えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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先週も金曜日の会社帰りには映画館に映画を見に行っていたが、今週も見に行った。有楽町のスバル座で大林宜彦監督の「野のなななのか」を見たのです。大林監督の前作「この空の花 -長岡花火物語」が若々しい傑作だったので、今作も見せてくれるだろうと見に行ったのだけど、その期待は100%、かなえられました。前作の舞台が新潟県長岡だったのに続き、今作の舞台は北海道芦別を舞台にして作られた完全なる地元協力のもとのインディーズ映画で、監督自身が言うところの古里映画は、饒舌な文体で語られる、人々の心にふりつもっいいった近代史を描いていた。もちろんあの大林節が晩節にして枯れることなく炸裂しれていて、北のかの地を舞台にした、ボルヘスの小説を映像化したかのようなマジック・リアリズムでもあり、家族の物語のそれは、目まぐろしくカットされる小津安二郎映画へのオマージュでもあり、21世紀に隔世遺伝されたゴダールのヌーヴェルヴァーグの映画のようにもに感じたのだけれど、それはまさしく大林組の映画そのもの。この「野のなななのか」に続く古里映画の三作目も未定だけれどもきっと傑作を撮ってくれそうだと、変わらぬ奇才、鬼才の巨匠に何か期待してしまいます。

http://www.nononanananoka.com
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金曜日の会社帰りに新宿の老舗映画館、新宿武蔵野館に寄り、コーエン兄弟監督の最新作「インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌」を見る。

この映画を見ながら、アコースティック・ギターをしまったハード・ケースを抱え、1961年のニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジ界隈を彷徨しているような気分になりました。そして、オスカー・アイザック演じるルーウィン・デイヴィスのだめ人間ぶりに何か愛おしさを感じる。酔っぱらって、ライブハウスで罵詈雑言をわめきちらす姿に昔のぼく自身を思い出したりした。お恥ずかしい。

1961年というと、エルヴィス・プレスリーが兵役に取られ、ロックン・ロールの熱狂が去り、ボブ・ディランもまだメイン・ストリームの出てきてはいない。そんな時のニューヨークをほっつき歩き、シカゴまでヒッチハイクしたりし、ギブソンのギターでを弾き、風に吹かれゆくように、歌を歌っているのです。

キャリー・マリガン演じるヒロインのジーン・バーキーもかわいいですが、主人公といっしょに旅をする猫もかわいいです。

http://www.insidellewyndavis.jp
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レンタルDVDでトリーシャ・ジフ監督の「メキシカン・スーツケース」を見た。ロバート・キャパ、ゲルダ・タロー、デビッド・シーモアの残したスペイン内線のネガ・フィルムがメキシコで見つかったことを糸口に、タブーとなってしまって、語られなくなってしまった戦争の真実を解き明かすというような内容だった。

こういう話が世界にはたくさんあるのか、と改めて思う。1940年代のメキシコってどこか輝いている。スペイン内戦で共和国を支援した国が二つあって、ひとつが今のロシア、当時のソビエト連邦で、もうひとつがメキシコであった。その他の国は見て見ぬふりといったところか。

共和国派、人民戦線政府はイタリアとドイツのファシズム政権に支援を受けた後の独裁者フランコの率いる軍に負けてしまうのだが、はじめて民間人が標的にされた戦争としても記録され、ピカソの「ゲルニカ」はその空襲への抗議の意志をこめた芸術作品。人民戦線側の義勇兵としてアーネスト・ヘミングウェイやアンドレ・マルローなども戦った。ヘミングウェアの「誰がために鐘は鳴る」はまさしくスペイン内戦を描いた名作で後にゲーリー・クーパーとイングリッド・バーグマンの主演で映画にもなった。そう、スペイン内戦で負け、死んでいった兵士や民家人とちりじりになってメキシコに亡命した人々についてこの映画「メキシカン・スーツケース」では語られている。

あぁメキシコよ、亡命者レオン・トロッキーの終焉の地で、ディエゴ・リベラとフリーダ・カーロの砂漠の絵画、勇者である骸骨の国。無数の亡命者のスーツケースがおり重なっている。





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会社帰りに渋谷のイメージ・フォーラムでジョシュア・オッペンハイマー監督の「アクト・オブ・キリング」というドキュメンタリー映画を見たのだけど、あまりに重い内容に暗い気分になった。万人受けする映画ではないと思うのだけど、とても優れて、人間とか社会の悪とは何か、という問いに対して問題提起をしている、そのような映画でもあり、圧倒された。

隣人が隣人を殺戮するということがどういうことなのか、1965年のインドネシアでのクーデタの際に、そのような殺戮の加害者であり、法律によって何の罰せられることもなく月日を過ごしてきた70歳を過ぎたその男に、その殺戮を演じてもらい、映像化した映画であった。目をそむけたくなるようなシーンの連続に憂鬱な気分となり小さな劇場を出ざるえない。この前、見た「それでも夜は明ける」もそうなように、最近のアメリカ映画には、このような過去の直視できないような歴史を真摯に取り上げる、そんな映画が少なからず出てきつつあって、ぼくは、むしろ、世界の潮目の変わり目がやって来ているのかもしれないと、のぞみをつなぐ。

