えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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会社帰りに渋谷のイメージ・フォーラムでジョシュア・オッペンハイマー監督の「アクト・オブ・キリング」というドキュメンタリー映画を見たのだけど、あまりに重い内容に暗い気分になった。万人受けする映画ではないと思うのだけど、とても優れて、人間とか社会の悪とは何か、という問いに対して問題提起をしている、そのような映画でもあり、圧倒された。

隣人が隣人を殺戮するということがどういうことなのか、1965年のインドネシアでのクーデタの際に、そのような殺戮の加害者であり、法律によって何の罰せられることもなく月日を過ごしてきた70歳を過ぎたその男に、その殺戮を演じてもらい、映像化した映画であった。目をそむけたくなるようなシーンの連続に憂鬱な気分となり小さな劇場を出ざるえない。この前、見た「それでも夜は明ける」もそうなように、最近のアメリカ映画には、このような過去の直視できないような歴史を真摯に取り上げる、そんな映画が少なからず出てきつつあって、ぼくは、むしろ、世界の潮目の変わり目がやって来ているのかもしれないと、のぞみをつなぐ。

さて、隣人が隣人を殺戮するといえば、最近ではアフリカのルアンダ、ヨーロッパのボスニア・ヘルツェゴビナなどが思い出されるけれど、第二次世界大戦後のアジアも決して平和ではなかった。中華人民共和国で1966年から1977年まで続いたプロレタリア文化大革命では隣人が隣人によって40万人から1000万人、殺されたといわれる。その前年の1965年にインドネシアではプロレタリア文化大革命と逆と名分の「共産主義者狩り」として、100万人から250万人が殺されているらしい。1975年から1979年までの間にカンボジアでのクメール・ルージュ(カンボジア共産党)によって120万人から170万人が殺された。この映画はそんなことをぼくに思い出させもし、もしもその時、ぼくがインドネシアや中華人民共和国やカンボジアにいたとしたら、まっさきに殺されるようなそんな人間であるような気がして、恐怖すら感じた。

あぁ、この映画がとらえた今のジャカルタのやくざは、異国からやってきて小さな商売によって、かろうじてかの地に根をはる華僑から、愛国をとなえつつ暴力を背にした恐喝で金品を得ていた、その熱帯モンスーンのうすぎたないやくざの灰色の暗さよ。

この世界に愛を、平和を。タイもウクライナも血を流さないでください。隣人同士、手をつないでください。

http://www.aok-movie.com
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昨日の夜、エミール・クストリッツァ監督の「アンダーグラウンド」をレンタルDVDで見た。ユーゴスラビアという国の激動の現代史を奇想天外な着想のもとに駆け抜けていくような、シュール・レアリスティックな映画だった。ユーゴスラビアって今では7つの国に分裂していて、なくなってしまったんだなぁ、と思う。そして、ここいらへんはラテンでもあるのね。

この映画のラスト・シーンは愚者が与える不思議な教訓とか暗示を感じさせ、何か感動的。その教訓とか暗示とは何かと聞かれても、一言では表せないほど、複雑で鬼気なものでもあるようだ。そして、一つの国が崩壊過程にある中で撮られた映画でもあり、その国への惜別の深い感情と危機意識がないまぜになって、圧巻です。

あっ、そうだ、シュール・レアリズムというより、この映画は、マジック・レアリズムといったほうがぴんとくる。このわけのわからなさは、ガブリエル・ガルシア=マルケスの小説、寺山修司の演劇、そしてあのフェデリコ・フェリーニの「甘い生活」以降の映画が好きな方にはお勧めです。

http://www.eiganokuni.com/ug/
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つたやで借りてあったレンタル・ビデオで映画「ファミリー・ツリー」を、町田の万象房で歌い、帰って来た深夜の我が家で見た。ハワイを舞台にしたアレクサンダ―・ペイン監督、ジョージ・クルーニー主演のホーム・ドラマは、日本の倉本聰が脚本を書き、山田洋次が監督した、沖縄を舞台にしたような映画でもあるなぁ、と思った。ジョージ・クルーニー演じるお父さんとその娘二人、それにその上の娘の彼氏(不思議にこの役が物語の人物の人間関係にふくらみをもたせてもいる)がハワイを旅するロード・ムービーのようでもある。

ほろ苦くて、やさしくて、あたたかい。どんなシーンかは明かさないけれど、ラストのシーンは、本当にぼくの胸の奥にあたたかくて、うれしいような涙が流れるかのようで目頭が熱くなった。

昔の日本映画みたいだという話にもどれば、そう、監督のアレクサンダ―・ペインが、最も尊敬する監督として、日本の小津安二郎を上げていたことをやはり思い出した。アメリカからこんな繊細な映画が出てくるとは、と少し驚く。

フィルムに収まったハワイの風景と全編を流れるハワイの音楽も美しい。

原題の'descendants'とは「子々孫々」という意味らしい。だから「ファミリー・ツリー」、「家系」という邦題ということらしい。

この映画、見終わった後、すべてを許せるかのようなあったかい気持ちになれますよ。

http://www.foxmovies.jp/familytree/
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横浜市鴨居のトーホーシネマズでスティーヴ・マックイーン監督の「それでも夜は明ける」を見た。今年のアカデミー賞は作品賞の映画は19世紀という遠くない過去のアメリカ合衆国の奴隷制の実態を本当にあったことの事実を元に描いているのだった。目を閉じたくなるような苛烈で生々しいシーンが、2時間以上、ブラッド・ピット演じる流れ者のカナダからの自由主義奴隷解放論者の白人の登場まで続く。しかし、ブラッド・ピットはいい役を持っていきました。この映画では彼はプロデューサーとしても名を連ねていて、アカデミー賞発表の際には、黒人の監督とともにスピーチをしていた。ブラッドってかっこいいやつだけではなく、いいやつだ。

