えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

村上春樹さんの『猫を捨てる 父親について語るとき』を読む。今をときめく長年のノーベル賞候補の作家、村上春樹が父について書いた珍しい私小説。
ぼくは、父と男の子の間には何かの物語が生まれる揺り籠のようなものがあるとも思う。歌だってそうだ。ロック・ミュージックには特に父との葛藤を生涯の一つの歌うべきテーマとなってしまったシンガーもいて、浜田省吾から尾崎豊、ブルース・スピリングスティーンを思い出す。
村上春樹さんはどうのように父親を語るのだろうか? それは前の大戦の記憶をも呼び覚まし、この読書は、ぼくの身もつまされる。
父さん、あなたは戦争に行ったのですね。父さん、あなたはどうしてそんなに速く走るのですか? あなたの背中しか見えないではないですか。本を読みながら、そんなぼく自身の声を聞いたような気もするのです。
台湾の新進のイラストレーター、高研さんの表紙やカラーの口絵も何かを思い出させるかのようで、素敵な小さな本です。


「木喰五行明満上人道歌抄」を読みました。たった二十二頁の木喰上人の歌集で、この前、訪れた木喰の里微笑館で購入したものです。木喰上人とはどんな人か? この本というより冊子に書かれた「木喰上人略伝」から引用すれば、こんな人だったらしい。
「心願として八宗一見を志し、日本全国中普く霊仏霊者を参して其法印を印せざる所なく、永き遍路の一生を随所に一夜の説教と、一切四百衆の病を見る事と、而て因縁のある所に千体仏を遺す事とを以て特に優れたる行蹟として、今尚ほ国々の全土に其跡が残って居る」
木喰上人は生涯の旅の途中でたくさんの書画も残した人で、この「木喰五行明満上人道歌抄」の歌はその一部であるとのこと。ありがたき、いくつかの歌をご紹介いたします。
日月の。心の神の。天てらば
祈る心も。おなし日月
皆人の。心に咲きし。白蓮花
花は散りてもたねはのこらむ
我心。にごせばにごる。すめばすむ
すむもにごるも。心なりけり


大林宣彦さんの著した「キネマの玉手箱」がおもしろくて、一気に読んでしまった。
大林さんは自らの病気のことを語り始めても、いつしか映画の話になってしまう、それぐらい映画のことが本当に好きで好きでたまらない、そんな映画監督だったんだ。そんな監督自身がもっとも尊敬していた映画監督は、黒澤明だったのですね。あと、チャーリー・チャップリン、ジョン・フォード、小津安二郎など、たくさんの映画監督と映画についても敬意をこめて書かれている。
ぼくは高校生のころ見た大林組の映画「時をかける少女」を見た時の驚きを忘れない。変な映画だなという感想以上に、この大林宣彦という人の頭の中はどうなっているだろうと訝しく思い、いかれているとも思ったのだった。「大林マジック」だった。その「大林マジック」は大林宣彦さんの軍国少年であったころから始まる、いろいろな人生から自然に到達したものでもあった。是枝裕和監督があとがきの「卒業と人生の季節に」に書いているように、ぼくも、あれから三十年、ずっと大林マジックにかかっているのかもしれません。


昨日、ライブ前にライブバー近くの本屋に入って、いろんな本を見ていると、ぼくの目に「ミュージック・マガジン」の8月号の表紙が飛び込んできて、「特集 ブラック・ライヴズ・マターとアフリカン・アメリカンの歴史」というのに魅かれて、さっそく購入してしまった。近年にはなかった硬派な特集に驚いてしまった。
中村とうよう氏が自死するすこし前ぐらいから「ミュージック・マガジン」はぼくからすると、とてもつまらなくなり、ティーン・エイジャーのころの前身「ニュー・ミュージック・マガジン」から読んでいたのを、中村とうようさんの書いていた「とうようズ、トーク」というコラム蘭がなくなったのをきっかけに、ほとんど手に取らなくなっていた。
ふと今のミュージック・マガジンの奥付をみると編集人が高橋修さんから久保太郎さんに変わっている。どちらの方もどんな人かは存じ上げませんが、編集方針の変更とはこういうことを言うのだろう。
ぼくが十代から二十代のころよく読んでいた読み物雑誌としてこの「ミュージック・マガジン」、「話の特集」があるけれど、「話の特集」はなくなってしまった。かろうじてぼくの読まなくなってしまった「ミュージック・マガジン」だけ残っていた。
「ミュージック・マガジン」の2020年8月号の「特集 ブラック・ライヴズ・マターとアフリカン・アメリカンの歴史」は三段組の56頁にもわたる読み応えのあるものだけれど、面白くて一気読みしてしまった。この特集は、近頃、非業の死を遂げたアフリカン・アメリカン、Tony Mcdade、Breonna Taylor、George Floyd、Atatiana Jefferson、Trayvon Martin、Nina Popの6人の方に捧げられていることも、特集記事に一貫して添えられた下の方の小さなイラストで表明されていると思う。CDや書籍、映画のガイドもある音楽をバックボーンにした充実した内容。
少し脇道にそれて、ムービーの紹介です。「特集 ブラック・ライヴズ・マターとアフリカン・アメリカンの歴史」の中に原田和典さんの「'Strange Fruit'こそ、最も幅広い世代に知られている人種差別のプロテスト・ソングではないか。39年4月、歌手ビリー・ホリデイが初録音。シャウト系、スクリーマー系ではない彼女が、一語一句を堅実に届けるさまは、"静の力"の極致だ。」の素晴らしい文章もあるBillie Holidayの"Strange Fruit"です。
あー、これはもっとも古きころの勇気ある静かな力強い歌。
さて閑話休題、あの「ミュージック・マガジン」が帰ってきたみたいなのです。


