えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
小野正嗣さんの著した『100分de名著 フランツ・ファノン 黒い皮膚・白い仮面』を読む。NHKのEテレの番組「100分de名著」のテキストです。
受信料を安くするためにEテレを無くせと、政治家の誰かが主張しているらしいのだが、Eテレはおいらのよく見る番組が多い。「日曜美術館」とか「心の時代」とか「バリバラ」とか、この「100分de名著」とか。どうか、お偉いさんよ、Eテレを無くさないでくれ。小野正嗣さんって「日曜美術館」の司会の人じゃんか。
で、まだ放送していないフランツ・ファノンの「100分de名著」を先に読んでしまったのです。面白くて一気読みしてしまった。確か、二十歳のころ、フランツ・ファノンを初めて読んで、その本「黒い皮膚・白い仮面」に所収されていた「黒人の生体験」は衝撃的だった。あの二十歳のころ、中上健次を読み、アラン・シリトーを読み、ジェームズ・ボールドウィンを読み、世界にプロテストするような本を片っ端から読んでいて、フランツ・ファノンもそのように読んだのです。
「黒人の生体験」は、ファノンがリヨンの大学で医師になるために勉強をつづけていた学生のころ書いた文で、その怒りの激しさと悲嘆の涙の純度と、まっすぐにものごとを見る、その真摯さに、ぼくは打ちのめされた。ファノンはマルカムⅩの登場以前に遥か先の遠くに到達していたようなのだ。ファノンはこう断言する。
「ニグロは存在しない。白人も同様に存在しない」
そして、またしても、何度でも、ぼくは「黒人の生体験」を締めくくる文を引用しつつ、世界からあらゆる差別のなくなることを願ってやみません。
「しかし私は自分の全存在を賭してこの切断を拒否する。私は自分の心が世界と同じくらい広大なのを感ずる。真実、私の心は最も深い河と同じくらい深いのだ。私の胸は無限に広がる力をもっている。私はこの世へのささげ物だ。だのにその私に不具者の謙譲さを勧めるのか。きのう私は世界に目を開いたとき、空が顛倒するのを見た。私は身を起こそうとした。だが内臓を摘出された沈黙が翼もなえて私の方に逆流してきた。無責任に、〈虚無〉と〈無限〉に馬乗りになって、私はさめざめと泣き出した」
受信料を安くするためにEテレを無くせと、政治家の誰かが主張しているらしいのだが、Eテレはおいらのよく見る番組が多い。「日曜美術館」とか「心の時代」とか「バリバラ」とか、この「100分de名著」とか。どうか、お偉いさんよ、Eテレを無くさないでくれ。小野正嗣さんって「日曜美術館」の司会の人じゃんか。
で、まだ放送していないフランツ・ファノンの「100分de名著」を先に読んでしまったのです。面白くて一気読みしてしまった。確か、二十歳のころ、フランツ・ファノンを初めて読んで、その本「黒い皮膚・白い仮面」に所収されていた「黒人の生体験」は衝撃的だった。あの二十歳のころ、中上健次を読み、アラン・シリトーを読み、ジェームズ・ボールドウィンを読み、世界にプロテストするような本を片っ端から読んでいて、フランツ・ファノンもそのように読んだのです。
「黒人の生体験」は、ファノンがリヨンの大学で医師になるために勉強をつづけていた学生のころ書いた文で、その怒りの激しさと悲嘆の涙の純度と、まっすぐにものごとを見る、その真摯さに、ぼくは打ちのめされた。ファノンはマルカムⅩの登場以前に遥か先の遠くに到達していたようなのだ。ファノンはこう断言する。
「ニグロは存在しない。白人も同様に存在しない」
そして、またしても、何度でも、ぼくは「黒人の生体験」を締めくくる文を引用しつつ、世界からあらゆる差別のなくなることを願ってやみません。
「しかし私は自分の全存在を賭してこの切断を拒否する。私は自分の心が世界と同じくらい広大なのを感ずる。真実、私の心は最も深い河と同じくらい深いのだ。私の胸は無限に広がる力をもっている。私はこの世へのささげ物だ。だのにその私に不具者の謙譲さを勧めるのか。きのう私は世界に目を開いたとき、空が顛倒するのを見た。私は身を起こそうとした。だが内臓を摘出された沈黙が翼もなえて私の方に逆流してきた。無責任に、〈虚無〉と〈無限〉に馬乗りになって、私はさめざめと泣き出した」
柳宗悦の『南無阿弥陀仏 付 心喝』を半年ぐらいかけて読了しました。岩波文庫のこの本を読みながら、トピカルな他の本を読み始めたりするのが数冊あって、こんなに時を費やしてしまったけれど、この『南無阿弥陀仏 付 心喝』はとてもよかったのです。
読み始めると、友川カズキさんの歌「問うなれば」を思い出し、その歌を心のどこかに響かせながら、読んでいました。友川さんの「問うなれば」は時宗の開祖であり、捨て聖とも呼ばれた一遍上人の短歌からとって歌っている歌で、上人の短歌はこのようなものなのです。
となふれば仏もわれもなかりけり 南無阿弥陀仏の声ばかりして
となふれば仏もわれもなかりけり 南無阿弥陀仏なむあみだ仏
柳宗悦も述べているが、法然によって開かれた念仏宗、浄土宗は、親鸞によって深められ、浄土真宗となり、一遍で極められ、時宗となったということだろうか? 救われるのではなく、もう救われているのだそう。
「朝鮮の友に贈る書」を書いた柳宗悦にとって、一番の戦後の慶事は朝鮮の独立であるだろうけれども、『南無阿弥陀仏』は終戦直後に書き始められ、彼は戦時中の日本人の悪をまさしく痛感し、戦後、ペンを握り、それでも日本人の魂を救おうと、これを書き始めたのではなかろうか?
