャズとは何でしょう、などと思ったのなら、この本を読んでみてください。ジャズという音楽にあふれた素敵な本なのです。


日暮泰人さんの著した『ブルース百歌一望』を読了しました。
日暮さんというと日本のブルースのボスのような人で、この人がいなければ、日本でこんなにたくさんの人に、アメリカの大衆音楽、民俗音楽、民族音楽の中の一つのジャンルであるブルースが認知されなかっただろうし、聞かれなかっただろう。ぼくも大学生のころ、日暮さんらが主催する「P-Vine」というレーベルから発売されたブルースのレコードを漁り、買い、貪るように聴いていた。この『ブルース百歌一望』は、そんな日暮さんが、有名から無名までの100曲(実際は101曲)のブルースを聴きつつ、思ったり、想像したり、考えたことを一冊の本にまとまたもの。
どのようなことをブルースを聴きながら、日暮さんが思ったり、考えたりするかというと、それはブルースという音楽についての深い考察からアメリカの社会、日本の社会、歴史、人の生きざま、孤独、犯罪、希望、愛と、縦横無尽に語られているのです。例えば、この本から、ぼくはこんな日本の近代史について知ることにもなった。Luke Jordanの"Cocain Blues"を取り上げた「コカイン」の章の一部を、長くなりますが、引用します。
「1935年の国際連盟の統計によると、日本はコカインとヘロインの流通量で世界1位、モルヒネで4位とされている。第一次世界大戦に医療用に多く使われていたモルヒネのヨーロッパからの供給が途絶えたため、日本は独自に製造することになり、1916年には星製薬(SF作家、星新一の父親が創業した会社)がその製造に成功したという。日本はモルヒネを朝鮮で浸透させ多くの中毒者を生み出し、また中国ではアヘンを大量に売るようになる。コカの葉の最大供給国であるコロンビアから常に輸入して製造したという歴史があった。ドラッグで巨額の利益を出し、その資金を周辺諸国の植民地政策につぎ込むというのが戦前日本の暗い歴史の一端である」
さて、社会や麻薬、歴史のことを後にして、人のことについて歌ったブルースがやはりほとんどであったようなのだ。"Crossroad Blues"の中で「ウィリー・ブラウンに伝えてくれ」と呻くように歌ったRobert Johnsonの師匠すじにあたるWillie Brownの"Future Blues"の詞が「最期一分のブルース」の章に取り上げられている。これなんかは人生の最奥の何かが歌わているのではないかしら?
「未来のことなどわかりゃしない
過去のことは話せない
一分、一分が思えてくる
おれの最期にちがいないと
何分かが何時間のよう
何時間が何日かのよう
そうさ、何分かが何時間で
何時間が何日にも思えるのさ」
今や伝説ともいえる噺家、立川談志は「落語とは、人間の業の肯定である」といったという有名な話があるけれども、この本を読みながら、ぼくはたえず、その言葉を思い出してもいたのです。「業」には3つの意味があるそうなのです。
・仏語。人間の身・口・意によって行われる善悪の行為。
・前世の善悪の行為によって現世で受ける報い。「業が深い」「業をさらす」「業を滅する」
・理性によって制御できない心の働き。
『ブルース百歌一望』に中にも登場する"Blues impulse"、「ブルース衝動」という言葉、「業」とい言葉の3つ目の意味にぴったりなような気もする。
若いころ、ブルースという3つのコードしか出てこない、同じコード進行の繰り返す音楽を聴いて、その無限の広がりを知り、なんて自由な音楽なんだろうと思った。みんなにアメリカから海を越えてそのブルースという音楽を届ける大きな船の船長のようでもあった日暮泰人さん。
ボス、素敵な本を書いてくれて、ありがとう。


