えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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山田孝子さんの著した講談社学術文庫本のの『アイヌの世界観「ことば」から読む自然と宇宙』を読了しました。アイヌのことを知りたいと思い、こんな本を読み始めたのですが、『アイヌの世界観』は本格的な学術文献の集成でとても難しく、読むのにとても時間がかかりました。少しだけ「補遺 現代に生き続けるアイヌの世界観」から、山田さんの聞いたアトゥイ(豊岡征則)さんの言葉を引用します。

「すべての生き物は自然の摂理の中で役割を担い合うものである」

「アイヌの精神は我々がお互いに育みあう世界(ureshipa moshiri)に生きるという考えに基づいている」

「アイヌのアミニズム的考えの方の神髄は他者を尊重し、敬うことにあり、それは《共生》の哲学である」

ぼくのアイヌの人たちと出逢う旅は始まったばかりです。






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中筋純さんの写真集であり、文章も載せられ『コンセントの向こう側』を読みました。

コンセントの向こう側には何があるのか? 事故を起こした原子力発電所があって、今でも放射能ただよっている帰還困難の地となり、そのようなところを中筋さんは10年間、写真に撮り続けている。

日本とはこんなところでもあると、ぼんと日本のなにがしかを差し出されたような感じでもあり、ぼくは何度もその写真集を食い入るように見てしまうのです。復活となった駅のセレブレーションの後、人の去った後の駅前に現れた一匹の狐の写真に、言葉を越えたリアルを感じ、じっと見つめずにはいられない。この写真に添えられた中筋さんの文です。

「2020年3月14日、聖火リレーの直前に常磐線が全線開通した。新しくなった二葉駅。だが、こけら落としの賑わいが醒めた駅前はぼくと古狐のふたりっきりだ」

目をそむけることはもうやめようとも思う。なんとも言えないような世界にぼくは生きていて、そんな現実から目をそむけさせようとする力を持ったあの人たちがいるとしても、明日のためのてがかりは、ぼくたちで見つけるしかないのだと思う。

そこにまた、現実の悪いニュースが入ってきました。福島第一原発のトリチウムなど含む水海洋への放出の政府の方針が決められたそうなのだ。そして、原子力発電所の再稼働が進められる。そんなこの日本という国のありようと、それによって未来の命を育たぬようにするかのごとく、何か、大切なものごとが刈り取られていくようでもあるのに困惑する。いつかぼくの知った水は誰のもの、土はだれのもの、それは未来からの借りもの、というネイティブアメリカンの言葉は、日本の事故を起こした原子力発電所と、そこからあかあかとした明るすぎる電気を受け取ってきていたぼくたちへの向けられているかのようなのだ。






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「もやい展」で三冊の本を買いました。絵本やら画集です。厳しい現実を見つめたどの本も素晴らしい。一言そえてご紹介します。

文 葉方丹 絵 山内若菜『ウマとオラのマキバ』


放射能により死んでいく馬たちのことの絵本です。悲しすぎる話なのですが、読み終われば、ぼくの魂が浄化されるようでもあります。

小林憲明『ダキシメルオモイ』


親が子を抱きしめている絵の画集です。お母さんたちの少しの文もそえられています。本当の愛を感じました。

絵・文 鈴木邦弘『いぬとふるさと』


避難してきた犬が飼い主のおじさんと被爆した町を訪れるお話です。かわいい犬と灯りのともらない変わり果てた町の悲しさ。切々と胸に迫ります。

おやすみZZZzzz.....
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佐久間裕美子さんの『Weの市民革命』を旅先の宿で一晩で読みました。

この本を読んで、アメリカで革命が起きつつあるらしい、といことを知りました。革命が大げさならば、1960年代以来の社会の変動が20代、30代の若者たちが引っぱられて、今、起きつつあるらしい。それは暴力を伴わない革命で、例えば、Black Lives Matter(黒人の命は大事)のムーブメントでたくさんの白人がプラカードを持って、去年、街頭に飛び出した。ダイバーシティー、環境問題、海外での労働者搾取に関する抗議する不買を伴う消費者運動の広がりに大企業も無視することはできなくなった。この本に書かれた佐久間さんの率直な問いかけはこのようなものです。

「気候問題やパンデミックがもたらす新たな時代の課題を、現状の資本主義のシステムが解決してくれるのだろうか」

そして、かの地ではこうも叫ばれているらしい。

「自分以外の誰かのために、声を上げたり、行動を起こすから、「We」なのだ」

共感します。

と同時にぼくは3人の歴史上の日本人思い出してもいた。左派の側からの批判も多いけれど、『論語と算盤』の中で金儲けよりも倫理の方が大切だと説いた渋沢栄一。粉ミルクの製造にどれだけ多くの人が関わり、結ばれ合っているか、という話も登場する『君たちはどう生きるか』を書いた吉野源三郎。そして、「資本主義も社会主義もどちらも人間の尊厳や自然環境に対する配慮が足りない」といい、「社会的共通資本」の必要性を説いた、今年で没後6年となる経済学者の宇沢弘文。この早すぎた経済学者の彼が復活して今のアメリカの若い人を動かしているかのようでもあるのだ。

やっぱ、本当の革命は始まったばかり。






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石牟礼道子さんの著した『水はみどろの宮』を読みました。この本には「水はみどろの宮」と、その続きの「花扇の祀」の二編が収められ、石牟礼さんが、子どもたちに読んで欲しいと、一世紀以上前の肥後の国、阿蘇の山の森のどこか、今の熊本県のある女の子を主人公にして書いた本なのです。けれど、まがりなりに大人のぼくが読んでも、胸にじーんときました。