『心喝』もまた素晴らしい。「心喝」と書いて「こころうた」と読むのだけれども、柳の短い俳句ほどの長さもないほどの詩に自らの注解がつけれております。これらの詩を棟方志功が版画で表現したものが日本民藝館にあって、それはそれは素晴らしいものでした。『心喝』から一つだけ引用し、春の訪れを待つとします。
吉野山
コロビテモ亦
花ノ中
読み始めると、友川カズキさんの歌「問うなれば」を思い出し、その歌を心のどこかに響かせながら、読んでいました。友川さんの「問うなれば」は時宗の開祖であり、捨て聖とも呼ばれた一遍上人の短歌からとって歌っている歌で、上人の短歌はこのようなものなのです。
となふれば仏もわれもなかりけり 南無阿弥陀仏の声ばかりして
となふれば仏もわれもなかりけり 南無阿弥陀仏なむあみだ仏
柳宗悦も述べているが、法然によって開かれた念仏宗、浄土宗は、親鸞によって深められ、浄土真宗となり、一遍で極められ、時宗となったということだろうか? 救われるのではなく、もう救われているのだそう。
「朝鮮の友に贈る書」を書いた柳宗悦にとって、一番の戦後の慶事は朝鮮の独立であるだろうけれども、『南無阿弥陀仏』は終戦直後に書き始められ、彼は戦時中の日本人の悪をまさしく痛感し、戦後、ペンを握り、それでも日本人の魂を救おうと、これを書き始めたのではなかろうか?
『心喝』もまた素晴らしい。「心喝」と書いて「こころうた」と読むのだけれども、柳の短い俳句ほどの長さもないほどの詩に自らの注解がつけれております。これらの詩を棟方志功が版画で表現したものが日本民藝館にあって、それはそれは素晴らしいものでした。『心喝』から一つだけ引用し、春の訪れを待つとします。
吉野山
コロビテモ亦
花ノ中
ブレイディみかこさんと鴻上尚史さんの対談をまとめた本「何とかならない時代の幸福論」が面白くて一気読みしたのですが、読み終わって、溜息が出てしまった。日本って何周、周回遅れなのだろう。ぼくがずっと生きてきた日本は30年間止まりっぱなしだったようでもあるのです。
そういえば、アメリカで右翼の新興宗教みたいな人たちが海の向こうのかの国の国会議事堂を占拠しているのをCNNで見て、何てアメリカさんも遅れてしまった国になってしまったのだろうと思った。しかも、これは、1970年ごろに日本の若い新左翼の学生が達成したかったことではないのか? なんという歴史のアイロニーで、時が経つとはこういうことなのだろうか? その後の新政権での大統領就任式での若い詩人の言葉に溢れる希望に感激したのだけれども、今じゃ、「希望」という言葉も日本では死語かもしれない。
あー、閉塞してばかりではいられない。ブレイディみかこさんと鴻上尚史さんのように、いやなことはいやと言い、好きなことをしぶとくやり続け、愛すべき人を愛し続けるしかない。
そういえば、アメリカで右翼の新興宗教みたいな人たちが海の向こうのかの国の国会議事堂を占拠しているのをCNNで見て、何てアメリカさんも遅れてしまった国になってしまったのだろうと思った。しかも、これは、1970年ごろに日本の若い新左翼の学生が達成したかったことではないのか? なんという歴史のアイロニーで、時が経つとはこういうことなのだろうか? その後の新政権での大統領就任式での若い詩人の言葉に溢れる希望に感激したのだけれども、今じゃ、「希望」という言葉も日本では死語かもしれない。
あー、閉塞してばかりではいられない。ブレイディみかこさんと鴻上尚史さんのように、いやなことはいやと言い、好きなことをしぶとくやり続け、愛すべき人を愛し続けるしかない。
篠原勝之さんの著した私小説集『骨風』を読んだ。
私小説とは日本の明治からの小説技法で、もっぱら作者の身辺雑記を書くもの。私小説の大家としては、徳田秋声があげられる。読みながら、中上健次のある種の小説を思い出した。中上が身辺を書きながら故郷の紀州、熊野の地を思うように、篠原さんは東京や山梨での身辺を書きつつ、少年時代の北海道、父や母、弟を思い出す。全部で八編で「骨風」、「矩形と玉」、「花喰い」、「鹿が転ぶ」、「蠅ダマシ」、「風の玉子」、「今日は はればれ」、「影踏み」。