映画館内にこだまする黒人を鞭打つ音を聞くたびに、ローリング・ストーンズがこの前の日本公演でも演奏していた「ブラウン・シュガー」という曲を思い出してしまった。この曲は黒人の音楽に由緒を持つロックンロールでありながら、ありとあらゆるスラングをちりばめてアメリカ南部の奴隷制を、なんと加害者の視点で歌われているのだけど、その話はまたの機会に。

アメリカって本当に野蛮な国だったんだな、とぼくは感想を持ち、1964年にアメリカで人種隔離政策と南部諸州において広く続けられてきたアフリカ系アメリカ人の投票阻止を終わらせるために公民権法が成立してから50年経つ今年に、奴隷制を正面から扱ったこの映画がアカデミー賞を受賞し、アメリカの多くの人たちに受け入れられ、この映画が見られていることに、なんだかんだといっても、曲がりくねっていながらも、アメリカの自由への道は続いているらしいことを賞賛してしまう。この映画で数度か登場するぼくの大好きなゴスペルはソウル・ミュージックのルーツでもあることも確認し、ブラッド・ビッド演じる大工がきっぱりと主張する、神のもとにおいて人間はみな平等だ、という言葉がぼくの心に錨をおろした。

アカデミー賞、受賞、心からおめでとうございます。

http://yo-akeru.gaga.ne.jp/
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アレクサンダー・ペイン監督の「ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅」を見に海老名のTOHOシネマズに行った。見はじめて30分ぐらいは眠くなったけれど、この映画の二人の主人公である父と息子がスクリーンの中でモンタナからネブラスカまで旅を始めると、おもしろくなり、何のストーリーもなく、小さなエピソソードの積み重ねばかりで、一人のヒーローも出てこないのだけれど、あっという間の110分だった。この映画はアレクサンダー・ペイン監督が最も尊敬する小津安二郎監督に敬意を込めてのモノクロ・フィルムなんだそうだけれど、ドイツのヴィム・ヴェンダースに続く、小津映画の後継者がアメリカから出てきたことがうれしい。この映画を見ながら、こういう話はアメリカも日本もなくて、万国共通なんだなぁ、と思った。アメリカの片田舎をモノクロでとらえた映像が美しく、父と息子の苦くて、おかしみもあるユーモラスの旅を見終わった後に胸にじんわり暖かいものが残っていた。


http://nebraska-movie.jp/
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その昔、ぼくが最も好きなアスリートであるマイケル・ジョーダンは「ドライヴィング・ミス・ディジー」なんて好きじゃない、と言っていた。それはジョーダン自身がスピード・クレイジーのフェラーリ乗りで、のろのろと運転することが嫌いだという意味であると等しく、この白人に仕える善良な黒人というイメージに抵抗があったのではなかろうか、と憶測する。ジョーダンは「風と共に去りぬ」もはっきりと嫌いだと言っていたのだが、その中に描かれる善良な黒人奴隷に割り切れぬ思いがあったのだろう。そのようなジョーダンが一度、バスケットボールを引退し、そして、復帰し第二の全盛期の頃の1996年のアメリカでのアトランタ・オリンピックの年、その地の「風と共に去りぬ」の作者、マーガレット・ミッチェルの保存されていた生家が何者かの放火によって焼失してしまったことを思い出した。

「大統領の執事の涙」という映画がアメリカでヒットしたというのを聞いて、どうせ、白人に仕える善良な黒人を描いたろくでもない映画かもしれないと思っていたのだが、この映画の監督のリー・ダニエル自身が黒人であることに興味をおぼえ、見に行った。今ではアメリカの大統領が黒人であることを、思い出しつつ、一人のヒーローも出てこないこの映画を見た。圧巻でした。素晴らしい。父と息子の確執と和解の物語はもう一つの視点からのアメリカの現代史でもあるかのようなのだ。公民権運動時代のアメリカはあたかも内戦の一歩手前のような状況であったのを改めて知る。それから半世紀が経った。ソウル・ミュージックの創始者、シンガー、サム・クックから、アメリカ大統領、バラク・オバマまでの道であるかのようだ。「バード」でモダン・ジヤズの祖であるサックス奏者、チャーリー・パーカーを演じたフォレスト・ウィテカーが「世の中をよくするために、父さんは白人に仕えている」と息子に諭すホワイト・ハウスの執事を演じきっています。

さて、マイケル・ジョーダンもこの「執事」は認めるのではないかしら。

http://butler-tears.asmik-ace.co.jp/
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ケン・ローチ監督の「天使の分け前」をレンタルで見た。原題を"Angel's Share"を訳すと「天使の分け前」というより「天使の取り分」と言った方がぴったり来るような気がした。"Angel's Share"とは、ウィスキーを木の樽で熟成させる過程で毎年2%づつその量が減っていくのだそうだけど、その2%が天使の分だという意味らしい。この映画で描かれているのはイギリスのワーキング・クラスよりもさらに低いアンダー・クラスで生きる若い人たちで、これが、今のイギルスのリアルなのだろう。それは、イギリスというよりもブリティッシュのリアルと言った方がふさわしい。この映画で描かれた彼らが、あたかも天使であるかのように写りもし、たかが2%ぐらいの取り分ぐらいよこせよ、と歌っているかのようなのだ。その歌は、ブリティッシュのロックンロール・ミュージックの源流として、ジョン・レノン、ジョン・ライドン、リアム・ギャラガー、ノエル・ギャラガー、ジェイク・バグへと通底している歌らしいのだ。さて、映画にもどれば、けれん味のない展開についには爽やかさすら感じてしまいました。英国映画界の至宝のようなベテラン監督の快作です。

http://tenshi-wakemae.jp/
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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