近代の日本になって失われた豊かで大切なものごと、命の響き合いがこの『水はみどろの宮』の物語にはあふれています。

石牟礼道子さんは今はもう亡き人で、この『水はみどろの宮』、「花扇の祀」の続きは書かれることはないのだけれど、読み終えて、本を閉じる時、ぼくはまたどこの人里離れた山の森のどこかで、おじいさんに育てられている女の子、お葉や片目の真っ黒な山猫のおノンに会えるような気がしました。お葉やおノンはこの天変地異が続き、疫病はやる日本のどこかにまだいる、そんなことをぼくは想像してしまう。

石牟礼道子さんの「あとがき」に書かれた真摯なメッセージを引用して、この拙文を締めくくります。

 私たちの生命というものは遠い原初の呼び声に耳をすまし、未来にむけてそのメッセージを送るためにある。
 お互いに孤立した近代人ではなく、吹く風も流れる水も、草のささやきも、光の糸のような絆をつないでくれているのだということを、書き表したかった。とは言っても、風はともかく、草の声、水の声も聴きとれなくなった日本人のなんと多くなったことだろう。
 水俣のことで長い間、沈潜している思いがある。エネルギーをたくわえ、自分自信を炊かなければならない。そんな火を炊く祈りの場所を『水はみどろの宮』ときめて、わたしは、山の精たちをここに呼び出した。
 
 
 
 
 

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『路傍の反骨、歌の始まり 姜信子 × 中川五郎 往復書簡』を読みました。

読みながら、この本を少なからぬ人数の歌いつづける人生を選んだぼくの友だちに回覧をしたい、などとも思ってしまう。

この本は、近ごろは語りべを始められ、たくさんの著作もある姜信子さんと、半世紀以上も歌い続けてきたシンガー、中川五郎さんのとても深い内容の公開された往復書簡集で、熊本で大きな災難をもたらした地震のあった、およそ一か月後の2016年5月31日に石牟礼道子さんの童話『水はみどろの宮』の話に始まる姜信子さんの手紙は、何通ものやりとりがあり、それはいつしか「「無縁」の場」のこととなり、新型コロナウィルス禍に世界が席捲されてしまう前夜のような2020年2月1日、中川五郎さんの姜信子さんへの新しい旅への誘いで幕を閉じる。ぼくもその旅の席にどこかにいて、同じ列車の中にいれればいいな、と思った次第。

さて、姜信子さんの手紙に出てきた「「無縁」の場」とは脚注によればこんなこと。

「無縁の「場」 無縁はもともと村社会や寺社から切り離された場所や状態を指す言葉だが、中世日本の研究者網野善彦が著書『無縁・公界・楽』において、世俗から切り離された特殊な空間で権力から自由や平等が確保され、いきいきとした人間性が発揮されていたことを指摘し、その概念を捉え直した。また、権力の及ばないそのような自由なエリア、聖域はヨーロッパや中国でもアジール等と呼ばれる特別な場として歴史的に社会内に確保されていたことも指摘された」

そうか、無縁の場は何度も立ち現れて消えていくもので、ぼくが惹きつけられるものは、人を縛る「絆」ではなく「無縁」ではなかったのか? いくつかの場所も思い浮かびもする。今、ウィルス禍の中、そのような場が奪われて、失われつつあるのかもしれないけれど、何度でもそれはこれからの未来に立ち現れるのだろう。旅の途中のそのような無縁の場で、ぼくは、また、きみと再会したいのです。






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水木しげるの漫画『漫画で読む戦争と日本―敗走記―』につづき、『漫画で読む戦争と日本―壮絶!特攻―』を読む。『敗走記』にくらべ、『壮絶!特攻』は反戦色が薄まったようにも感じたけれど、この本の中の一編「鬼軍曹―それは何だったのか―」に水木しげるの、ユーモアまじりの戦争についてのこんな感想がある。

「鬼軍曹は強がりに生き
 影山伍長は要領よく生き…
 水木上等兵は反対しながら生きた。
 そして結果は鬼軍曹はすべてを失い
 (まことに気の毒なことだ)…
 影山伍長は何も失わず
 水木上等兵は五体の一つを失った。
 〝戦争〟とはある見方からすると〝台風〟のようなものだった。
 ばか正直に立ち向かうでもなく身をかがめて台風の去るのを待ったような
 影山伍長が勝利者だったのかもしれない
 いずれにしても…
 なんだか〝国家〟にいじめられているみたいだった。
 いわゆる〝忠義〟だの〝国賊〟という言葉で国民はがんじがらめにされて
 一部の「勇ましい人々」によって他国民の幸福までふみにじるはめになったわけだが
 願わくは〝国家〟はむやみに過酷な義務を課すことなく
 老漫画家から税金をむしりとるようなことをしないやさしい国家であってほしい
 そうなれば外敵がきても国を護ろうという気が起きる」

こんな漫画を読むと、昔、NHKで放送していた『戦争証言アーカイブス 兵士たちの戦争』を思い出してしまう。この番組の中で、たくさんの生き残った兵士たちは、怒りが抑えられなく、声を震わせて証言していた。水木しげるも戦争のころを思い出すと、怒りの感情がむしょうにこみあげてきて、おさえきれなくなる、と言っていた。そして、今、水木さんのようなたくさんの戦争を知っている人たちが鬼籍に入られて、政治家、文化人、起業家、一般人、多くの、戦争はいいことだ、みたいにいう人たちが日本に現れてしまっている。嘆かわしく、危機を感じます。水木しげるの戦争の漫画やNHKの『戦争証言アーカイブス 兵士たちの戦争』は後世に伝えていくべきもっとも大切な日本人の経験だと思う。

番組|NHK 戦争証言アーカイブス





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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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