その中の何篇かに深沢七郎さんのことが出てくる。一時期、篠原さんは深沢さんのラブミー農場に居候して、自給自足の農業の手伝いをしていた。ぼくもその手伝いをしてみたいと、思い立ち、ラブミー農場を訪ねたことがある。いるはずのクマさんこと篠原さんがいない。クマさんがいると思ったんですけど、いないですね、どうしたんでしょうか、と深沢さんに聞いてみると、深沢さんは、クマはよー、最近、テレビとかで生意気なことしゃべるようになったから、追い出してやった、と言っていた。クマさんはそのころよくテレビに出演していた。いま、この短編集を読み、クマさんが深沢さんおことを親方と呼んでいたのを知った。
伝染病蔓延るこの今の世の中を、深沢七郎さんは、どう言うのだろうと、想像してみるに、深沢さんは、みんな、病気になって死んでいけばいいんだよ、人間、みんな、死ぬんじゃねーか、と答える予感。そのことにぼくは返答を窮してしまう。深沢さんは、えばるものが大っ嫌いだった。こんなこともしゃべってくれた。この前、畑一面がセイタカアワダチソウか何かの雑草におおわれてよ、憎たらしくなって、ぜんぶ引っこ抜いてやった、せいせいしたよ。
さて深沢七郎さんを親方にもつ篠原勝之さんの小説集『骨風』に戻り、クマさんは自分のためにこれらを書きつつ、それは人のための祈りでもあるような気がした。救いとは何なのかぼくにはよくわからない。人は思い出を残し、誰でも死んでいき、それは自然そのもののようなのだ。
菅原正二さんの著した『[新版]ぼくとジムランの酒とバラの日々』が面白くて、お正月の間、一気読みしてしまった。
菅原正二さんは、レコードを演奏するともいわれ、スピーカーはコーンの紙でできた楽器だと世の音楽好きに認識させた、岩手県一関の世界一、音の良いジャズ喫茶、ベイシーの店主である人で、この『ぼくとジムランの酒とバラの日々』には酒とバラのことは何も書かれていなくて、ほとんどはアンプやらスピーカーやらレコード針やらのオーディオセットのことと、ジャズのことがほとんどなのです。人が好きなことに没頭し追求し追究しているのを見る事は面白いように、それについて書いたことを読むことも、専門用語のことなど何も分からずとも、とても面白いのはどうしてだろう。それにこのユーモアあふれた文体が菅原さんの素晴らしい人となりを感じさせもしてくれる。さてこの本の書名にある「ジムラン」とは何でしょう? この本から引用します。
ところで、これから随所に登場する「ジムラン」とは、ジム・ランシングのことで、渡辺貞夫さんを「ナベサダ」、日野皓正さんを「ヒノテル」と呼ぶのと同様、もともとは人の名前だ。
ジム・ランシング、本当はジェームズ・B・ランシングといい、英語で書くと"James B. Lansing"となり、その頭文字をとるとなんだ、あの世界一有名なスピーカー「JBL」のことか!! と納得がいく。
いってもらわないと困る。
「JBL」の創始者であるジム・ランシングは〝スピーカー作り゛の稀代の天才エンジニアであったが、一九四九年(昭和二十四年)にナゾの自殺を遂げており、天才の死はいまだナゾのままだ。
そして、「JBL」のことを、ムカシの人はよく「ジムラン」と呼んだ。
などと書かれると、ぼくも「ジムラン」が欲しくなり、レコードを鳴らしてみたくなる、危険な本でもあります。
ジャズ喫茶「ベイシー」でぼくはまだ音を聴いたことはなく、今、コロナ禍の中、無期限の閉店中でもある「ベイシー」。この本の「あとがき」にはこうあります。
「二〇二〇年は無かったことにしよう」と坂田明と二人で話し合った。
ということは『ベイシー50周年』も無かったことになる。けじめのつかない幻の50周年というのもいいかもしれない。
いつか「ベイシー」でジャズのレコードを聴くぞ、とぼくは心を決めるのであります。
ラングストン・ヒューズの「ジャズの本」の何度目かの読了をしました。
木島始さんが訳した、ハーレム・ルネッサンスが生んだ最も重要なアフリカン・アメリカンの詩人、ラングストン・ヒューズの本をぼくはたくさん読んでいます。
この「ジャズの本」は、ジャズの黎明である19世紀の終わりごろから1950年代ビバップまでのジャズの歴史を書いたものを中心に、たくさんのジャズについてのあれこれを、スウィングするリズムやら、きらびやかなハーモニー、物憂げでもあるようなメロディーすら、耳に響いてきそうな、詩と歌の心にあふれたものです。