ブレイディみかこさんの著した『ブロークン・ブリテンに聞け Listen to Broken Britain』を読了しました。ブレイディみかこさんの本は新しいのが出されると、いつも読んでしまう。この本は最新の内部から見た英国事情についての6ページの30篇のエッセイ集でした。今の英国って、かつての19世紀の栄光は去り、貧しいものと富めるものの差はさらに激しくなり、右と左のイデオロギーの対立はねじ曲がり、どとらがどちらだかわけが分からなくなり、まさに「Broken」していて、そうか、アメリカ合衆国も同じような気がして、これは世界で同時進行しているようなのだ。
日本の政府も、公助よりも自助をまっさきに挙げ、次に共助といい、それは政府自らの責任をまっさきに放棄しているようにも思われて、恐ろしい。日本政府の政策の消費税の増税はあからさまに企業の減税に使われているのは、明白な気もし、その企業減税は、内部留保と役員報酬の増額ぐらいにしか使われていないというようにも思われ、働く人はすぐにクビにされる派遣の一時契約社員となり、社会の血流ともいえるお金の流通は細く細くなっていく。今、英国ではフード・バンク(包装の傷みなどで、品質に問題がないにもかかわらず市場で流通出来なくなった食品を、企業から寄附を受け生活困窮者などに配給する活動およびその活動を行う団体)が盛んで、日本では子ども食堂が盛んなのだ。ついに何年か後の日本は英国のように「Broken」しているかもしれない。この『ブロークン・ブリテンに聞け』から英国の映画監督、巨匠ケン・ローチの言葉を紹介します。
「大企業が派遣を争っている間は、物事はどんどん悪くなっていくだろう。彼らはどんな風に競っているのだろう? 最高のサービスと商品を少しでも安く提供することによってだ。どうやっ価格を安くするんだろう? 賃金を削ってだ。組合は弱体化し、労働者は保護されない。つまり、労働者階級の力は弱くなり、水道の蛇口のように簡単にひねったり止めたりされる。これがシステムの中に組み込まれているんだ」
世界中、ぶ厚い雲の肌寒い風が吹き荒れていて、ブレイディみかこさんの「あとがき」でのメッセージは、分断され、分裂していたのでは誰もサヴァイブできない、ということだとも思うのです。この本の中からみかこさんの自分自身への力強いメッセージの引用でこの項を締めたいと思います。
「Keep thinking. Keep writing. Keep talking to each other.」


馳星周さんの著した「少年と犬」を読了しました。直木賞受賞のエンターテイメント小説です。
近所の本屋で平積みとなっていたこの本の表紙を見て、あっ、レオだと思い、手が伸び、買ってしまっていた。レオとは昔、わが家で飼っていた犬のことです。この本は一匹の同じ犬を主人公とした「男と犬」、「泥棒と犬」、「夫婦と犬」、「娼婦と犬」、「老人と犬」、「少年と犬」の六篇で、犬の飼い主の一人称で物語られていく。一匹の犬は日本列島を南西へと何年もかけて旅をしていき、その中での六つのエピソードの連作となっています。映画にしたら、一級のロードムービーとなるのではないかしら? おもしろい。そして、読み進めていくうちに、本当にこの本の主人公の多聞の性格やら佇まいやらのすべてが、まるでレオのようだと思ってしまう。
連作をしめくくる「少年と犬」では少し泣いてしまいました。
犬は神が遣わした動物で、人は少年と少女に戻ってしまう。
(写真の犬はレオです。レオ、おまえは神が人に遣わしたオオカミか? 今でもレオの写真を見ると胸がしめつけられように感じてしまう)


内田樹さんの「日本習合論」を読みました。
Wikipediaによれば、習合(しゅうごう)とはさまざまな宗教の神々や教義などの一部が混同ないしは同一視される現象のこと、シンクレティズム(英:Syncretism)の一種、ということだそうですが、何冊も内田樹さんの本を読んで、内田さんの論じる良き日本と良き日本人、美しき日本と日本人は、ぼくの思う日本や日本人とても近しいように感じています。
この内田さんの本を読みながら、芥川龍之介の「神々の微笑」という小説と、その小説を解説しながら、日本国憲法、とくのその第九条を擁護する柄谷行人さんの「日本精神分析」を思い出していました。
日本が習合を無くした時に、もっとも悪い方に進み行き、すべては失速し、世界の友だちなどの何もかもを失うのではないでしょうか。


山上たつひこさんの描いた漫画『光る風』を読みました。山上さんの少年チャンピオンに連載していた『がきデカ』は子どものころ、読んでいて、その前にこんなデビュー作を少年マガジンに描いていたとは知らなかった。
すさまじくダークで救いのない物語です。2015年に再び出版された単行本に内田樹さんが解説を書いていてこんな言葉を寄せられている。
「『光る風』に貫いているのは自由と民主主義を求めるリベラルな主張ではない。そうではなくて、自分は自由と民主主義が失われたときにまっさきに弾圧されるだろうという生理的恐怖である」
『光る風』は1970年に読まれるよりも、今の2020年に読まれた方がよりリアルな漫画なのです。しかも、この話に繰り延べられるような社会は75年前の日本に確かにあった。それが現在に起こりつつあり、未来にそうなりつつあることが、とても恐ろしい。


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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