長谷川博一さんの著した「追憶の泰安洋行 ~細野晴臣が76年に残した名盤の深層を探る」が面白くて、一気に読みました。
細野晴臣さんが1976年に出したアルバム「泰安洋行」とそれと前後した「トロピカル・ダンディー」と「はらいそ」を合わせて、「トロピカル三部作」とよく呼ばれているのだけれど、この「追憶の泰安洋行」は、「泰安洋行」を真ん中にすえつつ、「トロピカル三部作」を当時のさまざまな関係者へのインタビューも含めて、ありとあらゆる角度から深く掘り下げたもの。日本のロックの黎明期にロックのリズムや様式から逃れようとして、この「トロピカル三部作」が生まれ、これらはぼくは未だに聴き続けている三枚のアルバムなのです。
この「追憶の泰安洋行」では、鈴木茂さんや久保田麻琴さん、矢野顕子さんらの錚々たる有名ミュージシャンの当時のことを思い出した貴重なインタビューも読めます。
最終章である「最終回 ぼくと君のララバイ」の前の章に「第27回 細野晴臣が明かす名盤の記憶 その2」にある長谷川さんのオンラインでの質問に答えての近ごろの心境を語った細野さんの言葉は深く、ぼくに何かを感じさせ、これからもぼくに、ある意味でたんたんと普通に生きていかなかればと思わせるものでもありました。
とても私的な質問をさせてください。僕は個人的には3・11東日本大震災の前と後では、まるで戦前と戦後のように日本の姿は変わったと感じています。(略)
「(略)3・11の前と後、全く同じです。自分を覚醒させた現象です。今も時々、トラウマにもなった地震警報を再生すると覚醒します。好きだった日本と日本人に疑問が生じた事件でした。そして今は人類が未経験の衰退時期に来てる感じです。そういう社会に影響されつつも、淡々と好きな音楽に没頭できる自由を噛みしめようと思います」
三段組のこの本は読みごたえがあり、すばらしい内容で、アートワークも美しく、貴重な写真も載せられています。そして、「追憶の泰安洋行」は長谷川博一さんの遺した最後の本にもなりました。
Yellow Magicよ、永遠なれ!


赤木雅子さんと相澤冬樹さんの共著の『私は真実が知りたい 夫が遺書で告発「森友」改ざんはなぜ?』を読了した。
ぼくは数社、転職を経験しているのだけれど、ある会社で独占禁止法違反の片棒というか、つかいっぱしりをさせられたのを思い出した。ずいぶん昔のことになってしまったけれど、公正取引委員会からの事情聴取があれば、思い出すことは応じようとも思う。不正がはびこる社会や会社、組織って本当に嫌なものだな。
二年前に近畿財務局の職員が自殺したというニュースを新聞で見た時は、何かただならぬことが国家ぐるみで起きているなと思い、「総理大臣」という歌を作って、今でも歌っている。その自殺した職員の連れ合いの赤木雅子さんが勇気ある行動を起こし、世界を変えようとしている。応援しています!
不謹慎にもこの『私は真実が知りたい』は、赤木雅子さん役をきょんきょん(小泉今日子さん)が主演して映画になるとよいとも思った。プロデューサーの河村光庸さん、どうですか?
楽しい読書とはならないけれど、この『私は真実が知りたい』は読むべき本だ。


柳宗悦の「民藝四十年」を読了しました。「柳宗悦」と書いて「やなぎむねよし」と読みます。
テレビ番組の「何でも鑑定団」とは違う「民藝」がこの本にはあります。柳は万葉集に多くの読み人知らずの歌があるように、無記銘の工芸品の美を説き、それを民衆の工芸の意味の「民藝」と名付けた。美は作るものではなく、美は生まれるものだと柳はいう。歌も作るものではなく、生まれるものかもしれない。
この「民藝四十年」には様々な著作が収められ、「朝鮮の友に贈る書」から始まり、「木食上人発見の縁起」、「民藝の趣旨」、「琉球の富」、「手仕事の国」、「美の法門」に至る柳宗悦の情熱がいっぱいつまっています。柳宗悦は柳田國男とならぶ、明治、大正、昭和を駆け抜けた、日本を愛する思想の巨人であったと思いました。
テレビ番組の「何でも鑑定団」とは違う「民藝」がこの本にはあります。柳は万葉集に多くの読み人知らずの歌があるように、無記銘の工芸品の美を説き、それを民衆の工芸の意味の「民藝」と名付けた。美は作るものではなく、美は生まれるものだと柳はいう。歌も作るものではなく、生まれるものかもしれない。
この「民藝四十年」には様々な著作が収められ、「朝鮮の友に贈る書」から始まり、「木食上人発見の縁起」、「民藝の趣旨」、「琉球の富」、「手仕事の国」、「美の法門」に至る柳宗悦の情熱がいっぱいつまっています。柳宗悦は柳田國男とならぶ、明治、大正、昭和を駆け抜けた、日本を愛する思想の巨人であったと思いました。