アメリカでのもともとは絵本として出版されたものらしく、楽しい口絵がとても可愛らしい。
ラングストン・ヒューズの詩といえば、浅川マキさんがこの木島始さんの訳に曲をつけて歌っておりました。そんな木島始さんの「ジャズの本」の訳も素晴らしい。
ジャズとは何でしょう、などと思ったのなら、この本を読んでみてください。ジャズという音楽にあふれた素敵な本なのです。
日暮泰人さんの著した『ブルース百歌一望』を読了しました。
日暮さんというと日本のブルースのボスのような人で、この人がいなければ、日本でこんなにたくさんの人に、アメリカの大衆音楽、民俗音楽、民族音楽の中の一つのジャンルであるブルースが認知されなかっただろうし、聞かれなかっただろう。ぼくも大学生のころ、日暮さんらが主催する「P-Vine」というレーベルから発売されたブルースのレコードを漁り、買い、貪るように聴いていた。この『ブルース百歌一望』は、そんな日暮さんが、有名から無名までの100曲(実際は101曲)のブルースを聴きつつ、思ったり、想像したり、考えたことを一冊の本にまとまたもの。
どのようなことをブルースを聴きながら、日暮さんが思ったり、考えたりするかというと、それはブルースという音楽についての深い考察からアメリカの社会、日本の社会、歴史、人の生きざま、孤独、犯罪、希望、愛と、縦横無尽に語られているのです。例えば、この本から、ぼくはこんな日本の近代史について知ることにもなった。Luke Jordanの"Cocain Blues"を取り上げた「コカイン」の章の一部を、長くなりますが、引用します。
「1935年の国際連盟の統計によると、日本はコカインとヘロインの流通量で世界1位、モルヒネで4位とされている。第一次世界大戦に医療用に多く使われていたモルヒネのヨーロッパからの供給が途絶えたため、日本は独自に製造することになり、1916年には星製薬(SF作家、星新一の父親が創業した会社)がその製造に成功したという。日本はモルヒネを朝鮮で浸透させ多くの中毒者を生み出し、また中国ではアヘンを大量に売るようになる。コカの葉の最大供給国であるコロンビアから常に輸入して製造したという歴史があった。ドラッグで巨額の利益を出し、その資金を周辺諸国の植民地政策につぎ込むというのが戦前日本の暗い歴史の一端である」
さて、社会や麻薬、歴史のことを後にして、人のことについて歌ったブルースがやはりほとんどであったようなのだ。"Crossroad Blues"の中で「ウィリー・ブラウンに伝えてくれ」と呻くように歌ったRobert Johnsonの師匠すじにあたるWillie Brownの"Future Blues"の詞が「最期一分のブルース」の章に取り上げられている。これなんかは人生の最奥の何かが歌わているのではないかしら?
「未来のことなどわかりゃしない
過去のことは話せない
一分、一分が思えてくる
おれの最期にちがいないと
何分かが何時間のよう
何時間が何日かのよう
そうさ、何分かが何時間で
何時間が何日にも思えるのさ」
今や伝説ともいえる噺家、立川談志は「落語とは、人間の業の肯定である」といったという有名な話があるけれども、この本を読みながら、ぼくはたえず、その言葉を思い出してもいたのです。「業」には3つの意味があるそうなのです。
・仏語。人間の身・口・意によって行われる善悪の行為。
・前世の善悪の行為によって現世で受ける報い。「業が深い」「業をさらす」「業を滅する」
・理性によって制御できない心の働き。
『ブルース百歌一望』に中にも登場する"Blues impulse"、「ブルース衝動」という言葉、「業」とい言葉の3つ目の意味にぴったりなような気もする。
若いころ、ブルースという3つのコードしか出てこない、同じコード進行の繰り返す音楽を聴いて、その無限の広がりを知り、なんて自由な音楽なんだろうと思った。みんなにアメリカから海を越えてそのブルースという音楽を届ける大きな船の船長のようでもあった日暮泰人さん。
ボス、素敵な本を書いてくれて、ありがとう。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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