さて、隣人が隣人を殺戮するといえば、最近ではアフリカのルアンダ、ヨーロッパのボスニア・ヘルツェゴビナなどが思い出されるけれど、第二次世界大戦後のアジアも決して平和ではなかった。中華人民共和国で1966年から1977年まで続いたプロレタリア文化大革命では隣人が隣人によって40万人から1000万人、殺されたといわれる。その前年の1965年にインドネシアではプロレタリア文化大革命と逆と名分の「共産主義者狩り」として、100万人から250万人が殺されているらしい。1975年から1979年までの間にカンボジアでのクメール・ルージュ(カンボジア共産党)によって120万人から170万人が殺された。この映画はそんなことをぼくに思い出させもし、もしもその時、ぼくがインドネシアや中華人民共和国やカンボジアにいたとしたら、まっさきに殺されるようなそんな人間であるような気がして、恐怖すら感じた。

あぁ、この映画がとらえた今のジャカルタのやくざは、異国からやってきて小さな商売によって、かろうじてかの地に根をはる華僑から、愛国をとなえつつ暴力を背にした恐喝で金品を得ていた、その熱帯モンスーンのうすぎたないやくざの灰色の暗さよ。

この世界に愛を、平和を。タイもウクライナも血を流さないでください。隣人同士、手をつないでください。

http://www.aok-movie.com
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昨日の夜、エミール・クストリッツァ監督の「アンダーグラウンド」をレンタルDVDで見た。ユーゴスラビアという国の激動の現代史を奇想天外な着想のもとに駆け抜けていくような、シュール・レアリスティックな映画だった。ユーゴスラビアって今では7つの国に分裂していて、なくなってしまったんだなぁ、と思う。そして、ここいらへんはラテンでもあるのね。

この映画のラスト・シーンは愚者が与える不思議な教訓とか暗示を感じさせ、何か感動的。その教訓とか暗示とは何かと聞かれても、一言では表せないほど、複雑で鬼気なものでもあるようだ。そして、一つの国が崩壊過程にある中で撮られた映画でもあり、その国への惜別の深い感情と危機意識がないまぜになって、圧巻です。

あっ、そうだ、シュール・レアリズムというより、この映画は、マジック・レアリズムといったほうがぴんとくる。このわけのわからなさは、ガブリエル・ガルシア=マルケスの小説、寺山修司の演劇、そしてあのフェデリコ・フェリーニの「甘い生活」以降の映画が好きな方にはお勧めです。

http://www.eiganokuni.com/ug/
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つたやで借りてあったレンタル・ビデオで映画「ファミリー・ツリー」を、町田の万象房で歌い、帰って来た深夜の我が家で見た。ハワイを舞台にしたアレクサンダ―・ペイン監督、ジョージ・クルーニー主演のホーム・ドラマは、日本の倉本聰が脚本を書き、山田洋次が監督した、沖縄を舞台にしたような映画でもあるなぁ、と思った。ジョージ・クルーニー演じるお父さんとその娘二人、それにその上の娘の彼氏(不思議にこの役が物語の人物の人間関係にふくらみをもたせてもいる)がハワイを旅するロード・ムービーのようでもある。

ほろ苦くて、やさしくて、あたたかい。どんなシーンかは明かさないけれど、ラストのシーンは、本当にぼくの胸の奥にあたたかくて、うれしいような涙が流れるかのようで目頭が熱くなった。

昔の日本映画みたいだという話にもどれば、そう、監督のアレクサンダ―・ペインが、最も尊敬する監督として、日本の小津安二郎を上げていたことをやはり思い出した。アメリカからこんな繊細な映画が出てくるとは、と少し驚く。

フィルムに収まったハワイの風景と全編を流れるハワイの音楽も美しい。

原題の'descendants'とは「子々孫々」という意味らしい。だから「ファミリー・ツリー」、「家系」という邦題ということらしい。

この映画、見終わった後、すべてを許せるかのようなあったかい気持ちになれますよ。

http://www.foxmovies.jp/familytree/
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横浜市鴨居のトーホーシネマズでスティーヴ・マックイーン監督の「それでも夜は明ける」を見た。今年のアカデミー賞は作品賞の映画は19世紀という遠くない過去のアメリカ合衆国の奴隷制の実態を本当にあったことの事実を元に描いているのだった。目を閉じたくなるような苛烈で生々しいシーンが、2時間以上、ブラッド・ピット演じる流れ者のカナダからの自由主義奴隷解放論者の白人の登場まで続く。しかし、ブラッド・ピットはいい役を持っていきました。この映画では彼はプロデューサーとしても名を連ねていて、アカデミー賞発表の際には、黒人の監督とともにスピーチをしていた。ブラッドってかっこいいやつだけではなく、いいやつだ。

映画館内にこだまする黒人を鞭打つ音を聞くたびに、ローリング・ストーンズがこの前の日本公演でも演奏していた「ブラウン・シュガー」という曲を思い出してしまった。この曲は黒人の音楽に由緒を持つロックンロールでありながら、ありとあらゆるスラングをちりばめてアメリカ南部の奴隷制を、なんと加害者の視点で歌われているのだけど、その話はまたの機会に。

アメリカって本当に野蛮な国だったんだな、とぼくは感想を持ち、1964年にアメリカで人種隔離政策と南部諸州において広く続けられてきたアフリカ系アメリカ人の投票阻止を終わらせるために公民権法が成立してから50年経つ今年に、奴隷制を正面から扱ったこの映画がアカデミー賞を受賞し、アメリカの多くの人たちに受け入れられ、この映画が見られていることに、なんだかんだといっても、曲がりくねっていながらも、アメリカの自由への道は続いているらしいことを賞賛してしまう。この映画で数度か登場するぼくの大好きなゴスペルはソウル・ミュージックのルーツでもあることも確認し、ブラッド・ビッド演じる大工がきっぱりと主張する、神のもとにおいて人間はみな平等だ、という言葉がぼくの心に錨をおろした。

アカデミー賞、受賞、心からおめでとうございます。

http://yo-akeru.gaga.ne.jp/
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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